岡田准一×MIYAVIインタビュー 共鳴
しあう二人が『ヘルドッグス』で挑む
“男たちの愛”

映画『ヘルドッグス』が9月16日(金)より公開中だ。本作は、岡田准一演じるトラウマを抱え復讐に生きてきた元警官の兼高昭吾と、危険なサイコボーイ・室岡秀喜(坂口健太郎)がコンビを組み、ヤクザ組織の中でのしあがっていくノンストップ・クライム・エンタテイメントだ。
監督・脚本を手がけた原田眞人氏と岡田は、『関ヶ原』、『燃えよ剣』に続き3作目のタッグ。これまでも多数の作品で技闘デザイン(アクション振付)を担当してきた岡田は、本作でその腕にさらに磨きをかけ、速く、痛く、重い攻撃的な技斗を演出している。そして、岡田演じる兼高の前に組織のトップとして立ちはだかるのが、MIYAVI演じる十朱義孝だ。およそヤクザらしからぬ颯爽としたいでたちの十朱は、高い戦闘能力と凶暴性を持ち合わせ、兼高の潜入捜査の“標的”となる。初共演となった岡田とMIYAVIは、本作で既存のヤクザ映画に捉われない脚本や原田監督の現場を存分に満喫したという。そんなふたりの対談をお届けする。
――『ヘルドッグス』で岡田さんは原田監督と3度目のタッグ。さらには、技闘デザインも担当されています。脚本についてどう感じ、どう現場に臨まれたのでしょうか?
(c)2022「ヘルドッグス」製作委員会
岡田:脚本を読んで、自分が想像しているものよりも、“ぶっ飛んだ”映画になると思っていました。原田監督なので「巨大なラリアット喰らった!」みたいな2時間半になる、と。けど、実は監督はとても細かく考えられている方で、とにかく深いんです。アクションの構成に関しても、最初に打ち合わせをするんですけど、拾い集められないぐらいのワードが出てくるんです。哲学的なことから、キャラクターのテーマから、性別を超えた愛について話したりして。だから、振り付けもそれに準じるようにしていきました。「ああ、だからあのシーンはこういう風な振り付けにしたんだな」と、後になって分かってくれたらいいな、と思っています。映画自体を表現するなら「実は緻密なんだけど、それをひっくり返したみたいな映画」だと思います(笑)。
MIYAVI:そう、そう。
岡田:監督の中では、相反する矛盾を抱えている複雑な人間模様みたいなものが、哲学やギリシャ悲劇にまでつながる、人間の性(さが)までが込められているんだと思うんです。複雑でありながら、すごくシンプルな面もあるので、あまり考えずに皆さんには観てもらいたいですね。
MIYAVI:そういう意味では「すべての関係性に矛盾が孕んでいる」のかも。
岡田:そうですね。十朱が「好き・嫌い・好き・嫌い」とやるんですけど、それが象徴的ですよね。好きなんだけど信じられないし、信じられるけど疑ってるし、というような。人間が持つ、揺れ動く感情みたいなものが全員にあって、信じるのか・信じないのか、そこを監督が楽しまれている感じなんです。
(c)2022「ヘルドッグス」製作委員会
――ハードボイルドな世界に身を投じてみて、MIYAVIさんは撮影中、どのようなお気持ちでしたか?
MIYAVI:いわゆるヤクザものの概念を超えている映画だなと思って、演じていました。だからこそ、僕も呼ばれたのかなと。むしろ(既存のヤクザ映画)だったら、僕は全然できなかったと思うんです。だって、十朱は俗にイメージする「ヤクザの親分感」ゼロじゃないですか(笑)。十朱という存在は、彼が作ろうとしている“美しい世界”の信念があってあの場に存在している。そこに自分にしか出せないものがあると思ったから、本作に挑ませてもらいました。その中で、ヤクザというある種の日本の文化における……男が男に惹かれ合って、信じて愛し合うという“本能レベルの愛”があって。現場でも、十朱として兼高という存在に対してすごく惹かれながら、揺れ動く感情を味わいながら演じさせてもらいました。
――十朱を演じることは、すんなりイメージできたのでしょうか?
MIYAVI:いや、やっぱり最初は戸惑いもあって、「出来るのかな?」という思いもありました。でも、やっぱりそこは原田監督のビジョンを信じていました。原田監督は映画そのものに対してのリスペクトと愛がすごく強い方なので、その監督が見た景色の中に僕がいるのであれば是非と思い、決心しました。十朱という役についても、沢山のリファレンスもいただきました。『冬の光』(イングマール・ベルイマン監督)だったり『地獄の黙示録』も、たまたま映画館でリバイバルをやっていたので観に行ったりもして、カーツ大佐の言葉をメモりながら(笑)イメージをつかんでいきました。
(c)2022「ヘルドッグス」製作委員会
――「兼高という存在に対してすごく惹かれながら」とお話しされていましたが、岡田さん演じる兼高とは絶妙な距離感を保っていましたよね。緊張感もあって。
MIYAVI:やはり僕は十朱として兼高との関係性を一番大事にしていました。十朱は孤高のトップなので、寂しい存在でもあって。でもその中で兼高という男だけが唯一、自分と同じ匂いを感じるというか、同じ景色の中にいられる相手じゃないかなと思ったんです。男と男が惹かれ合うというか。岡田くんとこういう形でやらせてもらって、アクション含め演者としてのこだわりにすごく共鳴したし、すごくリスペクトを持って共演させてもらいました。
――岡田さんはMIYAVIさん演じる十朱と対峙して、いかがでしたか?
岡田:この映画に出てくる全員がぶっ飛んでいるし、当然、十朱もぶっ飛んでいるんですよ。めちゃくちゃだなと思いながらも、一番まともなのは十朱だとも思うんです。彼は悩んでいるし、ピュアすぎてひっくり返って今に至っているので、十朱が一番人間っぽいと思っていましたね。
MIYAVI:そうだよね。十朱がある場面で戒めとして部下にさせる行動とかも、ああいうのはすごい人間っぽいよね。
(c)2022「ヘルドッグス」製作委員会
――本作は任侠ものでもあり、アクション映画でもあり、クライムムービーでもあり、人間ドラマでもあり、一言では表現できない様々な楽しみ方できる作品に仕上がっています。完成した作品をどう楽しみましたか?
MIYAVI:この作品はエンターテインメント性があり、かつ絵の切り取り方や世界観はすごくアーティスティック。細部も含めて、本当にアートとして捉えられても良い作品だと思っています。
岡田:そうですね。日本人が見た日本ではなく、外国人から見た海外を意識したときのアジアのエキゾチック感を大事にされているんですよね。その感覚を閉じ込めようとしている映画だな、と思いました。
MIYAVI:確かにね。僕が思うに、日本の映画は“間”を大事にするじゃないですか。あの、ジトーっとしたところ。それが日本映画の良さでもあると思うんですが、この作品にはそのジトジト感がない。原田監督も撮影中、「もっと早く喋れ」と言ってたし(笑)。だから展開のカラッとした感じは、異国感・多国籍感みたいな部分につながっていると思います。監督も、そこはすごく意識していたんだと思います。もっと言えば、「別にキャストも日本人だけじゃなくてもありだよね」という感じの作り方。ヤクザというものがベースとなっているだけで、日本人が日本のヤクザを日本らしく撮ったものではまったくない。だって、みんな葬式でクラシックオペラを歌ってますからね(笑)。
岡田:みんなで歌うところ、最高ですよね(笑)。
映画『ヘルドッグス』は公開中。
取材・文=赤山恭子

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