ブルース・スプリングスのエネルギッ
シュなロックンローラーのイメージを
決定付けたティーンの大ヒットアルバ
ム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』
00年代後半、意外なところから再評価の声が上がったブルース・スプリングスティーン。多くのパンクロッカーを魅了した理由と彼の代表作中の代表作である『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の聴きどころを考える。
その中で最も大きな成功を収めたバンドがニュー・ジャージーのハードコア・パンクシーンから現れたガスライト・アンセムだった。地元のインディレーベルからキャリアをスタートさせた彼らは、精力的に活動を続けるうちに地方都市の青春を歌った作風が新しい時代のワーキング・クラス・ヒーローと謳われるようになり、12年にメジャーレーベルからリリースした4作目のアルバム『Handwritten』が全米3位の大ヒットを記録。彼らは音楽性の成熟とともにパンクシーンに止まらない人気を確かなものにしたのだった。
クラッシュがバッキングを務めたブルース・スプリングスティーン…そんなふうに例えられた、そのガスライト・アンセムをはじめ、主に地方都市の閉塞や、そこで暮らしている普通の人々の決して明るいとは言えない人生を歌うフォークパンク/ブルーカラーパンクのバンド達が口を揃え、影響を受けたと語るのがブルース・スプリングスティーンだった。
彼らはみな言うのである。スプリングスティーンのストーリーテリングに影響を受けた、と。スプリングスティーンがいかに影響力を持ったストーリーテラーであるかは、『ネブラスカ』(82年)に収録されている「ハイウェイ・パトロールマン」を原作に、ショーン・ペンが『インディアン・ランナー』という映画を作ったというエピソードが物語っているが、パンク・ロッカーたちが惹かれたのは、スプリングスティーンが一貫して歌い続けてきたアメリカの厳しい現実と、それに翻弄される普通の(いや、場合によっては普通以下の)人々の人生ももちろん、それを描き出す冷徹とも言える語り口だったに違いない。起こったことだけを淡々と描写する方法は、スタインベックやヘミングウェイといったアメリカの(本当の意味での)ハードボイルド作家を思わせるものだが、感情表現を徹底的に排することによって、物語に含みを持たせるストーリーテリングは逆に聴き手のイマジネーションを大いに刺激するものだった。
『地獄の逃避行』という映画の元ネタになった、いわゆるスタークウェザー・フューゲート事件を題材にした「ネブラスカ」で始まる、ほぼ弾き語りの問題作『ネブラスカ』ほどではないとは言え、歌の内容は80年代を代表するメガヒット作には似つかわしくない。後から歌詞の内容を知り、驚いたリスナーも少なかったという。その中で唯一の救いは、決して降伏しないと歌う軽快なロックンロールナンバーの「ノー・サレンダー」。そういう内容にもかかわらず、大ヒットになったのは、当時のスプリングスティーンにそれだけパワーがあったからなのか、世の中が能天気だったからなのか。
シンセを使ったきらびやかなサウンドは、日本のロックシーンにも大きな影響を与えたと思うが、『明日なき暴走』(75年)や『ザ・リヴァー』(80年)をフェイバリットに挙げる昔からのファンからは不評だったそうだ。その後、オリジナルヴァージョンが発表され、本来は切迫したムードのロックンロールナンバーだったことが判明した「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を、拳を振り上げながらシンガロングするようなアンセムにアレンジしたことを、スプリングスティーン本人も後悔したという。そして何よりも、より多くのリスナーに知られるきっかけになったこのアルバムの大成功がことさらに印象付けたマッチョなロックンローラーというイメージが何よりもその後、本人を苦しめた。
著者:山口智男