宮本亞門×ソニンがブロードウェイで
の思い出を語る Bunkamura文化情報
発信プロジェクト企画<第1弾>のオ
フィシャルレポート公開

株式会社東急文化村が運営する複合文化施設「Bunkamura」が、より多くの人々に文化・芸術に触れる楽しさを味わってもらうための「文化情報発信プロジェクト」をスタートさせた。企画第1弾として、2023年7月19日(水)東京カルチャーカルチャーにて、宮本亞門とソニンが出演しスペシャルトークを行った『私が見た夢の街-ブロードウェイでの挑戦』を開催。司会進行は溝渕俊介が担当。
この度、オフィシャルレポートが届いたので紹介する。
Bunkamura文化情報発信プロジェクト スタート企画<第1弾>
宮本亞門✕ソニン スペシャルトーク
『私が見た夢の街-ブロードウェイでの挑戦』開催レポート
『スウィーニー・トッド』(07年)で出会った宮本亞門さんとソニンさん。
ミュージカルを目指して、ブロードウェイで経験を積んだお二人に、なぜブロードウェイが人を惹きつけてやまないのか、当時のエピソードや挑戦について、率直にお話しいただきました。
溝渕(司会進行):お二人はなぜブロードウェイに挑戦しようと思われたのですか?
宮本:いつか演出家になりたい、そのために勉強しようと、『HAIR』に出演したのが21歳の時でした。ところが初日の朝、母が亡くなりまして。生前、「ミュージカルを本気でやりたいのなら、ニューヨークにブロードウェイというところがあって、世界中の熱い人が本気でぶつかっているらしい。そこに行かなきゃダメよ」と言っていたことを思い出し、1カ月後にニューヨークへと飛びました。それから毎年、ブロードウェイで観劇するようになったんです。深夜の振付のバイトを週3回して、お金を貯めて。徹底的に自分をしごき、ミュージカルを作りたいと必死でした。
ソニン:私は『スウィーニー・トッド』の舞台稽古をしている時に、亞門さんから「ソニンは日本に留まっちゃダメ。世界を見なさい。ニューヨークに行きなさい」と言われて、それが私の中に響きました。その年末に初めて一人でニューヨークへ行って、ミュージカル三昧! その時、様々な人種の方たちがそれぞれのプライドを持って自分らしく生きている街、ここに住めば何かが変わるかもしれないと直感で思ったんです。それから4年の間に、私は半年に1回のペースで訪れて、ヴォイストレーナーや音楽関係の人など知り合いを作り、準備をしました。そして文化庁新進芸術家海外研修制度で1年、一度帰って今度は自腹で半年間、計1年半滞在しました。
宮本亞門
溝渕:NYで最初にミュージカルを見た時の印象は?
宮本:劇場に入って後ろから客席を見た時、いろんな髪の色の人がいて、ワーッと盛り上がる、あの熱気と興奮。オーバーチュアの音が聞こえないくらいうるさいし、拍手もすごい。こんなに楽しいんだ、人間が興奮していいんだとその時、知ったんです。
ソニン:確かに、お客様はうるさいですね(笑)。みんな好き勝手に楽しんでいて。劇場が古いから、座席が日本より狭く、絶対に収まらない方もいらっしゃると思うんですよね。
宮本:あれ、心配になるよね。あと夏は異常な寒さ。凍死するんじゃないかと思うくらい(笑)。
溝渕:そんな凍死しそうなブロードウェイで(笑)仕事をする中で、日本と違う点や発見、驚いたことはありましたか。
宮本:たくさんあります。『アイ・ガット・マーマン』をオフ・ブロードウェイで作ったのが、向こうでの初仕事です。次の日が稽古終わりで、これからいざ劇場! と意気込んでいた、その日が9.11になりました。公演は1週間遅れでやりましたが、その時のアメリカは戦場で、悩みながらどうにか終えた感じです。
『太平洋序曲』は作詞作曲を手掛けたソンドハイムが新国立劇場で上演した舞台を偶然見て、ぜひアメリカでやってほしいと、リンカーンセンター・フェスティバルに招致されました。拍手が15分間鳴りやまず、その後、ワシントンを経て、オン・ブロードウェイにいくことになって。すると、「いよいよオン・ブロードウェイという劇場街に来たね」と、急に見方が厳しくなったんです。演出も僕がやってきた日本のやり方では通用しない。キャストたちから「ここはアメリカだよ」「全員の意見を聞いていないよね?」と言われ、午前中は全員でディスカッションするようにしたり。やはり生半可じゃないエネルギーが必要でした。辛い思いもあったけど、結果的にはトニー賞にノミネートされて話題になり、初めての日本人演出作品としては面白い経験になりましたね。
ソニン:私は文化庁研修制度の決まりとして、行き先を決める必要がありました。皆さん留学となると大抵、学校に入ります。でも私は学校には入らなかったんです。4年間ニューヨークに通って思ったのは、ニューヨークはエネルギーが強すぎて、落ち込んだり、悩んだりしたら、踏まれて捨てられてしまうと。そのくらいスピードが速く、生きていくにはタフさが不可欠なんです。逆に言うと、ニューヨークにいるだけで、私ってすごいでしょ! と錯覚しそうになる。でも、ここで何をするかが大事だなって。学校に通えば、それで満足してしまうかもしれない。次のステップを踏みたい私は、ヴォーカルトレーナーの方に師事しながら、いろんな学校に行きました。演劇学校の短期ミュージカルコースやアジア人向けの発音の癖をなくすレッスン、英語も大学のイングリッシュコースなど。だから私、学生証をいっぱい持ってて(笑)。英語に不安があったので、どのクラスでもまず最初に、先生に「すみません、ネイティブじゃないのでいろいろ聞くかもしれません。よろしくお願いします」と挨拶して。
ゴスペルもやりました。1カ月に2、3回、クイーンズにある教会へ。電車とバスを乗り継いで2時間半もかかるんです。シンガーの皆さんは音楽を習ったことはないのに、天性の才能というか、どのくらい声が出るんだろう? というくらい爆音で歌えます。それに対抗して歌うと、1回で声を潰すくらい。かなり鍛えられましたね。
ソニン
溝渕:普段、接しないコミュニティーだと思うのですが、すぐに受け入れてもらえましたか。
ソニン:彼らは日本のクワイアとも交流があって、馴染みがあったようです。一緒にご飯を食べたり、すごく優しくしていただきました。ラジオシティでゴスペルの大会があった時には、私もクワイアとして出させてもらったんです。現地に15年くらい住んでいる方が、ゴスペルの大会にアジア人が一人いるのが衝撃だったと言っていましたね。
溝渕:ブロードウェイ界隈は、どんなコミュニティーだと感じましたか。
宮本:日本の皆さんは謙虚じゃないですか。自分が行く! となると、がめついかな? とか、本当の自分じゃないとか、いろいろ考えてしまう珍しい民族だと思います。ニューヨーク、特にマンハッタンは、世界中から多様な人たちが来ていて、実は、南米やヨーロッパ、それにアジアからの移民で、自信のない人たちも山のようにいる。でも自分と戦い、超えていこうとする。お互いに切磋琢磨できるのがこの街の渦。辛い思いをしている人も大勢いて、バスの中で誰かが犯罪をしようものなら全員が立ち上がる。人間を人間として見ているところが、僕は面白いなと思うんです。だからそんな街で僕を無視したとか、ちっちゃいことで悩んでいる暇はない。考えすぎちゃダメ!
ソニン:おっしゃる通り! そんなことを考えていたら、生きていられない。タフでいなければ。もうウジウジ悩んでいる自分が、すごくバカらしくなるんです。ある時、ニューヨークの人たちって何が可笑しいんだろうというくらい、ずっと笑っているなと気づいたんです。そこで笑えるくらいでないとやっていけないんだなと実感しました。私も毎日、この街に来たのに何も掴めない、何もできていないと悩んでいました。だけど泣くのは今日だけ、朝起きたら笑顔になろうと決めて。だからニューヨークですごく笑うようになったし、マイウェイを生きる覚悟もできたんです。
溝渕:葛藤があったんですね。ソニンさんは現地でオーディションを受けられたそうですが。
ソニン:はい。受けられるチャンスがあればと思っていましたが、実際、メジャーな作品は俳優の組合に入っていないと受けられないことがわかって。それでも『ミス・サイゴン』は受けました。私は日本で07・08年に出演していて、その時の演出家がブロードウェイでも演出なさっていたので、キム役を受けるチャンスをいただきました。オーディション史上、一番緊張して、声が震えたことを覚えています。『レ・ミゼラブル』も受けました。しかも大学のカンパニーと、プロのカンパニーの2種類。プロのカンパニーでは、溢れんばかりの俳優さんたちと一緒に、朝から並んで待ちました。ウォームアップをしていると、2、30人が一気に呼ばれます。私も発声して準備して指示された通りに行くと、レジュメだけで合否を決めるんです。歌を聞いてもらうことなく、私は帰されました。もう10年くらい前の話ですから、今は変わっているかもしれませんけど。

(左から)ソニン、宮本亞門

溝渕:厳しい世界ですね。逆に亞門さんはブロードウェイでオーディションする立場です。
宮本:『アイ・ガット・マーマン』の時は、頭痛薬を飲み続けていましたね。参加者の歌が下手で、音程もずれてて、それでも堂々と歌い、終わるとニッコリ笑うんです(笑)。そこで、「明日来てね」ではなく、「OK、See you」と言った時の彼女の怒り! 急に近づいて来て、「Where are you come from?」と聞かれ、「Japan」と答えると、あなたはわかっていないと文句を言って、さっさと帰っていきました(笑)。でもオーディションに来てくれたことが嬉しいし、感謝したいです。

(左から)ソニン、宮本亞門

溝渕:お二人にとって、ブロードウェイとは?
宮本:例えば皆さん、自分の才能はこのくらいだと思ったりしますよね。僕は何度も自分を否定してきた人間です。だけどブロードウェイに行くと、毎回大きな壁がそびえ立つわけで、それを超えようとする自分がいる。前に高い壁があるほど、自分が自分を超えていけるんです。他の人の作品を観ても、人知を超えるような瞬間と出会えることもある。それがブロードウェイです。
ソニン:劇場街ってすごいエネルギーですよね。正直、私が1年半、ニューヨークで生活していた時は、タイムズスクエアはなるべく歩かないようにしていました。キラキラしてて眩しくて、自分の生活とはギャップを感じてしまって。オンに立てるのはほんの一握り。オンではないところで模索して、涙を流しながら生活している人たちがほとんどで、私もその一人でしたから。
宮本:ああ、僕も自分の作品が開幕すると、セントラルパークしか行かないです。劇場に行くと比較しちゃうから。自分を解放できるのはセントラルパークだけ。
ソニン:全く同じです! 私もセントラルパークに通っていました。現実は厳しかったけれど、でも今もブロードウェイは大好きです。
(左から)ソニン、宮本亞門
文:三浦真紀   写真:渡部孝弘

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