【インタビュー】MURO「80周年を迎えたブルーノートを切り口に彼らに改めて敬意を表したい」
レーベル60周年の1999年に本国アメリカで企画された『Diggin’ On Blue』(ピート・ロック、ロード・フィネス、ビズ・マーキーがそれぞれのキャラクターを活かしたミックスCDをリリース)から20年、あの傑作シリーズの続編がここ日本でブルーノート・レーベル80周年を機に2枚組で誕生した。我が国でセレクト&ミックスを担当したのはDJ KRUSHとMURO、つまりあのKRUSH POSSEの2人である。日本でジャズ・ラップの先鞭をつけた彼らがブルーノートの旗印のもと顔を合わせ直すというのだから、これはもう俄かには信じ難い、単なる続編と言うには憚られ得る一大事である。
そんなリリースされたばかりの『Diggin’ On Blue mixed by DJ KRUSH & MURO』、この熱いタイミングで、ブルーノートはブルーノートでも如何にものアプローチによって「ジャズ」とは異なるレーベルのもう一つのキャラクターを抉り出してくれたMURO氏に選曲のコンセプトやブルーノートに寄せる思いを語ってもらった。
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「ドナルド・バードの「(Fallin’ Like)Dominoes」の入っているアルバム『Places & Spaces』を石神井公園のココナッツ・ディスクでKRUSHに教えてもらって買ったのがブルーノートとの出会いと言ってもいいかもしれませんね」と、ブルーノートとの邂逅から語り始めてくれたMURO氏。
「丁度ステッサソニックの「Talkin’ All That Jazz」の“Dominoes Remix”のころだったと思います。KRUSHにはその前にCTI作品とかを銀座のHunterで教えてもらったりもしてたんですけど、大体その辺からですかね、ブルーノートはもとより、高いレコードとかにも手をだし始めたのは」
ヒップホップのサンプリングが出会いを促し、そのフィルターを通すことで独自のブルーノート観が育まれていく。そうしてMURO氏を特に魅了したのはスカイ・ハイ・プロダクションの存在だったという。
「ブルーノートのレコード買い始めてからクレジットも段々と気になるようになり始めて、その中で最も惹きつけられたのが“スカイ・ハイ・プロダクション”のクレジットだったんですよね。彼らのサウンドって言ってみれば、ジャズではないじゃないですか? ほとんどソウルだったり、ヴォーカル作品も多いし。だから、彼らのクレジットはブルーノートっていうと、ちょっと敷居の高い感じを、ものすごくパラレルにしてくれたというか、垣根を取り払ってくれたんです。あと、同様にBNLAシリーズ(編注:レーベルがニューヨークからL.A.に拠点を移した70年代のタイトル)との出会いも影響大でしたね。そのロゴもクレジットと同等にレコードを掘る際の手掛かりになった感じです。なので、ブルーノート全体が持っている一般的なイメージからは離れて、自分好みの曲が実は多く眠っているレーベルだ、というイメージを抱き直した感じはしますね」
スカイ・ハイ・プロダクション、つまりマイゼル・ブラザース(ニュージャージー出身のラリー&フォンスのマイゼル兄弟。テイスト・オブ・ハニーや、LTDなど、ソウルやファンク・アーティストも数多くプロデュースし、ランスはジャクソン5に「I Want You Back」を筆頭に初期の一連の代表曲を提供したモータウンのプロデューサー・チーム、「The Corporation」を実質的なキャリアのスタートとしている)がブルーノートに残したプロダクション・ワークは少なくない。そんなMURO氏の初期衝動よろしく、彼のサイドはまさにブルーノートに残されたスカイ・ハイ・プロダクションのベスト・ミックスの体、となっているのだ。
「彼らのまるで炭酸飲料水のようなスカッと抜けたあの音作りがとかく最高なんです。だから、ルーベン・ウィルソン「What’s Goin’ On」(マーヴィン・ゲイ)や、ロニー・ロウズ「Always There」(サイド・エフェクト)のようなカバーも多く収録したんですけど、そのカバーのタッチも、いかにもマイゼル・ブラザースらしくて。実は2008年にもスカイ・ハイに焦点をあてて彼らの曲をサンプリングしたヒップホップ曲も含めたミックスCD『SKY HIGH! MIZELL BROS. WORKS』という作品もリリースしているんですけど、それも10年以上前の話ですし、80周年を迎えたブルーノートを切り口に彼らに改めて敬意を表したいという、という思いはありました」
そうしてマイゼル・ブラザース絡みの曲をセレクトするのにMURO氏は何を思い描いていたのだろう。
「SAVAGE時代の買い付けのときを思い出しながら、ニューヨーク行きの飛行機に乗っているときのイメージを思い描きましたね。なので、必然的に1曲目はボビー・ハンフリーの「New York Times」で始まります」
一方のDJ KRUSH氏サイドはヒップホップ的文脈で考え得る黄金のブルーノート・セレクションになっているが、MURO氏はブルーノートにまつわるDJ KRUSH氏とのこんな思い出も語ってくれている。
「DJ KRUSHとはDream Warriors(ジャズ・ラップの先鋒のような存在だったユニット)が来日したときに、そのころがヒップホップ+ジャズの第一次ブームで、DJ KRUSHの作るビートがジャズを引用したものが多かったことも手伝って、渋谷WAVEと新宿VirginのインストアではKRUSH POSSEとして彼らの前座を務めたことがあったんですよね。で、Dream Warriorsのときはまだフロント・アクトだったGangstarのGURUのJAZZMATAZZがヒップホップ+ジャズの決定打になって。余談なんですけど、JAZZMATAZZと言えば、GURUのインタユビューを取りに、渋谷のホテルに(Microphone Pagerとして)TWIGYと行ったときに、狭いエレベーターで“ちょっと待って”といって駆け込んできたのが(JAZZMATAZZでGURUと一緒に来日していた)ドナルド・バードだったなんて信じられないような出来事もありましたね」
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最後はボーナス・トラック的な話になったが、このような話をひとつとってみても、ヒップホップのフィルターを通じてブルーノートの再評価が始まったその瞬間から彼がその時代的な波動の中であらゆる側面からブルーノートを愛おしんだ痕跡がハッキリと見て取れる。ブルーノート80周年に日本からDiggin’ On Blueがこのキャストで生まれた理由もここにある。
取材・文:JAM