巖谷國士×近藤ようこ×天野天街スペ
シャル鼎談・澁澤龍彦の遺稿が繋ぐ糸
──ITOプロジェクト『高丘親王航海
記』名古屋公演上演記念企画

ITOプロジェクト公演・糸あやつり人形芝居『高丘親王航海記』(原作/澁澤龍彦、脚本・演出/天野天街)が、2019年11月2日(土)~4日(月・祝)に愛知県名古屋市・愛知県芸術劇場小ホールで上演される。
『高丘親王航海記』(1987年文藝春秋刊)は、博覧強記のフランス文学者・小説家の澁澤龍彦(1928-1987年)が、史実に想を得て生み出した傑作幻想綺譚だ。【儒艮】【蘭房】【獏園】【蜜人】【鏡湖】【真珠】【頻伽】という魅惑的な7章から成り、貞観7(865)年、平城天皇の皇子・高丘親王が二人の僧と共に唐の広州から海路で天竺(インド)を目指し出航する、摩訶不思議な旅の軌跡を描いた作品である。幼い頃、父帝の寵姫であった藤原薬子より寝物語で天竺の話を聞かされ、生涯に渡り薬子と彼の地への憧憬を抱き続けた高丘親王。澁澤はこの作品を「文學界」で連載中に下咽頭癌を患い、途中、声を失いながらも最後まで書き上げ、単行本出版のための加筆修正も行うも、1987年に他界。本作が遺稿となった。
それから5年後─1992年に〈少年王者舘〉の天野天街が脚色・演出を手掛け、名古屋で舞台化。天野のホームグラウンドである「七ツ寺共同スタジオ」の創立20周年及び〈少年王者舘〉の創立10周年を記念し、〈維新派〉〈てんぷくプロ〉との合同公演として維新派主宰の松本雄吉を親王役に据え、今や伝説となった壮大な野外劇『高丘親王航海記』を立ち上げた。
そこからさらに26年後──関西で結成された糸あやつり人形芝居のユニット〈ITOプロジェクト〉の依頼により、再び天野が今度は人形劇化。同じ題材をもとに人間から人形へ、まったく別の角度からのアプローチと、人形劇ならではの演出法を駆使して原作のエッセンスを凝縮・拡大させ、2018年4月に東京・伊丹で公演を行い、同年8月には長野の「いいだ人形劇フェスタ」でも上演、各地で大好評を博した。
そんなITO版『高丘親王航海記』が、2019年11月に満を持して天野の活動拠点である名古屋に初お目見えとなる。〈愛知人形劇センター〉の30周年を記念する特別企画としての上演だ。
(撮影:サカイユウゴ)
また、奇しくも時を同じくして2019年3月より、近藤ようこによる漫画版も月刊誌「コミックビーム」にて連載がスタート(2019年10月28日現在、【蘭房】まで掲載)、こちらも大評判だ。そこで、今回の名古屋公演を記念して、澁澤龍彦の盟友として小説の誕生から間近で見守り、1992年の野外劇も目撃しているフランス文学者で評論家の巖谷國士と、漫画家の近藤ようこ、本作の脚本・演出を手掛けた天野天街による鼎談を、東京で実施。秋とは思えない、夏のような陽射しが降り注ぐ10月某日の午後のひととき、『高丘親王航海記』が引き合わせた夢の邂逅の様子をお届けする。
月刊コミックビーム 2019年4月号表紙
■『高丘親王航海記』を漫画化するなら、近藤ようこさんだろうと思っていた(巖谷)
巖谷 僕はずっと、近藤ようこさんにお会いしたかったんです。
天野 僕も昔からファンです。「ガロ」に描かれていた1979年頃から読んでました。
近藤 ありがとうございます。
巖谷 天野さんと僕が会うのは、今日で3度目ぐらい?
天野 5回位は会ってますよ。唐組の公演でもお会いしてますし。
巖谷 話をしたのは、前回のトークショーの時だけかな(2018年4月、下北沢ザ・スズナリにおける公演の際に、アフタートークゲストとして出演)。
天野 終わったあともロビーでずっとお話しましたね。その後、名古屋でやったコラージュの展覧会(2018年11月、揚輝荘で催された「揚輝荘天街展(キソウテンガイ)」)にもトークゲストで来ていただきました。最初にお会いしたのは、野外公演の時ですね。
巖谷 そうそう、1992年でしたね。僕がいいなぁと思ったのは、高丘親王の少年時代。石丸だいこという女性がやったでしょ。僕は彼女を見ていて人形を感じた。生身の少年じゃない、人形みたいな感じがあったんですね。だから人形劇化もある種、予感があったんです。
──近藤さんは、そもそもどういった経緯で『高丘親王航海記』を漫画化されたのでしょうか?
近藤 『高丘親王航海記』を始めたのは、イラストレーターの南伸坊さんの奥様が、私の絵で読みたい、と仰ってくださったんです。でもすごく難しいから最初は「無理です」と言ったんですけど、でもまぁ私も歳だし、出来ないことをやってみようかなという感じで。蛮勇をふるって始めてます(笑)。
近藤ようこ (撮影:池上夢貢)
──それはいつ頃のお話ですか?
近藤 「世田谷文学館」で澁澤龍彦展をやったのは、一昨年でしたっけ?
巖谷 やりました。僕が監修した展覧会です。
近藤 そうですよね。漫画化のお話を伺って、出来るか出来ないかわからないので、とりあえずその澁澤展(2017年秋『澁澤龍彦 ドラコニアの地平』展)にも行き、原稿とか資料のメモが展示されていましたよね。そういうのを拝見したり、それからちょっとずつ資料を見て、出来るかな、と思って始めたんですね。
2017年「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」@世田谷文学館 チラシ
巖谷 それまでに澁澤さんの本は読んでおられた?
近藤 あまり読んでなかったんですよね。
巖谷 でも『高丘…』は読んでおられた。
近藤 はい。でもすごく難しい。
巖谷 難しいかな。天野さんの野外劇はすごく良かった。それから人形劇があって、漫画にも向いてると思っていたんです。それで、誰が描いたらいいかな? と思った時にまず考えたのが、近藤ようこさん。
近藤 えぇー!
天野 すごい。
巖谷 意外ですか?
近藤 はい。澁澤さんをすごくお好きな漫画家がたくさんいらして、漫画にしたいと思っていらっしゃる方もいると思うので、私がやってもいいのかなぁと、それは申し訳なく思っているんですけれど。
巖谷 僕がなんで近藤ようこさん、と思ったかというと、ひとつは独特のあっさりした絵を描かれる。あれがいい。というのは、『高丘…』というのは、とにかくあっさりしてるんですよ。話がポンポンポンと進んでいくだけで。人間の心理の絡みとか、ドロドロしたことがなくて、力みもないです。そうすると一番、近藤ようこさんかなと。
近藤 あぁ。
巖谷 もうひとつは、日本の文学や歴史をよく知っておられるということです。
近藤 あまり知らないんですけれど。
巖谷 でも、『死者の書』(折口信夫の幻想小説を漫画化)とかね。
近藤 澁澤さんの他の王朝ものなどを読むと、これはいったいどこから発想したんだろう? と考えながら読むので、ものすごく疲れるんですね。小説を読むというよりも勉強しているような感じになるんですけども、『高丘…』は、小説として楽しめるというのはあります。
巖谷 小説を漫画にする、というのはよくやっておられますよね。
天野 『五色の舟』(津原泰水の幻想短編小説を漫画化)もいいですね。
巖谷 僕は坂口安吾のものがとくにいい。『戦争と一人の女』ね。
近藤 ありがとうございます。坂口安吾ものはあまり褒められたことがないので。
巖谷 そうですか。なんていうのか、原作にはない空白みたいな白い画面が素晴らしい。
天野 「ある」よりも雄弁な空白。
巖谷 それで黒が少し入るでしょ。あのトーンは『高丘…』にピッタリだなと。
近藤 でも『高丘…』だと、ジャングルとかあるので、もっとウワーっとした感じでやらないといけないかなと思って。
巖谷 いわゆる澁澤ファンというのは、それを期待するかもしれない。澁澤さんって、グロテスク、オカルトと見られて、それで人気があるという側面もあるんだけど、実は全然そうじゃなくて、本性はあっさりしてる作家です。
天野 抜け抜けとしてアッケラカンとしてるところが、近藤さんの昔からの作品にも通底するところがありますよね。
巖谷 ありますね(笑)。
近藤 いやぁ〜難しいです。あのあっけらかんとして、本当は息を潜めねばならないところで大きい音でオナラをしちゃったりとか。そういうのをどういう風に描いたらいいのかすごく悩んで(笑)。
巖谷 それは近藤さんの、いつものトーンで描くといいなと思った。
天野 そうなってましたね。
(撮影:池上夢貢)
■澁澤&天野&近藤作品に通底する、根源的郷愁(ノスタルジア)
巖谷 最近出た『見晴らしガ丘にて それから』もいいなと思ったんです。あれも変な心理劇になってないですね。人間同士の絡みが長続きしないというか、その瞬間瞬間の何かはあるけれども、しつこく絡んでこない。
近藤 あまりドロドロさせるのが嫌なんですね。
天野 白い紙を折って拡げて、その折り目がフワーっと消えたり現れたりするみたいなところがちょっとあって。すっきりしてるとかいうんじゃなくて、不思議な儚さですね。
巖谷 極端なことを言うとね、初めから近代的自我があまりない、という感じがする。
天野 まさにそう。
近藤 それは意識してます。
巖谷 近藤さんの場合、輪郭だけあって、自我の投入されたドロドロしたものがないから読みやすい。絵が作家の自己主張になっていない。
近藤 あぁ、そうかもしれない(笑)。
巖谷 その主張がないことが僕は素晴らしいと思う。主張があることが今、この社会をダメにしているようなところがあるので(笑)。澁澤さんも、どこにも主張がないですよ。『高丘…』だって、澁澤さんの作家としての自我を投入するというところがなくて、あの骨組みだけが澁澤さんです。高丘親王という人もポカンとした人ですね。
近藤 はい。
天野 「この世の残り香」みたいな感じがありますね。
巖谷 それはある。だからすごくノスタルジック。
天野 例えば近藤さんの初期の作品『移り気本気』とかにも「なつかしさ」は漂っているように感じます。
近藤 そう…なんでしょうか。
天野 あるようでないような、まちやひとに漂うなつかしさ。
巖谷 懐かしさといっても、一人の人間の思い出に対しての懐かしさじゃないんですね。もっと普遍的なノスタルジア。遥か昔に失ったもの、みたいな。そこが近藤さんの空白に現れているんですね。
近藤 そう言っていただけると嬉しいです。
天野 妙なる喪失感を感じます。
巖谷 澁澤さんも、失ったものへのノスタルジアというのが根底にある。あっさりした、ただ出来事しかないような、人間の心理が絡んでこない、あの不思議さ。そしてすべて、自分が生み出したものじゃなくて、ある意味では借用、剽窃でもあるような。
天野 すべてが交換可能、みたいな感覚ですよね。近藤さんの作品にもそういう感覚をすごく感じます。
巖谷 いろんな見方が出来るけど、日本文学で避けられてきたひとつの流れみたいなものだと思うんです。それが澁澤さんという、およそ心理小説家の資質のない不思議なポカンとした人物によって書かれたのが、『高丘親王航海記』かな。
巌谷國士 (撮影:池上夢貢)
近藤 私、澁澤さんと坂口安吾を全然結びつけて考えられなかったんですけれど、「安吾の『紫大納言』に飛ぶ大納言というのが出てくる、それが面白い」みたいなことをお書きになられていて、あの感じが面白いと思っていらっしゃる感覚がいいな、と。
巖谷 澁澤さんは説話的なものに常に惹かれるから。『高丘…』も小説というよりは説話ですよね。
近藤 そうですね。
巖谷 だから小説としては、たとえば会話の部分などは、あまり上手いとは言えない。紋切り型の言葉ばかり使うし。でも紋切り型というのは個性の無さに繋がるので、ポカンとした部分に入るわけです。例えば、象が出てきてもアリクイが出てきても、「つくづく驚いた」とかそんな言い方で終わって、具体的な描写は何もない。
天野 図鑑的ですよね。当たり前のようにあり得ない図鑑。
近藤 だから読む人はきっと、それぞれすごく自分なりのイメージで読むんでしょうけれど、私が描くのはあくまで私のイメージなのでどうなのかなぁと。
巖谷 澁澤ファンにも、いろんな人たちがいるから、あんまり気にしなくていいです。
天野 お墨付き(笑)。
巖谷 天野さんは、どんな澁澤さんの読者だったの?
天野 全然いい読者じゃないですよ。例えば、稲垣足穂が好きだったので、それ繋がりというくらいのことで。
巖谷 「サド裁判」の頃の作品は読んでるのかな?
天野 かなり薄い読書体験しかありませんが、「硬質」というか「固い」イメージが残ってます。
巖谷 晩年の小説は、その頃の澁澤龍彦とかなり違います。でも、地が出たというようなことでもあるわけで。「小説なんか俺には書けないよ」とよく言ってました。心理が苦手なんです。近代的な自我みたいなものがどうも自分の中に無いような。人間関係が下手というか。あまり社会や集団の中に入ろうとしないし、一人で閉じこもって人間よりも書物に親しむというかね。だから古今東西の説話的なものを集めていったというよりは、それを自分に取り込んでいったということかな。
ポカンとした、というのはいろんな意味があるけど、ポカンとした空間、空白みたいな、箱みたいな、なんかそういうもので、その中に多くのことを呼び込んでいた作家じゃないかな、と思います。だから独特の自我ですね。「私」というのが初めから個別じゃない。「サド裁判」の頃にはイデオロギーを盛ってたけれど、『胡桃の中の世界』とか、ああいうものを書くようになってからだんだん変わってきて、人の書いたもの、もう既に書かれているものを元に小説を書くようになった。『高丘…』では創作ノートが残ってますけどね、それを見ると、元の無いことは書かないようにしています。
近藤 ネタはだいたいこの辺りから取ってるのかな、みたいなのはなんとなくわかるんですけれど。
巖谷 「広文庫」とか「大語園」みたいな説話集成をよく利用してました。逸話の筋書きが欲しかった、と。澁澤さんの場合、何かを書くために元にあるネタを探すというよりは、逆にネタのないことは書くまい、としてるんです(笑)。
近藤 オリジナリティーは出さないという。
巖谷 うん、オリジナリティーを信用してない。だからあまり個性がないですよね、出てくる人物も。
近藤 でも、高丘親王は個性がありますね。
巖谷 ああ、ありますね。あれは自分を投影してるのね。あれは彼の生涯じゃないでしょうか。やっぱりそれを書いておきたかったんでしょう。
近藤 そう、親王がずっとエクゾティシズムを追求するというのは、あぁご本人なんだなぁと思いました。
巖谷 そうですね。だからといって、自伝小説ではない。むしろ、彼も自分というものがポカンとしてるから。高丘親王自身もポカンとしてるというか。
天野 結果として亡くなったから最後の作品になって、そういう風に取れちゃうけど、最後だからこう、ということではないですよね。
巖谷 ではないですね。
天野 でも、自分の最期はもちろん予測していたでしょうから。
巖谷 それをはっきり自覚したのは、最後の2章です。癌であることがわかって、声帯を切除されて声が出なくなり、筆談だけになってから最後の2章の筋書きを変えました。創作ノートによると、初めの予定ではラストシーンが違う。高丘親王が虎に食われて、虎が天竺まで飛んで行って親王が蘇る、という話を予定してたみたいですね。でも、そうじゃないでしょ。最後の1ページで、「ずいぶん多くの国多くの海をへめぐったような気がするが、広州を出発してから一年にも満たない旅だった」というのは、誰が思っていたのかといったら、高丘親王自身が思っていたということと、澁澤さんが思っていたということが、そっくり同じになっちゃっている。
天野 混じってますよね。
巖谷 完全に自分と一体化したところで終わる、という風に変わったんですよね。だから最終的には、自分になった小説。
天野 「モダンな親王にふさわしく、プラスチックのように薄くて軽い骨だった」という一文の、“モダンな親王にふさわしく”も後で付け足したんですよね。
巖谷 ああいうアナクロニズムを徹底しているうちに、高丘親王を自分と重ねるような暗示的な表現が増えます。
天野 親王と澁澤龍彦、どんどん互いのことが、他人事ではなくなっていく。
天野天街 (撮影:池上夢貢)
■小説から派生した「人形劇化」と「漫画化」の、違いと共通点
巖谷 僕は子どもの頃から漫画が好きでしたけど、澁澤さんは、漫画って読まなかったんです。あの人が子どもの頃に読んだのは、『のらくろ』や『冒険ダン吉』。
天野 あと『タンクタンクロー』とか。『タンクタンクロー』には出演してもらいました。
近藤 出てましたね(笑)。
巖谷 『のらくろ』や『タンクタンクロー』の時代というのは、漫画の画面が常に舞台みたいに長方形で。
天野 背景も書き割りで。
巖谷 登場人物は右と左で、というやりとりですね。だから澁澤さんはそれなんだ。
天野 人形劇に移し替えた時、すごく単調になるかなと思ったけど、右から出て左に行く、コマ(枠)の外から入ってコマ(枠)の外に出る。その方が感じが出るんですよね。遠近感を使うことは、いくらでも出来るけど、それよりもそういう動きの方が面白い、というのがだんだん見えてきた。それは物質化した人形劇としての面白さなんだけど、近藤さんの漫画は、俯瞰図とか、やはり面白かったりする。
巖谷 近藤さんの漫画は立体的だと思う。僕がいつも感じるのは、背景に都市とか建物があまり無いんですね。そういうもので遠近感を出さないで、人物だけで遠近感が出ているような。
天野 不思議な遠近法ですよね。空間、隙間の使い方が素晴らしいです。
──近藤さんの『高丘親王航海記』を拝見した時に、小説からのポイントのピックアップの仕方が、天野さんの人形劇での手法とすごく似ているなと思いました。近藤さんには前回公演の人形劇の舞台映像をご覧いただいていますが、どんなご感想を持たれましたか?
近藤 いろいろな要素を上手に構成してまとめてあるなと思いました。やっぱり小説を他のジャンルに移すと、「ここは外せない」というものがあって、どうしても共通すると思うんですけれど、人形劇でもビジュアル面で面白いシーンを選んで作られたのでしょうね。「蜜人」が原作よりも幻想的で美しくなっているのが意外な印象でした。親王のキャラクターの造形は難しいので、どうイメージするかは読者によって全然違うと思います。私はこの劇の親王は自分のイメージより立派で、思慮のある人になっていると感じました。でも、人形劇では【蘭房】のところが無いですよね。それが残念で、どうしてかな? とお聞きしたかったんです(笑)。
天野 全編で2時間以内にしないといけなくて、その縛りの中で構成を考える時点で【蘭房】という章は解体してしまい、そこに含まれているエレメントを、他のシーンの各所に転移させたり移植したらいいだろうと。【鏡湖】の「世隆王」のくだりもすごく魅力的なんですけど、「ドラマ的」な部分が「説明的」なものに堕しそうで、これもエキスのみ抽出して、イメージを他のシーンに溶け込ませました。
ITOプロジェクト『高丘親王航海記』稽古風景 (撮影:吉永美和子)
巖谷 【蘭房】はちょっと異質ですね、あの小説の中で。
天野 そもそも『高丘親王航海記』は壺中壺的な作品だけど、【蘭房】の章は、それ自体が独立した別の作品として劇化したほうが面白いな、と思いました。
近藤 あぁ、そうですね。
巖谷 しかも一番ジャングル的なね。東南アジアっぽい部分ではありますね。
天野 そうですね。あと、人形を作るのはすごく大変な作業なので、【蘭房】の豪華絢爛を現出させようとすると、他の人形が間に合わなくなって、儒艮や蟻食いのシーンがなくなってしまう可能性がある(笑)。
巖谷 大変ですよ、迦陵頻伽(かりょうびんが)とか。あれは難しいと思います。
天野 劇の中でちゃんと迦陵頻伽は飛びますが、【蘭房】はまるごと消滅しました。雑誌の方では【蘭房】の章に突入しましたね。
近藤 そうですね。11月号(2019年10月12日発売号)でちょうど【蘭房】が終わるんですけれど、私はあれが一番好きなので(笑)。
天野 楽しみです!
巖谷 白猿が出てくる、あのシーンは驚きましたね(笑)。1ページ使って。あの猿が可笑しかったなぁ。
近藤 動物いっぱい出てくるので楽しいんですけれど、描くのは。
天野 近藤さんの「閉じてない」描線は、ニンゲンと、動物やモノとの境い目、境界を、アイマイなものに見せてくれますね。
巖谷 大蟻食いも意外でした。もっと凄い怪物が出てくるかと思ったら、とぼけた奴が出てきたな(笑)。
天野 そうそう。どんな姿だろうと思ってたら、あっさり。まんまの。
巖谷 他の漫画家だったら、すごい怪物を描くと思いますよ。でも澁澤さんはあっさりしてるからね。だからそれでいいんだ。白猿は澁澤さんのイメージじゃないかもしれないけど。
近藤 原作で、眉毛まで白い大きな白猿、というのが出てきて、え、猿って何猿なのかな? と。あっちの方だとラングールかなと思って、ラングールをデカくしたような造形にしたんですけれど。でも、もっと自由にやってもいいんですよね?
巖谷 いや、もう既に自由にやっておられる。あれは枠組みだけの物語だから、どう見てもいいし。あの変なものがヒョコヒョコ出てくる感じね。あれが澁澤さんのやりたい、好きなことだったので。
天野 「アンチポデス」のところは学習漫画みたいで。
巖谷 近藤さんの漫画ではわかりやすかったですね、地球の絵まで出てきて。
近藤 はい(笑)。
天野 秋丸が読者の代わりに、わかんながってるのが可愛い(笑)。
近藤 あと、今度【獏園】を描き始めるんですけど、冒頭で当時の東南アジアの歴史とかが出てきて、それって本当はすごく重要なんだけど、これを漫画で描くのはどうなんだろう? と。ちょっと今悩んでますね。
天野 人形劇ではひたすら歩く一行に、地図の映像とナレーションを被せて誤魔化しました。
巖谷 歴史自体に澁澤さんはそんなに注目してるわけじゃなくて、「スリーウィジャヤ」とか、ああいう言葉が好きなんですね。あの物語が東南アジアであることの理由のひとつは、「盤盤(ばんばん)」とか「真臘(しんろう)」とか、ああいうのを並べたかったっていうこともあると思います(笑)。
天野 音の響きが、愉しいんですよね。
近藤 【蘭房】で、単孔の女が「陳家蘭」という名前で出てきて、どういう意味なんだろう? どこから持ってきたんだろう? と思ったら、「真臘風土記」という中国人の本に出てくる召使いの名前が陳家蘭なので、あぁこれを取ったのか、と。
天野 さっきも言われたように、ただの思い付きやデタラメはやらないんですね。
巖谷 オリジナリティーをあくまで否定するから、どこかにある話しか書かない。たまたまオリジナルで思いついても、どこかに無いかな? と探していた人ですから。
天野 あとは貼り合わせたり、前後バラバラにしたり、裏返したり。
巖谷 だから、しょっちゅう書物を調べてなきゃいけなかったわけで(笑)。
(撮影:池上夢貢)
■“夢っぽさ”とリアリティーの加減
天野 この人形劇はホントに、やってる人みんな素晴らしいんだけど、高齢化が相当進んでいて、大変なんです。
巖谷 そうですか。素晴らしいですよ、あれだけの運動量を。
天野 手を下ろすことなく絶妙な指さばきをしながら複雑な場所移動、屋台を降りたり昇ったり、大道具小道具、パネルの出し入れ、その上、糸あやつりでは御法度の暗転(糸が絡まる危険度が高い)が繰り返しやってくる。
巖谷 声も出すわけでしょ。
天野 声と動きは、一蓮托生。本当にすごいですよ。
近藤 重いんですか? 人形。
天野 軽くしすぎると地から足が浮いたりしてリアリティーが損なわれてしまうんです。どんな変なこと表そうとしても、あるリアリティーが保証されてないと面白くないんです。
近藤 人形のデザインは、どなたがお決めになるんですか?
天野 まず基本は台本に描きます。そのあと、やりとりしながら進めていきます。
ITOプロジェクト『高丘親王航海記』「蜜人」たちの人形 (撮影:吉永美和子)
近藤 秋丸がセーラー服を着てるのが可愛い(笑)。
天野 アナクロニズムですよ(笑)。水兵さんですからね。
巖谷 近藤さんの秋丸も、ちょっと人形みたいですね。
近藤 そうですね。
天野 だいぶ愛嬌がありますね。
巖谷 時々、キッとなったりするけど。
近藤 やっぱり何者かわからないというか、澁澤さんがちゃんと説明してくれないんですよね、細かいところを。
巖谷 ちゃんとどころか、何も説明してない(笑)。単に自分の書きたい筋を書いてるだけだから。
天野 そこが我々のやりがいのあるところで。
近藤 そうですね(笑)。
天野 小説を、漫画や人形劇に移すやり口は、当然いろいろあるでしょうけど、例えば、秋丸と春丸(同じだけど違う二人)の描き分けと、漫画だとニュアンスの伝え方のバリエーションが比較にならないくらい多いから、大変だろうけど、うらやましいですね。
巖谷 でも、あの人形劇は十分に漫画的ですよ。儒艮の現れ方なんかね(笑)。
近藤 獏の皮膚が、白黒じゃなくて模様になっていて可愛い(笑)。
天野 それどころか、羽根も附けちゃいました(笑)。
近藤 それくらい自由にやればいいのかなぁと思うんですけれど、私は一応調べたりするんですよね。東南アジアの歴史とか、風俗とか。でも澁澤さんはそんなことはあまり拘泥せずに書いていらしたんだと思うんですけれど。
巖谷 アナクロニズムでいいと思います(笑)。
天野 でもそこに、変なリアリズムがないと面白くないですよね、夢のリアリズム。
巖谷 コスチュームを研究して、その上で間違えちゃったりしたらみっともないわけで。
天野 雑な間違え方、偶然の闖入、不測の事態、とかの方が、よっぽど夢っぽくて面白かったりして、際どいですよね。漫画は大体発表する前に修正が出来ちゃうけど、演劇は失敗とか事故とかも込みで、糸操り人形だと特にそうで、毎日どこかで事故が起こります。
巖谷 しかも一回性だから、観のがしたらもう観られない。
天野 何度も何度も全く同じ失敗が繰り返されたら、それこそ夢っぽ、ていいんだろうけど、大体は一回性の普通の事故。だから漫画とか羨ましいです。修正できるから。
近藤 いや、でも下手だから修正が出来にくいみたいなのもあって。実は描き始める時に、一番出来るかなぁと思ったのは、船なんですね。中国の船は資料がいっぱいあるんですけれど、アラビア船なんかは古い資料は無いんです。まずそれで、船の絵が描けるかどうかで悩んでいたんです。なぜかというと、全体の話は夢なので結構適当に描いてもいいかなぁとは思うんですけれど、最初だけは史実にしたがっていて、貞観7年に広州から旅立った、というところまではきっちり描かないといけないと。そこだけは固めないと、全部がぼやーっとしちゃうとつまらないなぁと思ったんですね。
(撮影:池上夢貢)
天野 あの辺の港の描写とかも素敵ですね。
巖谷 視点がいいです。鳥瞰したり、あんな風にしていろいろ船を見せてくれたり、船の描写も細かいところまで描いてないっていうのがいい。
近藤 細かいところまではわからないので(笑)。
天野 昔の絵巻みたいに、ごまかし方はいろいろある(笑)。
近藤 絵巻物は好きなので。
天野 都合の悪いところに雲がたなびく。
近藤 そうそう、省略とか、そういうのは好きなんですけれど。
巖谷 それから、影っていうかね、黒の使い方が僕はいいなぁと思う。だいたいの作品でもやっておられるけど、『高丘…』でも、全体に白いけど黒い部分がなにかこう、生きてますね。
天野 急に怖くなったり、スコーンと抜けたり。
近藤 ありがとうございます。次はもう、獏を上手く描こうと思って。
天野 獏の造形がどうなるのか、面白いなぁ。楽しみだなぁ。
巖谷 漫画を拝見するとき、まず儒艮がどうなるかな? と思ってたんです。いやぁ、こっちがガクッとなるぐらい普通の儒艮というか、可愛い儒艮(笑)。
近藤 アハハハハハ。
天野 そうですよね。悪い意味じゃなくて肩透かしというか(笑)、全く奇をてらってない。
近藤 わりとリアルに描きました(笑)。
巖谷 儒艮っていうのは本当にいますから。辺野古の海にもいるわけだし。それがああいう風に登場するのはいいなぁと思いました。
天野 エロティシズムも感じました。生殖器は描いてませんでしたっけ?
近藤 儒艮は描いてないです。お尻の穴だけ描いて。
天野 尻の穴だ。
巖谷 エロティシズムとは違うよね。単に幼児性なんでね。
天野 シャボンのうんち、とか、うつくしすぎる。
巖谷 エロティシズムというのは、あの小説の中にあるのかなぁ。
天野 薬子の気配が濃厚になってくる後半の方とか。
ITOプロジェクト『高丘親王航海記』藤原薬子の人形 (撮影:吉永美和子)
巖谷 あ、それはありますね。
天野 指が長くなって、喉の真珠を掻き出すとことか。
巖谷 薬子との関係に絞られますよね。あとはパタリヤ・パタタ姫と。
天野 漫画の、幼い親王のチンチンの描写も良かったですね。可愛くて。なんかマシュマロみたいな触感で(笑)。
巖谷 面白がって描いてる(笑)。
近藤 いや、東京都の条例に引っ掛からないように、あんまり直接的な描き方はしないようにして。
天野 それも読みたかったなぁ。
近藤 だから次は【獏園】でどうしようかなと。
天野 そうですよね。どんどん伸びて。
近藤 人形劇ではものすごく誇張されていて面白かったです(笑)。
巖谷 やっぱり人形劇は立体だから、怪物の存在感が大きかったですね。
天野 そうですね。人形を作った山田さんと、儒艮の造形のことだけ揉めたんですけどね。可愛くなりすぎて(笑)。ごつい眉毛を付けることで手を打ちました。
巖谷 あれは狙いがあったのかな。ゆるキャラみたいで。
近藤 あと、【獏園】の匂いの表現を、物を使って表現されていたのが面白いなぁと。
天野 匂いの物質化ですね。
近藤 漫画では出来ない(笑)。
巖谷 原作でも出来てないわけで、言葉では描けないですからね、匂いは。でも、漫画にもそれはありますよ。
天野 具体的な匂いというよりも、気配も含めてのものですよね。
(撮影:池上夢貢)
■小説から野外劇、人形劇、そして漫画へ─。すべては自然の成り行きのように
──近藤さんの今後の連載の行方は、どうなっていくご予定ですか?
近藤 ともかく全部ちゃんと描きたいんですけれど。初めは全部構成を決めて描こうと思ったんですが、どうしても縮こまってしまうので、あんまり考えずに描こうかなと思っています。
巖谷 単行本になると、上下2冊ぐらい?
近藤 もうちょっとですね。3、4冊ぐらいになると思います。
天野 たくさん読める、良かった!
──第1巻は今年中ぐらいに出ますか?
近藤 いや、来年ですね。1・2巻を一緒に出したいという思惑が出版社にあるみたいです。
──天野さんは、今回の名古屋公演において、今までとの違いみたいなものはありますか?
天野 上演する場所によって自ずと変わってくることはありますけど、構造自体を変えるということはありません。相当複雑なことをやってるから、どんどん変えていくというのはちょっと無理ですね。ただ、今回は劇場が広いので空間の使い方として、ラストとかは見え方が前よりダイナミックになるかも知れません。
巖谷 空間がどうなるのか、楽しみです。
──最後に巖谷さんにお伺いしたいのですが、澁澤さんが小説を書かれているところから間近でご覧になってきて、それが野外劇になって、人形劇になって、小説の発表から30余年を経て、今また近藤さんが漫画化もされて、そういう流れをご覧になってきて、どのように思われていらっしゃいますか。
巖谷 僕は初めから、『高丘…』を人形劇みたいだとも、漫画みたいだとも思ってたんです。澁澤さんとそういう話をしたこともある。そもそも彼と僕の関係からして、歳は15歳違うんだけど、人形劇や漫画みたいなところがあって、時々会っては勝手なことを言い合っているという感じでしたから、あの小説についても、二人で話して面白がっていた。『高丘…』って、あの不思議な作為の無さというか、ちっとも盛り上がらない感じとか…。
一同 (笑)
巖谷 ここの話をもっと書くかなと思っていたら、すぐ別の場面に行っちゃうところとかね。ああいうのが、澁澤さんとの付き合いにもあったんです。映画化はどうかな? とも思ったけど、実写じゃ無理でしょう。全然だめだと思います。アニメーションだったら多少は可能かと思うけど、日本では無理でしょうね。チェコかなんかで創れば面白いかもしれないけど。
天野 そうですね。
巖谷 映画化するとすれば、人形アニメだと思いました。だから人形劇というのは、かなり自然に感じます。最初の芝居(1992年)については、疑いを持ってたんですが、でも名古屋で大スペクタクルの野外劇を観て「お!」となって、こういうことをやる人がいるんだ、と思ったのが天野さんだった。人形劇の時も偶然、京都で僕の講演があったときに人形劇団の人が聴きに来ていて、そこから直接会いに来て公演に誘われたので、下北沢に行ったんです。それで観て、「やっぱり」と思った。だから自然な感じがします。漫画についても同じ。澁澤さんの中に漫画の表現に合う部分を感じていて、「『高丘…』を漫画化するとすれば、近藤ようこさん」という結論に達していたところに連載が始まったから、意外でもなんでもなくて。
天野 本当に不思議ですね。勝手に結論に達してたのが。知らないところで、もうお墨付きをもらっちゃってた。
近藤 そうですね(笑)。
巖谷 近藤ようこさんの作品の歴史で、僕は『戦争と一人の女』などが素晴らしいと思ってるんだけど、『高丘親王航海記』は、あの作品からの変化というのも読み取れます。だからとても楽しみで。
天野 連載はまだまだ長い旅ですので。
巖谷 いや、もうすぐでしょう。長い旅だと思っていると、実は「一年にも満たない旅だった」。
天野 ハハハハハ! ちょうど締めの言葉になった。お見事!
(撮影:池上夢貢)
取材・文=望月勝美

【プロフィール】
●巖谷國士(いわやくにお)
仏文学者・批評家・作家・旅行家・明治学院大学名誉教授。文学・美術・映画・マンガの批評から紀行・庭園論、展覧会監修・講演・写真個展など活動は多岐にわたる。著書に『シュルレアリスムとは何か』『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』『森と芸術』『旅と芸術 発見・驚異・夢想』『幻想植物園』、訳書にブルトン『ナジャ』、エルンスト『百頭女』、ドーマル『類推の山』など。1943年東京市芝区(現港区)生まれ。
●近藤ようこ(こんどうようこ)
漫画家。国学院大学文学部卒。大学在学中にデビュー。『見晴らしガ丘にて』で第15回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。折ロ民俗学や中世文学への造詣が深く、安吾や漱石作品の漫画化にも取り組む。作品は「水鏡綺譚」「説経小栗判官」「ルームメイツ」「恋スル古事記」「戦争と一人の女」「死者の書」「夢十夜」ほか多数。1957年新潟市生まれ。
●天野天街(あまのてんがい)
少年王者舘主宰。1982年に劇團少年王者(85年に少年王者舘と改称)を名古屋で旗揚げ、同劇団の主な公演で作・演出を務めるほか、1992年には澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』を野外劇化し注目を集める。1998年より演劇ユニット《KUDAN Project》を始動、海外公演も開始。また、流山児★事務所、ITOプロジェクト、人形劇団むすび座、結城座、一糸座など外部団体での演劇活動も盛んにおこなう。2013年にはパルコ劇場プロデュース『レミング~世界の涯までつれてって~』(演出:松本雄吉)にて上演台本を担当、2015年再演時には一部演出を担当。1994年愛知芸術文化センター、愛知県文化情報センター企画・制作による短編映画『トワイライツ』(監督・編集:天野天街)はオーバーハウゼン国際短編映画祭クランプリ(日本人初)、メルボルン国際映画祭グランプリを受賞。2005年、第9回松原英治・若尾正也記念演劇賞、名古屋演劇ペンクラブ賞受賞。1960年愛知県一宮市生まれ。

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