中村梅玉が人間国宝認定へ 今を知り
、品格を大切に、磨き続ける永遠の二
枚目

2022年7月22日(火)、中村梅玉が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されることが発表された。これに先立ち取材会が行われ、梅玉が黒紋付の羽織に袴姿で登壇。フラッシュがいっせいに炊かれる中、深々と頭を下げて感謝を述べ、挨拶をした。
「思えば、昭和31年の初舞台以来66年。六代目中村歌右衛門の教えのとおり、歌舞伎の本分を、こつこつと歩き続けた結果が、本日のこの栄誉と思っております。これからも、ますます芸の向上に精進をいたすことはもちろん、歌舞伎という素晴らしい伝統文化を後世に伝えていくことが、使命のひとつと思っております。これからも皆と力を合わせ、ますます発展させていけるよう力を尽くす所存です」
1946年生まれ。父・六世中村歌右衛門の養子となり、1956年1月に、加賀屋福之助を名のり初舞台。1967年4月に八代目中村福助を、1992年4月に四代目中村梅玉を襲名した。取材会では、これまでの感謝を語り、思い入れのある役、大切にしてきた歌右衛門の言葉などが語られた。
■永遠の二枚目若衆
認定の連絡を受けた時の心境を、梅玉は「びっくりいたしました」と明かす。
「実は6月に体調を崩し、大人になって初めて、公演を3日間お休みさせていただきました。年をとったのかなと、落ち込んだ気分でおりましたところに、このお知らせをいただき。いっぺんに立ち直りました!(一同笑)。身体の大切さを思うのと同時に、歌舞伎役者として選ばれたことへの責任に、身の引き締まる思いがしました」
8月2日で76歳になる。9歳で歌右衛門の養子となり、1956年1月に初舞台。
「若い頃、テレビに出たり他のジャンルに挑戦してみたい、と父に言ったことがありました。しかし父は、それを許しませんでした。とにかく古典の勉強をきっちりとするように。ただただ大舞台に乗れる、品のある役者を目指さなければいけない。そう言われたことを覚えています。その方針のもと、歌舞伎をこつこつやってきたことが、今となれば幸せだったと分かります。父の教育方針は間違っていませんでした。役者としてまだまだですが、父も喜んでくれると思います。『お前さんもそこまで来たのか。良かったね』。そして『私は認めてないけれどね』と(笑)」
梅玉は、歌舞伎の立役の中でも、まだ前髪がある白塗りの二枚目、若衆役で第一線を走り続けてきた。
「七十になっても、前髪が似合う役者でいたい。それは若い頃からの目標のひとつでした」
そのために、「気を若く持つこと。芸の向上のためにすべきことは色々ありますが、まず気分を若く持つことが大切ではないでしょうか」と梅玉は言う。では、どうしたら気を若く持てるのだろうか。
「今を知ることを、大切にしています。世の中の流れを知るのは、必要なことだと思います。つい、“昔は良かった”と言ってしまいそうになるけれど、これは良くありません。現在に生き、現在を知っていなければ。スマートフォンはまだ使えないのですが、YouTubeも観ますし、今でも新しい音楽を聴きます。昔からサザンオールスターズさんの大ファンなのですが、桑田佳祐さんも、やはり今の音楽を作り上げ続けておられますね」
また「YOASOBIにもハマっています(笑)」と言い添え、感度の高さもうかがわせた。
■義経役、風格を大切に
大切にしている役は、源義経。
「主役ではありませんが、義経が芯になりドラマが作られているような気がします。『義経千本桜』も題名に『義経』とありますしね。義経を取り巻く世界、その芯に義経がいる。主役でなくても芝居の芯。演じる上での喜びです」
歌右衛門は女方、梅玉は立役。そんな事情もある中で、義経という役は特別だった。
「『勧進帳』の義経には、成駒屋型がございます。九世市川團十郎さんの弁慶に、私の祖父にあたる五代目歌右衛門が作り上げた形です。父・歌右衛門から手とり足とり教わったのは、唯一この役だけ。テクニック的にどうこうではありません。『風格を大切に』と教えられました。その後、ある評論家の方から『福助(当時)は義経だけは認める。他は大したことないけれど』と(笑)。まだ若いころでしたし、認めてくれるのはありがたいなと思いました。『大物浦』では、最後に安徳帝を抱き上げて花道を行くところが好きです。『勧進帳』では、“しどころ”がほとんどないのですが、何にもしていない間の佇まいが好きです。私にとって、生涯の大切な役です」
風格。品格。目には見えないものだが、梅玉の舞台姿は、たしかにそれを感じさせる。どのように身につけたのだろうか。
「父は、品格を大事に、と言いはしましたが、テクニック的にどうしたらいいかは、まったく言ってくれませんでした。ですから、どのようにと申し上げるのが難しいのですが、私の場合……のんきなんですね。下手くそと言われるのが当たり前の時代に、親の七光りで役をもらっている、と何度言われても腐らず、『そうだな、自分の芸が至らないからだな』と、舞台に立ち続けました。結局は、テクニックにこだわらずに勤めることなのかもしれません。もちろん、それも難しいこと。器用な、こぢんまりした役者にはなってくれるな、という父の方針と、私の性格があっていたのかもしれません」
■のんきな性格でほんわかと
自身の性格を「のんき」と分析する梅玉。歌右衛門の養子になったのは、9歳の時だった。
「(歌舞伎に対し)好きも嫌いもありませんでした。養子に入り、来年の正月から舞台に出るのだよ、と言われ、そうなのか、と。当時は、歌舞伎役者として精進していく覚悟なんてなく、舞台でお客様に拍手をもらえたことが、ただただ嬉しかった。翌月に少しいい役をやらせてもらえるとなれば、それが嬉しかった。色々な稽古事をしていくうちに、歌舞伎役者として一生やっていくのだな、と思うようになりましたが、覚悟は全くありませんでした。若い頃は、稽古をサボったりもして、それが親にバレて怒られたりもしました(笑)。ある程度の年齢になると、自分の人生はこれでいいのか、一度は迷う時期がある。……と聞きますが、それが、私にはなかったんです。覚悟というより、自分の運命と受け取っていたように思います」
俳優として歩んできた66年、どのような場面で苦労や挫折を感じたのだろうか。記者から聞かれた梅玉は、少し考えてマイクをとり「残念ながら、ないんです」と困ったように笑う。
「あえていうなら、先月舞台を休んだのが本当にショックでした。もちろん、舞台では苦労するのが当たり前。自分の思ったようにできないのは、当たり前のことです。だからと言って、もう駄目だとは思わない。今日は駄目でも明日があるさと、本当にのんきな性格で挫折感もない。だからといって、一流の役者になれたとは思っておりません。流れにのって、ほんわかーと来た感じでしょうか」
やわらかな口調が、一同を笑顔にする。影響を受けたのは、晩年も前髪の若衆を勤めた十五世市村羽左衛門。そして、多くの役を教わった七世尾上梅幸。
「市村羽左衛門さんは、神様のような存在です。生の舞台は拝見できませんでしたが、写真で見ただけでも、素敵だと感じられます。梅幸のおじさんは、師匠として尊敬している大切な存在です。『鈴ヶ森』の権八や『菅原伝授手習鑑』の桜丸。おじさんのあの素敵な舞台姿が目標でした」
梅幸と歌右衛門、ふたりの名優が近くにいた。
「どちらも大名人でした。父は女方一筋。梅幸のおじさんは女方ももちろん一流でしたが、二枚目系の役でもトップの方でした。私が前髪系の役を勤めるときは、まず父が『それは梅幸さんに習いなさい』と、直接おじさんに頼んでくれました。そして『やっぱり梅幸さんの藤娘はすばらしい』など、どの舞台を見ても言っていましたね。おじさんもまた、「藤雄さん(歌右衛門の本名)は、大したもんだ」と常に言っておりました。互いに認め合う世界が大変素敵でした。そのような時代に育ったことも、私にとって大きな財産です」
■『NARUTO -ナルト-』『賀の祝』『頼朝の死』
これから挑戦したいことを問われると、2019年に京都南座で出演した新作歌舞伎『NARUTO-ナルト-』、真山青果の新歌舞伎『頼朝の死』の将軍源頼家役、そして『菅原伝授手習鑑 賀の祝』桜丸役を挙げ、芝居を繰り返し勤めることへの思いを語った。
「『NARUTO -ナルト-』への出演は、面白い経験でした。(坂東)巳之助くんや(中村)隼人くんに、また呼んでね、と言ったほどです(笑)。新歌舞伎では『頼朝の死』。古典では『賀の祝』。ひとつの役を何度も勤める中で、新たな発見があるものです。『元禄忠臣蔵』の『御浜御殿綱豊卿』(綱豊卿役)は、今年2月で6回目でしたが、やはり新たな発見がありました。歌舞伎の奥深さをつくづく感じ、大変楽しく勤めることができました。先輩方に比べれば足元にも及びませんが、自分としては納得の行く出来ばえでした。繰り返し勤め、新たな発見があることに、生きがいを感じます」
梅玉は、こども歌舞伎スクール「寺子屋」の歌舞伎演技部門統括講師を勤めるなど、「歌舞伎の裾野を広げる」活動に携わり、若い世代の俳優の育成にも力を注ぐ。
「私の芸を伝えるというよりも、先輩方が築き上げた素敵な芸をそのまま後輩に伝える。その指導をさせていただいている感覚です。若い方には、先輩の芸をとにかく細かく観てほしいですね。子どもの頃や若い頃には、分からなくても、とにかく見る。あとになって、芸の深さが分かってくるものです。自分がお手本になれるとは思っておりませんが、若い方にそう感じてもらえるよう、私自身、なお精進しなければいけません」
会見に登壇した中村梅玉
2020年からのコロナ禍は、歌舞伎の興行にも大きな影響をもたらしている。
「現在は色々な制約により、『忠臣蔵』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』といった大顔合わせの通し演目が、なかなかできない状況です。はやく元に戻ることを願うばかりです。しかし、この2、3年のブランクで、歌舞伎という素晴らしい文化が下がっていくことは決してあり得ません。その時どきの若い人たちが、その時代の歌舞伎を作り上げ、何百年も伝わってきました。その意味で私は、あまり心配はしておりません。私自身が舞台で力を発揮できるよう、まずは健康でいなくてはと思います」
歌舞伎を語るときにはこぶしを握り、言葉に力を込め、自身を語る時には穏やかに控え目に語った梅玉。9月は、歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』に出演。また8月20、21日には、梅玉一門の勉強会『第二回 高砂会』が日本橋公会堂で開催され、梅玉も「ご挨拶」で登壇する予定。

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