1世紀ほど前に奏でられ、
民衆を沸かした
メンフィス・ジャグ・バンドが
今なお影響を与え続けている理由
60年代にリヴァイバル・ジャグバンド・
ムーブメントが起こる
面白いのはジャグバンドに飛びついた白人の若者たちの中に多分にブルーグラスに関わりがあるプレイヤーがいて、“ストリングス系”ジャグバンドが誕生したことだ。卓越したプレイヤーが多く、特にジム・クウェスキン・ジャグバンドのバンジョー奏者ビル・キース、フィドルのリチャード・グリーンはビル・モンローのブルーグラスボーイズ出身という実力は保証書付き、みたいな存在だった。とはいえ、センスがなければいくら演奏が上手くてもつまらないジャグバンドで終わったはずだが、彼らは傑作をものにする。ジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフル→ソロ)のいるイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドのほうも後に出身者が揃ってバンドで、ソロで成功するなど揃いもそろって達者なプレイヤーであるばかりでなく、非凡なセンスで活躍した。ボストンとニューヨークのこの2大バンドがリヴァイバル・ジャグバンド・ブームを牽引したと言っていいだろう。