グラムロック、
キワモノ的な扱いとは裏腹に
英国を代表する文学、
演劇性を備えた実力派
コックニー・レベルの1st&2nd
スティーヴ・ハーレイの生い立ち
また、9歳の時からクラシック・バイオリンを習い始め、後には学校のオーケストラの一員として演奏するようになる。また10歳の時にクリスマスに両親からガット弦のギターを贈られ、ギターも習っている。このあたりはセミプロのジャズ歌手であったという母親の、病弱な我が子に何か将来役に立つことでも習わせようという意向によるものだったのだろう。
学校での成績はパッとせず、高校を中退すると、ハーレイは新聞社に職を得て働き出し、いろいろ下働きをしたり、気の乗らない記事を書かされたりしていたようだ。1971年頃からバーやクラブで演奏活動を始める。もっぱらアマチュアでも出演できるオープンマイクの夜にフォーク系のクラブが舞台だったが、そこはジョン・マーティン、ラルフ・マクテル、マーティン・カーシーら、ロンドンのフォーク・シーンでも人気のあったミュージシャンたちも出演する店だったという。そこで出会ったのが、後にコックニー・レベルの創設メンバーとなるバイオリンのジョン・ポール・クロッカーで、意気投合したふたりはロンドンの地下鉄やポートベロー・ロード、ハイドパークなどでバスキングを始める。バスキングというのは、街角や路上で演奏して投げ銭をもらうというもので、今でも珍しいものではないだろう。
そうした大道芸、ボードヴィル、米国で言うところのヒルビリー的なフォークのスタイルも悪くなかったのだが、世の時流がフォークではないことを悟ると、ハーレイはロック風の自作曲を書き始め、それを試してみるべく、バンドを結成することを決断する。