心を揺さぶる魂の歌声と評される若き
シンガーソングライター小林柊矢、1
st EPに込めた想いとワンマンツアー
への展望

昨年11月に「君のいない初めての冬」でメジャーデビューを果たした、21歳のシンガーソングライター小林柊矢玉置浩二、秦基博などが自分のルーツと語る彼が奏でる音は、どこかノスタルジックかつ叙情的で、現在SNSの合計フォロワー数が34万人を超えるなど、幅広い年齢層のリスナーに支持されている。そんな小林が3月23日に1st EP「あの頃の自分に会えるなら」をリリース、さらに6月にはファン待望の1stワンマンツアーの開催が決定。SPICE初登場、心を揺さぶる魂の歌声と評される若きシンガーソングライターに、1st EPに込めた想いと1stワンマンツアーへの展望を語ってもらった。
──1stEP『あの頃の自分に会えるなら』はどんな作品にしようと考えていましたか?
今回のEPは、20歳までに書いた曲で構成していて。僕はいま21歳なんですけども、やっぱり大人になりたいという意地みたいなものがあって、最近の癖で、コードとかメロディを変に難しくしたり、背伸びしてしまったりすることがあるんですよね。でも、僕の音楽は等身大というか、そのままの小林柊矢を伝えていくのが自分に合っていると思っていて。これが初CDになるんですけど、ボーナストラックで16歳のときに作った曲も入っているんですよ。「僕が君の前から消えた時」という曲なんですけど。だから、変に大人ぶってしまう時期が来たら、このCDを聴けば初心に戻れるというか、自分が等身大の小林柊矢に戻るための1枚だったりしますね。
──いつでもあの頃の自分を振り返られるように。
そうですね。それでこのタイトルにしたんです。
──なるほど。『あの頃の自分に会えるなら』というワードは、収録されている「プレイボール」の歌詞から取られていて。これまでもご自身のことを歌詞に書くことはあったと思いますが、ここまでモノローグ的に書き綴っていくことは珍しいんじゃないかなと思うんですが。
確かに、まったく飾っていないというか、こんなに具体的に書いたのは初めてかもしれないです。リード曲やシングル曲って、歌詞が少し抽象的になってしまうというか、みなさんにより当てはまるようにする努力をしてるんですけど、アルバムの中の1曲として、自分の赤裸々な思いを綴った曲があってもいいんじゃないかと思って。それでAメロがやたら長くなっちゃったんですけど(笑)。でも、だからこそ伝わるものもあるだろうし、略してしまったら伝わりきらないこともあると思うので、詰め込んでよかったと思っています。
──この曲を作ったのはいつ頃だったんですか?
20歳のときですね。この曲は少年野球をやっていた頃の自分にあてて書いていて。小学校1年生から高校1年の半ばぐらいまでずっと野球をしていたんですけど、小学校のときのチームはレベルが高くて。競争も激しいし、卒業してから、どんな練習をしていたのか友達に話したら驚かれるぐらい厳しくて。しかも(試合に)出られないし、ずっとやめたかったんですけど。2番の歌詞に〈大きな大会〉ってあるんですけど、あれは全国大会なんですよ。
──へぇー! 本当に強豪チームだったんですね。
親にも「絶対にスタメン取るから!」って言ってたんですけど、結局出られなくて。でも、サブキャッチャーとして一瞬だけグラウンドに立てたんですよ。その数十秒間だけ誇らしい気持ちになれて。そのときに母親がネットにへばりついて写真を撮ってくれていたりとか、いろいろ込み上げてくるものがあって。そのことを思い出しながら書いているときも、レコーディングしているときも泣いてしまったんですけど(苦笑)。
──あの部分は聴いていてめちゃくちゃグっときました。
野球をやられていない方でも、何かに打ち込んでいるものがあった方にはどこかしらに響く部分があるんじゃないかなと思います。今回のEPの中でも思い入れのある1曲ですね。
小林柊矢
──野球少年ではありつつも、小さい頃から音楽は好きだったんですか?
ずっと好きでした。僕、最初に人前で歌を歌ったのが2歳のときだったんですよ。叔父の結婚披露宴で「世界に一つだけの花」を歌って、拍手をもらってすごく喜んでいる映像が残っているんですけど、そこで人前に立つことの快感を覚えたというか(笑)。だから、小さい頃から人前に立つことも、歌うことも、音楽も好きでしたね。幼稚園の卒園アルバムに書いた将来の夢も、みんなが忍者とか、ケーキ屋さんとか、仮面ライダーとか書いているところに、僕だけでっかく「歌手」って書いてました。
──ご両親が音楽好きだったりされたんですか?
家でも車でもずっとラジオがかかってたんですよ。お母さんが家事をしていたときはずっと音楽をかけていたし、カラオケにもよく連れて行ってくれたりもしたし。音楽は溢れていたかなと思います。
──どんな音楽が好きでした?
僕が好きなのは、ドJ-POPですね。本当にみなさんが好きなようなJ-POPが好きで。あとは歌謡曲も聴いてました。祖母がCDを集めていたので、加山雄三さんとか吉田拓郎さんとかのCDをドサっとくれて、「これを聴きなさい」って。
──英才教育的な?
そういう感じになってたんですかね(笑)。あと、ギターをプレゼントしてくれたのも祖母でした。歌が好きだからという理由で、高校の入学祝いでプレゼントしてくれて。
──野球もやりながらも、いつか歌手になるんだという気持ちもずっと持っていたんですか?
野球に打ち込んでいた時期は、やっぱりプロ野球選手が一番の夢だったこともありましたね。プロ野球選手:6、歌手:4ぐらいの感じで(笑)。
──その6:4の比率が変わった瞬間があったわけですよね。
高校1年の半ばぐらいに肘を怪我したんですよ。そこから見学する日々が続いていたときに、祖母がプレゼントしてくれたギターのことを思い出したんです。野球に打ち込んでいたから、なかなか手をつけられず、埃がかぶってしまっていたんですけど。そのときにバットからギターに握り変えて、音楽にのめり込んでいった感じでしたね。
──曲を作り始めたのもその頃から?
そうです。ギターを持つのと同時ぐらい始めました。人の曲をカバーするのがなんか悔しかったんですよ(笑)。弾き語るのなら、歌うのならば自分の曲がいいと思っていたので。
──ギターを持つのと同時に曲を作り出したのってすごすぎません?
いやー、すごいんだと思います(笑)。
──(笑)。最初は何か練習がてらに誰かの曲を弾いてみようかなみたいな感じになりそうなものですけど。
ああ。そこはちょっとしましたけど、というか、がっつりしましたけど(笑)、それと、コードを覚えるのと、曲作りを全部一緒にやってましたね。
小林柊矢
──ライブについてのお話もお聞きしたいんですが、小林さんの人生初ライブとなると、2歳のときの結婚披露宴になるんですかね。
人前で歌ったとなると、そうなりますかね。でも初ライブか……。高校で野球部を辞めた後に、軽音楽部に入ったんですけど……あ、でもこれはライブって言ったらアレですけど、小学校の昼休みに、ミュージックコンサートというのがあって。どんな音楽でもいいから、クラスで1曲披露するっていう企画があったんですよ。そのときに、僕がひとりで全校生徒の前で「消臭力」のCMの曲を歌ったのを思い出しました(笑)。
──曲のチョイスがすごく小学生っぽい(笑)。
あのときはめちゃくちゃ声が高かったんですよ。あれがいま出ないのが悔しいんすよね、ほんとに。あの頃の自分に会えるなら、その声をもっと噛み締めて歌っとけって言いたいです。
──(笑)。軽音楽部でバンドをやられていたとのことでしたが、パートはギターボーカルとか?
はい。高校3年の文化祭でステージに立ったんですけど、そのときはバンドではなく、ギター1本で、「僕が君の前から消えた時」を歌いました。
──そうか。16歳に作ったとなると、その頃からあったんですね。バンドではどんな曲をやっていたんですか?
コピーばかりやってましたね。最後のほうに曲を作ろうということになって、僕が書いていったんですけど、メンバーにサボり癖があって。寝坊ばかりでなかなか練習に来ず、結局作れずに解散したっていう苦い思い出がありますね(笑)。でも、もしあのときにメンバーが練習にすごく来ていて、バンドというものにもっと惹かれてのめり込んでいたら、もしかしたらそっちの道もあったかもしれないです。だから、良い意味でも悪い意味でも、人生を変えてくれたっていう(笑)。
──最初から絶対にソロでやろうというわけでもなかったんですね。
そうなんです。でも、ソロでやろうと思ったのは、秦基博さんの存在がすごく大きいです。最初に聴いたのが「ひまわりの約束」で、小学校5、6年の頃だったかな。曲を聴いてから秦さんのことを好きになって、遡っていろいろ聴いたりして。ずっと秦さんの曲は聴いていたんですけど、いざアコギを持ち始めたときに、秦さんがアコギ一本で弾き語りしている動画を観て、めちゃくちゃかっこいいなと思って、この道で行こうと思いました。
小林柊矢
──曲はいつもどういう流れで作るんですか?
僕は詞先ですね。タイトルは別で、先にモチーフを決めて、こういう曲にしようっていうのを考えてから書いていきます。でも、たまに違うときもあって。「茶色のセーター」とかは、先にメロディができたんですよ。あの曲はピアノで作ったんですけど、ここに行くと気持ちいなみたいな感じで、先にメロディが浮かんでいたので。でも、基本的には詞先です。
──先にモチーフを決めるということは、書こうとしていることを最初から決めているということですよね。逆に、こういうものは書かないでおこうと決めることもあったりします?
そこはあんまりないかなぁ。幅広くいろんなジャンルをやってみたいので。でも、「いまリリースするなら」という意味で、作る/作らないはあるかもしれないです。いまはダークな曲よりも明るい曲で、聴いている人たちを温かい気持ちにさせたいなって。「ハッピーエンドの前説」という、日々の葛藤を綴った曲があるんですけど、そういうものよりは、ちょっと身体を揺らせたり、優しい気持ちになれるようなものにしたいっていうのはありますね。
──明るくて温かい気持ちになる曲を作ろうと思ったのはなぜです?
EPにも入っている「レンズ」は、明るい曲をシングルで出してみようっていう挑戦の曲だったんですよ。僕はこれまで「バラードがいい」と言われ続けてきたから、そっちに引っ張られて、重たい曲が増えていたんですけど、「レンズ」を出したときの反応がすごくよくて。いまのご時世的にも、こうやって身体を揺らせる、ライブで楽しめるような明るい曲を求めているんだなっていう反応があったので、そういう曲を書いていきたいなって。
──今回のEPにもそういった楽曲がありますね。たとえば「ミトメナイ」は、明るいというか、肩の力が抜けているというか。だけど、歌詞はちょっと強がっていて、そこが可愛らしくもあって。
この曲は1年前ぐらいに書いていて、どこかに入れられたらいいなと思って残しておいたんですけど、確かにこの歌詞可愛いですよね。この曲は、はっぴいえんどさんに刺激を受けて作った曲なんです。松本隆さんの歌詞って、敬語というか、「~~なのです」っていうのをよく使われるんですよね。そこにすごく魅力を感じて使ってみたんですけど、自分に認めないって刷り込んでいる感じが出て、うまくハマったと思いますね。
──その曲の次に来る「死ぬまで君を知ろう」は、各ブロックのメロディがとにかく強いですね。
うわー! ありがとうございます! この曲は、作っている段階からいいメロディができている感覚があったし、どこを切り取ってもメロディがいいと自負しているので、そう言っていただけると嬉しいです。
──それこそそういう曲にしようと思っていたんですか?
いや、これはもう勝手にそうなったというか。それが毎曲できればいいんですけどね(笑)。B(メロ)なんてもうサビぐらいでいいと思うんですよ。
──そうそう。まさにそれを思いました。
編曲をトオミヨウさんにしていただいたんですけど、Bなんてストリングスも、ギターも、ピアノも、どこを切り取ってもサビでもいいぐらい印象的で素敵なアレンジになっているので。
──アレンジも素敵ですけど、いいメロディがあるからですよ、そこは。歌詞は、助手席で眠っている恋人に思った「愛しい」という感情をどんどん膨らませていくところがまたいいなと。
ありがとうございます。あそこは「愛しい」以外に変わる言葉が浮かばなかったんですよ。そこのコードも、Gm7(b5)(Gマイナーセブンフラットファイブ)だったかな。おしゃれなやつを使ってるんですよ。いまでいうところのエモい感じというか。それと合わさって、「愛しい」という言葉が強くなったかなって。
──その愛しい感情が、「死ぬまで君を知ろう」という言葉に繋がっていくという。
なんかすごく壮大な感じがしますよね。最初は「君を知ろう」というタイトルだったんですけど、インパクトが足りないなと思って。これは大妄想の曲なんですけど、サビに入れていた〈死ぬまで〉をつければ、もっと大妄想な曲になるし、聴いている方も、曲名を見たときに気になるんじゃないかなって。やっぱり「死ぬまで」というワードって、良くも悪くもインパクトが強いと思うので。
──ただ、「死ぬ」というワードが持っているネガティブなものではなく、すごくポジティブというか、思いの強さの表れとして使っているという。最後のサビで感情がピークになって、リズムもハチロクになりますけど、あれはトオミさんのアイデアなんですか?
あそこは僕のアイデアですね。最初は同じストロークで作っていたんですけど、いざトオミさんにデータを送るときに、何か物足りないなと思って。それで、最後の追い込みというか。最後に3Aがくるんですけど、そことの差をつけるために、より盛り上がる、より心にグっとくるものはないかなと思って。音数を増やすという手もあったけど、根本から変えるとしたらなんだろうなと思って、試してみたらハマりました。
小林柊矢
──ボーナストラックとして収録されている「僕が君の前から消えた時」は、GeGさんが編曲を手がけられていて。この曲は16歳のときに作ったとのことでしたね。
はい。この曲を出してほしいという声をたくさんいただいていて。でも、16歳のときに作ったので、歌詞もつたなくて幼稚な部分があったり、メロディもこうしたほうがよかったなとか、いろいろ浮かんでしまって。ちょっと小っ恥ずかしい部分もあったので、正直に言うと、あまり歌いたくないなっていう気持ちもあったんですよ。だから、歌詞もメロディも丸々変えようかなとか。
──それはもう別の曲ですよ(笑)。
そうそう(笑)。でも、成長記録というか、僕がいつでも等身大の小林柊矢に戻れるという意味も込めて作るCDなので、ボーナストラックとして入れようと思って。でも、GeGさんにアレンジしていただいて、曲自体もそうだし、小林柊矢としても新たな魅力が詰まった素敵な曲に生まれ変わったなって思いました。いまは別に恥ずかしさもないですし、これを出せてよかったなと思ってますね。
──GeGさんが手がけられているのもあって、ビート感も今までとはまた違う感じですね。
そうですね。R&Bというかヒップホップというか。そういう部分は僕も手をつけたいと思っているし、これからそういう曲も書けたらいいなって思ってます。
──個人的には「私なりの」が好きでした。韻を踏んでいる部分がいいフックになってますよね。〈なんだろう〉と〈参加賞〉とか、〈現実逃避〉と〈旋律通り〉とか。
あとは〈タラレバ ベラベラ 並べた 疲れた〉とか。この曲は語呂をかなり大事にしてたんですけど、これよくできてますよね? 自分で言うのもなんですけど(笑)。
──よくできていると思いますよ。明るくて軽快なサウンドと、韻を踏んだ歌詞のユニークさはありつつ、歌っている内容はめちゃくちゃ熱いという。そのバランス感もいいなと思いました。
この曲は、キレートレモンさんのWEB CMのタイアップ曲として書いたんですけど、ショートムービーのシナリオをいただいたときに、主人公が女性だったので、歌詞もそうしていて。でも結局、日々の葛藤って女性も男性も変わらないというか。最初は「タラレバ」というタイトルだったんですけど、キレートレモンさんの「いいリフレッシュは、モチベーションまで上げる」というキャッチフレーズと合わないなと思って、そこはBメロに持っていって、明るく仕上げた感じでしたね。この曲も挑戦がたくさん詰まってます。特に歌詞はめちゃくちゃ悩みながら作りました。
──悩んでいるときってひたすら考え続けるんですか?
それこそ「いいリフレッシュは、モチベーションまで上げる」じゃないですけど(笑)、行き詰まったらドライブに行ったりとかしますよ。あとはお酒を飲んだりとか。酔っ払った状態だと、余計なことを考えずに、思ったことを素直に書けるんですよ。「プレイボール」とかも、正直酔っ払いながら泣きながら書いた曲で(笑)。だから、等身大の自分とか、素直な気持ち、心の底にある想いを綴るときにはすごくいいですね。
小林柊矢
──いい音源になりましたけども、6月には『小林柊矢 1st ワンマンツアー ~みんなに逢いにいきます~』が決定しています。今回は東名阪の3カ所で行われますが、どんなライブにしたいですか?
初ワンマンもそうだったんですけど、まだコロナになってからしかライブをやったことがなくて。だから、マスクを取って、みんなの顔がちゃんと見れて、声援もあって、アンコールも手拍子じゃなくて口でもらえたりしたら、もうどうなっちゃうんだろうかって思うぐらい、僕はいまのライブが全然楽しいんですよ。別に声がなくても、マスクをつけていても、心で通じ合えているから。これが本当のライブなんじゃないかなって思うぐらいで。
──ステージから客席を見ていて、伝わってるなというのはわかります?
わかります。目でわかるようになりましたね。あとは、それこそ身体を揺らしてくれたり、手拍子とか拍手の大きさだったり、感情の伝え方っていろいろあるんだなって、ライブを通して学べましたし。僕は天才でもなんでもなくて、一歩一歩しか進めない不器用な人間なんですけど。だからこそ、ステージの上にはいるけど、みなさんと同じ目線に立って、肩を組んで共に歩んでいけるような、ひとつになれる温かいライブにしたいですね。「みんなに逢いに行きます」というサブタイトルをつけさせてもらったんですけど、これも本当にそのままで。今回はまだ3カ所ですけど、その第一歩としてみなさんに逢いにいけることも、いまはコロナのこともあって、なかなか来られない方もいらっしゃるかもしれないですけど、こうやって逢いに行けることも嬉しいですし。初のワンマンツアーでもあるので、見届けていただけたらなと思います。
──「私なりの」には、大合唱している部分もありますし。
あそこをいつか大合唱したいなっていう夢がありますね。いまはみんなが心の中で歌ってくれているんだと噛み締めながら、感じ取りながらやろうと思ってます。
──ここからどんな活動をしていきたいですか?
それこそさっき言ったような、肩を組んで歩いていけるアーティストになりたいですし、コロナ禍って、心も身体も「ひとり」が強調されている世界だと思うんですよ。みんなどこかで孤独を強く感じていると思いますし、僕もそこは同じで。みんなともっとライブをしたいけど、ひとりで家で制作することしかできなくて。だから孤独を感じている者同士、ひとりじゃないんだよって言ってあげられるような、心の支えになれるようなアーティストになりたいなと思っています。
──小林さんとしては、肩を組むというのが大事なんでしょうね。その人と向き合うというよりは、横にいる感じ。
そうですね。それなら支えられるし、僕もみんなに支えてもらっているし。共に歩んでいけるようなアーティストになりたいなと思っています。

取材・文=山口 哲生 撮影=大橋 祐希
小林柊矢
「死ぬまで君を知ろう」

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