ドレスコーズ 寺山修司との時空を超
えた共演、『ドレスコーズの音楽劇《
海王星》』に込めた志磨遼平の想い

日本の演劇や文学の世界に大きな足跡を残した巨星・寺山修司と、かつて寺山の戯曲からその名を取った「毛皮のマリーズ」でデビューした志磨遼平。二人のアーティストが時空を超えて“共演”する、『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』は、不思議な運命の結び目が産み落とした奇跡の一作だ。寺山修司の未上演作品に眞鍋卓嗣が演出を施し、昨年末から今年初頭にかけて上演された舞台『海王星』では、志磨が音楽監督を務め、ドレスコーズとしての生演奏で全公演に参加。『ドレスコーズの音楽劇《海王星》』は、舞台上でキャストが歌った楽曲を志磨が歌い直した作品だが、童謡、ムード歌謡、シャンソン、ジャズ、ハードロックなど、これまで以上に広範な音楽性と、合唱やデュエットなども含む多様な歌で、バンドのファン以外にも広くアピールする魅力的な作品だ。彼はいかにして、寺山修司の世界を見事に現代的に音楽化することに成功したのか? 刺激と導きに満ちた制作過程について、志磨遼平が語ってくれた。
――素敵な音楽です。これは実際に舞台を観た方はもちろん、音だけで聴いても素晴らしいと思います。
ありがとうございます。恐縮です。
――我々ファンから見て、志磨さんが舞台音楽に惹きつけられていくのは、必然としか思えないところがあるんですね。もともと演劇的な志向を、多分に持っている人だと思うので。
でも、まさか自分が演劇に関わるようになるとは思ってもいませんでした。そういう演劇的な志向を持った音楽家、たとえばデヴィッド・ボウイのような、シンガーというよりもパフォーマーに近い人が好きでしたけど。でも、自分としては必然という感じはまったくなく、“まさか舞台音楽をやるようになるとは”という感じです。
――このアルバムは、もちろんドレスコーズのファンも聴くと思いますけど、音楽性も違いますし、まず舞台を観てくれた人に届ける、という意識ですか。
もちろん、舞台を観てくれた方が“ああ、あのシーンだ”と思い出しながら聴いてくだされば本望です。だいたい演劇って、映像に残る作品もありますけど、ほとんどが公演後は跡形もなく消えてしまう。あんなに一生懸命作った作品は、誰かの記憶の中にしか残らない。でも僕は音楽家なので、記憶や感動を録音して再生できるようにすることが仕事なので。
――レコード芸術ですね。
そうです。僕が録音しておけば、あの素晴らしい舞台の、たとえ一部だとしても保存できる。そしたらいつか、どこかの誰かが、また『海王星』を舞台にかけたいと思ったときに、この録音を参考にしてもらえるかもしれないし。僕が『三文オペラ』をやれたのも、かつての楽譜や録音が残っていたからなので。そういう意味でも、ちゃんと残しておくことは意義があると思います。
3月生まれの志磨さんの守護星は海王星でした、とか。そういうのを聞くと、“必然かも”と思ったりもします。ロマンチストなもので。
――アルバムの中身の話に入る前に、過去の舞台音楽のことも聞きたかったんですね。まず2018年に『三文オペラ』の音楽監督を、そして2020年に『人類史』の音楽監督を務めて。
はい。今回が三度目ですね。
――そこで思うのは、毎回、その前後のオリジナルアルバムとの相関性があるんですね。『平凡』と『三文オペラ』、そして『ジャズ』と『人類史』(*音源化はされていない)は、明らかにテーマが共通している。
たしかにそうですね。おそらく『三文オペラ』や『人類史』を手がけた谷賢一くんと僕の“今取り上げるべきだ”と思ったテーマに、共通性があったんだと思います。それは他の人の作品、たとえば誰かのアルバムや、誰かの文章にも、思うことがよくあります。“僕と同じことをテーマにしているな”というものが、同時期に出てくるということはよくあります。
――シンクロニシティと言いますか。
そうですね。特にここ数年は激動の時代です。たとえば今、コロナ禍の影響を受けずに作品を作ることはできないでしょうし、これからは、戦争になにがしかの影響を受けた作品が、どんどん出てくると思うんですね。なので、僕が参加したお芝居と、僕が作るアルバムに相関性があるのは、時代がそうさせているんだと思います。
――たとえば『三文オペラ』の時に、演出の谷賢一さんとも、そういう話をしたわけですか。
そうです。ちょうど僕が『平凡』というアルバムを出す前で、それは資本主義を皮肉ったコンセプトがテーマだったんですけども。そのタイミングで谷くんから『三文オペラ』の話をいただいて、まさに同じテーマじゃないか、と盛り上がりました。しかも『平凡』には《クルト・ワイル(ヴァイル)》が登場する歌詞が偶然、あったんです(※クルト・ヴァイルは『三文オペラ』の作曲家)。
――それはすごい一致です。
そのあとの『ジャズ』というアルバムは、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』という本からヒントを得て作った、“人類最後の音楽”というコンセプトのアルバムでしたが、同時期に谷くんがその『サピエンス全史』を舞台化しようとして、出来上がったのが『人類史』です。
――それは、まったく別々に、同時に起こっていたことですか。
まったく別々に、同時にですね。なので『人類史』の音楽監督も、“僕以外にふさわしい人はいないでしょう”とお引き受けしました。そして今回は、「毛皮のマリーズ」という名前で僕がデビューしてちょうど10周年の節目に、寺山さんの作品の音楽監督を務めることになり。それも、毛皮のマリーズの解散ライブが12月5日で、『海王星』の初日が12月6日だったので、きれいにピッタリ10年なんです。
――それも、すごい偶然ですね。
こうやっていろんなことの辻褄を合わせていくのが、大好きなので(笑)。ファンの人もいろいろ教えてくれるんです。たとえば、人には守護星というものがあるらしく、3月生まれの志磨さんの守護星は海王星でした、とか。そういうのを聞くと、それこそ“必然かも”と思ったりもします。ロマンチストなもので。
――そして今回、『海王星』の音楽監督として、最初に依頼を受けたのはいつ頃でしたか。
2、3年前だったと思います。でも、お話をいただいてしばらくは進展がなく、“もしかしたら話が流れたのかな”なんて、あまり期待せずにいました。“そりゃそうだ、こんなうまい話があるはずがない”と思って。だって、夢物語じゃないですか。“作詞・寺山修司、作曲・志磨遼平”なんて。そんなことあるはずないよな、と思って忘れようとしてたんですけど、いよいよ“スケジュールが決まりました”という連絡をいただいたのが、去年(2021年)の春ごろだったかな。秋には稽古が始まるから、それまでに曲を仕上げてください、という話になったのは。
――今回は、寺山さんの詩があって、それに曲をつけていくという形ですよね。
そうです。
――それは志磨さんにとっては珍しいことですよね。
あんまりやったことはないですね。
――しかも寺山修司の、歌詞というよりも、詩ですよね。文字数や音節も、かなり自由に作られている。それにメロディをつける上で、苦労はありましたか。
おっしゃるとおりで、音節はバラバラでしたね。自由律と言いますか。でも、無理やりはめ込めばなんとかなりますから。だって、せっかくの寺山さんからいただく詩ですから。もう意地でも一言一句変えずにメロディをつけるぞと決めて、取り組みました。ただ面白いもので、言葉にはそもそもイントネーションがあるので、そのイントネーションを音階化すれば、おおまかなメロディはすでに最初から決まっている、とも言える。
――「結婚式はいいもんだ」という曲の、《結婚式は、いいもんだ》みたいに。
そうそう。自然にそうなるんですよね。あるいは「教授の唄」の歌い出し、《結婚は、結婚は》という言葉も、タッタンタ、タッタンタ、というリズムがありますから、曲のリズムはおのずとシャッフルになるし、《結婚は、結婚は》とピアノで弾けばもうイントロのリフができている感じ。だから、意外と苦労せずにできましたね。
あまりに恐れ多い仕事なので、“寺山さんのもの”というところを意識せず、初見のインスピレーションでどんどん作っていく、という感じでしたね。
――寺山修司の詩と向かい合うことは、志磨さんにとってどんな体験でしたか。
あまりに恐れ多い仕事なので、冷静になってしまうと足がすくんで一歩も動けなくなるような予感がしまして。なので、“寺山さんのもの”というところを意識せず、あまり構えず、深く考察したり読み込んだりもせず、パッと台本をめくって、初見のインスピレーションでどんどん作っていく、という感じでしたね。1日1曲くらいのペースで。
――言葉に呼ばれるように、曲ができていったと。
ほとんどがそうですね。でも、すごく細かく言うと、たとえば「酔いどれ船」なんかは(『海王星』が執筆された)1963年当時にはまだ存在しないうるさい音楽ですし、当時の音楽の潮流と合わせて考えるとおかしい部分はたくさんあるんですが。でも、“寺山修司の音楽劇”と聞いて、寺山さんを好きな人がパッと思い浮かべるのは、やっぱり70年代のJ.A.シーザーさんだったり、『書を捨てよ町へ出よう』(※寺山修司が脚本、監督をつとめた長編映画)のサウンドトラックのような、少年少女がやけっぱちで合唱するハードロックだと思うので。「酔いどれ船」は先行公開が決まっていた曲なので、まさに寺山ファンが“待ってました!”と喜んでくれるような曲にしようと思って作りました。
――苦労があったとすれば、どういうところですか。
たとえば「毒薬の歌」は、同じメロディをもっとスローにした、さみしい感じのジプシー音楽だったんですが、これは物語の終盤で伊原六花ちゃんが歌う曲なんですね。そのシーンで、六花ちゃんには激しく踊りながら感情を爆発させてほしい、と演出の眞鍋さんから要望をいただきまして。それで、アップテンポのフラメンコのようなアレンジに変更したりだとか、そういった演出やキャラクターに合わせてアレンジを考える必要はありました。
新しい挑戦というよりは、記念碑じゃないですけど、僕に今できることをすべてここに捧げました、という感じです。
――今回、合唱やデュエットが、かなり多く入っていますね。志磨さんの単独ボーカル曲以外にも。
はい。それこそ、寺山さんの音楽をずっと手がけられていたJ.A.シーザーさんが、現在やられている「J.A.シーザーと悪魔の家」に所属するメンバーの皆様に、コーラスやデュエットをお願いしました。
――丸々、合唱の曲もありますし。志磨さんと竹林加寿子さん(J.A.シーザーと悪魔の家)との、素敵なデュエットもありますし。デュエット曲の「恋する女」や「紙の月」には、シャンソンというか、フランス歌謡の香りを感じます。
そうですね。寺山さんの、特に若い頃のロマンチックな詩は、プレヴェールのようなフランスの詩人の影響も大きいですから。そういうムードがきっと合うだろう、ということは考えました。
――その一方で、「子守唄」のような日本の童謡風の曲もあれば、「恋は一枚の夜の羽根」のように、これはムード歌謡ですか、という曲調もあり。
『海王星』の舞台設定は、港に停泊する沈没船を改装したホテルで、そこで出会った宿泊者たちが、毎晩、船の中でどんちゃん騒ぎをする、というお話です。僕が最初に台本を読んでイメージしたのは、そのどんちゃん騒ぎの後ろでBGMを演奏する、ホテルの雇われバンド、いわゆるハコバンのようなものだったんです。なので、昭和の時代のラウンジミュージックと言いますか、まさにムード歌謡のような、ラテン音楽、ジャズ、そういったものがごちゃまぜになった、エキゾチックでやたらゴージャスな音楽。そういうイメージで曲を作り始めたんですね。結果的には、眞鍋さんと話し合いながら、それ以外のいろんな種類の曲も増えていきましたが。
――それは音楽家として、新たな挑戦という感じですか。
どちらかと言うと、自分がもともと持っていたものを並べたイメージです。新たなインプットが必要な作業ではなく、アウトプットの作業と言いますか。ちっちゃい頃から好きで聴いていた昭和歌謡や、それこそ寺山さんが作詞を手がけた音楽、そういった僕の中にあるものを、とにかく全部出しますという。なので、新しい挑戦というよりは、記念碑じゃないですけど、僕に今できることをすべてここに捧げました、という感じです。
誰も思いつかなかった手口で、みんなを驚かせるような。そういった意味で、寺山さんほど鮮やかに人をだます人はいないので。
――作り終えて、満足感は?
いやもう、面白かったですよ。適材適所と言うとおこがましいですけど、こういうものをバンドマンでやる人は、あんまり僕以外にいないと思うので。もちろん寺山さんの作品だったからできたことではありますけど、“お役に立てたのではないかな”という自負はあります。僕自身、寺山さんの大ファンなので、“寺山劇というからにはこうあってほしい”という理想があったりするし、かといって、アングラすぎるものを観せられても食傷しますし。なので、仮に自分が参加していなかったとしても観に行きたいもの、聴きたいもの、満足して帰れるもの、を目指しました。
――そこは、完全にファン目線で。
そうです。自分で許せるものを自分で作る、という感じです。
――そんなにも思い入れの強い人物。あらためて、志磨さんにとって寺山修司とは、どういう存在ですか。
僕にとってはなんだろう……奇術師、とでも言いますか。詩にしても、短歌にしても、舞台作品にしても、映像作品にしても、とにかく既成のイメージや常識をひっくり返して驚かせる、そのためには手段を選ばないような方だと思っています。町中でゲリラ的に劇を始めたり、映画のスクリーンに釘を打ったり。手を変え品を変え、受け手の常識を揺さぶる。その手口が、とにかく冴えていて。ペテンと言うんですかね。自分も音楽をやるにあたって、そういうところにすごく影響を受けています。
――はい。なるほど。
たとえばドレスコーズは、バンドなんですけど、僕以外のメンバーが常に変わるんです。“それってバンドじゃないでしょ”と言われたら、“そうですか? バンドじゃないって言い切れますか?”と聞き返す(笑)。“じゃあバンドとは何か、考えてみてください”と問い返す、そういうところですね。こないだの『バイエル』というアルバムにしても、ピアノ一本のデモから完成に至るまでの制作過程をリアルタイムで共有する配信作品でした。CDだったら、中に入っている音楽を変えることは不可能だけれど、配信であれば何度でも中身を入れ変えることができる。そういったアイデアは、あきらかに寺山さんの影響下にあると思うんです。
――いや、それは確かに影響だと思います。
そういう試みが、僕は好きなんだと思います。誰も思いつかなかった手口で、みんなを驚かせるような。そういった意味で、寺山さんほど鮮やかに人をだます人はいないので。
――素晴らしいペテンですね。人生が変わるような、良いペテン。
そこが、寺山さんの一番面白いなと思うところです。
――お話を聞いて、やっぱり必然だったんだなと確信しましたね。志磨遼平が演劇の音楽に関わるようになって、巡り巡って寺山修司の作品に出会うことになったのは。
好き好き、言ってみるもんですね(笑)。“そんなに好きなら、やってみれば?”ということになったりするので。人生は面白いものです。
――いつか、でいいですけど、志磨さん自身の原作か、脚本かで、舞台をやってほしいとさえ思います。
いやいや、何か面白いものが浮かべばできるでしょうけど。でも、わからないですよね。今回みたいに、今は思ってもみないことをいつかやるかもしれない。デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』なんか、ブロードウェイでロングランですもんね。すごいですよね。
――まさかあの人がああいうことを、ですよね。ああいうことをできる音楽人は、そんなに多くはいないと思うので。期待しちゃいます。
そうですね。いつかそんなことができたら。

取材・文=宮本英夫 撮影=森好弘

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