ブロードウェイミュージカル『ピピン
』日本語版 観劇レポート~奇跡に満
ちた魔法の舞台

ブロードウェイミュージカル『ピピン』日本語版が、2022年8月30日(火)、東京・渋谷の東急シアターオーブで開幕した(東京公演は9月19日まで。9月23日~27日には大阪・オリックス劇場でも上演)。いわば、奇跡に満ちた魔法の舞台。今回の公演は、2013年ブロードウェイ・リヴァイヴァル版に基づく日本語版プロダクション(2019年初演)の再演となる。メインキャストは、森崎ウィン(ピピン)、Crystal Kay(リーディングプレイヤー)、今井清隆(チャールズ)、霧矢大夢(ファストラーダ)、愛加あゆ(キャサリン)、岡田亮輔(ルイス)、中尾ミエ/前田美波里(バーサ|Wキャスト)、高畑遼大/生出真太郎(テオ|Wキャスト)。このうち森崎ウィン(2019年の初演は城田優)・愛加あゆ(初演は宮澤エマ)・高畑遼大/生出真太郎(初演は河井慈杏/日暮誠志朗)が今回初役での登場となる。主要スタッフは、脚本:ロジャー・O・ハーソン、作詞・作曲:スティーヴン・シュワルツ、演出:ダイアン・パウルス、振付:チェット・ウォーカー(in the style of Bob Fosse)、サーカス・クリエーション:ジプシー・シュナイダー(Les 7 doigts de la main)。ここでは、初日公演に先立ち行われたゲネプロ(総通し稽古)の模様をお伝えする(観劇回のバーサは前田美波里、テオは生出真太郎)。見聴きしたものをレポートするので、ネタバレに神経質な方はページを閉じていただくのが無難だろう。
【オフィシャル動画】2分でわかる「ピピン」
オーケストラピットから漏れ出る楽器群の混沌としたチューニング音がやがてひとつに纏まり、音階を昇りつめると、ピアノによるミステリアスなメロディがグルーヴ感たっぷりに弾かれる。「ウーウウウー」と、これまた妖しげな女性コーラスが重なると、舞台全面に垂れ下がる薄駱駝色の幕の中央にスポットがあてられ、そこに奇妙なポーズで揺れ動く巨大な人間の影が大きく映し出された……かと思いきや、それはすぐに普通の人の実寸へと縮んでゆき、次の瞬間には幕前にその実体が登場して、オ-プニング・ナンバー「Magic to Do(魔法のひととき)」を歌い出すのだ。始まりからここまで僅か55秒間、音楽と演出が、観客の「怖いもの見たさ」をスピーディに畳み掛けてくる。観客は、「ん?」「なんだ?」「これは?」「ドキドキ!」といった幾つもの戸惑いや好奇が自分の内部に次々に湧き上がっていく心の動きを抑えられない。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]安藤光夫
“Join us さあ、ここへおいで”と歌い始めるのは、Crystal Kay。リーディングプレイヤーという役であり、狂言回しというか、ストーリーテラーというか、この作品のMC的な存在である。しかし、このような、客席に語りかけてくる者が幅を利かせている演劇とは、実は、観客をけっして舞台内の物語に感情移入させまいぞという、ベルトルト・ブレヒト的な演劇思想の表れなのかもしれない(そういえば、本作におけるパウルスの演出には、ブレヒトの異化効果を思わせる違和感の演出も随所に見出される)。だとすればリーディングプレイヤーとは、“Join us”と語りかける一方で、両手を拡げた奇妙な二次元的ポーズを作って“これ以上の同化・没入は禁物”と阻んでいるかのような、そんな矛盾した両義性をまたぐ存在のようにも見える(両義性で思い出したが、パウルスによるリヴァイヴァル上演の前まで、当役は男性が演じていたのだった)。ちなみに、この独特の両手を拡げた形状を開発・確立したのが、本作のブロードウェイ(以下BWと略す)初演版の演出・振付を手掛けたボブ・フォッシー、そうミュージカル史上の異才フォッシーなのだ。拘束性の強い黒色の衣裳共々、身体を二次元性の中に閉じ込めることで倒錯的な官能性を醸し出す、この、人呼んで“フォッシー・スタイル”を今回の演出家ダイアン・パウルスと振付家チェット・ウォーカーは、大いに尊重し、2013年BWリヴァイヴァル版以来、劇全体の基調としている。
そのリーディングプレイヤーが程々の客観性を保たせながらも観客を誘い込もうとしている世界とは一体何なのか? そのことについては、曲の転調を経て順々に現れる別のキャラクターたちによって予告される。曰く、陰謀やユーモアであり、ロマンスにイリュージョン、激しい戦闘など、多彩なドラマ要素が現れるのだと。そして“We've got magic to do”と改めて宣言されると同時に、突如幕が切って落とされ、ステージ全体に華麗なるサーカスの世界が魔法のように出現するのだ! ジャグリング、エアリアル、空中ブランコ、各種アクロバット芸……この、極めつけのサプライズ風景が視野に拡がる瞬間に、筆者の涙腺が決壊するのである。言っておくが、筆者が本作を観るのはこれが初めてではない。2013年のBWリヴァイヴァル以来、このプロダクションを10回ほど観てきて、もはや全然サプライズでもなんでもないのだが、にもかかわらず、このサーカスの光景に遭遇する度に、毎回、悲しさとか嬉しさを超越した何ともいえぬ感情がこみあげてきて、眼球から涙が零れ落ちてしまうのだ。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]安藤光夫
『ピピン』のBW初演は1972年。つまり、いまからちょうど50年前。作詞・作曲を手掛けたのは当時24歳の若きスティーヴン・シュワルツだった。その原型は、彼がカーネギー・メロン大学の学生時代に、スコッチンソーダクラブという演劇団体で発表したミュージカル『ピピン、ピピン』だった(当初ロン・ストラウスという人物と共に作ったが、ストラウスはやがてプロジェクトから離脱)。1971年にシュワルツがオフブロードウェイで『ゴッドスペル』を上演して好評を博すと、レナード・バーンスタインのオペラ(だかなんだかよくわからないスタイルの)『ミサ』という作品の作詞を依頼され、勢いづく。その流れで『ピピン』のBW上演話が持ち上がった。そこでシュワルツは作品を全面的に作り直すことを決意。脚本にはバーンスタインの妹シャーリーから推薦されたロジャー・O・ハーソンを起用、そして振付・演出を、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのボブ・フォッシーに頼んでみたら、なんとOKが出た。だが、クセの強いフォッシーとシュワルツは、キャスティング等で幾度も衝突があったという。が、そうした経緯も含めて、両人の組んだタッグにより、作品の完成度が高まったことは確かだ。たとえば「Magic to Do」や「On the Right Track(うまくいく)」などは明らかにシュワルツがフォッシーの特性に寄せたのではないかと思われる部分があり、すばらしく印象的なナンバーに仕上がっている。
BW初演では、オリジナルキャストとして、ピピン役にジョン・ルービンシュタイン(ピアノの伝説的巨匠アルトゥール・ルービンシュタインの息子。後に2015年『ピピン』来日公演でチャールズ王役も演じた)、そしてリーディングプレイヤー役にベン・ヴェリーン(1971年の『ジーザス・クライスト・スーパースター』BW初演でユダ役を演じていた。後にシュワルツの『ウィキッド』BW公演でオズの魔王役を演じたこともある)を配し、開幕すると忽ち人気公演となった。1973年のトニー賞では演出賞(フォッシー)・振付賞(フォッシー)・主演男優賞(ベン・ヴェリーン)・美術賞・照明賞を獲得するも、作品賞や楽曲賞はソンドハイムの『リトル・ナイト・ミュージック』に持っていかれた(ちなみに、この後もシュワルツ個人はトニー賞において、1977年に『ゴッドスペル』が『アニー』に敗れ、2004年に『ウィキッド』が『アヴェニューQ』に敗れるなど、不遇が続く。トニー賞側も申し訳なく感じたのか、2015年に「イザベル・スティーブンソン賞」なる名誉功労賞のようなものをシュワルツに授与している)。なお、今回の日本語上演版のベースとなった2013年BWリヴァイヴァル版はと言えば、トニー賞リヴァイヴァル作品賞・主演女優賞(パティーナ・ミラー/リーディングレプレイヤー役)・助演女優賞(アンドレア・マーティン/バーサ役)・演出賞(ダイアン・パウルス)の4冠受賞を果たしている。
BW初演時の『ピピン』では、9世紀・神聖ローマ帝国初代皇帝カール(英語でチャールズ)の王子ピピンの物語を、コメディア・デラルテ(仮面劇)の一座による劇中劇で描く設定だった。しかし、それが、2013年のBWリヴァイヴァル版では、演出家ダイアン・パウルスの提案により、サーカス団による劇中劇という設定に変更された。筆者は2018年に、今回の『ピピン』と同じ劇場であるシアターオーブで、チェ・ゲバラが「おお、なんというサーカス、なんというショー」と歌う某ミュージカルを観たことがある。その歌詞は比喩的表現としての「サーカス」だったのだが、それをまさに地で行ったのが『ピピン』だった。20世紀初頭、ロシアの鬼才演出家メイエルホリドが演劇に身体性を復権させるために目指したサーカス! ピーター・ブルックも、寺山修司も、串田和美も意識したサーカス! 映画ではフェデリコ・フェリーニも、ジャック・タチも……と関連付けをしたらキリがないが、ともあれ、パウルスがこと『ピピン』にサーカスを丸ごと取り入れた演出アイデアは効果絶大であった。サーカス団だからこその、サプライズ、イリュージョン、マジックを次々と仕掛けてくることで、神秘と奇跡を標榜する本劇において、リアルな身体性と共にスペクタクル性も大幅増量されたからだ。しかも、今回の舞台に参加するのは、ローマン・ハイルディン、ジョエル・ハーツフェルド、オライオン・グリフィス、モハメド・ブエスタ、エイミー・ナイチンゲールといった世界超一流のサーカス・パフォーマーたち。驚愕の曲芸が次々と生で披露される。一方で、サーカスには、楽しさや華やかさだけではなく、怪しさや悲哀があり、さらに妖奇なエロティシズムさえ漂うというもの。しかしそれもまた、というか、それだからこそ、これほど『ピピン』の物語を彩るに相応しい趣向はないのである。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
話を舞台に戻そう。ステージ全体に現れた絢爛たるサーカスの光景。そこかしこで繰り広げられる曲芸のバックグランドに流れる「Magic to Do」の間奏部分約30秒、リズミカルに打ち放たれるオーケストラルヒットの切れ味たるや実に気持ちよく、心躍らずにはいられない。今回上演で生演奏される音楽は、やはり『ピピン』2013年BWリヴァイヴァル版を踏襲しているのだが、その編曲を担ったのがラリー・ホックマンである。彼は『ブック・オブ・モルモン』『スパマロット』『シ・ラブズ・ミー』『ハロー・ドリー』などのオーケストレーションも手掛けてきた名うての編曲家だ。いま筆者の手元に二つの『ピピン』のサントラCDがある。一つはBW初演オリジナルキャストの1972年レコーディング盤、名匠フィル・ラモーンがシュワルツと共にプロデュースを手掛けたもの。もう一つはBWリヴァイヴァル版オリジナルキャストの2013年レコーディング盤。二つを聴き比べて、まず明らかに違うのが当然、音質である。前者は一応デジタル・リマスターされているというが、いま聴くと、やはり音響がモヤッと曇りがち。対する後者のクリアーでハリのあるサウンドは、いかにも21世紀の録音技術ならでは。そして、アレンジは、初演時に「見事(superb)」と称賛された前者ラルフ・バーンズのそれもなかなかイケてるが、後者ラリー・ホックマンのそれは「原作に忠実でありながらも時代遅れにならないように」という作曲者シュワルツの意向を120%理解して、ダイナミックかつデリケートに気が利いており、原曲の豊潤さを浮き上がらせることに成功している。やはり、2020年代の私たちの耳に馴染みやすいのは明確に2013年版のほうだ。現在2013年版の「Magic to Do」のレコーディングの様子をYouTubeの米公式チャンネルで見ることができるが(https://youtu.be/AqbYa-NXFOg)、ミキサー室でのシュワルツのご満悦ぶりといったらない(是非ご覧あれ!)。
さて、ステージ上では、おそらく出演者たち全員が横並びになって、客席に向かって口々に歓迎の口上を述べているのだが、騒がしくて何を言ってるかは聴き取れない。そうこうするうち、「Magic to Do」終了。次いで、リーディングプレイヤーは、サーカス小屋に迷い込んできた(というか、タイトル看板の中に飛び込んできた)ピピン王子=森崎ウィンに、劇中劇として“自分探し”の物語を始めさせる。ピピンは、さっそく「Corner of the Sky(僕の居場所)」なるバラードを、自分の居場所が大空の一角にあるだろうとの期待を込めて歌い上げる。ピピンにとって(そして森崎にとっても)いわば名刺代わりの一曲。同時にこの歌は、全ナンバー中もっともポピュラーな看板ソングでもある。ボブ・フォッシーが『ピピン』初演版の演出を引き受けたのも、この曲の存在が決め手となったとか。BW初演と同じ1972年には同曲をジャクソン5(マイケル・ジャクソン含む)がソウル調なアレンジでカヴァー、他にも色々なアーティストが折に触れ取り上げてきた。……カヴァーといえば、同じ『ピピン』の第一幕終わりのナンバー「Morning Glow(朝日)」を1973年にマイケル・ジャクソンが、そして第二幕で未亡人キャサリンの歌う「I Guess I'll Miss the Man(恋しくなるわ)」を1972年にシュプリームス(ダイアナ・ロス含む)が、それぞれカヴァーしている。これらは、2000年に発売された、BW初演版『ピピン』1972年録音のサントラCDにボーナス・トラックとしておさめられている(これらも、各種サブスク・サービス等で是非聴いていただきたい)。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
1972年当時『ピピン』サントラを発売したのは、皆さんご存じのモータウン・レコードだった。実は同社、『ピピン』初演に資本参加している。そもそもの話、シュワルツはモータウンの音楽から多大なる影響を受けていた。特にハマっていたのが、同社所属の三人組作曲家チーム、H-D-Hこと「ホーランド=ドジャー=ホーランド」だった。マーサ&ザ・ヴァンデラスの「ヒート・ウェイブ」や、シュープリームスの「ベイビー・ラヴ」「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「恋はあせらず」など数々の名曲を生んだヒットメイカー。シュワルツ作品のポップ性はそんなモータウン音楽によって培われた部分が大きい。モータウン社長ベリー・ゴーディが『ピピン』に出資したのも、そうした親和性をシュワルツの音楽の中に嗅ぎ取ったからだろう。それにより、公演の収益はもちろん、オリジナルキャストレコーディング盤でも儲けた。さらに、ミュージカル・ナンバーをジャクソン5やシュープリームスといった所属アーティストにカヴァーさせて、そちらでも利を得たわけだ。なお、その後、モータウンはアフリカ系アメリカ人版の「オズの魔法使い」ミュージカル、『ウィズ』を製作。さらに、そのずっと後に、シュワルツはシュワルツで「オズの魔法使い」の裏話たる『ウィキッド』を作った。なんとも面白い成り行きといえる。……ときに、出資といえば、いま私たちが『ピピン』の日本語版を観劇する恩恵に浴しているのも、この公演の主催の一翼を担うキョードー東京が、2013年BWリヴァイヴァル版の共同製作者として出資したことに起因するのであろう。その結果、BW公演はトニー賞最優秀リヴァイヴァル作品賞を受賞してヒット、ツアー公演の日本への早期招聘が実現し、日本語版の上演も二度実現して、最初の出資がもとで収穫できた果実は非常に大きく豊かに実った。
再び話を舞台に戻す。大学を出て、父王チャールズ(今井清隆)の許に帰ってきたピピン。だが、多忙ゆえに「却下」「却下」と繰り返すばかりの父王になかなか触れ合えず、戦争への同行を志願することで自身を認めてもらおうと目論むも(「War Is a Sience(戦は科学)」)、実際に戦場に赴けば(「Glorly(栄光)」)、義弟ルイス(岡田亮輔)の活躍ぶりをよそ目に、戦争の残虐性・悲惨さに触れ、争いの虚しさに気付かされるばかり(この戦闘シーンの中に紛れ込む、リーディングプレイヤーと二人の従者による「マンソントリオ」というダンスは、フォッシー振付のBW初演ヴァージョンをほぼそのまま再現しているという点で要注目だ。マンソンとは1969年に連続殺人事件を起こして全米を震撼とさせたカルト集団の指導者の名に由来する)。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
そんな戦争経験を経て、自身の人生のありかたに悩んだ末、義母とうまく行かずに別居状態にあった祖母のバーサ(前田美波里)に助言を求めにゆく。するとバーサはピピンに対して、光陰矢の如し、人生の残り少ない時間、悩んでばかりいずにもっと楽しもう、と優しく歌い諭すのだが、実はこのシーンこそ、第一幕の(もしくは或る意味で劇全体においても)クライマックスといえるものなのだ。
バーサ婆さんが着ていた服をバサッと脱ぐと、魅惑のプロポーションを強調する露出度の高い曲芸コスチューム姿に早替わりするや、空中ブランコにぶらさがる! そのまま、パートナー(プロ曲芸師)の支えを借りつつも、逆さ吊りなどの技を次々と披露してみせるのだ。プロの曲芸師ではない、ご高齢の女性が、あんなにも高いところで、あんなにも凄い技を次々と、結構長い時間を使って、楽し気に。実にかっこいい。……のだが、観ている方は手に汗握り、ドキドキ、ハラハラ。前田美波里、御歳74(中尾ミエは御歳76)。これこそ、生の舞台を観ることでしか味わえない究極のスリリング体験だ。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
なお、ここで歌われる「No Time at ALL(あっという間に)」という楽曲の前向きな内容もメロディも、大変素晴らしい。その歌詞は、室町時代の歌謡集・閑吟集の「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」をホーフツとさせもする。或いは、モンティ・パイソンの映画『Life of Brian』の終幕に、十字架に磔にされた者たちが歌う、ご存じ「Always Look on the bright side of life(いつでも人生の明るい面を見ていよう)」(1979)の、無常感を伴う陽気さにも曲調込みで似たものを感じる。『ピピン』の「No Time at ALL」もまた、観客が一緒に合唱できるよう舞台上に歌詞が映し出される。ただ、いまは時期が時期だけに、それに対応するか否かは(楽曲の趣旨に反して)慎重にありたいところだが、さりとて心の中では筆者もしっかり歌ってはいる。
さて、身体を張ったバーサのアドヴァイスに感銘を受けたピピンは、自身も人生を楽しむべく、(少々勘違い気味ながら)淫欲の快楽に耽る道に身を堕とすのだが(「With You(あなたと)」)、とどのつまり愛なき快楽もまた虚しいばかりであると悟る。やがて(信仰を強要するなどの)父の暴政下で民衆が苦しんでいる事態に遭遇し、「恐怖と流血の政治は終わらせなければならない」「今こそ変革の時」と、革命を決意するに至る。これを知った義母ファストラーダ(霧矢大夢)はピピンの謀反の動きをチャールズ王に知らせるも、チャールズは「息子とはそういうもの」と、あまり気にかけない。そこでファストラーダは、実息ルイスを王座に近づけるための策として、ピピンにチャールズ王を暗殺させる道筋を用意する(「Spread a Little Sunshine(ちょっぴりサンシャイン)」)。かくしてピピンは義母の陰謀のレールに乗っかって父王を殺害し、自ら玉座に座る。この時、チャールズの遺体にとあるマジックが施されるのは、見てのお楽しみ。新王となったピピンが新しい治世の始まりに“朝が来た、いま”と高らかに歌い上げると(「Morning Grow(朝日)」)、ピピンに王冠を授けるリーディングプレイヤーが客席に向かって休憩を告げ、第二幕でものすごいクライマックスを見せことを約束する。……と、主催者によって公認された取材範囲はここまでなので、これ以上、物語をなぞることはしない。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
てっぺんの地位まで一気に昇り詰めたピピンは、第二幕以降どうなるのだろうか。キャサリン役、テオ役としては第二幕にしか登場しない愛加あゆ、生出真太郎は、ピピンとどう係わってゆくことになるのか。そして、リーディングプレイヤーが約束した終幕近くのクライマックスは本当に訪れるのだろうか。等々、気になる向きは、ぜひ劇場に足を運んで、ご自身の眼でお確かめいただきたい。
ちなみに、第二幕で歌われるナンバーも素晴らしい楽曲ばかりだ。第二幕にしか登場しない未亡人キャサリンは三曲歌うが、中でもピピンのギター弾き語りとデュエットする「Love Song(ラブ・ソング)」は、もっと広く知られるべき、そしてスタンダード化されるべき、このうえなく美しい名曲だと思っている。また、リーディンプレイヤーとピピンの唯一のデュエット曲「On the Right Track(うまくいく)」は、複雑に変化する音楽と圧巻のダンスが一体化した驚異的な神曲だ。もちろんCDでも聴けるが、鬼気迫るデュエットダンスの凄味は生で見ないとわからない。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]ヒダキトモコ
気になる出演者について感想など。二代目ピピンの森崎ウィンは、初日前会見でCrystal Kayも語ったように、とてもピュアで、初々しさが全開だ。品のある優しい歌声で丁寧に楽曲に取り組んでいる印象を受けた。リーディングプレイヤーのCrystal Kayは、2019年日本語上演版の初演に対して読売演劇大賞最優秀女優賞をミュージカルで初受賞しただけの実力と堂々たる安定のオーラを放つ。ダンスやアクロバットも熟練感が凄い。Kay同様に、初演に続いて再登板の今井清隆(チャールズ)、霧矢大夢(ファストラーダ)、岡田亮輔(ルイス)もそれぞれのコミカルなキャラクターぶりが自然と身体と演技の中に沁み込んでおり、確かな実力と相まって、素直に楽しめる。前田美波里のバーサは前述したとおりの圧巻ぶり。生ける奇跡。第二幕にしか登場しない未亡人キャサリン役の愛加あゆは可愛らしさ全開だが、その歌唱はしみじみと味わい深かった。テオ役の生出真太郎もこの奇妙な劇世界にうまく溶け込めており、歌もしっかりしていた。まだ見れていない中尾ミエのバーサと高畑遼大のテオの出演回も近く観劇予定である。
それにしても、と改めて思ったのは、シュワルツが24歳で完成させた『ピピン』の音楽の多彩さと完成度の高さである。本当に豊かな名曲揃い。彼の多数の作品群の中でも、やはり『ピピン』と『ウィキッド』はミュージカル史上に燦然と輝く金字塔的傑作である。シュワルツについては、2018年に来日した際にSPICEとして取材に立ち会ったことがある(https://spice.eplus.jp/articles/215434)。なんとそれが、横浜港に停泊する豪華客船、その約一年半後に世間の注目を集めてしまう、ダイアモンド・プリンセス号の船内劇場においてだった。その後、2020年6月には『ディファイング・グラビティ・コンサート』というシュワルツを讃えるコンサートが行われるはずだった(https://spice.eplus.jp/articles/264527)が、コロナ禍により延期が決まり、最終的に中止となってしまった。先日は、『ディズニー・ブロードウェイ・ヒッツ feat. アラン・メンケン』に出演するために来日予定だったアラン・メンケン(シュワルツの盟友)もまたコロナ陽性となり、公演が延期となった。ミュージカル・ファンも依然として心配の種は尽きない。ともあれ、シュワルツ作品の愛聴者としては、中止となった『ディファイング・グラビティ・コンサート』のプロジェクトが、いつか再始動することを願う。そして何より、今回の素晴らしい『ピピン』公演が無事に完走できることを祈るばかりだ。マジックと奇跡の舞台なのだから。
ミュージカル『ピピン』 [撮影]安藤光夫
文=安藤光夫(SPICE編集部)

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