南河内万歳一座『改訂版 二十世紀の
退屈男』(配信あり)作・演出の内藤
裕敬が語る。「やり場のない孤独=退
屈のあり方を、爆発させるように見せ
たい」

今年で結成42年目に突入した、関西小劇場界を代表する劇団「南河内万歳一座(以下万歳)」。青春の終わりに差し掛かった若者の焦燥感をダイナミックに描き出し、唐十郎に「スーパーセンチメンタリズム」と評された「六畳一間」シリーズの一つ『二十世紀の退屈男』を、18年ぶりに改訂再演する。21世紀用の改変というよりも、何世紀になろうと変わらないモノを、より引き出していくのがコンセプトだという。座長で作・演出の内藤裕敬が、その注目の舞台について語った。

アパートの一室で孤独をかこつ青年の元に、一通の手紙が舞い込んだことを契機に、奇妙な人々が六畳一間に押し寄せる。1987年の初演は、それまで肉弾戦のごとく激しい演出で注目されていた万歳の、文学性にもスポットが当たるきっかけになったという。
南河内万歳一座『二十世紀の退屈男』(1992年再演)。 [撮影]谷古宇正彦
「僕は大学でリアリズムの手法をガッツリ学んだ上で、いかのそのスタイルをぶち壊しながら、リアリティを表現するか? ということを、20代の時はいつも考えていました。今ある演劇を壊した所で、新しいものを成立させたいという、破壊的な演劇ですね。その中には当然、暴れただけで終わっちゃった失敗作もあったけど(笑)。『二十世紀の退屈男』は、その“ぶっ壊して作る”という意気込みが、とっても強く反映されたころの、最後の方にできた作品だったと思います。
僕は子どもの頃から、文学性なんか全然なかったんですけど、唐さんとかが文学性を引っ張り出して評してくれたことで、世間が“内藤には文学性がある”と受け取ってくれたんです。僕は単に暴れたいだけなのに(笑)。ただ、演劇に文学性が内在することは当然なので、自分なりにどういう風に切り込むか? を、課題として持っておかなきゃいけないなあ、と思い始めて。そうして40代ぐらいから、少しずつ自分のスタイルが見えてきて、今は完成形に向かって楽しんで書いてる所がある。今回の改編は、その部分が反映されると思います」。
『二十世紀の退屈男』は、2018年に伊丹市の公立劇場「アイホール」のプロデュースで、内藤演出+フルオーディションのキャストで上演されたことがある。その時、あえてオリジナル戯曲のまま上演したことと、劇団員以外の若い俳優に演じてもらったことによって、今一度劇団本公演として再演する必要を感じたそうだ。
内藤裕敬。
「あまりにも何もない日常を繰り返し、新しい出会いも発見もなく、ただただ時間だけが過ぎていく。20代の頃に感じていたその焦燥を【やり場のない退屈】と読み換えて、それが孤独な生活の中で暴れ出す……というのが、最初のモチーフ。久しぶりに客観的に演出してみると、やっぱり“乱暴(な戯曲)だなあ”と思ったから、もう少し普遍性を持たせた上で、完成に近い形にしたいという思いが強く残りました。
アイホールで演出した時、今の若い人たちは、従来の価値観みたいなものを壊して、何かを作り変えるみたいな作業を知らないというか、やったことがないんだと感じました。だから“その程度じゃダメだ。もっと飛べ!”とか言いながら稽古したけど、今まで自分が使ってなかった何かが、そうすることで目覚めることに皆が気づきだすと、すごく疾走感が出てきたし、終わった後に“演劇ってもっともっと先があるんだ”と言ってくれましたね。
それで今回は、9人もオーディションで若い人を取りました。今ある流れを蹴散らしたいという気持ちで作った作品なので、やっぱり若いエネルギーが欲しい。稽古場では“俺たちが一番新しいことをやるという気持ちでもう一回暴れるから、それに付き合って下さい”という説明をしました。今の若い人たちの芝居を観ると、割と粛々と作ってて“若いんだから、もっと暴れりゃいいのに”ってストレスをちょっと感じるんだけど、それを今回我々が、老体にムチを打ってやろうと思います(笑)」。
時代はとっくに21世紀に移ったが「あえて昭和のアナクロな孤独をやることで、現代にも普遍的に通用するものを見せたい」と意気込む内藤。しかしその「孤独」の闇は、現代の方が深刻だと感じている。
南河内万歳一座『二十世紀の退屈男』(2004年再演)。 [撮影]谷古宇正彦
「たとえば昨今の、京アニとか大阪駅前のクリニックの放火犯を見ていると……すごく迷惑な話ではあるけど、死をかけて自己の存在をアピールせざるを得なかったという、度を越した孤独を感じるんです。何かわからない底なしの孤独を胸の中に抱えていて、それがああいう形でハジけてしまったのかなあ、と。特に、多くの可能性を根拠なく感じる(若い)年齢の時には、この孤独は耐えられないんじゃないかな。人の体温を感じながらコミュニケーションを取る機会が減った、ネットソサエティの時代になってから、孤独のあり方は昔よりも、ずっと底なしになってるんじゃないか? という気がします。
この“孤独”というキーワードを、今回どう扱うかで、作品の完成度は変わってくるでしょう。さらにストーリーの中では、手紙が大きな役割を果たします。本当に相手に読んでもらえたかどうかわからない、非常に心もとない通信手段ですよね。だけどその心もとなさと、肉筆でつづられた文章というのは、この高度デジタル化社会の中で、とても意味を持つのでは。初演からこの手紙の扱いは、何度か変わってきてるんですが、今回はさらに手紙の存在を、何か普遍化した形に暗喩できれば……と考えています」。
ここ数年は新型コロナの状況に翻弄されたため、客席をフルで使用できる公演は久々。「やっぱり“今日は満員だぜ”って言うと、役者の高揚感が違うからね」と喜びを見せる内藤。さらに今回の公演は、特に長年の万歳ファンにとって、また別の大きな意味を持っていることを明かす。
南河内万歳一座『二十世紀の退屈男』(1987年初演)。左が味楽智三郎、右が河野洋一郎。
「これがもう一つの、再演の大きな理由なんですが、昨年亡くなった河野洋一郎主演の代表作なんです。(もう一人の主演の)味楽智三郎とともに作品のクオリティを担保していて、掛け合いの遊びの中から、新しい発想を開発していく……稽古だけでなく、本番の舞台でも“まだ新しい発見ができないか?”という存在の仕方をしていました。追悼の意味をそれほど打ち出しはしませんが、僕らの気持ちの中ではそういう思いがあります」。
「孤独」をテーマにすると、だいたい陰鬱で湿度の高い世界になりがちな所を、あえて「爆発するような孤独のあり方」を見せるという内藤。孤独をポジティブな方向に、思いがけぬ形で逆噴射させるようなステージが現れることを期待したい。なお今回も旅公演を実施しない代わりに、収録映像の長期配信を行う予定。さらに楽日の29日終演後には、前述の河野洋一郎を偲ぶ「河野洋一郎からグッドラックの会」を執り行う。以上の詳細は、公式サイトでご確認を。
南河内万歳一座『改訂版 二十世紀の退屈男』公演チラシ。 [イラスト]長谷川義史
取材・文=吉永美和子

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