『東京輪舞』山本卓卓(作)×杉原邦
生(演出)インタビュー セックスを
コミュニケーションの“枝葉のひとつ
”として描くということ

2024年3月10日(日)よりPARCO劇場を皮切りに、PARCO PRODUCE 2024『東京輪舞』が上演される。オーストリアの劇作家・アルトゥル・シュニッツラーによる原作『輪舞(La Ronde)』は、男女の情事前後の会話をリレー方式で紡ぎながら19世紀当時のウィーンの世相を炙り出すセンセーショナルな作風が法廷論争にまで波紋を広げた問題作。しかしながら人間の持つ本能的欲求と普遍的な関係性を描写した本作の支持は厚く、98年にはデヴィッド・ヘアーによる翻案劇『ブルールーム』がブロードウェイへ、01年には日本でも上演された。『東京輪舞』は、そんな時代を越えた注目作『輪舞』を“現在”の“東京”に移した新たな翻案劇である。台本を手がけるのは『バナナの花は食べられる』で2022年岸田國士戯曲賞を受賞した範宙遊泳主宰・山本卓卓。演出は『更地』や『グリークス』などの代表作を持つKUNIOの主宰であり、木ノ下歌舞伎『勧進帳』などの外部演出でも高い評価を得る杉原邦生が務める。今を生きる人々の息づかいを掬い上げ、繊細に活写する劇作家・山本と、数々の名作に新たな視点と情感を宿らせる演出家・杉原。演劇シーンの“現在”に欠かせない存在である二人に本作について話を聞いた。
(左から)山本卓卓、杉原邦生
現在の作家が、現在の話に翻案する意義
ーー『輪舞』を『東京輪舞』として立ち上げるに至った経緯からお聞かせいただけますか?
杉原:企画の発端はパルコさんからの「『ブルールーム』を上演するのはどうでしょう?」というご提案でした。偶然にも僕が大学時代に内野聖陽さんと秋山菜津子さんが出演されていた『ブルールーム』を観ていたこともあり、最初に話を聞いたときから「面白そうだな」と思いました。それで、改めて『ブルールーム』と『輪舞』の両方を読んでみることにしたんです。
ーー二作品を読んでみての印象はいかがでしたか?
杉原:100年以上前に書かれた『輪舞』に比べると比較的新しい『ブルールーム』ですが、改めて読んでみると、「今とはかけ離れた時代の話だ」という印象がありました。例えば、現代では当たり前のようにみんなが持っているスマホが当時はまだ欠片もないとか……。そういった時代性との距離を端々に感じたので、そのまま上演するのは演出家としても掴みづらいと思ったんです。だったら、原作の『輪舞』を現代の作家に現代の話としてリライトしてもらうのはどうだろう。そう提案しようと考えた時、真っ先に浮かんだのが卓卓(すぐる)くんでした。
山本:そんな経緯があったとは! 僕はむしろ「『ブルールーム』の権利元に日本での上演を断られたんだろうな」と思っていたんです。
杉原:それで卓卓くんに話がきたと? 
山本:そうです。僕は自尊心がすごく低いので、「誰かに断られたから自分に話が来たんだろうな」って勝手に思っていたんですけど、そうだったんですね。わあ、今日まずそれが聞けてめちゃくちゃよかった!
杉原:『ブルールーム』の上演権はとれるだろうという見込みの上での話だったし、そんなことは全くないよ(笑)。卓卓くんとは10年来の付き合いで、僕がディレクションしていた京都のフェスティバルに呼ばせてもらったこともあったし、範宙遊泳の作品もいくつも観てきました。交流自体は地味にずっと続いていたんだよね。
山本:そんな風に結構長い付き合いがあったので「いつか書かせてもらえたらいいな」と思っていたんですけど、なんだろう、正直「邦生さんは僕に興味がないのかな」とも思っていて……(笑)。だから、邦生さん直々のオファーだと聞いた時は「マジで! 嬉しい! 超やりますよ! やった!」っていうのが素直な気持ちでした。
山本卓卓
杉原:『バナナの花は食べられる』を観た時にものすごく“現在”にフォーカスした作品だと感じたんです。言葉の質感やリズム感のオリジナリティが卓卓くんの魅力だとは思っていたけど、それに加えて、コミュニケーションの在り方や人々の立ち上がり方がすごく現在をスケッチしているなって……。「リライトを頼むならこういう作家にお願いしたい!」って直感で思ったんですよね。そしたらご快諾いただけたので、こちらこそ「やった! 一緒にできる!」って気持ちでした。
山本:『輪舞』を『東京輪舞』にしていく執筆作業の中で、「この翻案を僕に依頼した人、僕のことをめちゃくちゃわかっている人じゃないか?」って思う瞬間が多々あったんですよ。後々それが邦生さんだと知って合点がいったのですが、自分の作家性を分かってくれた上でのオファーだということを書きながら実感していくような時間でした。それもなんだか運命的に思えて嬉しかったんですよね。
杉原:今の日本の演劇界では、若い作家が大きな企画に良い形で巡り合う機会がなかなか実現できていないなと、個人的には感じています。だけど、時代に呼応した世代の作家が豊かに挑戦できる場をちゃんと作っていくべき。僕も40歳を過ぎて、いよいよそういう年齢と立場になってきたと痛感しているんですよね。中でもPARCO劇場は流行の最先端の施設にあり、時代を象徴する存在。そんな場所で次世代の作家が“現在の東京”を舞台に演劇を作るということには必然性がある気がして。そういう意味でも今回卓卓くんと一緒にできることは本当に刺激的だと思っています。
セックスではなく、コミュニケーションを描くということ
ーー現在の東京で情事、つまりセックスとその前後を描くことにおいては、センシティヴな諸問題を含まざるを得ないとも思うのですが、この題材を扱うにあたってお二人が気をつけたこと、大切にされたことをお聞かせください。
杉原:卓卓くんの本を読んだときにまず興味深く感じたのが、セックスが単一の事象として捉えられているのではなく、多様な段階として幅を持って組み立てられているということでした。そこには動物としての人間が持っている欲求から特有の言語による関係まで含まれている。だからセックスの描写においても、本能的に求め合うコミュニケーションの形もあれば、それこそ「しない」という選択肢も提示されるし、男女二元論でも決してない。そんな風に文明におけるセックスといったところまでグラデーションが組み立てられていることがとてもいいなと感じました。そして、それはとても重要な視点なので、しっかり見せていかなくてはと思っています。
杉原邦生
山本:こういった題材を扱う限り、観る人や語る人によってセックスシーンやその描写だけが切り取られることもあるかもしれないし、その話をしたり、させられたり、そのことで盛り上がったり、盛り下がったりといったことも起きるかもしれない。そう考えた時に僕が強調しておきたいのは、「これはとあるいくつかの愛の話である」ということです。もちろんセックスもその愛に絡んではくるのですが、台本にも書いた通り、それは“枝葉のひとつ”に過ぎない。そこを履き違えないでいたいし、いてほしいと常に思いながら執筆に取り組んできました。誰しもが必ず愛というものを抱えていて、人と関係する時には日々それでやりとりをしているはず。だから、そこを描かなければいけない。そう考えています。
ーー台本上で、情事が行われるシーンを「交尾する」、「愛する」、「関係を持つ」といったいくつもの表現を以って示されていたこともグラデーションや枝葉という視点を以ってのことだったのですね。今のお二人のお話を聞いて、「セックス」というものがひとつのカテゴリーに集約できないコミュニケーションなのだということを改めて感じました。
山本:「僕は僕の責任を以ってこの本を書いている」と強く思っているのですが、そのことが不意に誰かを傷付けてしまう可能性も同時に背負っているとも思っているんです。だからこそ、せめて僕の知識が及ばないばかりにそういうことが起きてしまうことだけは避けたい。避けなければならない。そう思って、今、台本をあらゆる角度から検証していただいています。でもどんなに細心の注意を払っても、この作品によって自分が損なわれた、属性が傷つけられた、尊厳が踏み躙られた、と思わせてしまう人がいる気がします。これは本作に限らず、表現と呼ばれるものの全てが孕まざるを得ないもので、その覚悟を持って書くことが、作家としての僕の責任だと思っています。
現在への置き換えで生じるズレ、宿るリアリティ
ーー杉原さんが最初におっしゃった様に、私も山本さんの戯曲からは今まさに起きていることへの眼差しを強く感じますし、そのことに都度救われてもきました。今作の様々な登場人物を描くにあたってはどういうことを心がけられたのでしょうか? また、杉原さんが台本の執筆に関して何かお伝えしたことがありましたらそれも併せてお聞かせ下さい。
山本:『輪舞』で描かれていることを現在に置き換える作業がまず必要だと感じました。パルコさんの方でも時代における『輪舞』と『ブルールーム』の違いと、現在の東京に置き換えたら、という比較表みたいなものを事前に作っていて下さっていたので、参照しながら執筆に取り組みました。
杉原:あの比較表、めちゃくちゃよかったよね。
山本:すごく助けになりましたね。それをガイドラインにしつつ、自分なりに人物を造形していく感じでした。例えば、原作には「兵士」が出てくるけれど、「兵士」という存在は今の東京にはいないとまず思うわけです。だけど、明日食うのに困る人たちはこの東京にいる。つまり、生きるか死ぬかの命懸けの状態である人は確かにいるって思ったときに、僕は「十代」を「兵士」と重ねたんですよね。
杉原:最初に僕が卓卓くんにお願いしたことは、「基本的には『輪舞』の構造を踏襲してほしい」ということ。それと、「単純な男女二元論の話にしたくないよね」と提案させてもらいました。そうしてあがってきた初稿を読んだら、想像を越えたものがそこに広がっていて……。単なる置き換えや踏襲ではなく、ちゃんと卓卓くんなりの眼差しが込められていたんです。卓卓くんはそれを「ズラし」と言っているのですが、現代への置換によってズレていくリアルさが人物造形や関係性の随所にあって、そこがうまいというか、ニクいなっていうか、すごく面白いんですよね。
(左から)山本卓卓、杉原邦生
山本:原作のセリフをズラして引用することもありましたね。「兵士」の部分もまさにそうで、「娼婦」が「兵士」に向かって言う「明日も生きていられる保証なんかない」という原作のセリフを「十代」が自分について言うセリフに置換した上で引用しました。「十代」の置かれている過酷な状況を「十代」の言葉として言わせたい。今を生きる人たちを見つめたときに矛盾が起きないようにしたい。2024年現在の最先端の人たちを出すべきだって。そう強く思ったので、現代に置き換えた時にバチっとはまる存在を見つけていく作業を重ねていきました。
杉原:一方で演出家としては、「『輪舞』を全く知らない人が観たらどうだろう」という視点でも読むのですが、そういう意味でも「ひとつの演劇であること」が作品の構造にしっかり組み込まれていると感じました。あと、すごく惹かれたのは、やはり人と人とのコミュニケーションの描き方。何が正しいか、どちらが正義かとかではなく、“ありのまま”が生々しく描かれていて、その風景の中にその人たちならではのロジックや生き方が肯定も否定もされないままゴロッと提示されている。台本が更新される度に楽しみに読んでいました。
ーー様々な登場人物を二人の俳優が演じ分ける高度な二人芝居、かつその関係が「輪舞」という言葉通りシームレスな円環を成していく。構造や仕掛けにおいても見どころ満載な本作ですが、台本ではやりとりの中に互いの「相槌」が文字として書かれていたことも印象的でした。
山本:この書き方はここ2年ぐらい挑戦しているスタイルです。というのも、今こうやって僕の話を頷いて聞いて下さっているのもそうなのですが、人との会話って結構相槌で成り立っていたりしますよね。なのに、演劇ではこの感じをうまく書けない、そして書いている人もいない。そういうもどかしさが常にあったんです。だからこそ、自分は相槌を書き込める作家になりたいと思って。
杉原:なるほど。確かに戯曲に相槌が書き込まれているのはあまり見たことがないかも。演出で後から入れていることも多い気がします。
山本:そうなんですよ。でも、戯曲ってやっぱり音を想像して書かれなきゃいけないはずだから、声の音がそこに入っていないのはおかしいなって思って……。読んでいる人が音を感じられるというか、視覚で読んで聴覚に落とし込めるということをすごく考えるんですよね。
山本卓卓
ーー杉原さんがこれまで演出を手掛けられた作品も「音」や「音楽」が導く余韻がとても印象だと感じます。本作では台本上の相槌やその前後の行間をどう表現されるのかも見どころになると思うのですが、現状どんな演出プランをお考えでしょうか?
杉原:舞台における音楽性について僕はずっとこだわって考えてきました。そもそも、古来より演劇は“聴く芸術”だったんですよね。ギリシャ悲劇の上演がすり鉢構造の大劇場だったのは声をしっかり届けるためだったし、シェイクスピア劇もスタンディングライブのようにセリフを聴くことを重視して作られていたり……。そういう意味でも、演劇にとって音楽性は常に意識されてきたことだと思っていて、卓卓くんもその感覚を強く持っている作家だと思います。リズムが戯曲に仕込まれているのを感じるし、「相槌」もユニークな書き方ですよね。演出するにあたっては、僕自身が演劇作品を一曲の音楽として捉えて作っていくタイプなので、これまでと違うロジックでやらなくちゃとかは思ってないです。「この面白い楽譜をどんな風にやろうかな」って。そんな風に思っています。
生々しい姿で舞台上に居られる二人だからこそ
ーー現在という最新の状態に再構築された物語がどんな演出によって立ち上がっていくのかとても待ち遠しいです。そんな折々の人物たちを髙木雄也さん、清水くるみさんのお2人に演じていただくことになりますが、お二人の印象は?
杉原:僕は2人とも舞台で観ていて、純粋に存在感がある俳優だと感じています。髙木くんは三浦大輔さん作・演出の『裏切りの街』を拝見した時にも思ったのですが、気負わない身体の生々しさがすごく魅力的。先日Hey! Say! JUMPのライブも拝見させてもらったんですけど、すごくいい意味でステージをゆらゆら揺蕩(たゆた)っていたんですよね。
山本:へ〜! 面白い。天性みたいなものなのかな…?
杉原:「いつもの(稽古場とか楽屋とかにいる)髙木くんじゃん!」って思っちゃうくらいの自然さだった(笑)。でも、それってすごいことなんですよ。その状態で舞台に立てる潔さ、飾らなさ、気負わなさ。それがそのまま生々しさになっている。対してくるみさんはそういった魅力を自ら作り出せる人、そのエネルギーによって舞台上での存在感を生々しくできる人。ベクトルは全然違うのですが、舞台上のリアリティ、現代っぽさという点では魅力が共通しているから、本読みを経てなおのことすごく相性がいいんじゃないかなって楽しみにしています。
山本:僕は台本を書いている時に自分が抱いたイメージがノイズになってしまうこともあるので、その俳優さんがどんな人でどんな活動をされているのかをあえて調べないようにしているんです。さらに、これは偶然の奇跡だったのですが、最初にもらったメールのキャスト名の髙木さんの名前部分だけがたまたま文字化けしていて誰が演じるのかが分からない状態だったんですよ。本当に奇しくもなんですけど。「ここは突っ込まず、このまま受け入れよう」とよく知らないままに書いて、書き終わった後にいろいろ情報を追ったという感じでした。
杉原:あははは! そんなことがあったんだね。だから、事前情報を得ずに済んだという(笑)。
杉原邦生
山本:そんなこんなでまだ2回しかお会いできていないのですが、清水さんは「テキストを本当に深く理解してくれているんだな」っていうのが本読みからも伝わってくる人でした。稽古で積み上げていくものの予想もきっとついていて、そこに辿り着けるように早くも葛藤しているような。プロ意識の高い方だと感じます。髙木さんに感じたのは圧倒的ピュアさ。肩肘張らずに対等に話しかけてくれるし、それこそ杉原さんが言ったみたいに“その辺にいるような自然さ”があって、「素敵な人ってそうだよな」って思わせてくれる人ですよね。そんな純粋さも相まって、動物的感覚に則って役に入って下さる予感がしていて、そのスタンスと清水さんの深掘りしていく知性とのバランスがすごく魅力的だと感じました。
杉原:これからの稽古が楽しみです。演じ分けに関しては本読み稽古の初日にも伝えたんですけど、俳優2人が複数役ずつ演じることはもう自明のことだから、そこをカモフラージュする必要はないと思っているんです。自分が演じている役がどういう人物であるのか、どういう状況でどういう状態であるか。そこをきちんと考えて表現するところから入れば、演劇として豊かなものになると思っています。
ーー昨年再演された木ノ下歌舞伎『勧進帳』でのスゥイング公演をはじめ、杉原さんの演出作品からはステージに立つ全ての人の存在が不可欠であるという実感を受け取ります。今回はお二人以外に「ステージパフォーマー」を担う演者さんも出演されますね。北尾亘さんの振付も含め、どんな風に作品を彩られるのかもとても気になります。
杉原:「ステージパフォーマー」として主に若手の俳優とダンサーに出演していただきます。コロコロ変わる10の場面を空間そのものでも表現したいと思うと、どうしても多くの転換を要するのですが、「その転換をどう魅せるか」というところを担っていただく予定です。転換を作業的に捉えてしまうと、僕の中では音や空間が途切れちゃう気がしているので、空間自体がそれこそ輪舞のように変化したらいいなと考えています。動くものに身体性を感じること、あるいは身体性を持っている人たちがそこに存在すること。それらによって空間が止まることなく、最後までドライブし続けられるのではないか。そういった意味も込めて、空間を形作る人たち=ステージパフォーマーと銘打ちました。北尾くんの力を存分に借りながら、彼らが動かし、彩っていく空間の中にいくつもの“2人”がいる。そんな作品になっていくんじゃないかなと思います。
山本:作・演出を兼任する時は、執筆しながら「これ演出するのはやっかいかも」ってひっこめちゃう瞬間がどうしてもあるんです。そのことで戯曲自体もある種甘くなっちゃうというか。本当は演出なんて考えずに、フルスロットルで書きたいことを書かなきゃいけないのに、兼任だとそれができない。そんな問題について考えてきたので、今回こんな風に戯曲だけに集中させてもらえたことは貴重でした。なんというか、「演出なんて知ったことかー!」って気持ちで書けたんです。「きっとなんとかしてくれる」と思える懐の大きな邦生さんがいて、信頼する北尾亘くんもいて、自分の書いたものをキャッチしてくれる安心感によってこそ書き上げられた台本だと思います。まあ、正直なところ、書き上がった今、「これ、どう演出やるんだろう?」とは思っているんですけど(笑)。
杉原:あははは! でも、その方がこっちも楽しいよ。劇作家と共に新作を作る時は、稽古がはじまる頃になると毎回「何書いてもらっても大丈夫ですなんて言わなきゃよかった」、「これ一体どう演出すればいいんだろう」って必ず思うんだよね(笑)。だけど、やっぱりそういう本を演出できるのってすごく刺激的で面白い。作家が思いっきり書きたいことを書いてくれている本って絶対にいい。だから、『東京輪舞』もきっと想像以上に面白くなる。そう信じています。
(左から)山本卓卓、杉原邦生
取材・文=丘田ミイ子     撮影=中田智章

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