アヴァンギャルドのミューズ。
アネット・ピーコックが残した
ジャズ・ロックファンをも唸らせた
傑作の『The Perfect Release』

アネット・ピーコックとは

1941年生まれ。ニューヨーク、ブルックリン出身ということなので、生粋のニューヨーカーだ。両親ともに演奏家という音楽一家に育ち、彼女も幼少期からピアノを、そして4歳の頃から作曲をしていたという。その後は西海岸で暮らすが、ゲイリー・ピーコックと結婚するためニューヨークへ戻る。時にアネットは19歳。1960年ということになる。彼女は名門ジュリアード音楽院で学んでいるのだが、年齢から察するに、それはゲイリーと結婚してからのことなのだろうか。そのゲイリーとの結婚生活は6年で終わる。原因は先述のポール・ブレイと出会ってしまったからだ。ライヴ競演のほか、ポール・ブレイのアルバムへの楽曲提供など、アネットは活動の場を広げていく。

60年代のニューヨークで20代を過ごすこと。それは刺激に満ちたものだったろう。アートやカウンターカルチャー、ドラッグ、サイケデリック、ブラックパワー、公民権運動…そしてミュージック。グリニッジ・ヴィレッジではフォーク・ブルース・リバイバル・ムーブメントが息づき、南部からそれまで米国内でさえ知られていなかったディープな音楽に光が当てられようとしていた。ロックが台頭する。ブラックミュージック、ファンクも人種の壁を超えて人気を集める。ジャズにおいてはコルトレーンやドルフィーだって生きていた。オーネット・コールマンがジャズの次に来るべき道筋を示し、フリーインプロビゼーションはいっそう自由に、アバンギャルドに突き進む時代だった。後にロフト派と言われるような無名だったアーティストが蠢き出した。そんな中、アネットはあのアルバート・アイラーと欧州ツアーをともにしたという。
※ゲイリー・ピーコックはアイラーの伴奏者だった。

そして1972年、ポール・ブレイとの6年の結婚生活に終止符を打つと、彼女は最初のソロ作『I’m the One』を出す。冒頭のイントロからフリージャズ、ロック、実験音楽、シンガーソングライター風、ヴォイスパフォーマンスとめまぐるしく展開するが、エルヴィスの「Love Me Tender」を含む内容は悪くない。まだ夫だったポール・ブレイをはじめ、ジャズ系ミュージシャン(アイアート・モレイラの名もある)らが参加し、現在の耳で聴くとかなりユニークだが、案外聴きやすいところもある。

それから6年後、『X Dreams』(’78)のレコーディングを機に彼女は活動拠点を英国に移す。ちなみにこのアルバムのためのセッションに招集されたのがドラマーのビル・ブルフォード(EX:イエス、キング・クリムゾン)にミック・ロンソン(EX:デビッド・ボウイ、スパイダース・フロム・マーズ)、クリス・スペディング(EX:ニュークリアス、シャークス、他)といったジャズ、ロック畑のミュージシャンだった。前作のコンセプトをほぼ踏襲しているのではないかと思われる本作でも、彼女の実験精神はさまざまなところに発揮されている。難解なものが見え隠れするものの、楽曲の質は高く、少しも聴きにくくはない。エキセントリックな中にささやくようなセクシーなヴォイスは随分と魅惑的だ。穏やかに歌い通す「Too Much In The Skies」など聴くと、難解なフリージャズの楽曲を書いたりするアネットと、この声の持ち主は本当に同一人物なのだろうかと不思議な心持ちになる。ここでもエルヴィス・プレスリーの「Don’t Be Cruel」がカバーされている。
※このビル・ブルフォードとのセッションが縁で、同時期、今度はアネットがブルフォードのリーダーバンドであるBrufordのアルバム『Feels Good To Me』(’78)にヴォーカリストとして全面的に参加し、準メンバー級の存在感を放っている。他のメンバーはアラン・ホールズワース(ギター)、デイブ・スチュアート(キーボード)、ジェフ・バーリン(ベース)。これは超絶技巧プログレジャズ名盤として、この方面に興味がある方は要チェックの一枚だ。また、同布陣にアネットを加えたライブ動画もアップされているので、必見だとオススメしておく。

英国ロックシーンではアルバム『X Dreams』(’78)は結構評判になったようだが、セールス的には伸び悩み、特に日本ではまったく話題にならなかった。そして翌年、『The Perfect Release』(’79)が出る。前述したように、ここで展開されているのは当時としては異色のフュージョンで、レゲエのリズムなども取り込んでいる。彼女のアルバムの中ではアクの強さは抑えられ、一番聴きやすいだろう。なおかつ今聴いてもなかなか刺激的だ。それでもアルバムがヒットチャートにランクインするということはなかった。

この後、80年代もコンスタントにアルバムを制作し、コンピレーション作、過去のリイシュー作など発表されたりしたものの、90年代は本人のリーダー作が発表されることはなかった。彼女が何をしていたのか、伝わってくるものはほとんどなかった。ところが、2000年になると、約12年ほどの沈黙を破り、『An Acrobat’s Heart』(ECM)と題されたアネットのアルバムがリリースされ、古くからのファンを驚かせた。それがECMからというのも意外だったが、曲によってヴァイオリンやヴィオラ、チェロによるストリングスが付く程度で、多くはアネット自身の弾くピアノとヴォイスというシンプルなものという点もこれまでにないもの。静謐としか言いようがない音楽で、まるでレクイエムのようだ。彼女はこのアルバムの編曲に2年を費やしたのだという。派手さも明るさもないが、ヴォーカリスト、あるいはヴォイスパフォーマーとして、強い信念を感じさせるアルバムだ。

というわけで、彼女自身のアルバムは『31:31』(’05)以降絶えているが、本人のパフォーマンスは別として、楽曲はこれからも他のアーティストに取り上げられていくのではないだろうか。ウィルコのギタリストで、日本のオルタナバンド、チボ・マットの本田ユカと結婚したことでも知られる、ネルス・クライン(Nels Cline)の『Lovers』(’16)にもアネットの楽曲が取り上げられているのが現時点で最新の、彼女についての情報となる。

2020年9月4日にはゲイリー・ピーコックが84歳で亡くなった。次いで2016年1月3日、ポール・ブレイが83歳で亡くなっている。二人はアネットとのことで疎遠になっていたが、その後、音楽の上では邂逅した。特にポール・ブレイは1993年にフランツ・コグルマン(ドラム)とゲイリー・ピーコック(ベース) とともに全曲アネット作品による『Anette』(hat ART)を発表している。一方、ゲイリーも1997年にマリリン・クリスペル(ピアノ)、ポール・モチアン(ドラム)のトリオで『Nothing Ever Was, Anyway: Music of Annette Peacock』(ECM)を出している(1曲のみ「Dreams (If Time Weren't)」でアネットがヴォーカル参加)。どちらも、ジャズ作品だが、実に美しいアルバムだ。

二人にとってアネット・ピーコックは、その音楽家としての才能を認めつつ、ファム・ファタールのような存在だったのかもしれない。

TEXT:片山 明

アルバム『The Perfect Release』1979年発表作品
    • <収録曲>
    • 1. ラヴズ・アウト・トゥ・ランチ/Love’s Out To Lunch
    • 2. ソーラー・システム/Solar Systems
    • 3. アメリカン・スポーツ/American Sport
    • 4. ロス・オブ・コンシャスネス/A Loss Of Consciousness
    • 5. ラバー・ハンガー/Rubber Hunger
    • 6. ザ・サキュバス/The Succubus
    • 7. サヴァイヴァル/Survival
『The Perfect Release』(’79)/Annette Peacock

OKMusic編集部

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