ブルーグラスバンドでありながら
ポップさも持ち合わせた
カントリー・ガゼットの
『パーティーの裏切り者』
ディラーズとディラード&クラーク
その後、時代の要請もあってカントリーロックへと転身したディラーズであったが、兄のダグはその方向性に賛同できず脱退、元バーズのジーン・クラークと共に当時としては革新的なサウンドを持つアメリカーナのグループ、ディラード&クラークを結成する。バックを務めるのはバーニー・レドン(元ハーツ&フラワーズ)、クリス・ヒルマン(元バーズ)、マイク・クラーク(元バーズ)らであった。バイロンも参加した2ndアルバム『スルー・ザ・モーニング、スルー・ザ・ナイト』(’69)をリリース後、グループは分裂する。クリスはグラム・パーソンズとフライング・ブリトー・ブラザーズ(以下、FBB)を結成(マイクとバーニーも後に合流する)、ジーンはソロとなり、ダグとバイロンはビリー・レイ・レイザムとロジャー・ブッシュ(ふたりとも元ケンタッキー・カーネルズ)、ドブロ奏者のスキップ・コノーバーを迎えてダグ・ディラード・エクスペディションとして少しの間ではあるが活動する。このときの演奏は映画『バニシング・ポイント』(’71)のサントラに1曲のみだが収録されている。
カントリー・ガゼットの結成
バーニーがFBBを辞める時、以前スコッツヴィル・スクイーレル・バーカーズで同僚だった(このグループにはクリスも在籍)ケニー・ワーツに代替要員として参加を要請しており、FBB最後のライヴツアーの模様を収めた4thアルバム『ラスト・オブ・ザ・レッド・ホット・ブリトーズ』ではギター、バンジョーとボーカルで加入することになった。このアルバムにはゲストとしてバイロンとロジャーが参加しており、カントリー・ガゼットの名前が使われる初の作品となった。
この後、バイロンのオクラホマ大学時代の後輩であるアラン・マンデをバンジョー奏者に迎え、FBBのケニー・ワーツがギター&ヴォーカルで参加、カントリー・ガゼットは4人組となった。ただ、クリスもFBBを辞めてしまい、A&MレコードとしてはFBBへの興味はなくなっていたが、まだツアーの契約が残っていたので、新参者のリック・ロバーツがFBBのリーダーとなってヨーロッパツアーに向かう。カントリー・ガゼットの4人もメンバーとして同行することになるのだが、この時はFBBのメンバーとしての参加となった。このライヴの模様はアリオラ・オランダから『ライヴ・イン・アムステルダム』(’72)と『ブルーグラス・スペシャル』(’73)の2枚にまとめられている。