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柴田英里寄稿 フェミニズムにとって
性行為や性表現は忌むべき存在なのか

性的な「行動」や「表現物」に対しての多様な主張 現在、「フェミニズム」の一般的なイメージは、東京都若年女性等支援事業における杜撰な会計問題で話題の一般社団法人・Colabo代表の仁藤夢乃氏や、国際女性デーに新宿歌舞伎町トー横前という風俗勤務の女性が多そうな地域にわざわざ出向いて、「性的同意はお金で買えない」というプラカードを掲げるフラワーデモのような、性的に見えうる表現を嫌い、売買春に積極的に反対するものかもしれない。
 今回は、フェミニズムが性的な行為や表現をどのようなものとして扱ってきたかを、第一波から第四波までの時間軸に沿って紹介する。これらの問題を理解する補助線として、「性行為または性的と解釈可能な行動とその結果」と「性行為または性的と解釈可能な記録・表現物」とに切り分けることで(以下「行動/表現物」)、フェミニズムにおける「性」の問題を整理する。なお、前提として、性的な「行動」と「表現物」では、フェミニストたちが関心を持ち始める時期が異なる。性行動は人類の起源とともにあるが、性の表現物、とりわけ多くの人がアクセス可能なポルノなどの作品は、メディアの発展状況に依存し生産・消費されるからだ。
 こちらの記事にて、フェミニズムは現在進行形で多様な立場、主義主張が展開されていると紹介したが、性的な「行動」や「表現物」に対しても同様だ。時代的区分以上に、「ラディカル」「リベラル」など流派の差異や、セクシュアリティ、宗教的背景の有無、性暴力被害や性産業にまつわる経験や立場の差異、「女性」という属性を持った集団をどのように捉え、快楽や主体性をどう位置づけるかなどの価値観の相違が大きく、歴史を通して絶えず内部対立や論争を起こしている。
 性にまつわる法や道徳、規範や価値観は、時代や国、文化による差異が大きく、セックスの年平均回数や性犯罪の認知件数など、実際の性行動も国別の偏差が大きいため、今回は日本と日本に強い影響を与えた事例を中心に扱う。

第一波~第四波の論争の変遷 以下、第一波から現在までの大まかな流れと、現在のフェミニズムが抱える問題を提示していく。

〈第一波における性的「行動/表現物」の論争〉
 第一波フェミニズムの時期(1860年代~1920年代)は、テレビ放送開始以前であり(ラジオ放送開始は1925年)、即時的に情報を伝達するマス・メディアの環境は存在しなかった。そのため、性的「表現物」に関する大きな論争はない。
 第一波の日本のフェミニストが関心を持った性的「行動」は、主に「堕胎罪」、「母性保護論争」、「廃娼運動」、そして「売春防止法」だ。
 母性保護論争とは、1918~19年にかけて、国家による妊娠・出産・育児期の女性保護と母性礼賛によって女性の社会的地位を向上させるべきだと主張した平塚らいてうと、女性個人の経済的自立が必要であると主張した与謝野晶子が中心となり繰り広げられた論争である。
 廃娼運動は、矯風会・救世軍などキリスト教団体によって1900年頃から行われた。キリスト教精神と女性の人権擁護の観点から公娼制度の廃止を求めた運動であり、結果56年に売春防止法が制定された。売春防止法は、「売春を行うおそれのある婦女」を補導、保護更正することで売春を防止する法律であり、性産業従事者への蔑視が通底している。ちなみに、制定から60年以上が経過し時代遅れとなった売春防止法を下敷きとして2022年に新たに定められたのが、現在Colabo問題で渦中の困難女性支援法である。
 堕胎罪は1907年に規定されたが、敗戦後すぐ制定された優生保護法(母体保護法)が条件付き中絶を認めているため、日本では中絶の是非が大きな政治・社会問題となることは少ない。しかし、堕胎罪は現在も刑法として存在しており、様々な立場のフェミニストが反対している。

〈第二波における性的「行動/表現物」の論争〉
 第二波のフェミニストたちが関心を持った性的「行動」には、「ウーマン・リブ」、「ピルの販売自由化要求運動」などがある。
 田中美津は、男にとって女は母(母性)か便所(性欲処理機)か二分される存在としてあるとし、男が求める「女」のイメージから自己を解放することを「便所からの解放」というマニフェストにしてビラを撒き、1970年代にウーマン・リブ運動を牽引した。
 中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)は、70年代前半当時はピンク色のヘルメットにサングラスでDV夫や不倫男の職場に押し掛ける派手なパフォーマンスばかりが注目されていたものの、「性と生殖に関する権利」を女性の基本的人権として主張した。これは、「中絶は子殺しであり、中絶する女は殺人者である」として優生保護法の改正反対運動を行ったウーマン・リブ主流派の田中などとは異なる立場だった。
 第二波の性的「表現物」に対する取り組みで重要なのは、行動する女たちの会による広告批判キャンペーンだ。75年「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」として発足したこの会は、「マスコミに対する行動」の一環として、同75年、インスタント食品のテレビCM内のセリフ、「私作る人、僕食べる人」に対して「性別役割分担の固定化につながる」と抗議を行う。以後、96年まで広告やポルノの女性表現批判を継続的に行った。
 一連の広告批判キャンペーンを実質的に指揮した吉武輝子は、日本初の女性宣伝プロデューサーであり、戦後すぐにアメリカ兵から集団レイプ被害を受けた性暴力サバイバーでもあった。吉武は、国連の世界行動計画で主張された、性別役割分業の意識の刷り込みを行うメディアの体質を変えるという議題に賛同し、「象徴的な戦い」として、様々な抗議活動を行い、抗議のメディア報道とともに社会通念を変革することを目指した。 彼女のメディア観は、40年代あたりまでのマスコミ研究で主張された「弾丸モデル」や70年代になって登場した「強力効果モデル」に近く、大衆をメディアに操作されるだけの受動的で脆弱な存在と位置づけ、メディアは受け手に強力な効果を及ぼすものであるとした。こうした考え方は、現在のフェミニズムによる性的「表現物」批判にも引き継がれている。
〈第三波における性的「行動/表現物」の論争〉
 第三波のフェミニストたちが関心を持った性的「行動」には、「ミスコンテストへの抗議活動」などがある。ミスコン抗議はアメリカでは第二波フェミニズムを象徴する出来事であるが、日本では1980年代後半の第三波の時期に積極的に行われた。批判の骨子は、男性と女性に異なる期待をかけ、女性を劣位に位置づけることで男性を基準・標準とする性の二重基準に加えて、男性により「性的対象としての女性」の序列化が行われることを問題視するものであった。第二波までのフェミニストには、自らを「女性」と呼ばれる集団の一員であり利害を有していると認識し、社会での女性の不平等な地位を変革するための集団行動を支持する傾向が強い。
 第三波以降、性的「行動」と「表現物」の問題は、より密接するようになる。それを象徴するのが80年代のアメリカで起きた「セックス・ウォーズ」と呼ばれる論争である。この論争では、ポルノという性的「表現物」の禁止と、セクシャル・ハラスメントやDVという性的「行動」の禁止が同一の人物によって主張され、女性の実存と表象の問題が混在する一因となった。
 セックス・ウォーズは、「ポルノを法的に禁止するか否か」をめぐり、キャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンを中心とする反ポルノ運動のフェミニストと、「セックスポジティブ」と呼ばれる反ポルノ運動を批判するフェミニストが、女性の保護と安全/快楽と主体性をめぐり行った論争である。
 反ポルノ運動の中心人物マッキノンの女性観は、女性は男性に対して従属的で、性的欲望や主体性を持たないというものだった。ドウォーキンとともに「ポルノは実質的に、女性が知っているありとあらゆる形態の搾取と差別の根源である」「殺人のエロス化がポルノの本質である」など、扇情的にポルノの悪徳を訴える一方で、ポルノを「わいせつ」の問題から「公民権」、女性の人権侵害の問題にスライドさせ、ミネアポリス市やインディアナポリス市で反ポルノ条例の制定・施行を目指した。
 対して、セックスポジティブのフェミニストたちは、女性の快楽と主体性を論じた。表現の自由と法の禁止機能に関心を寄せ、反ポルノフェミニストたちの「白人・異性愛・生物学的女性」中心主義を批判。ポルノを法で禁止するのではなく、女優の労働条件改善や、女性消費者のためのポルノ制作など、制作/消費の両方で女性を支援することが望ましいと主張した。
 だが、法倫理の実務家であり実質的な問題を扱うことに長けていたマッキノンに対し、セックスポジティブのフェミニストは、活動家や学者、作家など、法的枠組みへの影響力が少なかった。加えて、マッキノンのセクシュアル・ハラスメントの訴えは司法に認められ、非対称な権力関係や支配に基づく性的被害の説明が法制化、国際的にも影響力を強めた。
 第三波以降、性的「表現物」を肯定するか否定するかは、フェミニズムに内在する差異のバリエーションのひとつと認識されるようになる。

〈第四波における性的「行動/表現物」の論争〉
 第四波のフェミニストたちが関心を持つ性的「行動」は、SNSのハッシュタグ機能を用いて性被害やハラスメントの被害当事者が加害者を告発する「#MeToo」運動である。#MeTooは、被害者自身による傷つけられたアイデンティティの修復、再価値付けである反面、司法のプロセスを無視した法廷の外での正義であり、暴走しやすい。
 第四波においても、そもそも正確に測定することなど不可能なマス・メディアの「効果」だけに注目し、「表現物」の影響を過大視する傾向は続いており、「(ステレオタイプな)性役割」と「容姿・性的メッセージ」を問題視する。批判者の視点は、行動する女たちの会の時代とほとんど変わらない。
 スマートフォンの普及でメディアへのアクセス性がいっそう高まる中、加速度的に増えたフェミニストによる性的「表現物」への批判と「炎上」は、とりわけ広告の領域で行われている。広告は有料の媒体を用い、様々な場所や空間の一部を買い取る宣伝手段であり、「強制視認性」を持つものとされている。主に商品や興行物などの周知や購買を目的とするため、他の表現に比べ、消費者からのクレームに対し脆弱になりやすい。つまり、広告は「炎上」させやすいのだ。
 現在、広告に関しては、国際的に「ステレオタイプ表現の自主規制」を訴える動きが強まっている。2017年には、国連女性機関UN Womenが世界最大規模の広告フェスティバルにおいて、賛同企業とともに、メディアや広告の力を使ってステレオタイプを是正するための団体「アンステレオタイプアライアンス」を発足させた。性的「表現物」批判を行う日本のフェミニストの一部もこの流れに賛同する。
目立たない性産業への肯定論 フェミニズムにとって問題となる性的「行動」は、第一に女性自身の健康と生活に関するものであった。妊娠・出産を国家的に保護することで社会的価値を高めるか、社会進出のボトルネックと考えるかという問題は、現代でも女性の社会進出と少子化という形に変わり続いている。中絶や避妊は、女性自身の健康と選択の問題を超え、フェミニズム内部からも「優生思想」と批判されることがあった。
 売春防止法制定の背景にはキリスト教的性道徳や性産業従事者への蔑視があり、この問題もまた、困難女性支援法やAV新法などをめぐり現代まで続いている。売春を含む性産業の是非に関して、とりわけ第三波以降は、性産業を「労働」として捉え、労働環境改善や合法化を求めるフェミニストもいる。
 法倫理の実務家であるキャサリン・マッキノンの提唱したセクシャル・ハラスメントやDV被害防止の法倫理が日本においても法や条例の立案・制定に影響を与えたことに対して、セックスポジティブフェミニストの言論の影響力は少ない。
 フェミニズムにとって問題となる性的「表現物」は、マス・メディアの発展とともに出現した。第二波以降、一貫して「(ステレオタイプな)性役割」と「容姿・性的メッセージ」が問題視されている。国連女性機関UN Womenといった国際的な組織が表現物による影響を過大視し、社会正義と経済活動の統合を重視する一方で、メディアの媒介性、様々な状況下の主体によるテクストの消費プロセスに着目する1980年代以降のメディア研究の視点は少ない。
 AVは、制作過程において性行為などの性的「行動」を伴うが、流通・販売される過程で性的「表現物」となる。制作段階で強要などの被害が発生した場合、賠償や販売・流通停止を求めることは正当な権利であるが、強要もなく、自らその仕事を選んだ女優の作品まで「女性の人権侵害」として扱うのは、実在する女優の自己決定より、恣意的に一元化された「女性」という集団の価値観を優先することである。
 女性消費者のためのポルノ制作などを求めるフェミニストもいるが、法による「禁止」の効果を問題視する傾向も強く、法制化を目指す活動が少ないため、「禁止」を求める言論より目立ちにくいのである。

文/柴田英里初出:実話BUNKA超タブー2023年5月号PROFILE:
柴田英里(しばた・えり)
1984年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻領域修士課程修了。現代美術家(彫刻中心)・文筆家。著書に『欲望会議「超」ポリコレ宣言』(千葉雅也、二村ヒトシとの共著。角川書店刊)。
Twitter @erishibata

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