70年代末の
ニューウェイブ期に突如現れた
テクノポップ(ロック)の
巨星ディーヴォのデビュー作
『頽廃的美学論』

確執はあったが、
鬼才B.イーノのプロデュースが
随所に光る傑作

オープニングの「Uncontrollable Urge」はパンク感丸出しのすっ飛んだ曲で、バンドが「よろしく!」と挨拶してるみたいである。ラモーンズがやっていても違和感ない曲だ。2曲目が「(I Can’t Get No) Satisfaction」だ。これには脱帽だった。続く「Praying Hands」「Space Junk」は60年代のビートバンドからの影響も伺える、これまたパンクなナンバーだ。それにしてもディーヴォはギターリフの使い方が上手い。「Mongoloid」「Jocko Homo」はディーヴォを代表する曲だ。どちらも、異様なエネルギーがグラグラとたぎっているような、聴いてる側の興奮を煽ってくる。あとにも先にもこんな曲を書くバンドは他にいない。チープなキーボードの使い方がたまらなくいい。「Too Much Paranoias」もイントロのギターリフがカッコ良い。中盤のシュールなキーボードはイーノのアイデアだろうか。「Gut Feeling / (Slap Your Mammy)」はどことなくロキシー・ミュージックっぽい。これもイーノがらみだろうか。異様なテンションが渦巻いている。「Come Back Jonee」「Sloppy (I Saw My Baby Gettin’)」はディーヴォがギターバンドであることを実感させてくれるロックンロールだ。エンディングの「Shrivel-Up」は他の曲に比べてややテンポがゆったりしているものの、転調の多い、不思議なムードを持った曲。こういうこともやれるのだと、バンドの器用さが伝わってくる。

そのねじれたポップ感覚、変異したロックンロール、人をくったようなユーモアのセンス、その裏で脈打っている強靭なロックスピリットは唯一無二のもので、あのトッド・ラングレンも彼らをプロデュースしたかったらしい。バンドは、というかリーダーのマーク・マザーズボウはよく分かっているというか、自分たちがクールなロックスターになるような柄でもなければ、グルーピーにちやほやされるタイプでないこともわかっていて、ひたすらロックの真髄みたいなところを追求している。どこかコンプレックスも抱えていそうなそのオタク的な雰囲気からは、きっと60年代の米英のビートバンドなどもしっかり聴き込んできたのだろう、マニア的な上手さが感じ取れる。

閑話休題-あのM.ジャガーを踊らせた?

「(I Can’t Get No)Satisfaction」のカヴァーにはこんなエピソードが残っている。ディーヴォがこの曲を無許可でカバーしているのを知ったローリングストーンズのミック・ジャガーが訴え、裁判所に召喚されたディーヴォのメンバーはどういう経緯か、裁判官、そしてミック、傍聴人、弁護団の前で生演奏を披露しなければならなくなったというもの。そうではなく、当時は著作権の有効な楽曲をカヴァー(なおかつレコーディング)するには届け出が必要で、ストーンズ側に打診したところ、オフィスに呼び出され、ミックの立ち会いのもと、生演奏を披露して検分を求めなければならなくなったという話。

とにかく、ディーヴォの面々はミックの前で「(I Can’t Get No)Satisfaction」をやる羽目になった。「なにせあのミックだぜ。すごい目つきで睨みつけてて、オレたちはまじでビビってたよ。楽曲の許可どころか、この業界から干されるかもしれないってね」とマーク・マザーズボウは言っている。そんな、いつも以上の緊張状態にあって、うわずった調子で必死でパフォーマンスをやっていると、なんと当のミックが唐突に椅子から立ち上がり「気に入ったぜ、オレはこういうの好きだぜ!」とディーヴォを絶賛し、ダンスを始めたという…ほんとか嘘か分からないが、そんなエピソードだ。

OKMusic編集部

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