コシミハルが
細野晴臣との邂逅で
本格的に才能を開花させた
エポック作『TUTU』
未成熟だった1980年代の音楽シーン
最近では音楽活動と役者やモデル活動との両立も珍しくなくなり、バンドの掛け持ちも何ら不思議ではなくなった。アイドルを卒業した人がシンガーソングライターに転身することだってある。活動形態に規制がないのは当たり前というか、ほぼ自由になっていると言っていい。それが普通のことになっている時代の音楽ファンにしてみれば、“過去の活動が黒歴史ってどういうこと!?”と思われると思う。その辺りの実情がどうであったかに関してはWikipediaの記述が詳しい。やや長くなるが以下に引用させてもらう。
[デビュー当時の1970年代から1980年代初頭にかけては、音楽業界においてもテレビ番組や芸能雑誌が主要なメディアであり、若い女性シンガーソングライターはそれだけでアイドル歌手のような扱いを受けることが多かった。越美晴の場合もクラシック音楽の教育を受け、作詞・作曲、演奏を自らこなす正統派のシンガーソングライターであるにもかかわらず、その例に漏れなかった。なお同時代の女性シンガーソングライターには、大ヒット曲「異邦人 -シルクロードのテーマ-」を生みながら芸能界に違和感を覚えて活動停止した久保田早紀、「みずいろの雨」などのヒット曲を多数生みながらも海外移住の道を選んだ八神純子、また高い実力を持ちながら商業的に成功しなかったという理由で不本意な活動を強いられ、インディーズへ移行した中山ラビ、佐井好子などがいる]([]はWikipediaからの引用)。
ものすごーく雑にまとめると、1980年初頭までは若い女性シンガー≒アイドルというのが大半の見方だったということになろうか。第一次ユーミンブームが1975年から1976年にかけてのことだったというから、1980年代に入ると、女性シンガーソングライターはまったく新進気鋭の存在というわけでもなかっただろうが、エンタメ界における女性の地位がまだまだ低かったということだろう。いや、それはエンタメ界に限った話ではないかもしれない。そんな時代だったと言えばそこまでだが、まだまだ多様性の乏しい邦楽シーンであり、日本社会だったのだ。