【Little Parade インタビュー】
底や端っこにはいたくなかったけど、
だからこそ見えた情緒があった
心って一色ではなくて
グラデーションみたいになっている
先ほども少し話が出た「501 with oneself」の“501”とはジーンズの型番ですよね?
そうです。ジーンズってビンテージのものがありますけど、長年穿くことによって味わいが生まれるのは人間も同じなのかなと。“老ける”って言うけど、“成長”ととらえることもできると思うんですよ。カッコ良い大人を見ると“ビンテージジーンズだなぁ”って感じるし。レプリカでは絶対に勝てない。高校の頃とかわざと石でジーンズをこすったりしていたけど、そういうことじゃないんですよね。色落ちの“ヒゲ”って呼ばれているものを作るためにジーンズを穿いたまま寝て、布団が青くなっちゃって親に怒られたことがあったのを思い出しましたが(笑)、そういうこともひとつの青春なのかなと。
“藍染めの週末”というタイトルもジーンズのイメージから?
僕は学校での月曜から金曜を経て、週末はひとりになるタイプだったんです。あんまり土日に友達と遊ぶ感じではなかったので。その頃は青色が藍色になるくらい自分で染めちゃっていたというか…月曜から金曜は淡いんだけど、週末はもっと濃い色合いのイメージです。“好きな人は何をしているんだろう?”とか“俺より幸せな人がたくさんいるんだろうなぁ”とか、空想で週末を染めていく感覚がありました。“そういうことを思っているのは、あなただけではないよ”という意味も込めてこのタイトルになったんです。
空想をしながら悩んだりしたことが太志さんの音楽につながっているんだなと、そういうお話を聞くと改めて実感します。
僕はイメージフェチであると同時に言葉フェチで、いろいろ空想したことを言葉にするのが習慣になっているんですよね。そういう言葉からイメージできる肌触り、記憶って、人間ならではのことなんですよ。AIにはできない。人間が発する言葉って、その人ならではのフィルターを通って出てくるものだと思っています。
「太陽と土と花水木」もそういう温もりを感じる曲です。
僕はおばあちゃん子だったので、そういう部分が出ていますね。記憶との対話が曲になっています。温かい記憶をもらったので、それを曲にして聴いてくれる人たちと分け合いたかったというか。自分の制作意欲ってそういうことなのかもしれないって思います。
見ネガティブに見えることも含めて世界は存在しているということを描いているのが印象的です。
“ネガティブなことはやめよう”みたいな風潮がありますけど、実はネガティブなことを感じるからこそ未来のことを考えられたりもするんですよね。例えば“あの人に頼ろう”って思うことで、そこから絆が生まれたりもしますから。
「スクールカースト ~底から見た光~」は、今おっしゃったこととつながると思います。
ネガティブな曲としてとらえられるのかもしれなけど、いろんなものが混ざり合っているんですよ。僕もこの曲で描いたようなことを経験してきていますし、大人も組織の中でこういうことを感じるだろうし、どの世代にも言えることなのかなと。
組織の中で自分の立ち位置みたいなことを考えて、いろいろ思い悩むというのは会社員は特に経験するでしょうね。
こういうバランスの難しさって、さまざまなことに当てはまるのかもしれない。僕もバンドをやっていた時は“出すぎても引きすぎてもいけない”と思っていましたから。心って一色ではなくてグラデーションみたいになっているんですよ。“今は幸せか不幸か?”っていうのもグラデーションだし。「スクールカースト ~底から見た光~」はそういうことを歌えたと思います。“どういう感情が正しいのか?”とかを言っていないつもりなので。
“底から見た光”という表現が素敵だと思います。“底”って一見ネガティブですけど、底から見上げたからこそ見える光があるというのは、とても希望があることだと思うので。
「光って見る角度で変わりますからね。いろんな場所に立って、いろんなものを見ることによって気づくこともありますし。僕も一番底や端っこにはいたくなかったけど、だからこそ見えた情緒があったというか。ともすると削ぎ落されてしまうそういうことを、これからも歌っていきたいです。
取材:田中 大