吉右衛門ゆかりの当たり役を、白鸚、
幸四郎、菊之助らが播磨屋一門と爽や
かに偲ぶ 『秀山祭九月大歌舞伎』観
劇レポート

2022年9月4日(日)、歌舞伎座で『秀山祭九月大歌舞伎』が開幕した。「秀山祭」は、初世中村吉右衛門の功績を讃え、芸を受け継ぐべく始まり、二世中村吉右衛門を中心とした座組で盛り上げられてきた。その二世吉右衛門が、昨年11月28日に他界し、今年の「秀山祭」は、「二世中村吉右衛門一周忌追善」の興行となった。1日三部制で全6演目。播磨屋一門、吉右衛門の兄・松本白鸚、甥・松本幸四郎、娘婿・尾上菊之助、孫・尾上丑之助や、同世代の片岡仁左衛門、中村梅玉、さらに教えを受けた松緑や海老蔵など、主役クラスの俳優たちが一堂に会し、一幕も見逃せない興行となっている。
■第一部 11時00分開演
『白鷺城異聞(はくろじょうものがたり)』
中山幹雄・作、松貫四の構成・演出。松貫四とは、吉右衛門の筆名だ。1999年10月、姫路城三の丸広場で初演されて以来、23年ぶり2度目の上演。姫路城、通称「白鷺城」の広間から、物語がはじまる。
城主の本多平八郎忠刻は、正室の千姫と夫婦仲良く暮らしている。しかし近ごろ、千姫の具合がすぐれない。城には物の怪が出るとの話もある。当代一の剣の達人・宮本武蔵を城へ招き、退治と原因究明を頼むのだった。
第一部『白鷺城異聞』(前方)左より、宮本三木之助=中村萬太郎、腰元名月=中村米吉、腰元白鷺=中村梅枝、宮本武蔵=中村歌六、家老都築惣左衛門=中村錦之助、(後方)左より、千姫=中村時蔵、局明石=中村歌女之丞、本多平八郎忠刻=中村又五郎 /(c)松竹
宮本武蔵に中村歌六、忠刻に中村又五郎、千姫に中村時蔵という配役。中村梅枝と中村米吉による腰元は、武蔵を踊りでもてなす。続いて武蔵が、巌流島の戦いを勇壮に語って聞かせると、そのお礼に千姫も舞を踊る。赤姫の華やかさ、箏の豊かな音色で、贅沢な気分に。雅やかな雰囲気を楽しむ作品かと思った矢先……。
第一部『白鷺城異聞』左より、宮本武蔵=中村歌六、秀頼の霊=中村勘九郎、刑部姫=中村七之助 /(c)松竹
後半は、天守閣が舞台となる。忠刻と三木之助(萬太郎)が妖怪退治に乗り出す。七之助がつとめる妖怪・刑部姫が登場すると、恐ろしさと美しさで会場がどよめいた。さらにそれを上回る大きさで、勘九郎が登場。勘九郎は、人ならざるものであると一目で分からせる凄み、怒号にも慟哭にも聞こえる台詞回しで客席を圧倒。激しい立廻りの末、三枚続きの錦絵から飛び出したかのような、美しい構図の迫力の見得に大きな拍手が贈られた。
『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺子屋
偶数日は幸四郎が松王丸を、尾上松緑が源蔵を勤め、奇数日は幸四郎が源蔵を、松緑が松王丸を勤める。
松王丸は、菅丞相側の家に生まれながら、いまは敵対する藤原時平に仕えている。武部源蔵は、かつて菅丞相に仕える武士だったが、いまは寺子屋を営み、女房戸浪とともに、菅丞相の子・菅秀才を匿っている。ある日、源蔵は、時平の家臣・春藤玄藩から、菅秀才の首を討つよう迫られる。源蔵は、新入りの小太郎という品の良い幼子を、菅秀才の身代わりにしようと決める。まもなく玄蕃が、首実検のために松王丸を連れて、やってくる……。
第一部『寺子屋』(前方)左より、戸浪=中村児太郎、涎くり与太郎=中村又五郎、小太郎=中村秀乃介、武部源蔵=尾上松緑、(後方)菅秀才=中村種太郎 /(c)松竹
幕が開くと、拍手につづいて笑いが起きた。机を並べた手習いの子どもたちの中に、又五郎の涎くり与太郎がいたからだ。前の演目の高貴な佇まいから一転した、わんぱく小僧だ。坂東彌十郎の吾作との掛け合いは、客席を大いに盛り上げ楽しませた。菅秀才を勤めるのは、又五郎の孫で、歌昇の長男・中村種太郎。さらに小太郎役を、次男の中村秀乃介が勤める。種太郎と秀乃介の初舞台だ。種太郎は落ち着いた様子でまっすぐに、秀乃介も愛らしく一生懸命に、役をまっとうした。
第一部『寺子屋』(偶数日)左より松王丸=松本幸四郎、武部源蔵=尾上松緑 /(c)松竹
初日は、幸四郎の松王丸。本心を隠すべく、心を凍らせたかのような冷徹さだったが、首桶を前に、玄蕃とせせら笑ってみせる時は、笑い顔が泣き顔にも見えた。懐紙で顔を覆った瞬間は、吉右衛門をみた気がした。偶数日の松緑は、2019年の秀山祭で、急遽吉右衛門に代わって勤めて以来の松王丸となる。松王丸の衣裳は、松が描かれた着物で演じられる。音羽屋系統の松王丸の時は銀鼠の着物となるが、今回は、播磨屋の追善興行だ。音羽屋の松緑は、尾上菊五郎にも相談の上、普段とは異なり、播磨屋が演じている黒の衣裳で松王丸を勤めている。心の中で、あらゆる感情を最大限に出力しながら、同時にそれを一滴も漏らすまいと全身全霊で抑えこむ。伝わってくる激しさが、劇画的にならずむしろリアルで、目が離せなかった。
第一部『寺子屋』(奇数日)左より、戸浪=中村児太郎、武部源蔵=松本幸四郎、松王丸=尾上松緑 /(c)松竹
2人の源蔵を相手に女房戸浪を、中村児太郎が勤める。凛としつつも、松緑の剛直な源蔵を熱く支え、幸四郎の憂いのある源蔵にしっとりと寄り添う。中村魁春の千代が悲しみの解像度を上げ、中村東蔵の御台園生の前が時代物の色をより深くした。中村種之助の玄蕃は、本音も建前もない。清々しいほど憎々しく、切れの味よい赤っ面だった。
偶数日も奇数日も、現代では共感しがたい葛藤の芯に、親から子への図太い愛情があった。贅沢なWキャストで、義太夫狂言の名作をみられる機会を逃さないでほしい。
■第二部 14時40分開演
秀山十種の内『松浦の太鼓(まつうらのたいこ)​』
忠臣蔵の外伝物『松浦の太鼓』は、初世吉右衛門が家の芸として選定した「秀山十種」に数えられる1作。二世吉右衛門も当たり役としていた。今月は兄の白鸚が、初役で松浦鎮信を勤める。
舞台は、両国橋のたもと。雪の中、かつて赤穂藩に仕えていた大高源吾(梅玉)と、俳諧の師匠である其角(歌六)が出会う。源吾は、討入りの意思はないという。別れ際、其角の発句に、源吾が付句を返す。その意味を考えながら、其角は源吾を見送った。
第二部『松浦の太鼓』左より、お縫=中村米吉、早瀬近吾=松本錦吾、宝井其角=中村歌六、里見幾之亟=市川染五郎、渕部市右衛門=大谷廣太郎、江川文太夫=市川高麗蔵、鵜飼左司馬=大谷友右衛門、松浦鎮信=松本白鸚 /(c)松竹
其角には、風流を体現するような余裕があった。源吾は、颯爽と美しく、ただの煤竹売りに終わらない芯を感じさせる。吉右衛門が松浦侯を勤めた公演のうち、半数以上で、其角を勤めた歌六と、源吾を勤めた梅玉が、作品を引き締めていた。
あくる日の松浦邸。松浦侯とその近習(大谷友右衛門、市川高麗蔵、大谷廣太郎、市川染五郎、松本錦吾)らと其角が、句会をしている。お屋敷のすぐ隣は、吉良邸だ。忠義を大事にする松浦侯は、赤穂浪士たちが、仇討ちの動きをみせないことに、やきもきしていた。源吾の話題が出ると、あからさまに機嫌を悪くするほどだ。さらに、召し抱えていた源吾の妹・お縫(米吉)を、ふとしたことから追い出そうとする。しかし、前日に其角が聞いた源吾の付句を知ると、何かに気づいた様子。そこへ陣太鼓が聞こえてくる……。
最後の幕では、助太刀に向かおうとする松浦侯と、あたふたする近習たちに、明るい笑いが起きていた。白鸚の松浦侯は、とても面倒そうな藩主に思われたが、気難しささえチャーミングな魅力に昇華。クライマックスでは、討入りへの湧き上がる喜びを、うたい上げるように客席へ届ける。舞台の上のすべての人、物、そして観る者の心まで鮮やかに塗り替えるような、白鸚ならではのダイナミズムがあった。
第二部『松浦の太鼓』(前方)左より、お縫=中村米吉、大高源吾=中村梅玉、宝井其角=中村歌六、松浦鎮信=松本白鸚(後方)左より、早瀬近吾=松本錦吾、渕部市右衛門=大谷廣太郎、江川文太夫=市川高麗蔵、鵜飼左司馬=大谷友右衛門 /(c)松竹
劇中で、追善口上も行われた。白鸚は「弟の二代目吉右衛門が他界し、はやいもので1年。弟は播磨屋の祖父のもとで芸道を修行しました。苦労に苦労を重ね、初代の芸を伝えるために秀山祭を興し、続けてきました。兄として誇りに思います。たったひとりの弟。別れはいつも悲しい、わびしいものです」。傘寿を迎え、初役で大役に挑んだ。それは「弟への追善の思い」だと語った。筋書には、白鸚が本作に「一世一代のつもり」で挑んでいることも記されている。白鸚は、かねてより「苦しみを勇気に、悲しみを希望に」するのが、役者の仕事だといっていた。吉右衛門を偲ぶ俳優たちの芸と思いに、勇気と希望を受け取る一幕だった。万雷の拍手で結ばれた。
『揚羽蝶繡姿(あげはちょうつづれのおもかげ)』
公開されている配役のとおり、吉右衛門の当たり役たちが、次々に登場する吹き寄せのスタイルの新作だ。構成は戸部和久。
第二部『揚羽蝶繍姿』左より、佐野次郎左衛門=松本幸四郎、兵庫屋八ツ橋=中村福助 /(c)松竹
幕が開くと、吉原のメインストリート。花道から、顔にあばたの男がニコニコとやってくる。『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の佐野次郎左衛門(幸四郎)だ。カモにされそうなところを、通りすがりの旅人に救われ、吉原よりもオススメの場所を教えられる。この二枚目の旅人は、『沼津』の呉服屋十兵衛(種之助)。客席に明るい笑いがおこり、次郎左衛門は誰よりも楽しそうに驚いていた。そこへ兵庫屋の九重(児太郎)の花魁道中が通りかかる。圧巻の華やかさだ。さらに大きな華やかさで登場したのが、八ツ橋(中村福助)だった……。吉右衛門の次郎左衛門で、八ツ橋を勤めていた福助の登場に、熱い拍手が降り注いだ。
第二部『揚羽蝶繍姿』左より、相模=大谷廣松、熊谷次郎直実=松本幸四郎、藤の方=中村莟玉 /(c)松竹
第二部『揚羽蝶繍姿』左より、佐々木盛綱=市川染五郎、奴智恵内=大谷廣太郎、一條大蔵長成=中村種之助、新中納言知盛=中村鷹之資、典侍の局=中村児太郎 /(c)松竹
『鈴ヶ森』では中村歌昇が、ハッとするような白塗りの美少年・白井権八に。幡随院長兵衛は、中村錦之助が勤めた。竹本葵太夫の語りで歌舞伎座は時代物の空気に変わり、『熊谷陣屋』では幸四郎が、吉右衛門より教わった熊谷の台詞を、フルスロットルで演じてみせる。客席のあちこちに、目元をおさえる人の影があった。最後は、廣太郎、種之助、児太郎、中村鷹之資、染五郎らによるだんまりも。若い世代への希望を感じさせる、明るく温かな、追善狂言だった。
■第三部 17時45分開演
『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)祇園一力茶屋の場』
吉右衛門が10度勤めた大星由良之助を、仁左衛門が勤める。遊女おかるに、中村雀右衛門。寺岡平右衛門に市川海老蔵。11月に團十郎襲名を控えていることから、海老蔵の名前では最後の歌舞伎座出演となる。
塩冶判官の刃傷事件後、塩冶浪士の由良之助は、祇園町の一力茶屋で遊興に耽っていた。そこへ同じく浪士となった赤垣源蔵(中村橋之助)、富森助右衛門(鷹之資)、矢間重太郎(中村吉之丞)がやってくる。足軽の寺岡平右衛門(海老蔵)も一緒だ。仲居や太鼓持の手拍子に誘われて、由良之助が登場。仲居と間違われて“とらまえ”られた赤垣源蔵は、由良之助の有様に怒る。しかし、仇討ちはわりに合わない、と由良之助。その本心は……。
第三部『仮名手本忠臣蔵』左より、遊女おかる=中村雀右衛門、大星由良之助=片岡仁左衛門 /(c)松竹
暖簾をおして登場する、紫の着物の由良之助。目隠しをしていても、姿の良さは隠せない。熱い拍手が仁左衛門を迎える。赤垣や斧九太夫(嵐橘三郎)とのやりとりも、お酒の匂いがしてきそうな、芳醇な気だるさと色気があった。しかし、力弥の来訪とともに物語が転換点を迎えると、眼光鋭く知性を光らせる。九太夫に、錆びた刀をわざと確認させた後、音を立てて刀を鞘に納めるなど、言葉にはせずとも由良之助のスタンスが伝わってきた。
遊女のおかるは、愛らしくて色っぽい。由良之助との身請け話の喜びようや、兄に向けた情に溢れた態度は、この場にいない勘平への愛の深さを想像させた。はじめは散々逃げつつも、勘平がいないと知るや死ぬ覚悟を決める極端な展開が、シームレスに描かれていた。
第三部『仮名手本忠臣蔵』左より、遊女おかる=中村雀右衛門、寺岡平右衛門=市川海老蔵、斧九太夫=嵐橘三郎、大星由良之助=片岡仁左衛門 /(c)松竹
海老蔵の平右衛門は、由良之助のために布団を用意するやりとりや、おかるから勘平の息災を聞かれた時の戸惑いながらの嘘に、愛嬌と愛情が滲む。お供を許された時の喜びようは、声も姿も表情も、霧が晴れて青空が広がるような晴れやかさだった。最後は仁左衛門の由良之助が、舞台をまとめ上げ、清々しく芝居は結ばれた。
『昇龍哀別瀬戸内 藤戸(のぼるりゅうわかれのせとうち ふじと)』
秀山祭の最後を飾るのが『藤戸』。『平家物語』藤戸合戦を扱った、能『藤戸』がモチーフとなっている。戦の作戦に巻き込まれ、口封じに殺された漁夫がいた。作品の前半は漁夫の母・藤波が主人公。後半は、漁夫が悪龍となって現れる。川崎哲男・作、松貫四・構成。
第三部『藤戸』左より、浜の女おしほ=中村米吉、浜の童和吉=尾上丑之助、浜の男磯七=中村種之助 /(c)松竹
松羽目の舞台に、盛綱(又五郎)が郎党(坂東彦三郎、坂東亀蔵、中村吉兵衛、中村吉之丞)とやってくる。そこに藤波(菊之助)が静かに近づいてきて、息子が殺されたことを訴える。菊之助は、限られた動き、抑えられた台詞回しで、悲痛な思いを観る者に伝える。我が子と過ごした日々を振り返るうち、藤波は若返っていくようだった。愛情あふれる回想から、現実に引き戻された瞬間は、心の底が抜け落ちたような深い絶望を立ち上げる。舞台の松羽目も真っ赤な毛氈も色を失い、暗転したかと思うほどだった。豊かに変化する笛の旋律が印象的だった。
第三部『藤戸』左より、藤戸の悪龍=尾上菊之助、佐々木三郎兵衛盛綱=中村又五郎、郎党長井景忠=坂東彦三郎 /(c)松竹
間狂言は、浜の男磯七(種之助)と女おしほ(米吉)と童和吉(丑之助)による、明るく朗らかな念仏踊り。丑之助は、すでに子役としての域を出る存在感をみせていた。後シテでは、怨念から漁夫が悪龍となり、盛綱たちに襲い掛かる。幕外の花道の引っ込みは、漁夫の執念を感じさせる演出が見られた。変則的なクライマックスに拍手の波が重なり、最後は大喝采となった。

『二世中村吉右衛門一周忌追善』特別ポスター
歌舞伎座の大間には、下手側に吉右衛門を偲ぶ祭壇があった。上手側には、播磨屋の役者として最初の一歩を踏んだ、種太郎と秀乃介の「初舞台ご挨拶」のパネルがあった。湿っぽくならず、明るく、温かく、爽やかで力強い、吉右衛門の笑顔を思い出す公演だった。9月27日まで、歌舞伎座にて上演。

取材・文=塚田史香

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