大阪フィルハーモニー交響楽団 音楽
監督 尾高忠明、あんなコトやこんな
コトを大いに語る!

今年(2022年)の8月上旬、「フェスタサマーミューザKAWASAKI2022」に初めて出演した音楽監督 尾高忠明率いる大阪フィルハーモニー交響楽団。「西に大フィルあり! マエストロの十八番」と謳っていた宣伝文句が素直に頷ける熱い演奏と、それを称える聴衆の拍手は、残念ながら会場に行くことが出来ず、配信で演奏を聴いた者(私もその一人)の胸をも熱くする、超ド級のエルガーだった。
鳴りやまぬ拍手に応え、Tシャツ姿の尾高忠明が再びステージに呼び戻されたのは、随分時間が経過してのことだったが、驚いた表情の尾高を包み込む万雷の拍手は、配信で見ていても感動的な光景だった。
それから数日が経過し、大阪フィルがフランス音楽に挑むシリーズ企画「音楽の宝石箱」を終えた尾高忠明に、あんなコトやこんなコトを聞いてみた。
音楽監督 尾高忠明に、あんなコトやこんなコトを聞いてみた  (c)飯島隆

―― 尾高さんが大フィルの定期演奏会に初めて登場されたのが1985年の「第209回定期演奏会」。小山実稚恵さんのピアノで、ショパンのピアノ協奏曲第1番とマーラーの交響曲第1番「巨人」でした。そこから、毎年のように定期演奏会に出演されています。当時の事は覚えておられますか?
もちろんです。当時はマーラーやシベリウスを指揮させて頂きました。私がリハーサルしていると、朝比奈先生がよく練習場に覗きに来られ、休憩時間に「おお、いいぞ。頑張れよ。」と声をかけて頂いていました。そんなことが暫く続いたある日、東京に来られていた朝比奈先生から「一緒にご飯を食べよう。宿泊している帝国ホテルで待っているから。」と言われたので、伺いました。帝国ホテルで食事を頂けると思って喜んで行くと、部屋に通されて「カレーでいいか?」と言われ、ルームサービスのカレーを頂きました(笑)。カレーを食べながら「君もそれなりの年齢になったのだから、民音の指揮者コンクールの審査員を引き受けて欲しい」とお願いされました。「僕はまだ40歳、早いですよ」と申し上げると、「そろそろ人のための仕事をしなさい!」と言われました。いちばん最初に朝比奈先生から言われた言葉で、ホテルの部屋の光景も、カレーの味も含めて、凄く思い出に残っています(笑)。
朝比奈先生に、「そろそろ人のための仕事をしなさい!」と言われました   (c)H.isojima
―― なるほど。 その民音の指揮者コンクール(東京国際音楽コンクール〈指揮〉)は、第19回(2021年)から尾高さんが審査委員長に就任されました。
第1回(1967年)から第3回(1973年)までが齋藤秀雄先生、第4回(1976年)から第10回(1994年)までが朝比奈隆先生、そして第11回(1997年)から第18回(2018年)までが外山雄三先生という立派な先生方が、審査委員長を務めておられます。一昨年に外山先生から「尾高さん、これからは、あなたが審査委員長をやらなければいけない!」と後を託されたのです。悩みましたが、私の師でもある齋藤秀雄先生が72歳の時に亡くなられていることを思うと、現在74歳の私が早過ぎると言っていられないと思い、お引き受けしました。
2021年の第19回から、東京国際音楽コンクール〈指揮〉の審査委員長を務めています  (c)飯島隆
―― ハナシを大阪フィルに戻しまして、朝比奈さんが2001年に亡くなって、暫く封印されていた大阪フィルのブルックナー演奏を2004年に解禁されたのは尾高さんでしたね。
交響曲第9番という最高の名曲で、先生が亡くなられて以後、最初にブルックナーを定期で取り上げる大役を仰せ遣いました。大変名誉なことですが、怖かったことを覚えています。楽員の皆さんの反応が心配でしたが、いつも通りとても協力的に演奏して頂き、第3楽章最後の金管楽器が咆哮するところでは、とても感動したことを覚えています。

2004年には、朝比奈先生没後、最初にブルックナー演奏をさせて頂きました。 374回定期演奏会(2004年1.30.31 ザ・シンフォニーホール)  (c)飯島隆

374回定期演奏会(2004年1.30.31 ザ・シンフォニーホール)  (c)飯島隆

374回定期演奏会(2004年1.30.31 ザ・シンフォニーホール)   (c)飯島隆
―― その後、エルガーなどの名演も忘れられませんが、2018年4月の音楽監督お披露目公演(第547回定期演奏会)で選ばれたのは、ブルックナー交響曲第8番でした。
大阪フィルの音楽監督という事なら、ブルックナーの8番は避けては通れません。朝比奈先生以外でこの8番を指揮したのは、大植英次さんと井上道義君だけということで、いずれも当時のシェフです。つまり、シェフでないと指揮することを許されない曲なのです。朝比奈先生が35回(大阪フィルでは22回)指揮された第8番を指揮することで、自分なりの意気込みを表明させて頂きました。ブルックナーはその後も2020年に第3番、2021年には第9番を指揮。現在の楽員で、朝比奈先生と一緒に演奏した人は半分もいないと思うのに、あんなに凄い音がするのは、やはりDNAなのでしょうね。
音楽監督のお披露目はブルックナーの8番! 第547回定期演奏会(18.4.7.8 フェスティバルホール)  (c)飯島隆

 第547回定期演奏会(18.4.7.8 フェスティバルホール)  (c)飯島隆
―― 昨年、再びブルックナー第9番を指揮されました。CDもリリースされて、それが大変評判となっています。
2004年に第9番を指揮した後、ブルックナーは2012年に第7番を指揮しましたが、監督になるまではその2回だけです。朝比奈先生以外で大阪フィルのブルックナーを経験した指揮者が圧倒的に少ないので、とても光栄な事ではあるのですが。他には、エルガーの交響曲は3曲とも定期で取り上げ、大変評判となりました。ブルックナーとエルガーは、緩徐楽章の奥深さや、宗教心に溢れロマンチックなところなど、とても似ていると思います。また彼らが住んでいたザンクト・フローリアンとモールヴァンは、共に小高い丘の上に在り、ウィーンやロンドンの街が一望出来るというのも共通しています。初めて大阪フィルでエルガーを振った時、皆さん上手いなぁと思ったのですが、「なるほど、ブルックナーをやって来ているからわかるのか!」と妙に納得しました。色々な音楽を一緒に作って来たことで、ブルックナー演奏でも深みが増したと思います。

2012年4月の定期演奏会でブルックナー7番を指揮しました。 第457回定期演奏会(2012.4.12.13 ザ・シンフォニーホール)  (c)飯島隆
―― 尾高さんはブルックナー第9番も、色々なオーケストラで指揮されています。何かエピソードはありませんか。

いちばんの思い出は、BBCウェールズのオーケストラとロンドンでやった時ですね。ウエストミンスター寺院の中で演奏したのですが、良い感じに音が響いて、ブルックナーをやるには最高の会場でした。ブルックナーサウンドを満喫していると、第3楽章の“死のコラール”あたりでピカッと光った気がしました。50年以上指揮をしていると、何回かですが、作曲家が降臨されたのではないかと思う瞬間があります。そんなに多い回数ではありませんが、その時は「おー、ブルックナー先生が降りて来られたのか⁈」と神経を集中していると、その光がだんだん強くなって来て、ボーン、ボーンと…。なんと、花火大会だったのです。その日のコンサートを企画したBBCの担当者は飛ばされたそうです(笑)。花火大会の日に、ブルックナーの9番をそこでやらせた云う事で。これは忘れられないエピソードですね。

ブルックナー9番のいちばんの思い出は、ウエストミンスター寺院の花火ですね  (c)飯島隆
―― そんなことが(笑)。尾高さんが指揮する定期演奏で、今シーズン最後の出番となる「第564回定期演奏会」(2023年1月)では、ブルックナー交響曲第7番を演奏されます。2012年に大阪フィルで指揮された第7番ですが、この曲に関しても、何かエピソードがあれば教えてください。

2010年に、トヨタマスタ―プレイヤーズ(ウィーン・フィルの首席クラスのメンバーで特別編成された小編成のオーケストラ)と名古屋フィルのメンバーで演奏した第7番が忘れられません。これは素晴らしかったですね。ウィーン・フィルのメンバーにとってブルックナーは特別な作曲家。その思いが指揮をしている間、ビンビン伝わってきました。各パートをチラッとみると、合図を出す前に、「行くのかい⁈ よし分かった。」みたいな感じで、分かり合えるのが凄かったです。大阪フィルも音は大きいですが、彼らはその比では無かったです。ブルックナーは自分たちの音楽だと思っているのでしょうね。ウィーン・フィルとは違った意味で、大阪フィルにとってもブルックナーは特別な作曲家です。1月の定期演奏会をお楽しみになさってください。
―― 尾高さんと云えばイギリス音楽。現在、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の桂冠指揮者ですし、エリザベス女王より大英勲章CBEを授与された事や、エルガー・メダルを授与されていることは存じ上げていますが、そもそもイギリスでの活動のきっかけは何だったのですか。

1984年に東京フィルのヨーロッパ演奏旅行に行き、2か月間で30回本番を指揮しました。ドレスデンでのゲネプロをたまたま見ていたのが、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の事務局長でした。日本に帰った後、ぜひ指揮して欲しいと招待状が届きました。どうしようか迷っていると、指揮者の渡邉暁雄さんが「良いオケだから、ぜひ行きなさい」と、アドバイスを下さいました。1回行ってみようかと軽い気持ちで行ったのが関係の始まりです。1987年に首席指揮者に就任し、現在も桂冠指揮者として不定期ですが指揮をしています。
イギリス音楽との出会いは1984年の東京フィルヨーロッパ演奏旅行がキッカケです  (c)H.isojima
―― そうだったのですね。9月の「第561回定期演奏会」で、オール・ワーグナープログラムを指揮されます。尾高さんにとってワーグナーはどんな作曲家でしょうか。

これまでにも何度か話をして来ましたが、私の一番大切なレパートリーは、後期ロマン派の音楽です。マーラー、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナーは特に思い入れがあります。東京フィルでも若い頃から「二人のリヒャルト」と題して、ワーグナーとシュトラウスのプログラムをたくさんやって来ました。

以前はプログラムにワーグナーを集中的に取り上げていました  (c)飯島隆
―― ワーグナーに纏わるエピソードも教えてください。

先ほどのBBCウェールズのオーケストラのハナシですが、常任指揮者2年目か3年目から「プロムス」に出演しています。もう30回以上ロイヤル・アルバート・ホールで演奏していますが、ある時、プロデューサーから「プロムス」でワーグナーをやってくれと頼まれました。「君のワーグナーは素晴らしい。プロムスでワーグナーの『神々の黄昏』をやって欲しい。以前君と共演したソプラノ歌手のマーガレット・プライスも太鼓判を押している」と言われて、やる事になりました。本番当日は暑くて、ソプラノのアンナ・エヴァンスが汗だくになりながら歌っている姿が、ブリュンヒルデが乗り移ったようで、神々しく見えた事を覚えています。コンサートから数年が経過して、あの時の演奏をCDにしても良いかと問い合わせが入りました。あの演奏、評価されていたんだと嬉しかったですね。
「プロムス」でもオール・ワーグナープログラムをやりました  (c)飯島隆
―― ここにそのCDがあります。収録曲は、「ヴェーゼンドンク歌曲集」と楽劇「神々の黄昏」より“夜明けとジークフリートのラインの旅”、“葬送行進曲”、“ブリュンヒルデの自己犠牲”です。
この時のプログラムを再現したのが「第561回定期演奏会」です。ソプラノのアンナ・エヴァンスは、残念ながら引退されたそうです。そこで、日本を代表するワーグナー歌手の池田香織さんに出演頂くことになりました。プロムスではオープニングの曲は、楽劇『トリスタンとイゾルデ』第3幕への前奏曲でしたが、もう少し派手目な曲が良いのではという事になって、歌劇『リエンツィ』序曲を演奏する事にしました。『リエンツィ』は、アドルフ・ヒトラーが政治家を志すきっかけになった事で知られる、ワーグナー最初の大規模オペラです。普通に上演すると4,5時間かかる大作ですが、現在は2時間半ほどの短縮版が出ています。この作品は、バイロイト音楽祭で上演される10作品に入っていないので、一般的に上演される機会は少ないのですが、ジャーマンスピリットの塊のようなこのオペラを愛するドイツ人は多いです。ワーグナーのオペラは、時にデリケートな扱いを受けていますが、ワーグナーの持つ“毒”の魅力は、ドイツ人ならではだと思います。
これがオール・ワーグナープログラムをやった94年の「プロムス」のCDです
―― その話だけで既に楽しみです。2曲目のヴェーゼンドンク歌曲集について教えてください。
ワーグナーの恋愛遍歴の中で、楽劇『トリスタンとイゾルデ』に大きな影響を与えたと言われるのが、マティルンデ・ヴェーゼンドンクとの恋。彼女が書いた詩を基にした作品『ヴェーゼンドンク歌曲集』は、女声とピアノのために書かれた5曲による歌曲集です。これをハンス・ヴェルナー・ヘンツェが室内オーケストラ用に編曲した版を今回使用します。この曲の、第3曲“温室で”と第5曲“夢”が『トリスタンとイゾルデ』に転用されています。池田香織さんにはこの曲と、『神々の黄昏』の“ブリュンヒルデの自己犠牲”を歌って頂きます。
「ヴェーゼンドンク歌曲集」の第3曲“温室で”と第5曲“夢”が『トリスタンとイゾルデ』に転用されています  (c)飯島隆
―― 後半は、『神々の黄昏』からお馴染みの“夜明けとジークフリートのラインの旅”、“葬送行進曲”、“ブリュンヒルデの自己犠牲”ですね。
はい。「プロムス」でやったのと同じプログラムです。この3曲には多くのライトモチーフが使われているので、『ニーベルングの指環』4部作の3割くらいは分かってしまいます。大編成のオーケストラが奏でる、オーケストラサウンドの醍醐味をお楽しみください。
『神々の黄昏』抜粋では、迫力のオーケストラサウンドをご堪能ください  (c)飯島隆
―― 4管16型から生まれる迫力のワーグナーサウンドは、大阪フィルならではと頷けるのですが、並行して行われているフランス音楽のシリーズ「音楽の宝石箱」について教えて頂けますでしょうか。先日のVol.2はドビュッシーを中心に、デュカス、イベール、ビゼーの小曲を集めたバラエティに富んだプログラムで、ドイツ音楽とは真逆の、カラフルな中にエスプリの効いたサウンドが素敵でした。しかし残念ながら、客席は少し寂しかったように思いました。
監督に就任以降、毎年一人の作曲家に絞って、集中してその作品を演奏して来ました。ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザークと続き、今シーズンは少し違う切り口で、普段あまり取り上げないフランス音楽に挑戦しようと、シリーズの中身を考えました。オーケストラにとっては大変勉強になっています。シリーズは、次回11月が最終回で、オーケストレーションの美しさでは他には例を見ないラヴェルの代表作を取り上げます。組曲「マ・メ-ル・ロワ」、「ダフニスとクロエ」第2組曲、ピアノ協奏曲ト長調、ボレロと、ラヴェルの代表作をまとめてお聴き頂きます。現在のオーケストラの実力、特に管楽器の技術力は、ボレロを聴けばすぐにわかるはず。自信を持ってお勧めいたします。
大阪フィルが自信を持ってお届けするフランス音楽にご期待ください  (c)飯島隆
―― 尾高さんが監督になって5年目のシーズンですが、オーケストラは変わって来ていますか。
間違いなく上手くなっています。ただ、世の中の評価の方が、実態よりも先行している感じで、少しこそばゆい感じです(笑)。オーケストラは椅子の足を揃えるようなところがあります。こっちを切れば、次はそっち。そっちを削れば、次はこっちを削って…。ちょっとずつ上手くなって、全体のバランスを取りながらやって行かなければなりません。
素晴らしいお客様に見守られて、大阪フィルは上手くなっていますよ  (c)飯島隆
―― 尾高さんと云うと、NHK交響楽団や、東京フィル、札幌交響楽団、読売日本交響楽団など、色々なオーケストラを指揮されています。一方、大阪フィルはと云うと、朝比奈さんと50年以上の一途な関係で、大フィルサウンドが生まれました。その辺りの関係についてどう思われますか。
今は、大マエストロが「俺について来い!」という時代ではありません。そういう指揮者は、世界を見渡してもいません。朝比奈先生と大阪フィルみたいな関係は、これからは出て来ないのではないでしょうか。実際、これだけ交通機関が発達して、指揮者がどこにでも行ける時代。私がN響で学んだことを大阪フィルに伝え、大阪フィルでの経験を札響で生かすことが、オーケストラ全体のボトムアップになって行くのだと思います。
二人のコンサートマスターと、大阪フィルのメンバーに囲まれて  (c)飯島隆
―― ありがとうございます。最後に「SPICE」読者にメッセージをお願いします。
昔、齋藤秀雄先生に「50歳までは指揮者ではない」と言われました。とすると、私の指揮者年齢は24歳。せめて30歳までは続けたいと思っています。大阪フィルの進化には目を見張るものが有ります。先日のミューザ川崎デビューとなるエルガーの交響曲第1番は、本当に誇らしかったです。どうぞコンサートホールにお越し下さい。お待ちしています。
まずは大阪フィルが奏でるワーグナーサウンドに浸りに、コンサートホールへお越しください   (c)H.isojima
取材・文=磯島浩彰

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