土岐麻子が語る充実の現在地。そして
20周年を前に独立の道を選んだ理由と

来年2024年にはソロ活動20周年を迎える、シンガー・土岐麻子。これまでフル回転で毎年のように作品を生み出し続けながら、近年ではTENDREやDeep Sea Diving Clubといった年下世代から、SKYE鈴木茂小原礼林立夫松任谷正隆によるバンド)をはじめとする錚々たるベテラン勢まで、様々なアーティストとの共演・共作を果たし、作詞や文筆といった自身の歌手活動以外のフィールドでも活躍を続けている彼女だが、実は昨年の時点で長年所属したレーベルと事務所を離れ、独立の道を選んでいたという。一体その選択は何をもたらすためだったのか、実際に何が変わったのか、変わろうとしているのか。初めて自身で企画から手掛けたツアー開催を前に、その真意と現在の心境を訊いていく。
──はじめに少し気の早い話題ですが、来年でソロ活動20周年を迎えられます。そこにはどのような思いがありますか。
20周年なので集大成をとか、これまでを振り返った総集編のような活動をしたくなるのかな?と、漠然と思っていたんですけど、いざなってみるとそんなことはなくてですね(笑)。20年もソロでやってきたけれど、まだまだ変化の途中という感じがしています。何かを成し遂げたとか、達成したような気持ちには、もしかしたらこの先30年40年やってもならないのかもしれないなって今は思っていますね。やりたいことがいっぱいあるし、これまでと同じように新しい挑戦をどんどんしてきたいと思っているところなので、20周年でファンの皆さんやリスナーの皆さんにどんな姿を見せるのかを考えた時に、特別なあらたまったことではなく、やりたいことや挑戦したいことに素直になって作った作品や舞台をお見せできればなと思っています。
──キャリアを振り返ったときに、ソロ以降と以前とは、土岐さんの中でははっきり分かれている感覚なんですか?
感覚的には全然違うものですね。Cymbalsをやっていたときはバンドに専念して、“3人でできること”だけを考えていたので。Cymbalsが解散してすぐに出たジャズのスタンダードアルバムでソロデビューみたいな形になったんですけど、そのアルバムを作っているときには解散になると思っていなくて、Cymbalsの活動と並行して全然違うものを、課外活動としてソロで出すのがバランス的に面白いかなと思って始めたものなんです。なので、本当の意味でポップスとしての自分の音楽を考える上でスタートを切ったのは、その後に出した『WEEKEND SHUFFLE』っていうカバーアルバムからかなと。自分の音楽原体験を遡ると、ルーツは山下達郎さんや吉田美奈子さんだなと思うんですけど、その当時はシティポップという言葉は世間的に出回っていなかったと思うんですよね。
──ニューミュージックという括りともどこか違いますしね。
そうそう。だから何て言うんだろうね?と思っていて。サウンドのジャンルでもないじゃないですか。あの時代のあのムードは何だったんだろう?とずっと思っていて、でもたしかにあの頃のムードやミュージシャンのアティチュードに影響を受けているから、そこにフォーカスしていきながら自分のやりたいことを探していこうと思った時に、そういうルーツになった曲たちを中心にカバーした『WEEKEND SHUFFLE』を自己紹介としてソロがスタートした感覚なんですよね。ただ、Cymbalsからだと20年以上、毎年コンスタントに作品を1枚以上をリリースしてきていて──
──そうなんですよね。見返してみてあらためて「多作な方だなぁ」と思いました。
怒涛の20数年(笑)。レーベルとの契約を更新するたびに出すペースは決まるのですが、ありがたいことにずっと契約を更新できていました。それがゆえに毎年新しいアルバムのことを考えながら生きるという感じでした。
──ただそういった中でも、ここ数年は特に、他のアーティストとのお仕事や音楽以外の活動も積極的にされている印象がありました。
そうですね。最近はありがたくも色々な方から、作詞の面でこれまでより多くオファーをいただくようになって。やっぱり必要としてくれているところには赴く意味があるというか、最初は「なんでわたしなんだろう?」と思ったとしても、名前をあげてくれた以上はフィットする何かがあるんだと思って、お受けするという信念でずっと来ています。たとえば、去年BSフジのミステリー作品のナレーションがあって、ご指名だったので喜び勇んで行ったんですね。そうしたら、わたしが普段出している声とは全然違うものを求められて、それがすごい面白かったんですよ。ちょっと低くて淡々とした、おどろおどろしい感じにしてくれって言われて。普段の喋っている声は低いですけど、CMのナレーションとかではわりと明るい感じの声を出していたので、「もっと暗く、もっと暗く」って(笑)。監督はどうしてわたしの声の要素の中にそれをイメージできたんだろうか?っていう、そういう面白さはありますよね。
──たしかに。
あとはV6の井ノ原(快彦)さんのご指名で「PINEAPPLE」っていう曲の作詞をするにあたって、ラップパートがある曲だから、ラップを書いたこともラップをしたこともないのに何故わたしにこの曲を!?って、最初はすごくビックリしたんですけど、でもK-POPを聴いていたしとても興味はあったからすごく嬉しくて。そういう自分でも思ってもみなかったようなところに引っ張っていってもらうようなキッカケが多いので、オファーをいただいた仕事はいつもワクワクしながら引き受けてます。
──では、ここ最近になってそういう仕事を増やそうと動いたというより、声のかかるケース自体が増えてきたと。
増えてきたんですよね、不思議なことに……何故なんですかね?(笑)
──それこそキャリアの積み重ねによって、いろんな世代やジャンルの方がそれぞれ土岐さんのイメージを持っていらっしゃるのではないかと。
やっぱり20年やっているとそういうことになるんでしょうかね。
──でもそれによって新たに得ることも多いですよね?
はい。たとえば最近ですとDeep Sea Diving Clubとのコラボでフィーチャリングのお話をいただいて、もともとは作詞と歌唱というオファーだったのですが、わたしが歌うパートに関しては「メロディメイクもやってみますか?」という提案があり。これまでわたしはほとんど作曲をしてこなかったので、「え、どうしよう」と思いましたが、最近はトラックとメロディを分担して作る方達も多いからか、トラックメイカーから「土岐さんなりにアレンジしてメロディを変えてみてください」と言われることが増えて。そう言ってくれるならちょっとやってみようかなと(笑)。そして、作ってみたらすごくしっくりきたというか。喜んでもいただけたし、自分の中からこういうメロディが出てくるんだなということに驚いたりもして。​
──なるほど。
そういうメロディメイクというか作曲に関しても、勉強したいなと思いながら20年来たんですけど、期せずしてそうやって一緒に作業をする方からチャンスをいただくようなことも増えてきて、面白いですよね。今までは作曲というと、コードとメロディの両方を作るというイメージを自分の中で固めてたんですけど、先にトラックがあるところにメロディをフェイクするように作っていけると、スキャットしている気持ちで浮かんでくるので、この作り方はけっこう自分にあっているなと。
──即興で歌を当てていく感覚に近いんですね。
はい。あと、Shin Sakiuraさんとも自分のアルバム(『Twilight』/2021年)でご一緒したんですけど、Sakiuraさんにも同じように2番のメロディを任せてもらったり。なので、年下の世代の方から学ぶ機会があったというか、いろんな世代の作り方があるし、それによって土岐麻子というシンガーの見え方も見方も変わってくるから、幅広い世代の人と一緒にやるのは楽しいなって思いますね。
──その2組にしても世代としてはかなり離れてますもんね。
そうですよね。Cymbalsのことも知ってくださってたんですけど、絶対にリアルタイムではないから(笑)。最近そういう20代くらいの方から「Cymbals知ってます」とか「コピーしてました」とかいうふうに声をかけてもらうこともあるのですが、サブスクやYouTubeの恩恵なのか、あんまり時代とか関係なくランダムに、自分の好きな音楽を取り入れているのかなと思います。
──その一方で、もっと大御所のような方とも一緒にお仕事をされているという、結構特殊な立ち位置だと思うんですよね。土岐さんは。
そうですよね。若いときは上の世代の方が仕事に誘ってくれていたんですけど、だんだん自分が中堅になってくると、逆に自分が年下の世代の人を誘って一緒に音楽をやる機会も増えてきて。でも、最近はまたシティポップというカテゴリーのものが多く求められているので、そういった括りで、シティポップの系譜の大先輩と一緒にお仕事をさせていただく機会もすごく増えた気がします。本当にありがたいですね。
──先日はSKYEともライブで共演されてましたね。
すごかったですね。圧倒されましたけど、フェスやイベントでは自分が一番年長という現場も増えてきてたので、久々に大先輩の現場に行ってフレッシュな……若者の気持ちになれたというか(笑)。緊張もしますけど、そういう刺激も贅沢ですよね。
──シティポップの系譜でいうオリジネイターの方々とも、いまリバイバルを牽引している世代とも関われている立場というのは貴重だと思います。
たしかに。世代的にちょうど中間というのもあるかもしれないけど、いま振り返ってみると、そうやって年1以上のペースで作品を出してきたりとか、そういうことのおかげかなと。もうちょっと2~3年とかブランクが空くと一気に……なんというか、棚の上に置かれる感じというか(笑)。そういうのはあるかもしれない。

>>次ページへ 「もうちょっと自分にチャンスを与えたいなという気持ち」
──音楽的にも、“今”っぽい部分とずっとされてきたこととの両立のさせ方が素敵だなと思います。『Twilight』なんてまさにそうでした。
ありがとうございます。一緒に作った作家の方たちもそういうふうに思って作ってくださる方が多くて。エバーグリーンなポップスと攻めてるトラックとか、その塩梅を目指してくださる傾向があったと思いますね。そういうお願いをしたわけではなかったんですけど、冒険したことをやりたいとは伝えていて、蓋を開けてみたらメロディをすごく大切にしつつも今っぽいトラックが多かったです。
──ああいう作品を出されている以上、そりゃ下の世代のアーティストから声はかかるよな、という気がします。そして、昨年には独立をされたということで。
あ、そうなんです。実は去年の5月1日から初めて独立をして。これまであんまりそういう話をしてこなかったんですけど、20周年や、これからの活動を大きく語るにおいては、そこはわたしにとってすごく大きなポイントなので、別に隠す必要もないし話しておいた方が良いかなと思い至りました。
──ありがとうございます。
これまで20年以上、常に事務所に所属して一緒にやってきたんですけど。45歳になった時に……ソロとして『WEEKEND SHUFFLE』を出した30歳から15年経ったのかぁって思ったんですね。15年ってあっという間のような気もして、ここからまた15年って考えるともうあっという間に60になっちゃうのかと。
──たしかに。
それってすごいことだなと思って。これまでの15年を振り返るとすごく順調に来ていて、毎年毎年レコーディングをやってプロモーションをやってツアーをやって、それでまたレコーディングをやって。そういうサイクルが出来上がっていたけど、これからの15年をどう過ごそうと思った時に、もうちょっと勉強したりじっくりインプットしてアウトプットをしたい気持ちが多くなりました。節目をつけるつもりでは無かったんですけど、でもやっぱり今ここで決断しないと、もうそろそろ新しいことや新しいやり方に挑戦するには、先延ばしできない年齢かもなとも思ったんですよね。
──立ち止まれるタイミングは最後かもしれない、みたいな。
そうそうそう(笑)。自分の中では「今だ!」と思って。ずっと前から計画してたわけではなかったので、全然わからないこともたくさんあって、周りの人も「あれはどうするんですか」「これはどうするんですか」と心配してくださったんですけど、それは辞めてから考えます!みたいな感じで(笑)。とりあえず新しい挑戦という気持ちでした。
──“挑戦”とか“勉強”といったワードが出ましたが、そこが一番大きかったんでしょうか。
そうですね。具体的なことでいうと、するかどうかは分からないけど、たとえば留学とか。いま韓国語を勉強してるのですが、越えられない壁を感じることがあって。聴くのと読むのはどんどん上達するんですけど、いざ喋るとなると全然出てこなかったりするのが、留学すると一気にグッと上がるというので。
──そう言いますよね。
もうちょっと自分にチャンスを与えたいなという気持ちですね。ツアーをするのもレコーディングをするのも好きですけど、間髪入れずにやってきたことでちょっと慌ただしい気持ちもこれまではあったりして。だから、ライブをやるんだったら1年間ライブをやるとか、制作をするんだったら制作に集中するとか、そういうやり方もやってみたいなという。
──半年ちょっと経ってみて、実際どうですか。
大変なこともありましたけれども……たとえばスケジューリングで、なんでも引き受けたいからどんどん引き受けてたらすごく忙しくなってしまったりとか(笑)。表に出る仕事だけじゃなくて、書く仕事も含めて、全然休む暇がなくて結局体調を崩したり。コロナで39度の熱が出てる中でもニュースの更新とかを自分でする、みたいなこととか(笑)。いままではスタッフの方がいっぱいいてくれたから、自分は風邪をひいても治すことに専念すればよかったし、ライブの当日も行って歌うだけという状態だったけど、そうじゃないというところに最初はわたわたしました。でも、そうやって今までマネジャーがどういう仕事をしてくれていたのかとか、イベントってどういうふうに出来上がっていくのかとか、そういう見えていなかったことが見えてくるようになって、スタッフにどういうふうにしてほしいのかも、自分のやるべきことも、もっと明確に見えてきました。
──同じ景色を見ていても、目に付くことは変わりそうですよね。
そうですねえ。あと、独立するときに思ったのは──坂本真綾さんの周年ライブに出たときに、MCで「これまでの時間を振り返って、全部の活動を知ってるのは自分だけだ」っていうふうにおっしゃってたんですよ。その言葉を聞いたときに「あ、本当そうだな」って。わたしのスタッフはわりと長くやってくださる方が多かったんですけど、それでも全てを見てきてるのはわたし一人であって。作品を作ったり公演を作ったりするときはその時々のスタッフと一緒に作ったりするわけですけど……初めてのスタッフも含めて「このチームで何ができるか」という考え方でやってきて、そうして出来た作品達を誇りに思っていたんですけど。どうしてもそのチーム内で、本人の意思とは関係なく会社の事情で入れ替わりがあることもあって。
──なるほど。
それは会社であれば当たり前のことですよね。それでもこれまでは人に恵まれて、どの作品もいいチームで作ることが出来ました。すべての作品は「全部、やりたいことをやっています」と胸を張って言えるものですが、もしかしたらこれからはそうはいかないかもしれない。これからも作品に対して誠実にいるために、良い意味でもっとシンプルな形で、自分で責任を取れる環境を作らなくてはと思いました。独立してから、去年はオファーをいただいた仕事を引き受ける年にしたんですけど、今、ツアーも企画しています。そういうタイミングを自分発信で考えるというのは新鮮ですね。
──いまお話に出たツアーもそうですが、今年の活動をこんなふうにしていこう、というのもあればお聞かせください。
まずはそのツアーをやることが大きな挑戦です。リリースツアーではないので結構自由度は高いなと思っています。だから今まであんまりやってこなかったような曲とか、新鮮なアレンジでやってみたりもしたいなって。一緒にやるメンバーも、わたしのツアーでは初めて一緒にやる方をお迎えしようかなと思っているので、そこにすごくワクワクしているのが一つ。あと、そのツアーをやりながらビジョンが浮かんでくるんだろうなと思っているんですけど、制作もしたくて。ちょうど20周年の年になる2024年には新しいアルバムを出せればなと思っています。
──これまでのお話からすると、きっとそれは集大成的なものというより、その時点の土岐さんを象徴するものになりそうですね。
そうですね。今やりたいこととか、これから数ヶ月後にどんなことをやりたくなっているかは予測できないですし。そういう「今これをやりたい」ということに挑戦していきたいです。これだけ長くやっていると「土岐麻子っぽいね」「土岐麻子風だね」っていう言葉をエゴサなどをしてるとよく見かけたりもするんですが、「そうかなあ?」って思ったりもするんですね。これまで自分の中ではあまり「土岐麻子っぽい」というのを自覚してこなかったし、これからも「これが私」というものを決めずに、自分で自分のパロディをしないように(笑)、もっと自由にやっていけたらと思っています。

取材・文=風間大洋 撮影=SUSIE

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