安藤玉恵を生んだ町、尾久を歩く~阿
部定はここにいた <ひとり芝居『切
断』上演再開記念特別企画>

荒川区西尾久にあるとんかつの名店「どん平」のお座敷で、「安藤玉恵による“とんかつ”と“語り”の夕べ」が、2020年11月より不定期で開催されている。「どん平」は俳優・安藤玉恵が生まれ育った実家だ。彼女は、新型コロナウイルスの影響で宴会の減った実家の店を盛り立てるために、「SAVE THE どん平」企画として、このイベントを始めた(詳しい経緯や内容はSPICE過去記事 https://spice.eplus.jp/articles/278061 参照のこと)。その第一弾の演目は、阿部定事件を題材にした一人芝居『切断』だった。2021年1月8日に発令された二度目の緊急事態宣言を受けて、しばらく休演していたが、4月13日より再開することが決まった。
安藤は幼い頃から阿部定事件を知っていた。というのも、実家の「どん平」から西へ約50mの場所にかつてあった旧・尾久産業地の待合茶屋こそ、事件の現場だったからだ。その尾久(西尾久)界隈を、昨年11月に安藤自らの案内で、『切断』の作・演出を担当する大谷皿屋敷(劇団「地蔵中毒」)、SPICE演劇ジャンル編集長A、そして筆者が散策した。このほど『切断』上演が再開されることを祝い、その時の町巡りのレポートを掲載することとした。読者の皆さんも、安藤の催しに訪れる際は、お芝居、トーク、とんかつとともに、尾久周辺の散策も、ぜひお楽しみいただきたい。
※なお、本取材の移動中はマスクを着用し、ディスタンスを確保のうえ、撮影時のみマスクをはずすなど、感染対策を十分に留意いたしました。
■最寄りは、都電「宮ノ前」停留所
「どん平」の最寄りは、都電荒川線の「宮ノ前」停留所。宮ノ前の“宮”は、尾久の総鎮守、尾久八幡神社を指している。
後ろに「宮ノ前」停留所に停まる都電荒川線が見える。
創建の時期を明らかにする記録はないが、尾久八幡が保管する棟札(建築や修繕を記録した木札。寺社や建物の内側の梁など、高い位置にうちつけてある)の中には、1385(至徳2)年のものもあるという。
「成功祈願しとこっか」(安藤玉恵)「祈っときましょう」(大谷皿屋敷)

■八幡堀プロムナード
「そういえば!」
歩みを早めた安藤は、タイルのモザイクの装飾が施された小道へ入っていった。
案内看板によると、その道は「水の街~八幡堀プロムナード」と名づけられ、かつて流れていた八幡掘という水路を、タイルで再現しているという。
江戸時代の初め頃から大正の終わり頃にかけて、八幡堀は尾久の田畑に水をひく役割をもっていた。しかし尾久が賑わい、人が増え、水質が悪化したことから、昭和2年から7年にかけて下水道が整備され、水路は暗渠となった。
舗装された道の中央には、八幡掘があった当時を想像したタイルの絵が埋め込まれていた。「小学校の社会科の授業で、皆で作ったんです。私は川と木と森、それからこの辺り。覚えてるもんだね」
「あったあった!」

■碩運寺で温泉が湧き、リゾートへ
「碩運寺(せきうんじ)で温泉が出たから、尾久が三業地にもなり盛り上がったんですよね」
三業地とは、料理屋、芸妓屋、待合の営業が認められたエリアのこと。尾久は三業地、いわゆる花街だった。1913(大正2)年、王子電気軌道(現・都電荒川線にあたる)の三ノ輪~飛鳥山下(現・三ノ輪橋~梶原)間が開業した。その翌年、碩運寺が発見したラジウムの鉱泉で「寺の湯(後の不老閣)」という湯治場が開設された。周辺には温泉旅館や料理屋が数多く建てられた。
現在の碩運寺。温泉施設はもうない。
1922(大正11)年に「三業地」として指定を受けると、一大リゾート地へと発展した。翌年9月1日の関東大震災直前には、300を越える店が営業していたとも言われている。第二次世界大戦後、この地域に工場が転入し、地下水を汲み上げるようになった。温泉は枯れ、尾久三業としての賑わいは息をひそめていった。
待合茶屋「武蔵野」だった建物。
それでも安藤が子供だった頃は、花街の名残があったという。
「小学生の頃はまだ、営業している待合茶屋が4、5軒のこっていました。学校にいく途中に着物の女性を見かけたり、三味線のお稽古をする音が聞こえたり。黒い壁も残っていて」
待合の入口は、裏手にあるものだったそう。
■阿部定事件のあらまし
事件は、1936(昭和11)年5月におきた。料理屋を営む石田吉蔵と女中で愛人の阿部定は、11日から待合「満左喜(まさき)」に連泊していた。18日の深夜2時、定は「さくらの間に於いて熟睡中なりし、吉蔵の頚部を腰紐を二重に巻き付け」て絞殺し局部を切断した。その後、定は吉蔵の局部とともに「満左喜」から姿を消した。
阿部定事件捜査本部がおかれた尾久警察署の入り口
19日、新聞は美人女中による「怪奇殺人」と題し、さくらの間の敷布に『定吉二人キリ』、吉蔵の左太ももに『定吉二人』と鮮血で書かれていたこと、左腕には『定』の一字が刻んであったこと等を報道。一大スキャンダルとなる。20日に定が品川で拘束された後も、聖地巡礼のごとく多くの人が現場に押しかけ、尾久の町は阿部定景気に沸いたとも伝えられる。青年将校らによるクーデター「2.26事件」から3か月後、戒厳令の施行されている最中のことだった。
「生前の定の最後の足どりが確認されているのは、滋賀県にある地蔵寺だったそうですね。そのお寺に入ることは断られてしまったそうですが」と編集長A。「最後は尼さんになろうとしたんですね」と安藤。尾久警察署の裏手には、奇しくも同じ名前を有する「地蔵寺(じぞうじ)」があり、安藤の母方の祖父母が眠っている。安藤と「地蔵中毒」の大谷がお墓に手をあわせた。境内には寺院名に恥じぬ立派な地蔵が立っていた。
地蔵寺にも足を延ばした。
■ザクロ
途中でザクロの実を発見。一人芝居『切断』にも登場する、ザクロ。
「あ!」(安藤)
ザクロ
「本物のザクロ、はじめてみました」(大谷)

■人情味あふれる、荒川区西尾久
思わず目をひく「スナックニュー木の実」。演歌歌手の方々のポスターが、建物の壁一面を覆う。
「作曲家、弦哲也さんが、歌手になることを目指して、ここから流しを始めたんですって」
石川さゆりの『天城越え』をはじめ数多くの歌謡曲を世に送り出した作曲家の弦哲也(げん てつや)。現在は、日本作曲家協会会長をつとめている。
「うちのおばあちゃんは、弦さんのファンクラブ会員第1号で、新曲が出た時にはテープを1000本買っていたと話していました。毎年おばあちゃんの誕生日には、弦さんがギターをもって、いらしてくださいました。私の誕生日会もここでやってました」
一見すると、ただならぬ雰囲気に思えた店構えも、エピソードをひとつ知るだけで、人情漂う尾久の町の自然な風景に見えてくる。
現在は『かすみ草』をイチ押しする「スナック ニュー木の実」
あんみつ姫」は、「ニュー木の実」のマスターの奥様が営む甘味処。

■事件が起きた待合茶屋、その後……
待合茶屋「満佐喜」の跡地は、一般の住宅と駐車場になっていた。玄関にはなんと「安藤」の表札。
「祖母が跡地を買って、建て替える前はおじが住んでいました。石畳を入っていくと小さい池があって玄関があって……。あの頃の雰囲気を覚えています。その後、土地を半分売ってしまったのですが、駐車場のあたりまで『満佐喜』の敷地でした」
阿部定事件の現場の跡地。
かつて花街だった尾久は現在、人情味溢れる商店街と住宅地の共存する町となっていた。散策中、安藤はたびたび地元の方から声をかけられ、「今度芝居やるんだって?」「そうそう」など言葉をかわし、足をとめて話し込むことも。
いよいよ安藤の実家であり、『切断』の会場「どん平」へ。
一角曲がるごとに「玉恵ちゃん」と声がかかる。

■唯一無二、「どん平」のとんかつ
『安藤玉恵による“とんかつ”と“語り”の夕べ』では、お芝居、トークの後に、ソーシャルディスタンスに配慮した店内で、とんかつ定食をいただく(とんかつ弁当としてのテイクアウトも可能)。お芝居が上演されるのは、2階のお座敷だ。
『孤独のグルメ』、『モヤモヤさまぁ~ず2』、『ぶらり途中下車の旅』など、テレビでもたびたび取り上げられてきた「どん平」。現在は、安藤の兄の正高さんが父親のあとを継いでいる。
「先代の店主である父親は、アイデアマンで楽しい人でした」と正高さんは言う。「料理屋を営んでいた祖母のあとを継ぎ、とんかつ屋を開きました。はじめは普通のとんかつを提供していたのですが、やがて独特のとんかつを発明しました。どん平のとんかつは、はじめに国産バラ肉を筒状に丸め、タコ糸でチャーシューのように巻きます。父はラーメンが好きで、おそらくチャーシューから発想を得たのでしょうね。肉は、おからや日本酒で7、8時間、煮込みます。そのままではトロトロなので、一度冷水でしめて寝かせます。これをとんかつにしてお出しするんです」
そこにデミグラスソースをかけていただく。
「どん平」のとんかつ。とろけるような、ではなく、とろけた。
表のシャッターには、先代の店主の似顔絵が。40年ほど前に、美大生(のちに漫画家・長谷川町子のアシスタントとして活躍された)に描いてもらったもので、それを元に、舞台美術家の田中敏恵氏に依頼し、お店のシャッターにも描いてもらったという。
店主の正高さんをみて「尾久のパクセロイですね」と喜ぶ編集長A(パクセロイは韓国ドラマ『梨泰院クラス』の主人公の名)。
安藤と尾久の町を歩いた記憶を振り返ると、まるで阿部定その人と町を歩いたような錯覚をした。そんな贅沢な経験をさせてくれる安藤玉恵の一人芝居『切断』は、今後も不定期で開催されていく。最新情報は公式Twitter(@antama_tonkatsu)でチェックしてほしい。
取材・文・撮影=塚田史香
<参考>
荒川区ホームページ「施設案内」
東京神社庁サイト
案内看板『八幡堀の跡』(平成元年 荒川区、荒川区教育委員会)
案内看板『尾久 ヲク』(平成7年 荒川区役所土木部水道課、尾久を考える会)
案内看板『寺の湯(跡)・』(平成元年 荒川区、荒川区教育委員会)
東京朝日新聞(昭和11年5月19日)
西尾久東町会WEB『第26回ディスカバーあらかわ』

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