尾高千代役の橋本愛(左)と渋沢栄一役の吉沢亮

尾高千代役の橋本愛(左)と渋沢栄一役の吉沢亮

【大河ドラマコラム】「青天を衝け」
第五回「栄一、揺れる」千代が栄一に
語った「人は一面ではございません」
を印象付ける鮮やかな作劇

 「強く見える者ほど弱き者です。弱き者とて、強いところもある。人は一面ではございません」
 見合い相手が縁起の悪い“つき物筋”という理由で、縁談が破談になって沈む姉・なか(村川絵梨)を心配する渋沢栄一(吉沢亮)に、いとこの尾高千代(橋本愛)が告げた言葉だ。
 3月14日放送の大河ドラマ「青天を衝け」第五回「栄一、揺れる」は、この言葉通り、「強く見える者の弱さ」と「弱き者の強さ」を織り込みつつ、「人は一面ではない」ということを印象付けた回だった。
 ロシアとの和親条約交渉を巡り、交渉推進派の老中・阿部正弘(大谷亮平)と反対派の徳川斉昭(竹中直人)が対立する幕府内。そこへ、地震に伴う津波でロシア船が転覆したとの報せが入り、遭難した船員たちが、勘定奉行の川路聖謨(平田満)によって救助される。
 ここでまず、幕府にとって脅威だったロシア人が一転、弱さを見せる。それを知った斉昭は「神風が吹いた」と歓喜し、遭難した船員たちを「皆殺しにせよ!」と息巻く。人の道に外れたその言葉は、さすがに阿部や側近の藤田東湖(渡辺いっけい)もいさめたほどだ。
 だが、そんな斉昭も、江戸を襲った大地震で、信頼を寄せる東湖が命を落としたと知った途端、その亡がらを抱き、号泣する…。強硬な姿勢を貫いていた斉昭が大声を上げて泣く姿は、まさに「強く見える者ほど弱き者」であり、切ない余韻を残した。
 さらに、その極めつけとなったのが、つき物をはらうために伯母・まさ(朝加真由美)が家に招いた修験者たちを、栄一が追い返すくだりだ。
 まさや母・ゑい(和久井映見)、村人たちが修験者の祈禱(きとう)を見守る中、「祈禱など不要」と主張する栄一は、“口寄せ”の女が語った「たたりを鎮めるため、ほこらを建てよ」という“神の言葉”に理路整然と反論。その矛盾を突いて追い返してしまう。
 脚本の大森美香は『NHK大河ドラマ・ガイド 青天を衝け 前編』(NHK出版刊)のインタビューで、「当時の農民というと虐げられる描かれ方が多かったと思いますが(以下略)」と語っている。
 すなわちこの場面では、虐げられる側の農民(=栄一)が、絶対的な強者である“神”(をかたる修験者たち)を打ち負かす「強さ」を見せたことになる。これほど明確な「弱き者とて、強いところもある」の表現はない。
 ロシア人、斉昭、栄一らが、強さと弱さの間で揺れ動くさまが、「人は一面ではございません」という言葉を裏付ける。まさに、「栄一、揺れる」というサブタイトルにふさわしい回だった。
 そもそも、女性の立場が今よりずっと弱かったこの時代に、栄一が千代から「弱き者とて、強いところもある」と学ぶこと自体が、その言葉を象徴しているともいえ、隅々まで計算された鮮やかな作劇だった。
 前回、代官の冷淡な態度に武家社会の理不尽さを思い知った栄一は、この回の冒頭で「承服できん!」と憤っていた。「強く見える者ほど弱き者」という一言が、そんな栄一に新たな道を示すことになるのかもしれない。
 演じる吉沢自身も当サイトのインタビューで「栄一の人間味を感じたエピソード」として、修験者を追い返す場面を上げており、これが今後、栄一の行動にどう影響してくるのか、注目したい。
 また、今回は、津波や大地震、疫病のまん延など、災害が続く様子も描かれ、現代と重なる部分も多かった。大森は番組公式サイトのインタビューで「『日本が』『幕府が』『他国が』と、どの環境にいる人もそれぞれ悩みながらぐるぐるして、うまく突破口を見付けられない混沌(こんとん)としたところが今の時代と重なる気がします」と語っている。
 まさに「人は一面ではございません」は、今を生きる私たちにとっても、いろいろな意味で示唆に富む言葉だったように思う。(井上健一)

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