[ kei ] ×武瑠 “ヴィジュアル系”
という言葉に翻弄された両雄が初対談
、いまだから話せること、惹かれ合う
理由

2022年末、各々のライブにフィーチャーリングゲストとして招き、立て続けにステージで共演を果たした[ kei ] と武瑠。だが2人が対談を行なうのは今回が初めて。武瑠の「感傷終末世界 feat.圭」(2021年9月発売/当時はsleepyhead名義)を[ kei ] が楽曲プロデュースする以前から交流があったというこの2人。対談を進めていくと、ヴィジュアル系にカウンターカルチャーを打ち込んできた姿勢、様々な要素をミックスしてクリエイターとして常に新しい自己表現に挑戦していく姿勢など、面白いほど似ているところがあって、対談は大盛り上がり。また昨年、圭から[ kei ] へ、sleepyheadから武瑠へ、それぞれアーティストネームを改名した理由も含め、ここでしか読めない、いまだからこそ話せる2人の赤裸々なトークをどうぞ。
――まず、お二人が出会った経緯から教えてもらえますか?
[ kei ]:俺が最初のソロをやった頃(2008年)かな? 友達のバンドマン、当時はTHE KIDDIEのボーカルをやってた揺紗に“SuGってバンド知ってる? 絶対観て欲しい。あのボーカルは絶対売れるからって”って言われて。
武瑠:えーっ! そんなプレゼンが? 初めて聞きました。
[ kei ]:そうそう。昔のbaroqueと当時のMIYAVI君をちょっとずつフュージョンさせた感じだっていうから、家で調べてみたら、俺たちと似てるとは思わなかったけど、結成当時の俺らの原宿系ファッションをさらにアップデートさせたような匂いみたいなのは感じたから、1回話してみたいなとは思ってた。
武瑠:実際影響は受けてると思うんです。俺はヴィジュアル系自体は『KERA』というファッション誌から知ったんですけど。baroqueは「MUSIC-ON! TV」で見た「ila.」(2004年4月発売)のMVで知りました。それを見て“これまでのヴィジュアル系のイメージとは違うぞ。ミクスチャーもありなんだ”と思ったんですね。それで、俺これはよく言うんですけど、“baroqueに騙された”って(笑)。こっちのジャンルはミクスチャー全然ウケなかったので。SuGの初期の頃“騙された”ってすごく思いました。
[ kei ]:あははっ。
武瑠:でも、知るタイミングが遅かったのはよかったなと思ってます。14、15歳の頃から知ってたら、もっともっと影響されて真似するだけになってたと思うので。早く摂取しすぎなかったことで、違う音楽やカルチャーがちょっとづつ混ざっていったと思うので。
好きな音楽の話題をヴィジュアル系のなかで友達感覚で話せる人はいなかったから、すぐに仲良くなって。お互い“ヴィジュアル系”という言葉に翻弄されて苦しんだよね?([ kei ])
――実際に会ったのは?
武瑠:LM.CのAijiさんの誕生日会ですね。
[ kei ]:俺は“お、おぉ!”って。
武瑠:[ kei ] 君は雑誌やMVに出てるまんまの人でした。あと、その場にいた先輩方に“怖いから気をつけなよ”とは言われましたけど。
[ kei ]:その場で(笑)。
武瑠:とんでもない噂は前から聞いてたので(笑)。
[ kei ]:でも、そこからいろいろ話すようになって。武瑠は後輩なんだけど、普通に“圭君”って呼ぶ。そう呼んでくれるのは武瑠ぐらいしかいなくて。それで、出会ってすぐぐらいに武瑠の家に遊びに行って。俺も武瑠と同じように「ila.」を出した前後からいろんなカルチャーに興味を持ちだしてて。ちょっとだけ武瑠とは年は違うけど、以前のバンドマンと比べてミクスチャーな世代だと思うんですね。俺は中学生のときにDragon Ashキングギドラなんかのジャパニーズヒップホップがカルチャーとして出てきた世代で。
武瑠:たしかに。
[ kei ]:武瑠は俺の弟と同じぐらいの世代だから。
武瑠:一緒に遊んだこともあるんですけど。弟は弟で違う意味でヤバいんです(笑)。
[ kei ]:ははっ。でも、好きな映画やクラブミュージックの話とか。しゃべってたら感覚が違いなと思ってたんですよ。ヴィジュアル系のなかでそういうことを友達感覚で話せる人はいなかったから、すぐに仲良くなりました。だから、お互い“ヴィジュアル系”という言葉に翻弄されて苦しんだよね?
武瑠:はい。めっちゃ分かります。ヴィジュアル系という言葉の背景にあるものにSuGも武瑠としてもすっごい恩恵も受けた。受けたんだけど、途中からものすごい呪縛になったなというのが正直なところで。[ kei ] 君はそれの一番先頭にいた先輩だなというのは超感じる。地元から出たい、でもその地元を無かったことにしたいんじゃなくて、その地元にいますっていうだけで音楽を聴いてくれない人がこんなにいるんだ、というのを最前線で感じた先輩なんだろうなというのが予測できる活動だったので。そこは自分としてはかなり共感するところがありました。
[ kei ]:だから、俺らって、変な言い方だけどあまりバンドマンっぽくないんだよ。感覚が。クリエイターでもあるしアーティストでもあるという感じだから。
――そこが似ている部分?
[ kei ]:だと思います。そこはすごく近いんだけれども、全然違うところもあって。例えば同じアートを作るとしたら、たぶん武瑠はそのアートの行先。どう届くか、届け方、届いた後のことが一番気になる。
武瑠:はい、はい、はい。
[ kei ]:俺の場合はそのアートの本質。どういう風に生まれ出たのか、なぜ生まれてきたのか、という哲学的なことが気になるタイプ。そこが決定的に違うなと思う。根源なのか、その先なのか。得意なところが違う。
武瑠:たしかに! 自分はメジャーとアングラの間に絶対いようっていうのがまずあるんですよ。置いてけぼりにしないために。だから、自分は根元をそのまま出すことはしないです。
[ kei ]:そうやってバランスをとろうとするでしょ?
武瑠:そうですね。根元にいろいろプラスして。それを、読解しやすいように届けようとしますね。
[ kei ]:すごいクリエイターだけど、プロモーターでもあるんだと思う。
武瑠:ああー、そうかもしれない。
[ kei ]:俺の場合、本質が音楽家だから、それを正しく出すことにプライオリティーがあるんだよ。
“何をやりたいのか分からない”って周りから言われるたびに、外側から全て理解できる訳ないじゃんって思ってました。やってることが全部予想内のアーティストなんて、つまらないじゃないですか。(武瑠)
――一方、武瑠さんは。
武瑠:俺は常にそこは考えますね。だから、SuG時代は自分の本質よりもポップにというのを自覚的にやってました。
[ kei ]:バンドのあと、sleepyheadで1人になったじゃん? そのときも、そういう感覚ってあったの?
武瑠:ちょっとはありました。特に最初の1年はファンを悲しませたくないというのがかなり音楽に入ってたから。
――[ kei ] さんがBAROQUEが活動休止して1人になったときは?
(※2014年以降「BAROQUE」表記に。それ以前は「baroque」)
[ kei ]:一緒一緒。だからその気持ちはよく分かる。さっき武瑠が「ila.」でbaroqueに騙されたって言ったけど。当時のbaroqueにしてみれば、あれは転換期の作品で。メンバーとか俺自身やりたいことではあったけど、あれでファンはめっちゃ離れたし、悲しませた。置いてけぼりにしちゃったから。
武瑠:ああ~。
[ kei ]:そこから自分が表現したいものとファンが求めてくれるものが噛み合わない時期が10年ぐらい続いたかな。武瑠は武瑠で、15年やってるといろいろあったと思うけど。
武瑠:“何をやりたいのか分からない”って、周りから[ kei ] 君も死ぬほど言われてきたと思うんですよ。そのたびに自分としては“そんなこと、外側から全て理解できる訳ないじゃん”って思ってました。だって、やってることが“全部予想内のアーティスト”なんて、めちゃくちゃつまらない存在じゃないですか。
[ kei ]:そうだね。
武瑠:そこが噛み合ってきたからこそ、いまは言われなくなったのかもしれないけど。
――噛み合ってきたのはいつ頃からですか?
武瑠:sleepyheadの2年目ぐらい。1年目はかなり遠慮してた。音源を聴き直して思いました。バンド時代のお客さんを悲しませないように、あまり変化しすぎないようにって。悪い言い方をすると媚びてた。
[ kei ]:でもさ、結局終わってしまった過去に価値はないから。今日の俺がいま何をしたいかが一番の価値で。それに挑戦し続けることこそがそのアーティストの特徴だと思う。それを、俺は武瑠にも感じる。いろんな時期があるのは分かるよ。俺もそうだったから。メジャーのメーカーと組んで大きなプロジェクトを進めていってた時期は、必ずしも自分がやりたいことを100%やってた訳ではなかった。だから、なにがやりたいのか分からない、どうなるか分からないっていうのは、いいことなんだよ。
武瑠:そうか。
[ kei ]:ちょっと話が飛んじゃうんだけどさ。SuGのライブを観たときに感じたのは、さっきまでのクリエイターとしての話とは相反するかもしれないんだけど。パンクス魂みたいなのを感じたんだよね。
武瑠:ラインで“パンクバンドだったわ”っていう感想もらったの、超憶えてます(笑顔)。
[ kei ]:武瑠のMCとか存在がそうで。そこも共鳴したところ。そこは、一緒にステージに立ってても感じたかな。クリエイティブな面では細かく作っていくタイプなんだろうけど、反骨精神なのかどうか分からないけど、根本にはそういうパンクス精神を感じる。さっきのヴィジュアル系の話じゃないけど、いろいろミクスチャーして人と違うことをやるのもパンクス精神だし。俺が歌のないアンビエントのようなアルバムを作るのもある意味パンクな行為だし。そういうところも共通してるかもしれないね。
武瑠:そうかも。[ kei ] 君が観に来てくれたのはSuG活休前の公演だったんだけど。バンドとしては復活できるかどうかも分からなかったので、これで終わりかもという時期だったから、よけいパンクだったのかもしれない。
[ kei ]:そういう意味では、baroqueもkannivalismもSuGもそうだけど、デビューしてね、大人とかいろんな人が関わってくるじゃん? ヴィジュアル系だけじゃなく、周りの大人たちにも翻弄されたよね? そこも似てるんじゃない?
武瑠:んははっ。そうです! されたと思います。挑戦すればするほど翻弄されて。
[ kei ]:こっちは普通にバンドやりたいだけなのに、それをやるのはなんて難しいんだろうって。
武瑠:でも、そうじゃないと俺は続いてなかっただろうなって思います。
[ kei ]:苦難がないと?
武瑠:そうそう。去年俺は15周年で、振り返ることがたくさんあったからそう思いました。
[ kei ]:大人になったね。出会った頃から常に環境の変化や取り巻くなにか、いろんなことに悩んでるイメージだったから。
武瑠:許せないことだらけだったから。許せないことってどんどん更新していくから、コロナ禍は本当に酷かった。そこはバンド時代との一番の違いだと思うんですけど。前はいろんな人が守ってくれて、トラブルを知らせないでいてくれたこともたくさんあったと思うんですけど。自分でやりだすと100%すべて自分にくるんですよ。世の中には当たり屋みたいな人もたくさんいるし、道理とか無視してる人もいっぱいいる。約束破る人とか、お金返さずに逃げる人とか余裕でいるし。知れば知るほど闇を見るんですけど。そういう悪い人たちを見すぎたのもあって、大人になったのかな。
>>次のページは、武瑠から[ kei ] への楽曲プロデュース依頼について、それぞれの改名の理由について訊いています。
――そんな闇を見ていた時期、武瑠さんは[ kei ] さんに楽曲プロデュースを依頼して、アルバム『センチメンタルワールズエンド』収録曲「感傷終末世界(feat.圭)」を作成。どうしてプロデュースを依頼したのですか?
武瑠:特別な理由はなくて。この曲は自然と[ kei ] 君だなと感じたのでお願いしただけです。すごい雑なデモとメロディーを渡して。打ち込みとかも他のアレンジャーを入れずに全部お願いしたんですよ。ちょうど。
[ kei ]:コロナ禍になってすぐぐらいだよね?
武瑠:そうです。まだ世界がどうなるのか分からない空気感に包まれてた時期でした。
――武瑠さんからオーダーしたことはなにかあったのですか?
武瑠:“ガラスが降ってくる”とか、曲を作るときに頭に浮かんでた映像は伝えたと思います。
[ kei ]:タイトルも付いてたよね?
武瑠:あった気がします。
[ kei ]:いまさらだけど、あれってパーソナルな曲なの?
武瑠:歌詞をのせるときはパーソナルだった気がします。いつもパーソナルなことは書かないんですけど、あのアルバム『センチメンタルワールズエンド』だけすごくパーソナル。アルバムタイトルを漢字にしたのが「感傷終末世界」で、歌詞は[ kei ] 君からトラックが上がってきてから書き始めました。最後、サビのリフレインをしたほうがいいっていうアイデアが[ kei ] 君から出てきたので、じゃあその部分はキャッチコピーになるような言葉じゃなきゃいけないなと思って《終末くらい側にいて 死んでも良いよ側にいて》にしました。
暴れながら、俺もステージで武瑠の純粋な笑顔を見たんだよね。滅びた世界だからこそ、いろんなものから解放された空間に俺も武瑠もいたんじゃないかな。([ kei ] )
――[ kei ] さんは武瑠さんから依頼を受けてどうだったのですか?
[ kei ]:メロとコード以外に、ピアノのメインフレーズもたしかあったよね?
武瑠:ありました。あ、思い出した! カップラーメンのCMで、高校生のカップル以外、世界が滅びるというのがあったんですけど。そこにガラスの雨が降ってる映像があったから、さっき話した歌詞が出てきたんだ。
[ kei ]:その話を聞いて、俺はシガー・ロスの子供たちがガスマスクをしてるMV(「Untitled Track #1」)を思い出したんですよ。ちょうどコロナ禍だったこともあって。それで、もらったメロとコードを聴きながら、なんでこの曲を武瑠は自分とやりたいと言ってきたんだろう?ってことをずっと考えてて。俺は誰かと何かをやるとき、その人の根元を知りたいんです。俺はこのメロを聴いたとき、最初から武瑠のパーソナルを感じてて。悲しさとか苦しさを感じたんだよね。ずっと世界が泣いてるようなイメージがわいてきたから、そういう部分が武瑠の心の中にあって、そっちサイドからのアウトプットなんだなと分析して。それで、曲が始まったら世界が崩壊してるような感じで、ガラスの壊れる音を追加して入れて。でも途中で4つ打ちになったりするんだけど。そこは他のバンドマンだったらね、バンドサウンド以外の音を入れたら嫌がるかもしれないけど、お互いクラブミュージックが好きっていう共通点があったから、この感覚は分かるだろうなと思って入れました。
――去年はお互いのライブでコラボステージもやられてましたね。
武瑠:自分は悲観フィルターが常にあるんですけど、あの日(武瑠のアーティスト活動15周年を記念して開催した主催フェス『STREET GOTHIC FES』)は珍しく、ただ楽しめばいいやっていう日だったんですね。あの日の[ kei ] 君との時間は短いけどスローモーション感があるというか。一番シリアスなところとなった曲だったんですけど、なぜか自然と笑顔が出てきて。めっちゃ不思議な時間でした。
[ kei ]:俺は久しぶりにギタリストとしてのステージだったから、いい意味で何も考えないでフラットにやろうと思ってたんですよ。でも、曲が始まったら壊れた世界の住人になってて。
武瑠:ステージ上で暴れ倒してた(笑)。
[ kei ]:暴れながら、俺もステージで武瑠の純粋な笑顔を見たんだよね。滅びた世界だからこそ、いろんなものから解放された空間に俺も武瑠もいたんじゃないかな。あのときは。
いま大人になって改めて聴くとSuG時代の曲で“これは、(kannivalismに)相当影響受けてるなー”っていうのがありましたね(笑)。(武瑠)
――その後は[ kei ] さんのライブ(『圭 LIVE[IIIIII]DAY1-DISMANTLING-』2022年12月26日)に武瑠さんがゲスト参加されていましたが。
武瑠:今日の対談の前に、今度出るシングル「MIRACLE」を聴かせてもらったんですけど。前だったらギターで弾いてたようなところを歌でいってて。歌の自我みたいものをあの日のステージからも感じましたね。シングルは、新曲曲以外セルフカバーなんですか?
[ kei ]:うん。「pitiful emotional picture.([ kei ] Ver.)」は『silk tree.』(2009年3月発売)の曲で、4つ打ちの「SIN QUALIA([ kei ] Ver.)」はBAROQUEのアルバム『SIN DIVISION』(2020年1月発売)の曲。音ネタは昔のものをリメイクして使って、楽器や歌は録り直した。
武瑠:えーっ。そうなんだ。いま自分が影響を受けた人の作品をいろいろ聴き直してるんですけど。kannivalismの『Nu age.』(2007年2月発売)とかめっちゃよくて。たぶん、[ kei ] 君が作った音楽で一番影響を受けたのはこれだと思いました。yuji(ex SuG:Gt)も昔、これが一番好きだって言ってて。いま大人になって改めて聴くとSuG時代の曲で“これは、相当影響受けてるなー”っていうのがありましたね(笑)。
――影響受けすぎてるものがあったと。
武瑠:そう。で、kannivalismやったあと、バロックを4人で復活させたじゃないですか? あのときはどういう心境でどういうモチベーションでバンドをやってたんですか?
[ kei ]:あれは、復活前のbaroqueのアルバム『sug life.』にしても、自分のソロアルバム『silk tree.』にしても、やりたい音楽をやったらみんなを置いてけぼりにしちゃうわ、baroqueもkannivalismもいろんなことがあって自分自身まいっちゃってた時期で。もう自分がやりたいことを表現するのはやめようと。それがbaroque再結成のタイミングだったの。それで、1回自分の自我とかクリエイティビティーは置いといて、周りのために周りが望むことをやろうと俺は思ったの。だから、復活のときの曲たちは、みんながなんとなく思うbaroque像みたいなものを再構築する。そういう心境で俺はやってたね。
武瑠:それ出てますね。聴き直したら、復活後の作品から別の人みたいなものを感じて。
[ kei ]:そうかもしれない。いい言葉で言うとバランスをとってて。悪い言葉で言うと、音楽として新たな挑戦はしてない、保守的な作品かもしれないね。
武瑠:アートワークとかも意識的に子供っぽく作ってるなっていうのをすごく感じました。
[ kei ]:その時期のアートワークは自分の手は入ってないからね。他のメンバーが納得するものであればいいなっていう。逆に『sug life.』とかはめっちゃ俺の手が入ってる。baroqueはそうやって復活したにも関わらず、すぐにメンバーがいなくなったり抜けちゃったりして。そこで止めましたね。
――バランスを取るのは。
[ kei ]:周りのこと考えて、バランスを取ってここまでやったのに、それでもダメだったんだから、じゃあ好きなようにやるしかないって。それが2人のBAROQUE。そこからはアートワークもまた俺の手が入ってる。
――そして、[ kei ] さんと武瑠さん2人の共通点としてもう一つ。お互い、昨年改名をしているんですよ。
武瑠:最初から本名の武瑠にすればよかったものの、なんでか分かんないけどsleepyheadにしちゃったんですよね。怒り、憎しみがそのときすごすぎて、武瑠って名前を使うのが嫌だったんですよ。その理由はこれから紐解いていきます。こんな状況、状態のままいままでやってきたこと。夢が終わってたまるかと思って、夢から覚めないという意味でsleepyheadという名前にしたんです。それでいろいろ挑戦しまくって。人生を振り返ったときに“やっぱ武瑠だな”と自然に思ったので武瑠に戻したんです。でも、あの武瑠という名前にできなかった怒りの時期は本当に毎日友達に会ったりしてて。そのとき印象的だったのが、近くにいる先輩だとアリス九號.の将さんと[ kei ]君。将さんは俺の話を聞きながら泣いて、一緒に悲しんでくれて。[ kei ] 君は“ぶん殴りに行こうぜ”って自分のことのように怒ってくれたのが印象的でしたね。
――では[ kei ] さんが圭から名前の表記を変えた理由は?
[ kei ]:僕の場合、元々目指してたものがバンドの象徴となるギタリスト。そういうものだったので、いまやってること=ギターを弾いてステージの真ん中に立って歌うなんて1ミリも考えたことがなかった。いまやってることって、もう本名の圭を超えてるんですよね。自分が想像していなかった自分になっていこうという気持ちで、カッコの中のアーティストをファンのみんなと一緒に理想のアーティストに育てていこうというプロジェクトという意味で、表記を変えました。だから、本名に戻した武瑠とはここは逆だね。
武瑠:そうですね。
――いろいろ重なるところが多い2人。今後の活動についても聞かせて下さい。武瑠さんは3月9日にSuGとして『SuG LIVE 2023 THE GAMBLER』を開催。それ以降は武瑠ソロとして5月11日は東京、13日には大阪で『武瑠 birthday scream party 2023』を、6月5日はSHINさんとのツーマンライブ『SHIN✕武瑠 2MAN LIVE“蝶反響”』も決定。今後はどんな活動をしていく予定ですか?
武瑠:今年はあまり進化をしない年にしようと思ってます。昨年の15周年までが大きなタームだったので、これまでの15年全部を振り返って、そのあと何をしたいかを考えようと思っています。直近でやる3月9日のライブもバンド時代を振り返る感じだし、誕生日ライブにしても、これまでみたいに貪欲に向かっていくというのはまったくなくて。遊びに行くから来てね、楽しもうね、というライブです。
――では[ kei ] さんは?
[ kei ]:名前の表記を変えたばかりで、その第1弾となるシングル「MIRACLE」を3月1日に発売します。バンドを休止して2年近く経ちましたけど、本当の意味でアーティスト[ kei ] としてスタートの1年にしたいと思います。とは言ってもマイペースでね(笑)。

取材・文=東條祥恵 撮影=大橋祐希

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