中村梅玉に聞く『源氏物語 夕顔の巻
』10月歌舞伎座公演『芸術祭十月大歌
舞伎』インタビュー

二枚目の役の数々を、レパートリーにもつ中村梅玉。2022年10月4日(火)より、歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』で、舞踊劇『源氏物語 夕顔の巻』に出演し、光源氏をつとめる。
歌舞伎における『源氏物語』は、1951年、船橋聖一の脚本で十一代目市川團十郎(当時、海老蔵)が光君を演じ、大ヒットした。北條秀司や瀬戸内寂聴も、歌舞伎の『源氏物語』を手がけている。今回上演されるのは、萩原雪夫の脚本で1995年9月に初演された舞踊劇だ。
「9月は第一部から第三部まで全部出たかったくらい」と笑顔を見せる梅玉。
初演以来2度目の光源氏役となる梅玉のスチール撮影を取材し、話を聞いた。
■光源氏の気品、梅玉の品格
「『源氏物語』の光源氏は、いわば伝説的な貴公子です。初演の時は、若輩の自分でいいのだろうか、という思いもありました。清元には志寿太夫お師匠さんもお出ましくださり、大変感謝し、緊張しながらつとめたように思います」
脚本の萩原雪夫は、同公演の第一部で上演される『鬼揃紅葉狩』も手掛けている。
「萩原先生は、個人的にも大変親しくさせていただきました。僕をよく知る方ですから、その当時、光源氏に梅玉という役者のイメージもあわせて、拵えてくれたのかもしれませんね。前回の六條御息所は、亡くなった兄さん(七世中村芝翫)でした。その月は夏雄(十二世市川團十郎)さんも出ていましたから、ずいぶんと時間が経ちました。今回は新しい気持ちでやらせていただきます。絵巻物のような世界に、清元のよい曲がついています。その風情を楽しんでいただけたらと思います」
前回の舞台写真も参考に。
スチール撮影では、梅玉が光源氏の拵えでセットに入ると、濃紺の背景紙は夜の闇に。照明は月明かりに。現場が、令和の東京とは思えない空気に変わった。
「典型的な平安貴族の衣裳です。演じる上で大切なのは、貴公子の役としての気品でしょうね。化粧や立ち振る舞いを工夫し、ある意味テクニックでお見せする部分もあります」
かねてより梅玉は、養父・中村歌右衛門から品を大切にするよう教えられたと語っている。
「父は、品のある舞台をつとめるよう言いました。それは貴公子に限らず町人でもどのようなお役でも、大舞台で様になる、梅玉という役者の芸の品格のことです」
『源氏物語』(平成7年9月、歌舞伎座)光源氏役の中村梅玉 /(c)松竹
役者としての品格は、持てと言われて持てるものなのだろうか。梅玉は「そこなんだよ」と肩を落としてうなだれると、「だから僕は、いまだに自分に品が身についたと思えない」と困ったように笑った。
「ちっとも品がない。ちっとも格がない。父は、そのような教え方をしました。けれども、どうすればよいのかは言いません。テクニックの話ではないのですよね」
『源氏物語』(平成7年9月、歌舞伎座)光源氏役の中村梅玉。 /(c)松竹
「結局できることといえば、歌舞伎座の大きな舞台で様になる役者を目指し、脇道に逸れず努力すること。その中で、次第に身につくものがあったかもしれません。それをお客様が品と感じてくださったとしても、格はまだまだ全然。品と格は別ものです。大先輩方には、たしかに格がありました。そこまで辿り着けるか、一生涯修行です」
■6回目の「明日待たるる、その宝船」
9月は『松浦の太鼓』で、赤穂浪士の大高源吾役を颯爽とつとめている。
「最近は、毎日の舞台が楽しくて楽しくて仕方がありません。どのお役にも、演じる幸せを感じます。父は『60過ぎてからが役者の本当のスタートだ』『60過ぎれば、お前さんも分かってくるよ』と言いました。もちろん芸の話ですから完成はありませんが、自分なりに納得して役を表現できるようになったのが、思えば60歳くらいから。若い頃は、初日を迎えるので精一杯でした。今はある意味ゆとりができ、その分どんどん意欲がわいてきます」
大高源吾役は6回目となるが、気づくことは尽きない。
『松浦の太鼓』大高源吾役の中村梅玉(令和4年9月歌舞伎座) /(c)松竹
「たとえば最初の両国橋の場面。其角が句を詠み、大高源吾が『明日待たるる、その宝船』と返します。この台詞を、以前は歌舞伎らしくたっぷりと言っていました。でも、これほど声を張り上げて言うのに、其角が真意に気がつかないのは少し不自然。今回は少しセーブして答えています。また、吉良邸討ち入りのあと、松浦侯に報告し、最後に『切腹致す覚悟にございまする』と言いますね。前回までは沈んだ調子にしていました。しかし大高源吾にとって、切腹して亡君のそばへ行くことは喜びです。今回は、きっぱりと言うと決めています」
『松浦の太鼓』大高源吾役の中村梅玉(令和4年9月歌舞伎座) /(c)松竹
「高麗屋(松浦侯役、松本白鸚)さんや中村歌六(其角役)さんは、気づいているはず。やりにくいとおっしゃるかもしれませんが、どうなのかな(笑)。あとはお客様がどうお感じになるか。僕自身は、今日はこうした。明日はもっとこうしてみよう。自分なりの研究の日々で、明日の舞台も楽しみです。1か月25日間、毎日同じ芝居ではいけません。初日より2日目。2日目より3日目と役は練り上げていくもの。これも父の教えです。ただし古典の作品には、完成された形がありますから、どんな作品でも変えて良いわけではありません。そこは歌舞伎の難しいところです」
■福助襲名から、二枚目若衆路線へ
1956年1月、梅玉は弟の魁春とともに、戦後を代表する名女方・六世中村歌右衛門の養子となり初舞台をふんだ。1967年4月に八代目中村福助を襲名した。
「歌右衛門は女方です。長男となった僕が女方を継いでも、おかしい話ではありません。けれども、性格的に僕は呑気で、弟は細やか。弟の方が女方に向いていて、僕には二枚目系の立役が合うだろう、と父は踏んだのでしょう。福助襲名の披露興行で、『絵本太功記』の十次郎と『吉野川』の久我之助をやり、二枚目系の若衆役に方向性が定まりました」
『仮名手本忠臣蔵 大序』足利直義役の中村梅玉(当時:福助、昭和52年11月歌舞伎座) 撮影:吉田千秋 /(c)松竹
今も昔も、ハッとするほど端正な容姿。映画やテレビのオファーもあったはず。聞けば、「実はね」と笑ってはぐらかす。1960年代後半、尾上菊五郎(当時菊之助)、十二世市川團十郎(当時新之助)、初世尾上辰之助が、歌舞伎の枠を超えて人気を博した「三之助」ブームがあった。梅玉は同年代で、團十郎とは同い年の幼なじみだった。
「彼らの活躍を、うらやましいな、自分も歌舞伎以外の仕事をしてみたいな、と思った時期はありました。しかし父は、許しませんでした。30代後半になり、ふと父から『そろそろ、他のジャンルをやってもいいよ』と言われたのですが、その頃には、もうどこからも声がかからなくて(苦笑)。若い頃は色々な思いもありましたが、今はこれで良かったと思っています。脇目も振らずに歌舞伎の本道で来て、なんとか一人前になれたように思えます」
『義経千本桜 川連法眼館』源義経役の中村梅玉(当時福助、昭和52年10月歌舞伎座)撮影:吉田千秋 /(c)松竹
俳優としての時間をまるごと歌舞伎に、中でも二枚目若衆役に費やしてきた。
「そうとも言えます。でも四六時中、芸のことを考えていたわけではありませんよ。父もそういう人でした」
歌右衛門は、家では歌舞伎の話はしなかった。動物やぬいぐるみを愛好し、一緒にテレビをみたり、1年365日のうち300日近く麻雀を楽しんでいたという。
『菅原伝授手習鑑 賀の祝』桜丸役の中村梅玉(平成14年2月歌舞伎座) /(c)松竹
「天真爛漫で上等な人でした。麻雀はまるで弱いのに、大きな役ばかりを狙う。コテンパンに負けても笑っている、そんな無邪気な人でした。舞台では神経をすり減らして集中しているからこそ、オフの時間は気分を変えたかったのでしょう。どの芸道も、一心不乱に芸一筋でいることが目指すところとされますが、それは無理(笑)。僕はどちらかといえば、ふだんは歌舞伎役者でいたくない、という意識が強いです。皆、子どもの頃から修行に励みつつ、それぞれに余暇の過ごし方をもっているのではないでしょうか」
梅玉は洋楽もジャズも聴く。一時はAKB48の大ファンだった。最近はYOASOBIにはまり、「サザンオールスターズは永遠に好き」だと語る。
『番町皿屋敷』青山播磨役の中村梅玉(平成17年2月歌舞伎座) /(c)松竹
「役者として舞台に立つ以上、お客様に老け込んだ舞台をお見せするわけにはいきません。そのためにも、ふだんから前向きに、明るく過ごすこと。今のいぶき、今の風の流れを感じることを大切にしています」
■芸は深い、しゃくに障るくらいにね
1992年に四代目中村梅玉を襲名して30年。今年7月、歌舞伎立役として、人間国宝に認定された。
「歌舞伎という伝統文化が、重要無形文化財に総合認定されています。その素晴らしい歌舞伎の担い手のひとりとして、長年のキャリアが認められたと受け止めています。自分は人間国宝だ、なんて思うことはありません。栄誉なことですが、それ以上に新しい世代に伝える使命感が強くなりました」
後進の育成にも広くかかわってきた。しかし「自分の芸を伝えるわけではない」という。
「先輩方から伝わってきた素晴らしいものを、自分を経て、『おじさんはこうやっていたよ』と教える。それでも実際に教える時は、過去の自分のビデオを見ながらだから、イヤになります。たとえば(中村)隼人に『番町皿屋敷』を教えるにしても、自分の青山播磨を見せながら、『こうやっては駄目だからね』と説明する。隼人は『じゃあどうしたらいいですか?』となる。当たり前だと叱られそうですが、芸って深いんだよ。しゃくに障るくらいにね(笑)」
そんな梅玉のもとで、芸道に励む弟子たちがいる。
「4人の弟子は、いつも一生懸命に尽くしてくれています。普段は、僕の身の回りを手伝ってくれていることが多いのですが、8月の勉強会(第二回『高砂会』)では、全員、出来はともかく思い切って力を発揮していました。彼らが、役者になって良かったと思ってくれているようで、それが何よりも嬉しいです」
スチール撮影の現場には莟玉や一門のお弟子さんも集まっていた。
部屋子だった莟玉(当時梅丸)は、2019年に梅玉の養子となった。若手俳優の中で存在感を発揮している。
「まだ一人前とは言えませんが、どんな役も舞台稽古までにある程度の形にし、初日にお客様が入ると、さらに輝く……と言うと褒めすぎだな(笑)。輝かんばかりに溌剌と舞台に立てる。そこが、なかなか良いですね。舞台に出るのが好きで好きで仕方がない感じがあります」
莟玉は梅丸時代から「どの稽古もサボることなく、みっちりとずっとやっていた」と、梅玉は振り返る。
「歌舞伎役者は、舞台が好きであることが絶対に大事。舞台が楽しくて当たり前の中で、その気持ちをどこまで舞台で発揮できるかは、人それぞれです。あいつは当然努力もしているけれど、加えて“何か”を持ってるんだろうな。いや、また褒めすぎたな(笑)」
『源氏物語』光源氏=中村梅玉 /(c)松竹
最後に、これからやりたい事をたずねると「なんといっても、桜丸でしょう」と答えた。
「70歳を過ぎても前髪の似合う役者でいたい、とずっと言ってきました。お客様に喜んでいただけているかは別問題なので手前勝手になりますが、機会をいただけるなら『賀の祝』の桜丸は、絶対にまたやってみたいお役です。古典歌舞伎の代表的な作品である『菅原伝授手習鑑』。その中で『賀の祝』は桜丸が主役。前髪が主役のお芝居は、多くありません。だからこそ、なおも究めてやらせていただけたらと思います」
歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』は、2022年10月4日(火)~27日(木)の公演。梅玉は、18時15分開演の第三部にて『源氏物語 夕顔の巻』と『盲長屋梅加賀鳶』に出演する。
歌舞伎以外でしたいことは「サザンのライブにいきたいな。そして桑田佳祐さんと再会したい!」と梅玉。
取材・文・写真(クレジットのないもの):塚田史香

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