ドレスコーズ

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【ドレスコーズ インタビュー】
はっきりと不道徳さを
自覚してラブソングを歌う

収録されている10曲それぞれに物語が刻まれているアルバム『戀愛大全』。“10本の《架空の短編映画》のサウンドトラックのようなアルバムを目指す”というコンセプトに沿って楽曲の制作が進められたのだという。この作品に込められている想いとは? 志磨遼平に語ってもらった。

僕らは決して聖人君子ではなく
誰もが過ちを犯す

とても暑くて、重苦しい気持ちになる出来事がいろいろあった今年の夏への反動が、今作につながったとお聞きしています。

そうですね。昨年6月に出した『バイエル』はコロナで初めて緊急事態宣言が出た頃に作っていたので、その突然訪れた非日常な状況を“音楽の作品として記録しておかなければ”という妙な使命感みたいものがあったんです。今回はその真逆のような動機というか。“鬱屈とした夏を美しく描き替えてしまいたい”というような気持ちがありました。本当であれば訪れたはずの夏、僕らが失った夏、それを描いてみたいというのが、今回のアルバムの最初のぼんやりとしたイメージでした。

コロナの影響で人同士の接触が避けられるようになった結果、“側にいてほしい”“触れたい”“抱きしめたい”というようなラブソングの定型のリアリティーが失われているという旨を、『バイエル』の取材の時に志磨さんはおっしゃっていたので、そういうものを取り戻す気持ちもあったのかなと想像したのですが。

そうかもしれませんね。でも、昨年は“誰にも触れてはならず、一定の距離を取らなければならない”という状況が…不謹慎かもしれないですけど、珍しかったので。そういう時代のラブソングがあるとしたら、どういうものなのか作ってみたいというのが『バイエル』の動機でした。そうやって決まりを守る姿、じっと耐え忍ぶ姿が、『バイエル』の時はロマンチックに思えたんですよね。それに対して今回は、ルールを破ってでもしてしまうこと、どうしようもなく抑えられないもの、どうしたって我慢できないものを描いてるのかもしれないです。

今年の夏に感じたことがきっかけになったということは、かなり短期間で曲を作っていったのですか?

まさに夏の暑い盛りに作曲を始めて、どんどんレコーディングしていきました。

「エロイーズ」は5月に配信されましたから、今作の中でもかなり早い段階で生まれていた曲ということですね。

そうです。あの曲だけは昨年の時点でありました。“シャンプーのCM用に短い曲を作ってください”という依頼がありまして、サビの部分だけがTVで流れていて。それをちゃんと一曲に仕上げて、5月にリリースしました。

完成した「エロイーズ」によって今作の全体像のイメージも見えてきたんですか?

そうですね。とある主人公がいて、そこに恋愛めいたストーリーがあって、というようなラブソングをたくさん作ってみたい、というモードに入りまして。それも3分ちょっとのポップスとしてよくできているものというか、メロディーが流麗で、リズムは軽快で、そういうラブソングばかりが入っているアルバムをイメージして作り始めましたね。

作る曲に関して、その他に何か一貫した方向性みたいなことは考えていました?

「聖者」というシングルを作りましたけど、僕らは決して聖人君子ではなく、誰も正解なんて持ち得ないんです。にもかかわらず、あちらは間違っていてこちらが正しいんだと主張して、いちいち相手側を排除しようとするようなムードがずっと続いていますが、僕はいちロックンローラーとして、“二極化のどっちにも属せない”という人に向けて曲を書きます。そういう正解が分からずに悩んでいる人こそ、“聖者”と呼ぶに相応しいという曲が作りたいと思っていたんですよね。

確かに「聖者」はおっしゃったことに通ずる感覚が表れているのかもしれないですね。《神さまは/いないよりも/いてほしい》という一節も白黒で語れない感覚ですし。

これだけ科学が発達すれば、神さまはいないことなんてみんな分かってます。でも、あまりにつらくて逃げ場のない状況に陥ったら、神さまだっていてほしい、というようなニュアンスですね。

「聖者」はMVも素敵です。出演している後藤恭路さん、伊澤彩織さんがとても魅力的でした。

ありがとうございます。僕もそう思いました。あのMVのストーリーやアイディアは僕のものではなく、撮ってくださった小池 茅監督のものです。おかげでとてもいいMVができました。たまにしか連絡をとらない友達からも“MV観たけどすごくいいね!”ってわざわざ連絡がきたくらいなので。

生きているとさまざまな過ちを犯すことになりますけど、もがきながらもひたむきに生きている人は尊いですし、それは“聖者”と言い表せる存在でもあるよなと、この曲を聴きながら感じました。

《あたまもわるくて/きみを救うための天使》ってくだりがありますけど、救おうとしないことが悪いのであって、頭が悪いことは決して罪ではないんです。たぶんこの主人公はすごく馬鹿で、不良かもしれないけど、何かに自分を捧げられるというか…天使でなかろうと、お金がなかろうと、何かに自分を捧げて、何かのために自分を律することができるっていう感じ。それはまさしく聖者なんですよ。若い人はきっとみんなそうですね。だから、このアルバムは若者讃歌でもあります。

志磨さんは人間の愚かさ、不完全さが好きですよね?

僕は自己肯定感が人一倍低いんです。だから、“愚かな人を許しますよ”というつもりではなくて、僕は僕ほど愚かな奴はいないと思っているので、全ての人が僕には輝いて見えるんですよ。

まさに「ナイトクロールライダー」もおっしゃったことを感じる曲です。

あの曲は“向こう見ず”とか“無鉄砲”とか“後先を考えない”っていう美しさですね。これも若者讃歌です。若者はみんな悪いことをしますから…って、すごい偏見なんですけど(笑)。若者は道を誤るので、そういう誤りの讃歌でもあります。だから、このアルバムに入っている曲は決して良い音楽ではないんです。“悪いことをしようぜ”っていう、悪いことを推奨するようなダメな音楽です。

言い方が難しいのですが、“悪”って完全に排除するべきではないと僕も思うんです。少なくともアートの世界では“悪”の存在は肯定されるべきだと。もちろん犯罪も含めて実際に何か悪いことをするのはダメですけど、“悪”は人間の根源的な何かしらに根差しているから、我々はいろいろな作品に触れて心を動かされるんじゃないですかね?

そうですね。そういう“悪い作品”に感動するのは、その“悪さ”をする可能性の芽が誰の中にもあるからで。人を騙したり、傷つけたり、裏切ったりする時の気持ちを想像してみれば誰もが分かるんですよ。その気持ちをみんなで想像するために、悪いことを描く“悪い作品”は絶対に絶対に必要なんです。

《人はみじめさ コリーダ/しかたなくて だれかの代わりになったぼくらさ》と歌っている「ぼくのコリーダ」もそういうことですね。この曲を聴いて実際の犯罪を題材にした大島 渚監督の『愛のコリーダ』を思い浮かべたんですけど、あの事件が当時の人々を揺るがせたのも、そこに他人事としてとらえられない何かがあったからだと思うんです。

愛情が高じて、“いっそひどい目に合わせてやろうか”と誰もが思うようなことを阿部 定は本当にやってしまったからですよね。“それくらい情熱的に愛し合えるなんていいなぁ”と思う人もいただろうし。おそらく、そういった狂気は、みんなの中にあるんです。

「惡い男」も人間の悪の部分を描いていますね。《ぼくにも流れる/この血は 重ねた嘘の色/人のかたちした いらだち/なんて 惡い男》って、とてもロマンチックな表現だと思いました。

そんなことを言うから“惡い男”なんでしょうけど(笑)。

(笑)。志磨さんの綴る言葉はとてもきれいです。今さら改めて申し上げるのも変なんですが、詩人だなと今作を聴いて改めて思いました。

いえいえそんな、まだまだですよ。マスクがあって良かったです。マスクの中で顔がずっとにやけています(笑)。
ドレスコーズ
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OKMusic編集部

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