政宗が盟友のビリーケン・キッドと一
騎打ち! 偶然が紡いだ24年の人間関
係を赤裸々に語る

9月29日(金)に東京都・新宿FACEにて『政宗デビュー24周年記念興行』を行う政宗が、大会に向けての思いや自らのプロレスラー生活を赤裸々に語った。
政宗はプロレスラーになるために単身でメキシコに渡り、全日本プロレス参戦時には“アカプルコの青い翼”の異名を取ったEMLL(現:CMLL)のリスマルクに師事してルチャ・リブレを叩き込まれた。1999年4月に“ドラゴン・フリア”の名でデビューし、その後は“フリア・デル・ドラゴン”にリングネームを改めつつメキシコでキャリアを積んでいく。2001年に帰国してからはリングネームを“MASAMUNE”に改めプロレスリング華☆激に参戦。その後2013年まで所属した大阪プロレスでは“政宗”として闘い、現在はフリーランスとして数多の団体で闘い続けている。
ベテランとなった政宗だが、まだまだ第一線で活躍中。玄人をも唸らせる技巧とその温かい人柄で男女問わず選手たちから頼りにされる存在であり、今回の24周年大会では政宗を慕う選手が集まったことで豪華カードが勢ぞろい。
今回のインタビューでは、周年大会についてだけではなく、あまり表では語られて来なかった政宗の歴史にも迫った。
「ビリーさんがいなかったらプロレス辞めてました」25年来の“腐れ縁”ビリーケン・キッドとの一騎打ち――24年間の人間関係が紡いだ全6試合
――デビュー24周年おめでとうございます! 今回の24周年大会はどのような思いで開催されるのでしょうか?
政宗 今年がデビュー24年で、来年25年って節目じゃないですか。その前に勢いを付けるために思い切って初めてFACEでやってみようかなと思って。10周年のときは自分の田舎の方、青森八戸でやったんですよ。20周年は大阪ですね。今回24周年なんですけど、あんまキリが良くないですよね(笑)。
――24周年で勢いがついたら、25周年は後楽園ホールですか?
政宗 いやぁ~……終わったあと、上手くいってたら考えたいです(笑)。とりあえず今はFACEを成功させることを考えたいですね。
――第1試合から「梅咲遥 vs 名無し」のシングルマッチという衝撃の試合から始まります。
政宗 本当は第4試合で組む予定だったんですけど、諸事情あって第1試合になって。名無し選手、多分東京であまり試合をされていないと思うんで、東京のお客さんにも見てもらう機会になればなあと。いい感じですよ。いい感じなんですけど……第1でやる試合じゃないんですよねえ(笑)。まあまあ、急遽こうなったっていうのもあるんですけど、普通に始まるんじゃ面白くないかなとも思うんで、これはこれでいいのかなって。梅咲選手もあまりこういったキャラクターの選手とあまり試合をされたことがないと思うので、どう対応するかも見てみたいですよね。第1試合から会場を驚愕と混沌に包んで、選手にも見に来られる方にも想像のつかない展開になることを期待しています。
――第2試合では「井坂レオ vs 今井礼夢」というシングルマッチです。
政宗 MarvelousとHEAT-UPの勢いある若手選手同士の対決ですね。今井選手も井坂選手も見たことがない方も多いと思うんで、彼らの試合を初めて見る機会になればいいなあと思ってますね。動きもいいし、ハイフライな試合を見せてくれると思います。初っ端から混沌に包まれたリングを第2試合で引き締めてほしいなと(笑)。正統派のレスリングを期待したいですね。
――第3試合は「笹村あやめ & 海樹リコ vs 高瀬みゆき & 関口翔」のタッグマッチです。現BEYOND THE SEAタッグ王者の“リトルツインベリーズ”が高瀬選手&関口選手の“チームバンテリン”とぶつかる良カードですね。
政宗 リトベリって、SEAdLINNNGさん以外だとあんまり見ないというか、こうやって外に出ていくのは初めてなんじゃないかな? 本当にいいタッグなので他団体のファンにももっと見てほしいというか、どういうリアクションを得られるか、僕も楽しみなカードなんですよ。この間、ラスエゴ(※ラス・フレッサ・デ・エゴイスタス/真琴 & 朱崇花)からベルトも獲って勢いもありますし。高瀬選手と関口選手っていう息の合ったチームがどう闘っていくのかにも注目したいですよね。2人がバンテリンってタッグを組んでたのは実はカード組むまで知らなかったんですけども(笑)。
――女子選手と試合で絡むことはあまりないと思いますが、どういった経緯でこのカードを組まれたのでしょう?
政宗 そうなんですよね。会場で一緒になっても挨拶するくらいで話をすることもないかなあ。でも、自分の試合の前後とかで見ることは多くて、会場で試合を見て「いい選手だな」、「いい試合するな」、「面白い動きするな」って感じることがとても多かった選手たちなんで「自分の興行だから呼んでみよう!」って感じです。
――第4試合は、PSYCHO & CHANGOの名タッグと“ROMANCE DAWN”の高尾蒼馬 & 翔太の学生時代からの盟友タッグが激突する注目必至のカードです。
政宗 これはもう、興行やるって決めたときにはこのカードを絶対やるって決めていた試合です。PSYCHO & CHANGOは、ほぼほぼ僕の興行の常連というかレギュラーの選手で。高尾くんと翔太にはこれまでに何回もオファー出してたんですけど、毎回毎回タイミングが合わなくて呼べてなかったんですよ。今回はちょうど合ったんで、僕の中では「ついに!」って感じです。いいチーム同士で、会場が王子だったらメインですね(笑)。王子だったらもう僕は自分の興行だけど第1試合くらいで出て、メインは近くで自分が見たいって試合です。これはもうお互いのタッグ力が光るというか、“タッグマッチとはなんたるものか”が見られる試合をしてくれると思います。
僕が思うのは、タッグチームとしてはPSYCHO & CHANGOの方がちょっと上かなと思うけども、個々の実力だったらROMANCE DAWNの方が上かなとも思う。その個々の力をどうタッグで活かしていくか。あとはPSYCHO & CHANGOは、もう会場内全部使うじゃないですか。セコンドもお客さんもレフェリーもすべて使うんでね。興行主としてはレフェリーも厳選をして、PSYCHO & CHANGOが使いにくいだろうなっていうレフェリーを用意しても面白いかもしれないですね。
――セミファイナルは「間下隼人 & スーパー・タイガー vs 佐藤耕平 & 将軍岡本」というストロングスタイルプロレスの提供試合です。
政宗 この間、ストロングスタイルプロレスで、レジェンド王座を持っている間下選手と将軍選手が試合して将軍選手が負けたんですよね。そのリベンジじゃないですけど、復讐みたいなものは考えてると思うんで、荒れそうな試合になるなあと。
――政宗選手もストロングスタイルプロレスに参戦を続けていますが、どういう思いを持たれているのでしょうか?
政宗 ストロングスタイルプロレスさんは初期から見ていたんですけど、創設された際のメンバーが豪華すぎて……。その団体に参戦させていただくのは恐れ多いなと思っていました。残念ながら勝ち星には恵まれていないんで、次に参戦させていただくときには勝ちたいですねえ。
――初代タイガーマスクが創ったリングに参戦するというのは特別な気持ちがあるのでしょうか?
政宗 そりゃあ、そうですよ。(初代タイガーを)リアルタイムで見ていたので。ストロングスタイルプロレスさんに上がると、御本人が試合を見られることもあるわけじゃないですか。僕が上がったときに直に試合を見ていただいたことはないと思うんですけど、なにかしらの機会でご覧になることはあると思うので、そのときには恥ずかしくない試合をしたいと思います。いつも以上に気を引き締めて……。
――24周年を迎えるベテランになっても、初代タイガーマスク選手の前で試合をするとなると気が引き締まるのでしょうか?
政宗 いや、もちろん、もちろんですよ、もう。リングに上がるときに選手の前を通られるんですけど、そのときだけは空気感がガラリと変わりますもんね。
――佐山先生も復帰を目指して闘病生活を続けていますが、復帰した際には対戦してみたいという気持ちはありますか?
政宗 いやぁ~! 恐れ多い……恐れ多いですけど……でも、もしそんな機会を与えていただけるんでしたら、ぜひぜひぜひ喜んで受けさせていただきたいです!
――メインイベントは、「政宗 vs ビリーケン・キッド」のシングルマッチです。ビリー選手との歴史は深いものがあると思います。
政宗 ビリーさんは僕のデビュー前からメキシコで顔を合わせている人間で。だから、もう25年とかの付き合いになるんですね。2005年くらいに1度新宿FACEでシングルでやってるんですけど、そのときに負けてるんですよ。だから今回は同じ新宿FACEで、ほぼほぼ20年前のリベンジって感じですね。2013年くらい……道頓堀プロレスが旗揚げしたあとくらいにビリーさんの自主興行でもシングルをやって、そのあとは2021年のビリーさんの24周年の無観客の配信マッチでやった試合。60分3本勝負で。この歳になって60分やり切る試合になるとは思わなかったなぁ~(笑)。このときが最後のシングルマッチですね。思えば、お互いに24周年のときにシングルやることになるんですねえ。
――政宗選手とビリー選手には、ライバル同士という印象もありますし、盟友同士という印象もあります。
政宗 最近だとUWA6人タッグ王座を巻いてましたし、道頓堀でもタッグのベルトを2人で組んで巻いてたこともありまして。大阪時代は、ほぼほぼ対角で闘ってたんですけど、大阪を離れてから組むようになったかなあ。僕の中では組むってよりも、常に対角線にいるイメージがありますねえ。
――政宗選手の中でビリー選手はどういう存在なのでしょう?
政宗 腐れ縁ですねえ。デビューして7~8年くらいのときにフリーでやってたんですけど、試合がなくて。「俺もう辞めようかな」と思ってたときに、ビリーさんから「大阪プロレスに上がってみないか」って話をもらって今に至るんで。腐れ縁ですけど、恩人っちゃ恩人ですね。あのときのビリーさんの言葉がなかったら、多分もう辞めてましたね。
――今の色々な団体に引っ張りだこの政宗選手を見ていると、全然試合がなかった時代があるというのは信じられないです。
政宗 いやあ、ありました、ありましたよ、もぉ……。今ほどお酒も飲まずに禁欲生活してました。プロレスラーを辞めようと思ったときに、それを留まらせてもらったので、その恩返しみたいなところはありますね。24って半端な区切りなんですけど、今やりたいと思ったから組んだ試合です。新宿FACEっていう場所も場所ですし、あれから20年後、辞めるのを思い留まらせてくれた人と。色んな思いが重なって、「今やるべき試合だな」と思いましたね。
建設会社職員からプロレスラーを目指して単身メキシコへ――偶然の出会いを積み重ねて3ヶ月でライセンス取得
――政宗選手の若手時代の話が出ましたが、改めてこの24年を振り返るお話をお聞きしたいです。そもそもプロレスラーになろうと思ったキッカケはなんだったのでしょう?
政宗 最初は僕も普通に就職してたんですよ。建設の仕事をしていたんですけど、そこの作業員の人たちがみんな北海道のある村の出身で、村の男性がゴッソリ出稼ぎで来ている感じだったんですよ。話を聞くと、その村では先祖代々……その作業員の人たちのお父さんもおじいちゃんも代々こうして出稼ぎに来るってとこだったんですね。あるとき、その人たちと仕事をしていて「そういう家だからこういう仕事してるけど、仮に違う仕事を選べるとしたらどんな仕事をしたいか」って話になって。作業員の人たちの中には「本当は違う仕事をしたかった」って人もいて。もし将来が決められていなかったら違う未来があったのかもしれないんだなって。それで「俺が今しているこの仕事はどうなんだろう」、「俺、この仕事好きじゃないな」、「俺が本当に好きだったものってなんだろう」と考えるようになって。気づいたら、「じゃあ辞めます」で辞めて、プロレスラーになろうって決めてましたね。
――そう思い立って、単身メキシコに旅立つというのも思い切った決断だと思います。
政宗 今だと日本でいろいろな道があると思うんですけど、その頃は身長制限があって。僕は170cmなんですけど、その頃は170じゃ絶対書類で落とされて面接までたどり着けない時代で。「だったら、手っ取り早く向こうに行った方がいいんじゃないか」って、誰かの紹介とかもなく、なんのツテもなく、「とりあえず行ったらなんとかなるだろ」って飛行機乗ってメキシコの空港で降りて。そこでホテルとかも決めてないんで、どうしうようかって立ち尽くして……。今でこそネットがありますけど、当時はそんなものないんで『地球の歩き方』って本に載っていた日本人宿に行こうと思って。スペイン語がしゃべれないんで、周りの人に「ここに行きたい」って本を指差しながら、こう、身振り手振りで(笑)。
――なんのツテもなく言葉もわからない状態でメキシコに渡ってゼロからプロレスラーになるというのは、とてつもなくスゴいことなのでは……?
政宗 いやあ、まあまあ(笑)ってことで、どうにかこうにか日本人宿にたどり着いたんですよ。メキシコで修行した人とかは知ってると思うんですけどサンフェルナンド館っていう。多分今もメキシコ上がりの選手はそこでお世話になってる人が多いと思います。サンフェルナンド館にたどり着いたら、そこで偶然アルシオンにいらした藤田愛さんと会うことができて。藤田さんに「プロレスラーになりたいんです」と伝えたら、「練習場所とか教えてあげる」って親切に教えてくださって。その練習所に行ってみたら、まったくのゼロから始める人用のジムを紹介してもらって、そのゼロからのジムに偶然リスマルク先生がいて、そこで弟子入りですね。ホント、運が良かったですよ。
――そこから“プロレスラー”としての政宗選手が産声を上げるんですね。
政宗 メキシコって試合するのにライセンスが必要なんで、それを取ろうとしたんです。向こうのジムに入ってから「ライセンスの試験が3カ月後にある」って言われて、ちょっと無理かなとも思ったんですけど早くデビューしたいからって頑張って、試験を受けたら通って。3カ月でライセンスを取ったんですよ(笑)。
――3カ月でライセンス取得というのは、向こうでも優秀な選手として扱われたのでは?
政宗 全然。全然そんなことなかったですよ。ライセンス取ったはいいけど試合が組まれず、半年くらいは悶々としてましたね。ライセンスがあるから向こうから試合が来るとかじゃなくて、売り込みしないと試合組んでくれないんですよ。それが分からずに、「とりあえずライセンスあるから来るかな?」と思ってたんで。それを教えてくれる人もおらず、半年以上そこで無駄な時間を過ごしましたね。試合を経験しないと、デビューしたからってすぐ日本に戻ったってなにもできないし、身体もできていなかったんで経験を積んで体作りを頑張ろうと思って。周りに日本人の先輩がいなかったんで、アドバイスとかももらえなくて、何がいいのか悪いのかも分からずとりあえず試合するって状況が続いて、「これはダメだな」と思ってた中でSHIIBAさん……今は九州プロレスの理事長をやられている筑前りょう太さんとかに会って、自分の試合のビデオを見てもらってアドバイスをもらったりしてましたね。
――そこからAAAにたどり着いたのはどういう経緯だったのでしょう?
政宗 あれは、なんでだろうなあ……? そのとき、たまたまビリーさんがAAAにまだ籍があって、たまたま日本人の選手がみんな日本に帰っちゃってて「人が足りないんで、どう?」みたいな、「試しに1回試合してみる?」みたいな。そこで試合してみたらウケて、試しに契約みたいな感じになったんですけど……AAAで試合って、ほぼほぼやってないんですよね(笑)。テストマッチみたいなのをやって以降、向こうから試合を組んでもらった記憶がないんですよ。でも、ちゃんと向こうがビザとかを準備してくれて、面倒は見てもらってたって感じで。
――メキシコ時代を振り返って、記憶に残る出来事というと何が浮かびますか?
政宗 誕生日に3方向から銃を突きつけられて金取られましたね(笑)。もうね、メキシコ時代のこういう話するとホント時間足りなくなっちゃうからこのあたりにしときましょ(笑)。まあでも、逆にメキシコ経験者がどういう経験をしてきたのかもっと聞いてみたいですね。あんまり表では話さない人も多いんで、酒の席でどんどん聞きたいですよ。
「24年間で出会ってきた人たちに恩返ししたい」――浦島太郎状態の帰国から大阪時代の臥薪嘗胆、人と人とのつながりで支えられて迎える24周年
――メキシコからビリー選手や筑前選手とともに“ルチャリブレ日本”として凱旋帰国することになりました。
政宗 いやぁ~……凱旋帰国っつってもねえ(笑)。今でこそそんな感じの話になってますけど、当時はネットもなくて、向こうに行った人間が勝手に戻ってきたって感じだったんでまったく話題にもならず(笑)。でも、「メキシコに行って3カ月でライセンス取ったやつがいるぞ」って噂だけが流れてたみたいで。それで日本人選手同士でつながりが生まれた感じでしたね。
――日本に戻ってきたばかりの頃はどういう環境だったのでしょう?
政宗 最初は、九州のプロレスリング華☆激で。華☆激の選手がメキシコ遠征してたんで、そのときに華☆激の選手と絡んで、「もし日本に帰ってくることがあったら試合を組んでやるよ」みたいなことを言ってもらって、4年ぶりに日本に帰ってそこで試合したんですよ。4年も経つとけっこういろいろ変わってて。帰ってきたら2000円札ってもんが発行されててみんな持ってて、「なんだこれ?!」って(笑)。当時は今みたいにネットがなくて情報も入ってこなかったんで、ガラケーで、EZwebとかでちまちま見るくらいで。もう、帰ってきたら浦島太郎みたいな感じですよ。
――そこから大阪に拠点を移すまではどういった経緯だったのでしょう?
政宗 日本に帰ってきて、フリーでやっていくことになって……ってとこで、さっき話したビリーさんとの話になるんですよ。ホントに試合がなくてなくて。夢ファクトリーとか、ナイトメアとか、竹ノ塚のバトルスフィアでの試合とかはしてましたけど……多分、日本もメキシコもそうだったと思うんですけど、その頃はプロレス自体の人気が、こう(下降)なってた時代で、インディーは特に試合数も少なくて。そんな中でプロレス辞めようかなと思ってたところでビリーさんに声かけてもらって、大阪に出るようになりましたね。
――大阪を主戦場にするようになって、“政宗”というプロレスラーが出来上がっていったんですね。
政宗 そうですね。そこで多分プロレスラー・政宗が構築されたんだと思いますね。試合のスタイルとかも込みで。でも、楽しかった思い出ってよりはキツかった思い出が多いですかね。向こうはレベルが高くて。月に1試合とか2試合とかしかやってない選手が、毎日のように試合してる選手たちの中に混ざってやっていこうとしてたわけですから、それに合わせるのは大変でしたねえ。大変でしたけど、そこで磨かれて今の政宗が出来上がっていったんで、かけがえのない大事な時代だと思ってますよ。
――その後、2013年に大阪プロレスを離れてから拠点を大阪から東京に移されたと。
政宗 アレなんですよ。僕は大阪プロレスに所属してたわけじゃなくて、専属フリーだったんですよ。だから、東京に住んでて毎週通ってたんです。そのあと、道頓堀プロレスが旗揚げするっていうんで、そこで大阪に引っ越したんですよ。最初から大阪にいたって思っている方も結構多いんですけども(笑)。3・11のときも東京で被災して、次の日に大阪に移動とかしてましたよ。
――その後、さまざまな団体に出場する人気選手になっていったことはみなさんも知るところだと思います。そこで広がっていった交友関係がこの24周年大会の多彩なカードにつながっていっているのですね。
政宗 ホント、そうだと思いますよ。人との関わり合いで言うと、例えば今回の大会で梅咲選手にオファーをしたいけど、僕には連絡するツテがなかったんです。それを後輩のハイビスカスみぃとかが間に入ってくれて、上手い感じに話を進めてくれたり。KAIENTAI DOJOにいたときもありましたし、そこでのつながりもありますねえ。
――最後に、『政宗デビュー24周年記念興行』への意気込みをファンのみなさんに向けてお願いします。
政宗 ホント、がむしゃらに24年やってきて、そこで出来ていったつながりがあって実現できている大会なんで。いろいろな意味で恩返しをする大会にしたいですね。24年間応援してくれた方、出会ってきた選手やスタッフの皆さん……24年間出会ってきたすべての人たちに恩返しするために、いい試合をお見せしたいですね。
『政宗デビュー24周年記念興行』
<メインイベント シングルマッチ>
政宗vsビリーケン・キッド
<セミファイナル ストロングスタイルプロレス提供試合>
間下隼人&スーパータイガー vs 佐藤耕平&将軍岡本
<第4試合 タッグマッチ>
高尾蒼馬&翔太 vs PSYCHO & CHANGO
<第3試合 タッグマッチ>
笹村あやめ&海樹リコ vs 高瀬みゆき&関口翔
<第2試合 シングルマッチ>
井坂レオ vs 今井礼夢
<第1試合 シングルマッチ>
梅咲遥 vs 名無し
※対戦カードは変更の場合もあり

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