桑田佳祐、原由子、サザンオールスタ
ーズ、THE BACK HORN、NICO……トル
ネード竜巻活動休止後、幅広いアーテ
ィストに関わる曽我淳一のキャリアに
迫った【インタビュー連載・匠の人】

2004年にバンド「トルネード竜巻」のメンバーとしてメジャーデビュー。2009年の活動休止後は、桑田佳祐原由子サザンオールスターズTHE BACK HORNNICO Touches the Walls藤巻亮太つじあやの平原綾香井上苑子などの制作やライブに関わっている曽我淳一。バンド時代は独創的なアレンジとサウンドメイクで知られた曽我が、幅広いジャンルのアーティストに求められるようになった経緯に迫った。
――曽我さんは“どんなジャンルにも対応できるミュージシャン”という印象がありますが、もともとはどんな音楽が好きだったんですか?
ジャンルは気にしてなかったですね。小学生のときにTM NETWORKがカッコいいなと思って、中学生くらいからシンセに興味を持ち始めて。QY10というシーケンサーで遊んだりしていたんですよ。高校で軽音楽部に入ったんですけど、周りの人たちの影響でハードロック、フュージョン、ジャズ、フォークとかいろんな音楽を聴き始めて。エクストリーム、ビョーク、PONTA BOXなどをよく聴いてましたね。大学のときはスティーヴィー・ワンダーやプリンスなども聴いてましたけど、ピチカート・ファイヴもずっと追ってたし、めちゃくちゃですね(笑)。
――最初からジャンルレスだった、と。ピアノは習ってなかったんですか?
姉が習っていたので、家にあったピアノを勝手に弾いたりしてましたけど、僕はなぜか親に「ダメ」と言われて(笑)。なので基本的には我流ですね。クラシックみたいな曲はいまも弾けません。
――なるほど。そして大学時代に音楽サークルの仲間と「トルネード竜巻」を結成されます。プログレ、フュージョンなどを取り入れた独創的なバンドサウンドで注目を集めました。
アレンジを凝ってやろうと思っていたわけではなくて、一生懸命やった結果、ああいう感じになったといいますか。「〇〇っぽくいしよう」という目標もなくて、とにかく自分たちで考えたことを形にしていただけなんですよ。当時はよく「スティーリー・ダンっぽいですね」みたいなことを言われたんですが、まったく聴いたことなかったです(笑)。
――今聴いてもすごく個性的ですよね。プロのミュージシャンになるというのは学生時代から決めていたんですか?
ほかの進路は考えてなかったというか、選択肢がなかったんです(笑)。学校の成績もよくなかったし、就職は無理だろうと。何をして食っていこうかと思ったときに、手に残っているのが音楽くらいしかなかったんです。デビューが決まったときも「ここからはじめていかないといけない」という気持ちが強かったんですよ。当時のディレクターに「なんで喜ばないの?」って飲み屋で詰められたこともありました(笑)。
――デビューした後が大変だと思ってた?
はい。デビューが目標ではなかったし、いろんなアーティストの人たちと同じ場所で勝負しないといけないので。並べて聴かれても「いいね」と思ってもらえる音楽を作らなくちゃいけないと思ってました。ただ、自分たちなりに一生懸命やったんですけど、なかなか結果が出ず……。単純に売れなかったんですよ。それでもレコード会社や事務所の方々が熱心に関わってくれて。いまだにトルネード竜巻のことを知ってくれてる方がいるのは当時のスタッフのみなさんのおかげだし、ありがたいなと思ってます。
――トルネード竜巻は2009年に活動休止しましたよね。
バンドをはじめたときから、「このバンドで一生やっていく」みたいな気持ちはなかったし、メンバーも「そうだよね」という感じだったんです。なので活動休止を決めたときも「そのタイミングが来たんだな」と。将来のことは何も考えてませんでしたが(笑)、個人仕事みたいなことはちょっとずつやってたんですよ。映画音楽(映画「魁!!男塾」/2008年)とか、単発のドラマ(ドラマ「傍聴マニア09」/2009年)の劇伴を作らせてもらっていたので、まずはそっちでがんばってみようと思ってました。
■ピアノはいちばん音域が広い楽器なので、ほかの楽器のフレーズも考えやすいし、アレンジャーに向いている
――アーティストに関わったのは、シンガーソングライターのつじあやのさんが最初ですか?
そうですね。「よく頼んでくれたな」と思います(笑)。アレンジャーとしてもプレイヤーとしても個人の仕事はほぼしてなかったので、お話をいただいたきは「ありがたいな」と。
――当然、バンドのときとは違うものを求められますよね。
はい。竜巻のときはただ自分たちがいいと思うことをやってましたけど、ほかのアーティストに関わるときは、ご本人はもちろん、相手のチームがいいと思うかどうかという基準があって。そのなかで、自分のアイデアを込めていくというか。最初のうちは「絶対こっちのほうがいいのに」「なんでこれはダメなんだろう?」みたいなことも思ってましたけど(笑)。仕事をやりながら得たものもいろいろありますね。バンド時代はドラム、ベース、ギター、鍵盤だけでしたが、その後、いろんなレコーディングに参加させてもらって、楽器の特性や使い方も学んでいきました。ピアノはいちばん音域が広い楽器なので、ほかの楽器のフレーズも考えやすいし、アレンジャーに向いているところもあると思います。
――その後、いろんなジャンルのアーティストに関わるようになりましたよね。まずは2011年にNICO Touches the Wallのアルバム『PASSENGER』と『HUMANIA』にアレンジャーとして参加していました。
NICOの場合は、「デモを作るのを手伝ってほしい」という依頼が最初でした。マニピュレーターというか、打ち込み係だったんですけど、「そんな仕事もあるんだな」と思った記憶があります(笑)。どうしてもメンバーと相談しながら進めることになるので、結果的にアレンジャーっぽくなって。曲によって編曲だったりプログラミングだったりするんですけど、僕としては“一緒に作った”という感覚でしたね。
――ロックバンドでいうとTHE BACK HORNにも携わっていて。「デスティニー」(2019年)「果てなき冒険者」(2019年)などのアレンジを手がけています。
THE BACK HORNはライブのお手伝いが最初でした。2021年の「KYO-MEIストリングスツアー」もそうなんですけど、弦を入れたいときに呼ばれることが多くて、ストリングスアレンジと鍵盤でライブに参加しています。アレンジの場合は、曲によって「この人が仕切る」みたいなことを決めているようです。メンバーによっていろんな角度から意見から来るんですけど、それがバンドの魅力につながっているのかなと。
■大事なのは「ここで何をしなくちゃいけないか」を共有すること
――なるほど。そして藤巻亮太さんの楽曲にも鍵盤奏者として参加されます。藤巻さんが主宰している野外フェス「Mt.FUJIMAKI」にも出演していますね。
藤巻くんはいろんなミュージシャンと仕事をしているので、ずっと一緒にやっている感じではないんですよね。普通に飲みに行ったり、ざっくばらんな関係ではあるんです(笑)。楽曲に関わるときは、藤巻くんが作ったざっくりしたデモを送ってもらって、「1回作ってみるから、意見ください」みたいな感じで進めることが多いです。言葉でサウンドのイメージを伝え合うって、難しいじゃないですか。なので最初は「ストリングスを入れたい」「ロックっぽい」とか、派手にしたいのか、地味にしたいのかみたいなことだけ決めて、まずは作ってみるんです。実際に音を聞けば、「この音は要らない」「このパートをこうしたい」という意見が出てきますので。
――コミュニケーション能力も大事ですね。
この仕事は、ほぼコミュニケーションだと思います。音楽の経験がある人だったら、音に変換することはある程度、誰でもできる。すごく高度な理論や技術が必要な場合は別ですが、通常のポップスやロックの曲のなかで起きていることは、めちゃくちゃ難しいわけではないので。それよりも「この人は何をやろうとしているのか」「こういうタイプの人にむけて、どういう言葉で話せばいいか」のほうが重要だと思っています。たとえばコードの勉強をはじめたばかりの人はコード進行を軸にして話をするし、「まったく譜面が読めない」と言いつつ、やってることは複雑という人もいる。相手の話を聞きながら、「どう言えば、お互いの意図が伝わるか」を短時間で見つけられたら、ストレスなく制作できるはずだと思っています。その結果、いい音楽が出来たら最高じゃないですか。
――そういう方法論も、現場で学んだことですか?
やりながらですね。大事なのは「ここで何をしなくちゃいけないか」を共有すること。「音楽としてヘンテコなことを起こす必要がある」とか「ここはスムーズに流れなくちゃいけない」という方向性がしっかりあれば、あとはどんなフレーズでもいいんですよね。細かい音にこだわってると、そのことで「自分たちは一生懸命やった」と思ってしまう。そうではなくて、「今やるべきことは何か」の核の部分を見失わないように気を付けてます。
――なるほど。“ヒットさせたい”という要望もあると思いますが、その場合はどんなスタンスで臨んでいますか?
どうでしょうね? こう言うとアレですけど、ヒットさせるのはこっちの仕事じゃないというか(笑)。音的な仕掛けを作ることはできますけど、ヒット云々はプロモーション的なところも大きいと思ってます。それにヒットさせることを考えはじめると、もともと何をやろうとしていたかを忘れそうになるというか、フワフワしちゃうんです。なので僕としては、音のことだけを考えるというスタンスですね。「売れるかどうかはわかりませんが、音楽は一生懸命作ります」という。ヒットを狙って作れる方もいらっしゃると思いますが、僕にはできません。それができたら、トルネード竜巻はもっと売れてました(笑)。
■桑田佳祐さんはとにかくずっと考え続けて、いろんなことを試すことをやめない
――サザンオールスターズ、桑田佳祐さんとの仕事についても聞かせてください。桑田さんの「明日へのマーチ」(2011年)、サザンオールスターズの「東京VICTORY」(2014年)をはじめ、10年代以降の作品に数多く関わっていますが、きっかけは何だったんですか?
最初は原由子さんですね。CMの楽曲のアレンジを斎藤誠さん(サザンオールスターズ、桑田佳祐のライブ、レコーディングに欠かせないギタリスト/アレンジャー)が担当していて、マニピュレーターとして参加させてもらいました。その後、映画『ももへの手紙』の主題歌「ウルワシマホロバ~美しき場所~」(2012年)の編曲をやらせていただきました。作業自体は2011年だったんですが、桑田さんが中心となっていた“チーム・アミューズ!!”の「Let‘s try again」というチャリティソングの制作も同時にやっていて。そのレコーディングに参加したのが、桑田さんとの最初の仕事ですね。
ーーその後、サザンオールスターズのアルバム『葡萄』、桑田さんのシングル「ヨシ子さん」に収録されている「大河の一滴」などにも参加されています。制作はどんなスタイルなんですか?
基本、桑田さんがアレンジしていくんですよ。「こういう楽器が入って、こういう雰囲気で」とかなり明確にイメージがあるので、それに沿って制作していくことが多いですね。ときどき僕のほうで「こんなのどうですか?」とアイデアを出すこともあります。アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマになった「100万年の幸せ!!」(2012年)のときに、話の流れで「フレーズを思いついたんですけど」と言ったら、「弾いてみて」って言われて。弾き始めてから「桑田さんの前で鍵盤弾くの初めてだな」と思って、急にヘンな汗が出てきたのを覚えてます(笑)。
――(笑)そういうトライ&エラーというか、試しにやってみてということも多いんですか?
そうですね。桑田さんの現場に関わらせてもらう前は、「桑田さんのイメージ通りにどんどん出来ていくんだろうな」と勝手に思っていたんですけど、ぜんぜんそうじゃなくて。毎回ゼロから積み上げていくんです。桑田さん自身も常に模索しているし、悩みながら制作した結果、“桑田節”“サザン節”と言われるサウンドになっていく。とにかくずっと考え続けて、いろんなことを試すことをやめないんですよ。24時間、ずっと音楽のことを考えているような方だと思うし、それが桑田さんのすごさなんだと思います。ご自分のアイデアに対しても、「やっぱり違うな」と思ったらすぐに変えるんですよね。僕も「そのフレーズはちょっと違うな」と言われてもなんとも思わないタイプなので、そこは合ってるのかもしれないです(笑)。当然、僕なんかより遥かに知識も経験もある方なので、ついていくだけで必死ですけどね。
――桑田さんは現在も新しいヒット曲を出し続けています。制作のプロセスを間近で体験することで、ヒットの秘訣みたいなものも感じられるのでは?
いや、わからないですね。出来上がった曲を聴けば「ここもすごい」「このパートもすごい」と思いますが、制作に関わったといってわかるものではなくて。ちょっと分析して、「なるほど、こうやるのか」という感じではまったくないです。ご自分の立ち位置を客観的に見るというか、求められている曲をやるという比重もあると思いますが、その殻もどんどん破ってきますから。
■いい音楽が作れればそれでいいという音楽原理主義みたいなところがある
――昨年の桑田さんのライブツアー「年末も、お互い元気に頑張りましょう!!」にキーボーディストとして参加されましたよね?
レコーディングなどには10年以上関わらせてもらってますが、ライブのメンバーとしてステージに上がったのは初めてでした。楽曲の制作と同じで、構成やバンドアレンジに関しても1から組み立てていく感じでしたし、ツアー中も細かい修正を重ね続けていましたね。失敗できない緊張感は同じなんですけど、桑田さんのライブは、一つのステージを作り上げるための人数がぜんぜん違います。照明、映像、ダンスなど、音以外の部分もすべて一緒になって、初めてお客さんに伝わるものになるといいますか。自分だけがアレンジに凝り過ぎてもよくないし、全体の中の音楽部門を担当している気持ちでしたね。
――桑田さんのパフォーマンスも、前年以上の素晴らしさで。私も見させていただきましたが、「どうなってんの?」と思うほどのすごさでした。
わかります(笑)。リハ、本番を通してずっと桑田さんの歌を聴いていましたが、CD通りに歌う上手さではなくて、生き物としての歌というか。生命力、説得力がすごいんですよ。桑田さんのバックで演奏させてもらったことは役得だし、本当に感謝してます。
――桑田さんのようなビッグアーティストの現場で経験したことは、ほかの仕事にも応用できたりしますか?
直接的にどう役に立っているかはわかりませんが、次第に「何が起きても大丈夫」という感じになってきました。以前は「え、こんなことあるんだ?」とか「こんなことを言う人がいるのか」といちいちビックリしてたんですが、だんだんと「なるほど、そのパターンですね」と対応できるようになったし、よくわからない場合も「とりあえずやってみましょう」と言える余裕を持てるようになって。個人で仕事を始めた当初は、「それってこういうことですか? こうじゃなくて?」と細かく質問することもあったんですよ。それも一つの手段だと思いますが、事前に細かくヒアリングしても、それが上手くいくかどうかはわからないんですよ。先ほども言いましたけど、まずは音に変換して、それをもとにコミュニケーションを取ることが大事だなと。
――この先、曽我さんご自身はどんな音楽活動をしていきたいですか?
2021年、22年はありがたいことに忙しくて時間が取れなかったですが、自分のバンド(ともこ一角)は続けていきたいですね。それ以外には特に……もともと欲がないんですよ。もちろん仕事はやっていきますが、自分がいいと思える音楽を作れたら――たとえ売れなくても、ほかのアーティストの作品であっても、それだけでうれしいので。「絶対売れるんだ!」みたいな気持ちが薄めというか(笑)、いい音楽が作れればそれでいいという音楽原理主義みたいなところがあると思います。
取材・文=森朋之

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