G-FREAK FACTORY・茂木洋晃に訊く、
25周年のいま思うこと

2022年10月23日、G-FREAK FACTORYが2度目の日比谷野音のステージに立つ。結成から25年、紆余曲折や浮き沈みを経ながらも、地元・群馬の雄として歩み続け、闘い続け、無二のバンドたる足跡を残してきた彼ら。本稿では、これまでのバンドヒストリーやその時々の想い、そしてコロナ禍に端を発したライブシーンの変化への向き合い方に至るまで、2022年現在のG-FREAK FACTORYの姿をフロントマンの茂木洋晃と語り合う。
――日比谷野音単独公演の開催が決定しましたが、初めて野音でワンマンをやったのは結成20周年の2018年でした。当時、あの会場でライブをやることに対してどう感じていましたか?
日比谷野音というのは格式のある会場で、バンドをやる前から武道館みたいなブランドを感じていたし、そういうステージにワンマンで立つというのはうれしい反面、不安もあって。オールシーティングの会場だからライブハウスで培ってきたフロアとステージの化学反応みたいなものがつくれないんじゃないか、どうやってあの化け物みたいな会場でライブできるんだろうか、お客さんは満足してくれるんだろうかって。でも、コロナになってからそういったものに対して目も心も慣れてきたし、観る側もやる側もある程度次のフェーズに入っている状況での野音になるから、前回とは全然違う、今できる最大限のことがやれるかなと。
――前回とは心持ちが違う。
最初はこういう状況になって全然心がついていかなかった。でも、最初はシーティングのライブはやらないって片意地を張ってたけど、ライブを重ねていくにつれて……これはTOSHI-LOWとも喋ったんだけど、客席に飛び込むとかそういうことは一切捨てよう、ルールのなかで音楽をちゃんとやれるようにならないといけないと。今やってることは、コロナが明けてぐちゃぐちゃのライブができるようになったときに絶対に無駄にならないと思うし、今はそういう時間なのかなと思うようになった。
――そう考えると、一度野音を経験しているというのは大きいですね。
あ、そうかもしれないね。
――じゃなかったら、いきなりこのタイミングで「野音やってみようか」にはなかなかならなかったと思います。
野音はまたいつかやりたいと思ってた会場だけど、いざやりたいと思っても抽選があったり、会場を押さえるのもひと苦労だし、今の情勢とかバンドの力量を考えても簡単にはやれないなと思ってた。でも、25年という節目を迎えるタイミングでみんなとミーティングしてたときに俺がポロッと「野音やりてぇな」って言ったら、社長が次の日に「押さえたけど、どうする?」って(笑)。
――はやっ!
まさかそんな簡単に押さえられるとは思ってなかったけど、そういうスピード感があったから今、こうやってそこに向かっていけてる。あそこで1週間とか考えてたら押さえられなかったと思う。
――改めて考える間を与えないぐらいクイックな動きですね。
そうそう。ファインプレーだね。
――今は音楽業界全体でライブの動員が落ちているわけじゃないですか。そんな中で大きな会場でやるというのは前回とは違う挑戦になりますね。
でもさ、そこで形をつくれたら、夢、あるでしょ。次に行けるというか。それに、コロナの間にG(-FREAK FACTORY)のことを知ってくれたヤツにも来てもらいたいし。
――けっこうポジティブな気持ちなんですね。
ああ、全然ポジティブ。現場のネガティブなものとの決着はとうについてるし、あとはやるしかない。今回は野外だから行けるっていう人もいるかもしれないし、全部ポジティブかな。
――周りのバンドの動きから影響を受けた部分はありますか?
BRAHMANはBRAHMANなりの動きをすごく工夫してやってたよね。紗幕に映像を映し出したり、サタニックでもそういうことをやってて。OAUも野音でやったし。
――OAUは昨年、今年とやってますね。
仲間内で野音をやろうとするバンドが本当に少ない中で、TOSHI-LOWが立っているというのはすごく刺激になったかな。前回の野音のときにTOSHI-LOWが観に来て、そのときから「OAUでもやろうと思ってるんだよね」って言ってたからね。
――そうだったんですね!
でもさ、ライブ中にルールとかをぶっちぎって何かをやるヤツらって実はいなくて。バンドひとつ壊すことなんて簡単なんだよ。たとえば、マスクしないでソーシャルディスタンスをぶっちぎって大暴れした結果、陽性になってクラスターになったらそれでバンドを壊せるわけでしょ? そういうことを俺たち以上にお客さんがわかってくれてて、俺たちはそこに甘えてしまってるんだけど、「それはバンドのせいになるから止めようよ」ってしっかりしてくれてる。
――コロナ禍でもライブを観に来るお客さんっていうのはちゃんとわかってる人たちですよね。
どっちかだね。我慢できないバカか、それでも覚悟を決めて来てるヤツか。あとは、「今なら大丈夫かな?」っていうヤツもいるかもしれない。とにかく、ライブの現場はすごく健全で、ほかよりもすごく丁寧に運営されてる。スーパーとかのほうがよっぽど危ないと思う(笑)。
――わかります(笑)。
ライブハウスは一番最初に叩かれたけど、そうなった途端にモラルとかマナーに対する意識が高くなった。偶然かもしれないけど。
――ところで、25年前の1997年頃、野音に立ってる自分って想像できました?
いやぁ、全然(笑)。93年から97年まで住んでたアメリカから帰ってきたら日本は東京ベイサイドスクエアがえんらいことになってて。
――『AIR JAM '98』ですね。
そう。ステージの下からTOSHI-LOWとかを観たり、地面が揺れたり、あんなフェスは初めて経験した。あれはすごかったよねえ。現象っていうか、あそこにたどり着くまでの経緯とか成り立ちは知らなかったけど、そのゴールをあそこでまざまざを見せつけられて、「うわ、すげぇ……」ってなった。
――過程を知らずにいきなりあれを見せられると強烈でしょうね。ロラパルーザとかをやってるアメリカのほうがすごいと思ってたけども。
いや、日本のほうがすごいと思ったなあ。アメリカでもいっぱいバンドを観たけど、同じ国で暮らしてる人がこういうことができるっていう事実がすごいと思った。コロナが終わったら、もっと正直なアンチテーゼを含んだもの、レベルなバンドが出てきてほしいな。
――そういうものを一番表現しやすい音楽をG-FREAKはやってますよね。
そうだね。たしかにしやすいよね。ときにやりすぎて嫌われるけど。だって、誰も言わないんだもん。
――これまでの活動でターニングポイントになった出来事はありますか?
「これはもう、終わるな」って思ったことはたくさんあったけど、群馬で活動していることによる天然のせいなのかもしれないけど、全部乗り越えられちゃったんだよね。俺はバンドは10年やれたら大成功だと思ってて、20年やったらもう、大成功どころの話じゃなくて、25年ってなったら大往生じゃねえかって(笑)。でも、昨日ライブで共演した先輩方はまだ進もうとしてるし、もっとよくしようとしてるんだよ。あの人たちは一生進化するんだろうな。
――なるほど。
俺はバンドというのものを軽い気持ちで始めたけど、それを続けてきた時間を正解にしていかないとダメだなって最近は考えてる。「どうやったらこれまでにやってきたことを正解と言えるようにできるんだろう」って。今回も社長が勢いで野音を押さえてくれて、「やってよかったね」をあと付けしていく。それをずっと続けていければいいと思ってる。
――25年で大往生してもいいというところまできていても、やっぱり自分がやったことを正解にしたいという気持ちはある。
もしアメリカから帰ってきてすぐに東京でバンド活動してたら、あなたにももっと早く会ってたかもしれない。でも、群馬で、あの土地のタイム感でやってきたこと、うだつの上がらなかった9年間のこと、そういうものすらも正解にしていく。「あれがあったから今、こうやってやれてるんだ」って。
――東京に出てこようとは思わなかったんですか?
最初は意地で群馬でやろうとしてた。地元のライブハウスに月5本しかスケジュールが入ってなくて、「ここで沸かせられなかったら東京に行っても簡単に終わっちゃうよね」って。しかも、東京に出たらアルバイトとか音楽とは違うことに追われるだろうし、とりあえず群馬でやってみようかって。そこからズルっと地元に居続けてたら、これはこれでいいなってなった。それなら、群馬でやってきたことを正解にしないといけない。
――正解にするためのひとつが主催フェス『山人音楽祭』だったり。
あ、そうそう。そうやって年をとるごとに群馬が好きになってきて、最初は自虐っていうか、群馬の周りに『進撃の巨人』みたいに壁を作って、その中でビジネスも何もかも全部やればいい、まずはそこでお山の大将になってやろうと遊びで考えたりしてたんだよ(笑)。
――まさにグンマーですね(笑)。
そうだよね(笑)。でも、何の特徴もない、イジりようがない県よりは全然いい。ただ、茨城だけには負けたくない。
――あはは!
あの北関東のふたつの県には負けたくない。
――その茨城にちょうどよくBRAHMANがいるっていう。
いや、そうなんだよ。あいつさ、なんでわざわざ群馬まで来てニューアコ(NEW ACOUSTIC CAMP)やるのか意味がわかんないんだよ、茨城でやれよ(笑)。
――あはは! でも、あそこは水はけもよくていい会場ですから。G-FREAKの音楽面に関してですが、どんどん壁がなくなってきていますよね。
あ、壁はね、どんどん壊れたね。メンバーチェンジもしたし、ここで変えなかったらずっと変えられないと思って。別に変える必要はないんだけど、新しいメンバーのいいところによってその都度バンドは変わっていいと思ってるから。キング・クリムゾンも毎回ボーカルが違うし。
――今、一番バンドに説得力を感じます。
なんでだろう、コロナじゃない?
――いや、言葉の強さや深みがこれまで重ねてきたものとハマってる感じがします。どうですか?
あんまり意識はしてないけど、いい意味で今のマナーやルールの中でなんの工夫もせずにやれてるなと思う。
――今の自分たちがバンドとして守るべきところってなんだと思いますか?
何でも巧みにやれるようになりすぎちゃうのは違うなとは思う。あと、質問からはズレるけど、田舎で25年バンドやってるだけで奇跡だと思うから、その奇跡をもっと綴っていけるようにしたい。コロナがきっかけで地元のバンドとめちゃくちゃ触れ合うようになったんだけど、いいのがいっぱいいるんだよ。そういうヤツらとドメスティック群馬でいろんなことをやっていきたい。
――なるほど。
コロナになる直前に、群馬以外のローカルバンドに地元のバンドを紹介してもらったり、地元のカメラマンを紹介してもらったりしてたんだよ。なんでかというと、俺たちの音楽を知ってる知らないは別として、地元のライブハウスで一番撮ってるカメラマンがいいに決まってるから。そういうところで新しいカメラマンとかバンドと出会えた。だから、自分たちもローカルバンドであることを忘れちゃいけないと思ってる。
――自分たちがホームだと思えるのはやっぱり群馬のライブハウスですか。
そう、でもそのライブハウスも先月末で幕を下ろしてしまった。
――この先どうなるんですか?
大丈夫だと思ってる。そのライブハウスと揉めて6年間出入り禁止だった時期があったけど、当時はそれでもやれてたからね。もちろん、頑張ってほしいし、なんでも協力はするけど。
――今、バンドは新作のレコーディング中だそうですね。
そう、全部で3曲なんだけどね。レゲエの曲がひとつあって、たんぽぽの綿毛が飛んで各地に散っていくっていう内容。あとは「Too oLD To KNoW」みたいな曲もやってる。あの曲とはまたちょっと質感の違うおもしろいものになると思う。
――では最後に、野音はどんなライブにしたいですか?
前回の野音は7月で暑すぎて、記憶が何回か飛んでるんだよね(笑)。だから、今回は全部覚えて、しっかり押し込むようなライブをやりたいね。

取材・文=阿刀“DA”大志 撮影=森好弘

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