生田みゆき(上演台本・演出)×岡本
健一×成河が語り合った~アラバール
『建築家とアッシリア皇帝』とは何か

2022年11~12月、シアタートラムで上演される、岡本健一と成河のふたり芝居『建築家とアッシリア皇帝』は、フランスで活躍したスペイン生まれの劇作家フェルナンド・アラバールの代表作である。絶海の孤島を舞台に、自らを“皇帝”(岡本健一)と名乗る男は、島の先住民を“建築家”(成河)と名付け、教育を施そうとする。いろいろな人物を演じたり役割を入れ替えたりして「ごっこ遊び」に興じるなかで見えてくるものはーー。
本作の演出は、岡本と成河が共演した『森 フォレ』(21年、上村聡史演出)で演出助手をつとめていた生田みゆきが担当する。気鋭の演出家と実力派の俳優が一同に会した取材日は、三人が各々戯曲を読んでから顔を合わせるはじめての日で、口々に新鮮な印象や思いが飛び出した。岡本が「動画を撮ればよかったね。三人のこんなテンションはもうないよ」と言っていたほどである。そろってこの戯曲を手強いと感じ、かつそれが楽しいと話は尽きることがなかった。

■謎だらけ、方向性の見えない怪戯曲
――御三方は『森 フォレ』でご一緒だったんですよね。
岡本健一(以下岡本) その舞台のとき生田さんは演助(演出助手)で、毎日遅くまで稽古場に残って仕事をしていました。とても信頼できる人です。上村(聡史)くんからも生田さんはおもしろいことにトライする方だと聞いていて。だからご一緒するのが楽しみです。
成河 生田さんの熱意は演劇が好きじゃないと出せないものだと思う。今日、会った瞬間、「これ(『建築家とアッシリア皇帝』)、ほんと楽しみですよね」と目をキラキラさせたんですよ。僕は昨日、戯曲を読み返して、どうしようかと頭を抱えていたから、その反応に驚きました(笑)。
生田みゆき(以下生田) 健一さんも「楽しいよね」と言っていましたよね。
岡本 楽しいっていうか、想像を超えちゃっていて……。読んでいてどこにいくか全然わからないし、第一、こんなに長いセリフ、これまで読んだことがない(笑)。
成河 通常だと、どんなに長いセリフでも、読み進めていくとなにかしら方向性が見えるものだけれど、まったく見えないよね。たぶん、どこかに道筋の暗号が隠されているのだろうけれど、簡単には見つかりそうにない。
岡本 建築家とアッシリア皇帝は“ごっこ遊び”をするとト書きにも書いてあるけれど、ごっこ遊びに思えない。ふたりは絶対に真剣だと思うんだよね。
生田 本当にそうだと思います。真剣だけどすぐ気が変わる。
岡本 気が変わっても常に真剣(笑)。これを書いたアラバールのことが気になって調べたら、かなり壮絶な人生を歩んでいるんだよね。そう思うと、いろいろなことを戯曲に隠している気がする。はたしてここはほんとうに無人島なのか、実はそうじゃないのかなとか。皇帝と名乗る人物はひとりでこの島に来たわけではないのかもしれないとか……。
岡本健一
成河 むしろ、建築家と皇帝はひとりなんじゃない? という思いがよぎったりもして……。ことあるごとに予測を裏切っていく戯曲で、登場人物が二人という前提すら裏切っていくのかなって。
生田 そういう考え方もありますね。
岡本 戦争のことも書いてあって、それが今の時代に本当にリンクしているような気がしたし、皇帝と建築家の役割が入れ替わったり、性別や年齢が変わっていったりと、ジェンダーレスやエイジレスが描かれる点も現代的だと思う。
成河 一方で、笑えるところもいっぱいある。僕は昨日、三回くらい声を出して笑いました。
生田 段々、危うい方向に行くとはいえ、表面的には圧倒的に喜劇で、何回お客さんを笑わすことができるかも問われそう。
岡本 これだけの要素を盛り込むなんて、アラバールは天才だなと思う。
生田 欲張りですよね。いろんなことをとにかく入れて、100人観れば100通りの感想が出るのではないかと思います。不思議なのは、完成までに何度も書き直しているはずにもかかわらず整理する気が感じられないことなんですよ。
岡本 どこを削ってどこを足したのか、その過程と理由を知りたいよね。
生田 作家の意図を尊重しながら、どこをピックアップしていくかおふたりと相談もしつつ、でもあまりテーマを絞り込み過ぎないようにしたいですね。おもちゃ箱のなかからいろいろなものが出てくるみたいな楽しさは残したいと思っています。
――建築家と皇帝とは何者なのか。その謎は解けますか。
生田 質問とずれるかもしれませんが、アッシリア(紀元前20世紀頃から紀元前10世紀頃まで現在のイラク北部あたりにあった王国)はすでに滅んでいて、男は皇帝であるわけはないのですが、なぜアッシリア皇帝と名乗るんだろう? ということが謎です。中東であるアッシリアを持ってきた意図は、セリフにある“西洋も東洋も統べる国”という意味合いで、ちょうど中間地点にしたのかなと思います。そうすると西洋の文明をただ崇め奉る話ではないはずなんです。
成河 日本の戯曲はどんなに難解でも、例えば戦後の日本について書いているのだろうとか、その問題に対する作家のエネルギーの分量を読み取ることができますが、『建築家とアッシリア皇帝』に関してはさっぱりわからないですね。
成河
生田 登場人物が何者か、最後の最後まで教えてくれない戯曲なので、逆に言うと誰でも自分を投影出来ると思います。皇帝も一人のときは現代のサラリーマンみたいに見えることもあります。
岡本 僕はまだ全然、解釈まではいけていないけれど、最初に本を読む時は、一読者あるいは一観客として読むんですよ。今回の場合、男ふたりが舞台上にいて、それだけでちょっと面白いだろうと感じました。
生田 誰しも、例えば子供のお姫様ごっこや大人の王様ゲーム等で自分の命令ですべてが動いていく快感を経験したことがあるでしょう。このふたりも皇帝と建築家ごっこ遊びをすることによって支配、被支配のシンプルな関係を経験します。そして支配力の根っこにある「愛情」が極端な形で出てくるといいなあと思っています。好きで好きでたまらないみたいな感情が。
成河 とにかく役者ふたりが大変なことするよっていうことだといまは捉えています。俳優が七転八倒する様をアラバールさんは面白がって書いたのかな(笑)。
生田 支配力が発揮された結果、愛情が極端な形で出てくるといいなあと思っています。好きで好きでたまらないみたいな感情が。
生田みゆき

■身体性がものをいう作品
――生田さんはふたりの俳優としての資質をどう感じますか。
生田 『森 フォレ』の読み稽古のとき、成河さんはご自分と直接関係ないセリフのところも演出家にどんどんと質問をしていらして、全体を理解し納得された上でご自身の役割を探していくところが賢い人だなあと思いました。健一さんはとにかく毎日、稽古時間帯の最初から最後までずっと稽古場にいらして。よっぽど演劇が好きなのでしょうね。
岡本 そうしないと間に合わないんだよ。僕だって本当は稽古のあと飲みに行くなど全然関係ないことをして過ごしたいけれど、明日の稽古でやるシーンが腑に落ちてないのが落ち着かないんだよね。
生田 探究心や好奇心が全然枯渇しないことはすごい才能ですよ。ふたりに共通するのは、例えば、今日、宣伝美術用の撮影をしたとき、こういうポーズどうですかとポンと投げると、ふたりで勝手にどんどん次のステップに行ってしまう。稽古場でも想定外のことを起こすだろうと楽しみです。
成河 健ちゃんとは共演がこれで三回目だよね。
岡本 『スポケーンの左手』と『森 フォレ』とこれで。とにかくいい作品を創ろうということを共通認識として持ち、それぞれのやるべきことを果敢に取り組んでいく同志だと思っています。
――生田さんの稽古の仕方はどんな感じなのでしょう。
生田 私の稽古スタイルはまだ確立してなくて、いろいろ試行錯誤しているところです。この間、美術の打ち合わせで演劇界の大先輩・堀尾幸男さんと話した時に「この作品はライブ感覚が大事だから」「その場で何が生まれるかということの余地をちゃんと残して稽古場を作ったほうがいいよね」とサジェスチョンをいただきました。そういう意味では、これ、言葉の演劇でもある一方で、身体性がものをいう演劇だとも思っていて。お二人の表現者としての身体がどうなっていきたいのかが、言葉以上に見えてくると面白くなるのではないかと考えています。とにかく私はふたりが遊んで頂ける材料をまず用意するつもりです。
成河 ありがたいですねえ。この台本、感情にまつわるト書きが非常に多いんですよね。セリフは理路整然としているにもかかわらず、ト書きで「非常に落ち込んで」とか「急に堂々として」「自信を持って」とか「また沈んで」みたいに感情だけが刻々と変わっていて、なんでそうなっているのか、それこそ、そのセリフを身体化した時にわかることが100回に1回ぐらいあるみたいなことだよね、たぶん?
生田 翻訳ものを上演するときにいつも難しく感じるのですが、日本語にしたときに原文の持っている或る自由さを狭めてしまうことがあって。それこそ一人称をどう訳すかで受け取れるものがかなり変わりますから。今回は、原文に当たって話し合いをしながらやっていってもいいかなと思っています。(生田の持ってきた英語版の戯曲を見てひとしきり盛り上がる)
――岡本さんと成河さんはひとつの作品で複数の役を演じ分ける経験をされています。役を切り替える秘訣はありますか。
岡本 複数の役を演じて混乱しちゃうみたいなことは全然ないです。衣裳を着ればスイッチが入ることもあるし、言葉が変わると必然的に変わることもあるし、カラダのほうから変えていくこともあって。そういう作業を繰り返していると次第に役が身に付いていくものなんですよ。
成河 完全に同意ですね。言葉、体……相手役との関係性から変わることもあります。役者をやったことのある人はわかると思いますが、3役やって混乱する人はひと役でも混乱しますよ。それが3役だろうが50役だろうが100役だろうが、自分と違う役をひとりひとり作る時間が増えるだけであって、混乱は決してしない。

■“テアトル・パニック”は現代においても有効か
――『建築家とアッシリア皇帝』はふたりの人物が何者なのか、どこに向かっているのかわからない、裏切りに次ぐ裏切りの演劇ということですね。それが67年の初演時 “テアトル・パニック”と呼ばれ、革新的なものと捉えられたそうですが、“テアトル・パニック”という概念は現在にも有効でしょうか。
成河 僕は丁度、別役実さんが話している動画を観ていたところで、60年代に出てきた不条理劇について00年代の今どう思いますかみたいな質問に、別役さんは、当時はまだ認識されていなかったけれど今は不条理劇が充分定着しているから、ことさら不条理劇という言葉を使う必要もないとおっしゃっていました。“テアトル・パニック”もそうなんじゃないかな。あまり言葉に囚われなくてもいいような気がします。
岡本 アラバールさんが“テアトル・パニック”を打ち出した当時、これが或る種革命的だったということは、今回、例えば、はじめて演劇を観る人たちにはちょっとした衝動を掻き立てるものになるような気がする。劇場に足を運ばないと得られないものがあるという意味ではキャッチーな言葉かもしれないよ。
生田 『建築家とアッシリア皇帝』の戯曲を読んだら多かれ少なかれパニックにはなると思うんですよ。あれもこれも盛り込んで整理しようとしていないという点に観客を誘導しようとしない作家の意志を感じる一方で、作家の独得な世界は強く打ち出されていて、自分の想いを伝えたという欲求も感じる。すごくアンバランスな戯曲です。きっと作家自身もパニックになりながら書いていたのではないでしょうか。
――パニックに陥った体験、ありますか。
岡本 あるけれど、人に話せるものはないなあ(笑)。
成河 言えるものはパニックじゃないよね。
岡本 危なかった〜ということはしょっちゅうあるね。
成河 そういうときに頭より体が先に動く経験はありますね。
生田 想定を超えるようなことってありますよね。例えば、ウクライナ戦争が勃発する前、ウクライナに住む若い夫婦が語っている動画を見たら、「前から(ロシアと)関係は良好でなかったし今更何を騒いでるのか、家族もずっとここに住んでいたし国外に行く必要はないでしょう」みたいなことを語っていたんです。その一週間後くらいに侵攻があって、あの家族は今どうしているのだろうと思ったんですよ。ウクライナ戦争に限ったことではなく誰にも想定外の出来事は起こり得ます。『建築家とアッシリア皇帝』にも作家自身の想定外の経験がたくさん入っていますが、それは案外遠い世界ではないかもしれません。そういう意味では稽古に入ってから四ヶ月後に世界がどう変わっていくか、自分がどう変わっていくかで、かなり見えてくる風景が変わると思うんですよね。お客さんも多分そうで、だからこそあんまり誘導し過ぎないようにしたいし、でも誘導したいみたいな、作家と同じような気持ちもあって。私はこの作品のここがおもしろいと思いつつ、でもそれを絞り込まないことで作家にリスペクトを示すことはとても難しいと感じているところです。
成河 なるほど〜。
生田 だって、何がどう響くかわからないですからね。そういう意味では自由度が高いとも言えます。これがうまくできたらパニックが生じるのではないかなと思いますけれど。
岡本 今ここで話していることがまったく意味がなさないぐらいの稽古になるんじゃないかな。もう会話している場合じゃない、早く稽古したい(笑)。
――では最後に、読者の皆様にメッセージをお願いします。
岡本 例えば、初観劇がこの作品だったら結構衝撃的だと思うんですよ。人生、最初に観た演劇が『建築家とアッシリア皇帝』というのは、後々の人生にも誇れるだろうし、自分が少しレベルアップするんじゃないかな。初観劇でないとしても、どんなに文明が進化しても想定外の出来事が蔓延するいま、生の人間が汗を流して白熱させるエネルギーを実感することは、劇場でしか味わえない。だから、観に来ない人は……もう知らない(笑)。
生田 コロナ禍でエネルギーを抑制したり他者と関わることを恐れたりしてしまいがちな今、人間はここまで誰かと繋がりたいと思えるし、ここまでエネルギーを発散してもいいし、こんなにも嘆き悲しめるんだ、というようなことをたくさん感じて、ある種のカタルシスを得られる作品にしたいと思います。
成河 自分らしくあらねばとか私とは何者か確たるものを持つべきというようなことがストレスになることがあると思うんですよ。ところが劇場は誰にでもなれるしどうでもいいことが許される世界です。僕なんかもそうだったし、コミュニティーからはみ出ちゃう人にはとても居心地が良い場所です。内容が正しくわからなくてもいいんです。わからないことをなんだか楽しく見られるようにするために俳優がいるんです。だから僕たちを信じて観に来てほしい。わからなかったら僕たち俳優のせいですよ。ね、健ちゃん!(声が一層大きくなる)
岡本 (困ったように笑う)
成河 俺がこういうことを言うと結構引くんだよ、健一さんは。
岡本 ここで乗っかっちゃったら収拾がつかなくなるよ(笑)。
取材・文=木俣冬  撮影=岩間辰徳

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