渡辺謙、昨年公演中止を余儀なくされ
た『ピサロ』アンコール公演に挑む心
境を語る

2020年3~4月、コロナ禍で社会が揺れる中、PARCO劇場オープニング・シリーズ第一弾として上演され、途中で公演中止を余儀なくされた『ピサロ』。その待望の再演が実現する。タイトルロールを演じる渡辺謙をはじめ、昨年のキャストが多く揃っての上演となり、さらに練り上げられた舞台が期待できそうだ。1985年の作品上演時には山﨑努のピサロを相手にアタウアルパを演じ、このたび再びピサロに挑む渡辺謙に、作品への意気込みを訊いた。
ーー1985年、2020年に続いて『ピサロ』に挑まれます。
昨年は、PARCO劇場のリニューアル後、演劇作品としてのこけら落としとなる公演でした。PARCO劇場での公演は、僕にとっては、自分のエポックになる仕事が多いというか、自分で言うのも何ですが、次に飛躍する、ステップアップするための大きな試金石になるような舞台が多かったので、さて今回はどういう舞台になるんだろうという思いで臨んだんですが、とんでもないエポックになっちゃった(苦笑)。自分の舞台がこんな風に中断、中止になってしまうことも初めてでしたし、初日が開くのも遅れたし、回数もわずかしかできなかったので、非常に未消化のまま終わってしまったんですね。映画でもテレビでもそうなんですが、どんな作品でも、ひとつの旅にたとえることが多いんです。話を受けたときから、舞台だったら千穐楽まで、いろいろな紆余曲折、アップダウンがあって進んでいくんですが、それを旅、ジャーニーにたとえる。そして、『ピサロ』に関して言えば、物語自体、ある種の旅なんですよね。冒険をして、自分の終焉の地を旅していく。さらには、一回の舞台ごとにどんな旅ができるかということもある。そういう意味で、今回はどういう旅になるのかなということを考えながらやっていたんです。少し何か見えかかったかなと思ったころに公演が中断したので、そういう意味では非常に未消化だったというか。だから、中断した直後に、プロデューサーに、これ、もう一回やろうと言って。たまたま劇場の都合もつきそうだったので、押さえましょうということになりました。だから、割と早い段階からリベンジ公演の旅のしおりはありました。僕がこの役と向き合うことで、何を得て何を失っていくのか、喪失していくのかみたいなことがすごく楽しみだったんです。だから、今回もう一度やらせてもらえるからには、見つからないこともあるかもしれないけれども見つけてみたいなという風に今は思っています。
渡辺謙
1985年にアタウアルパを演じましたが、そのときピサロを演じていた山さん(山﨑努)が、この役を通じて一体何を見て、何を感じていたんだろうということにもすごく興味があったし、それを実際に体感するというのはおもしろい経験だったんです。山さんは山さんで感じるものがあっただろうし、僕は山さんがピサロを演じられた年齢をはるかに超えているので、逆に違うところが見えてくるかなという気もしていて。今回、再演だし、舞台構成も変わらないし、キャストも主要メンバーは変わっていないので、すぐ立ち上がると思うんです。でも、昨年とはまたちょっと違う旅になるかなという気はしていますね。昨年舞台をご覧になっていただいた方にも、今回違うねと思ってもらえるような舞台になるんじゃないかなという予感、期待はあります。
ーー現時点でここは何か変わりそうだと感じる点は?
まだまったくわからないです。セリフもほとんど覚えていないので(笑)。エンジンをかけたらローギアじゃなくて多分もう、すぐにサードくらいで走り始められるとは思うんですが、それは、自分の中で残っているものがあるからだと思うんです。ただ、もう一回始めから旅をやり直さないと、今回やる意味がないので。あんまり再演ってやったことがなかったんですよ。『王様と私』のときが初めてで、場所も変え、けっこう長く続いた公演だったんですが、そのとき、もちろん身体に残っているものがあるにしても、できるだけもう一度ちゃんとビルドアップしないと、自分が楽しめないということはすごくわかったので。今回また台本を開いて、言葉を入れていったときに何か感じるもの、キャストと再会して稽古し始めてまた見えるもの、感じるものを通して、前回はこういうことは感じなかったなみたいなことがあるのを期待しています。大変な公演ではあるんです。ずっと劇場の人に週7回公演にしてくれってお願いしていたんですが、結局押し切られて8回に(笑)。そんなにね、楽しいもんじゃないんです。やっぱり峰は高いので、かなりまた身体作り、コンディション作りから始めていかないと、越えられない峠だなと思います。
ーー『王様と私』もそうですが、『ピサロ』は異文化衝突がひとつのテーマになっている作品であって、そんな作品でピサロとアタウアルパ、対峙する双方の役を経験されました。
1985年の公演については、もう30年以上前の話なので、正直、そのときの感覚が僕の中にあまり残っていないんです。台本を開いて、1985年と同じ伊丹十三さんの訳ですし、あれ。こんな話だったんだ……と。しかもアングルが違う。ピサロ側から見るわけですから、比べるというか、こんなお芝居だったんだとか、ピサロはもしかしたらこんな風に感じるのかなということは、昨年演じてみて、相当おもしろい発見ではありました。異文化衝突について言えば、いい意味で非常にわかりやすいテーマだと思うんです。同じ人間でありながら、立場も考え方も全然相容れない、そういう人間たちが、衝突というかまざりあっていく上でどんな障害があったりするのかということは、ドラマとしてはやっぱりおもしろいテーマだと思っていて。ピサロからすれば、インカの人たちとの関わり方というものは、同じ人間としてまったく理解不能なところもあり、非常に目が覚めるような真実をもっているところもあり、何かそういう不思議なモメントみたいなものが劇中にたくさんあるので、拾い上げて表現していきたいと思います。
渡辺謙
ーーウィル・タケットさんの演出についてはいかがですか。
1985年に山さんと『ピサロ』をやったときに、ピサロがロープにつながれるシーンがあったんです。僕にはそのシーンがすごく印象的で。老いたピサロが、自分のもっているすべてをそこに注ぎ込んで、僕が演じるアタウアルパを、荒馬を調教するみたいに引きずり回して、息が上がってしまう。そこをどう演出するのかなと思っていたんですけれど、ウィルは、「僕はロープを使わない、見えない何かでつながっている方が僕にとってはおもしろい気がするんだけど」と言ったんです。僕は、今回の舞台においては、その彼の言葉にすごく同意ができたので。ただそこにあるもの、ただそこに見えているものだけじゃなくて、何かこう、もしかしたら他の人には見えない何かというものも含めて、ものではないものでつながっているというのが、非常に僕には新鮮で。僕の中ではすごく腑に落ちて、またすごく好きなシーンになりました。僕も新劇のすごいはしくれの出なので、どう理解するかとか、そのことをどうロジックで表現するかみたいなことを考えがちなんですけれど、彼は振付出身ということもあって、肉体がどう表現するか、それを全体の構図でどう表現するかとか、そういう演出に非常に長けている。変に感情の流れだけで舞台を作っていかないところがあって、今では僕もそういう感覚は好きなんです。きれいに流れていく論理よりも、ある瞬間からジャンプアップしたり、欠落、滑落してしまったり、そういう表現って僕はあると思うんですが、そのあたりをうまくすくい上げてくれる。じゃあこういう風に表現したらどうかというサジェスチョンがすごく的確なので、非常にアグレッシブな稽古場でした。
バックグラウンドで映像を使っているんですけれども、僕らは客席の方を向いているから、あまり映像は見えないんです。ただ、ゲネプロのとき、こんな感じで後ろに流れているんだと確認した時、その中に僕たちがいるんだという、そこにいる感覚みたいなものから、俳優も何かかきたてられるなと感じて。そのあたりは非常にコンテンポラリーだなと思いました。スペインの人々とインカの人々とで対峙していく作品ですが、非常にいい座組で、とてもクリエイティブな稽古だったなと。表現はみんなそれぞれ違うと思いますが、お互い見えているものにちゃんとフォーカスが合っていないとまとまらないし、全体として散漫な舞台になってしまう気がするんです。ウィルの力もあったと思うんですが、みんなが同じ方向を見ていた、向かっていく先が同じ方向だったなと思います。
ーーさきほど、“リベンジ公演”という言葉がありました。
だからと言って そんなに気負う必要はないかなと思っています。昨年やり足りなかったこと、やりきれなかったことは全員が抱えていると思うし、そんなことで上滑りするようなことにはしたくないなと思っていて。ただ、やっぱり、一年前の社会状況について言えば、客席も、ステージの上の僕らも、未知なるものにおびえていた。それとは明らかに状況が変わっているので、あのとき感じていたような、お芝居のことじゃない嫌な緊張を考える必要はないのかなと。もちろんいろいろな対策は劇場も僕らもとりますし、お客さんも協力してくださると思いますが、去年の3月のような状況で上演するということにはならないと思うので。去年よりはもうちょっと落ち着いた状況で幕が開いて、いいものを届けられるんじゃないかなという気はしています。
渡辺謙
ーー正直、昨年は……?
やっぱり、あんなに客席がスカスカだったというのは初めてだったし、あの当時、劇場に足を運んでもらうことすら、すごく何かリスクを負って来てもらっている気がしたんです。それで、何かね、お芝居を観たいという空気というより、私たちは来ました! みたいな悲壮感があって。何か違うところでこう、お互いに力入っちゃったところがあったんでしょうね。それは演劇という空間にとってはあまりいいことではないので、できれば今年はそうならないといいですね。
ーーそういう空気って感じるものなんですか。
感じます。しかもみんなマスクしていますし。今はもうしょうがないと思っていますが、あのとき、みんながマスクしている姿がすごく異様な空気感ではありました。
ーー渡辺さんが考える“演劇という空間”とは?
とても基本的な言い方になってしまうかもしれませんが、扉が閉まって、幕が開くというところから、異次元、外の世界とまったく違う世界が繰り広げられるべきなんです。でもやっぱり、昨年の状況だと、外の世界から脱却できない。緊急事態というフレームの中で、芝居をやっていた。やっぱり、1ベルが鳴って、扉が閉まって、客電が落ちて、幕が開く、その瞬間から、浮世のわずらわしいことをいっさい忘れて没頭してほしい。僕らもその間、異次元にいざなっていくわけですから。それができなかったのはやっぱりつらかったです。それができるのが舞台だと思うので。
ーー舞台に立つ上での醍醐味は?
舞台も、テレビも、映画も、やっぱり観客がいないと成立しないんですよ。観客にその先をぶつけたときに何が返ってくるかということだと思うんです。映画やテレビの場合は、観客の身体の中に入ったときに、そこで初めて作品が生まれる、ちゃんと形になるという風に思っていて。演劇の場合、本当に公演一回ごとに作品が生まれて死んでいくわけですから、「LIVE」って本当に上手く言ったなと思います。劇場の空間の中だけで生きて終わる。去年、初日が一週間延期になって、でも、稽古しないわけにいかない。それじゃあということで、衣裳もつけて、本番と同じスタイルで無観客でやりました。まあ虚しかった(苦笑)。稽古だって割り切ってやってはいましたが、延々とこれをやるのは意味がないとすごく思いました。僕らが作ったバイブレーションをお客さんが受け取って、それをまた、投げ返すというか、受け取ることで僕らに圧力をかけてくるわけです。そのやりとりがないと成立しないんだなと。でも、逆に言うと、それこそが、僕らが舞台の上で一番感じる醍醐味なので。お客さんもそれを望んでいると思っていますけれど。そういうものを観たいと思ってくださっているんじゃないかなと、期待しています。
渡辺謙
ーーアタウアルパを演じる宮沢氷魚さんについてはいかがですか。
山さんもこんな風に僕のこと見てたのかなっていう(笑)。アタウアルパって、ある種、すごくシャイニーなんです。光り輝いていて、若さに満ちあふれていて、透き通っているみたいなところがあって。本当に氷魚はそうだし、ああ、やっぱり俺、歳とったなと思いました(笑)。でも、ただ単に頭でっかちでもないし、フィジカルも、感覚的にも非常に優れている役者だなと思いましたね。このリベンジ公演で彼からまた見えるもの、感じるものが楽しみですし、とか言っちゃうと、共演者として生意気な言い方になってしまうかもしれないですが、それを見られるのが楽しみです。
ーー去年の公演で見えかかったものとは?
これって言うと押しつけがましくない?(笑) 自分はこう表現してるんだぜみたいになっちゃうから。ひとつだけ言うと、ラストで、ピサロの中に何が残っているのか、本当にかすかに残っているものは何なのかみたいなことだと思うんです。毎回、それが微妙に違うんですね。それがおもしろいなと思うし、この役の楽しみでもあるなと。それが何かはちょっと言えない(笑)。自分の終焉を前にしたときの感覚に近いのかなと思います。自分が死ぬときに何を思うかって考えることがあると思うんです。もちろん、この作品の中でピサロは死なないけれど、でも、ある意味、彼自身はそこで終わってしまうところがあるわけで、そのとき、今までのこと、いろいろなことが去来するというのはありますよね。
ーー作品の魅力についてはいかがですか。
これくらいのスケール感のある作品はなかなかないですし、スケール感だけではなく、非常に繊細な襞みたいなものが織り成されていくドラマでもある。『アマデウス』もそうですが、それがピーター・シェーファーの魅力なのかな。壮大なお話だけど、実はこんなにもちっぽけな人間たちの話みたいな、その両極に針がふれるのがおもしろい戯曲だなと思います。
ーーさきほど、大変な公演とおっしゃっていましたが、なぜそれでもリベンジを?
大変なのが楽しいんです(笑)。障壁であればあるほどやりがいもあるし、とりあえず今回、きちんとやりきりたいです。その中で、もしつかめるものがなかったとしても、それはそれでいいと思う。だけど、意地でもそれをつかみにいくことが、この芝居と向き合うということだと思うので、僕だけではなくてみんなでそれに挑みたいですね。
渡辺謙
取材・文=藤本真由(舞台評論家)  撮影=池上夢貢

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