氷川竜介(左)と映画祭プログラムディレクターの数土直志氏

氷川竜介(左)と映画祭プログラムディレクターの数土直志氏

「AKIRA」その映像と作画の魅力、大
友克洋が多方面に与えた影響を氷川竜
介が語る

氷川竜介(左)と映画祭プログラムディレクターの数土直志氏 新潟市で開催中の「第1回新潟国際アニメーション映画祭」で3月18日、大友克洋作品を一挙上映するレトロスペクティブ部門のトークイベント「『AKIRA』その映像と作画の魅力」があり、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏が、映画祭プログラムディレクターの数土直志氏を聞き手に、大友氏が自身の漫画を自ら監督しアニメーション映画化した「AKIRA」について語った。
 3月10日に発売された著書「日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析」(KADOKAWA)で、日本のアニメ史をヒット作8本から紹介している氷川氏は、1988年に公開された映画「AKIRA」を「昭和最後の大作」と位置付ける。「『AKIRA』の特徴は、コアのファンから漫画のほうが良いの(作品なの)では?という話が出ることもあり、僕も公開当時は、大友さんは監督として何をやったのか分からなかった。アニメーションとしてどう作られて、なぜ頂点なのか?と思った。漫画家自ら監督することを知りたかった」と、2002年刊行の映画「AKIRA」の公式資料集「AKIRA ANIMATION ARCHIVES アキラ・アーカイヴ」を手掛けた理由を語った。
 氷川氏は、数々の取材の過程で、大友氏がキャラクターデザインを務めたりんたろう監督作「幻魔大戦」の後、りんたろう監督に「大友さんアニメ作っちゃいな」と言われ、謙虚に「作っていいんですか?」と答えたというエピソードがあると明かす。その後、オムニバス作「迷宮物語」の一編「工場中止命令」で大友氏はアニメーション監督デビューした。
 漫画とアニメの原画は描き方が異なるものだが、「大友さんは原画を描いていたのか?」との問いに、「(アニメーターの)井上俊之さんの証言ですが、描いていたそうです。『工事中止命令』でねじを吐き出すシーンが大友さんの初原画。アニメーション技術ではない描き方だったけど、アニメーションは観察だから、大友さんは最初から描けたんです。天才ってそうみたい」と話す。
 「大友さんの仕事は宮崎駿監督の仕事とほとんど一緒。絵コンテも物語もレイアウト(空間設計図)もラフも自分で描く。キャラクターのルックだとか、どのくらい描くのかコントロールしている」といい、大友監督のアニメーションのキャラクターの話題に。「それまでの日本のアニメーはディズニー系か劇画系に分けられていた」とそれぞれの特徴を挙げ、「大友さんのキャラクターは、日本人をそのまま描く。そして“緻密と正確”。洋服の材質もわかるように、肉体も解剖学的に。科学的根拠のあるリアリズムで統一されている。例えばビルが壊れると、鉄筋コンクリートはコンクリートの壊れ方をする」と説明。
 「80年代と90年代のアニメの違いは、“クオリティ&リアリティ”。情報量、書き込み、動き方も正確になる。当時の20代後半だったアニメーターが、大友さんのリアリズムに触れて学んだ。そしてそのエッセンスが(押井守監督「攻殻機動隊」などで知られる)Production I.Gに移行していった」と、漫画で革命を起こした大友氏がアニメーションで成し遂げた偉業を解説した。
 さらに「アニメにおける、クオリティとは作画のきれいさではなく、目が離せなくなる絵の重さのこと。重さというのは、真っ白な背景なのか、リアルでごちゃごちゃしたものが描かれているか。人間がその世界を信じられるかという求心力。作品世界への埋没度、コントロールされた情報によって、お客さんの期待感をどこに誘導するか、それがクオリティコントロール」と語る。
 そのほか、アニメーション制作会社同士の横のつながりや、80年代に日本の制作会社が海外の下請けの仕事をしたことも「AKIRA」が国際的に注目されるきっかけとなったこと、「AKIRA ANIMATION ARCHIVES アキラ・アーカイヴ」では、大友氏が描いたレイアウトを数多く掲載しているが、とりわけ金田がバイクでスライドして止まるシーンは、数々の映像作品でオマージュされており、昨年のハリウッド実写の話題作「NOPE ノープ」でも使われたことなど、映画「AKIRA」が現在まで多方面に与え続ける大きな影響について話題は尽きなかった。
 映画祭は22日まで開催。映画上映のほか、アニメーションに関するアカデミックプログラム、親子で楽しめるパラパラ漫画ワークショップ、痛車の展示やアニソンライブなど各種イベントも開催される。チケット販売を始めとした映画祭の情報で告知している。

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