【杏仁クルーエル インタビュー】
“狂気とノスタルジック”の世界に
全員で立ち向かった
路地裏に潜む、ノスタルジーと狂気ーー。和のテイストを帯びたオルタナティブなロックサウンドと文学的な日本詞が独創性を生む、3人組ロックバンド・杏仁クルーエルが3rdアルバム『決壊』を完成させた。バンドの新たな始まりを告げる、現メンバーになって初の音源について訊く!
今、杏仁クルーエル史上、
一番脂が乗ってる時期
杏仁クルーエルの結成は07年と、活動歴は長いんですね。
五十嵐
そうですね。一時期は解散もしていて。僕がリーダー格になるんですが、ずっとこのバンドにいるのは僕だけです。“五十嵐善右衛門”という名前でやらせてもらっていて、実は“善右衛門”というのは曽祖父の名前なんですよ。実家は威厳のある家系なんですけど、曽祖父は一度も働いたことがなかったらしくて、そこにシンパシーを感じて受け継ぎました(笑)。
そうなんだ! 名家から生まれた異分子だったんですね(笑)。
五十嵐
で、ギターの白銀くんは実家がお寺だったりして。
へ~、すごい!! バンドや楽曲にある和テイストな世界観の理由が、ちょっと分かった気がしました。
五十嵐
ドラムのコダさんはコロナ禍で加入したんですけど、昔から杏仁クルーエルをよく知っていてくれて。
コダ
4年前まで別のバンドをやっていて、杏仁クルーエルとは交流があったんです。バンドが解散した時、すぐに声をかけてもらいました。
五十嵐
前のドラムが辞めちゃって、白銀くんとふたりで音を合わせたりしていたんですけど、“やっぱりドラムが欲しいな”となった時、マインドが近い人と一緒にやりたくて声をかけました。
バンドの歴史を確認したいんですけど、22年にリリースした1stアルバム『杏仁クルーエル』は過去音源をまとめたものなんですよね。
五十嵐
はい。その1stの曲目をライヴ中心の曲に変えたアルバムを2ndアルバム『残酷的杏仁豆腐』として会場限定販売していて、今回が3rdアルバムになるんですが。3rdからは現在の3人がかかわった曲以外は出さないようにするために、過去音源を出しました。ここまで結構、メンバーチェンジもありましたしね。
よく分かりました! そういう作業を経て、改めて杏仁クルーエルと向き合った時、どんなことを感じました?
五十嵐
初期はポップスに傾倒した、メロディー重視の音楽性だったんですけど、キャリアも重ねて、今はまた違ったかたちで音楽をとらえられていて。曲を作りながら“ライヴでやったらどうなるだろう?”と想像したり、自分たちがアガる曲を重要視したり。サウンド面も含めて、楽曲を多角的に考えられるようになってきていますね。
白銀
バンドの核となる部分や、五十嵐さんの書く歌詞やメロディーは変わらないので、杏仁クルーエルらしさみたいなことはあまり考えず、自分らしさもプレイに出せるように曲作りに挑んでいます。
だからか、1stアルバム『杏仁クルーエル』と今作を聴き比べた時、別のバンドかと思うくらい変化している印象を受けました。まさに“決壊”といった感じで、今作でバンドとして突き抜けられたと思うし、この3人の杏仁クルーエルをしっかり見せることができる作品になりましたよね。
五十嵐
今が杏仁クルーエル史上、一番脂が乗っている時期だと思っているんです。レコーディングの段階で“これなら全国流通したいな”と思ったし、そういう気持ちになったのは初めてでした。
コダ
昨年の12月くらいからリズム録りを始めて、今年の春までしっかり時間をかけて作ったんですよ。五十嵐くんの表現したい“狂気とノスタルジック”の世界に全員で立ち向かって。時間をかけて作り込んだから、完成した時の感動はすごかったです。