【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#185
シンガーソングライター・森山直太朗
の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

我々はその時代の空気を吸って生きてい
るから、その時代に曲を作らされている
んだな

より

2020年12月20日、J-WAVEの『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』にて、ナビゲーターのスガ シカオ森山直太朗をゲストを迎えて音楽談義を展開した。テーマは『1969年のアメリカと日本』。1969年が音楽的に激動の時代だったことに触れて、森山は「やっぱり混乱している時代では音楽界も混乱していますよね」と語り、今回の名言へつながる。スガはこの言葉に同意しつつ、「アメリカでは『ウッドストック・フェスティバル』の存在が大きいですよね」と、1969年の伝説的ロックフェスにも触れる。日本において野外フェスの先駆けとなった『中津川フォークジャンボリー』が、『ウッドストック・フェスティバル』より6日早く開催されていたという話も非常に興味深い。当時の音楽シーンの印象を、スガが「『やるほうも命がけだけど、聴くほうも命がけだぜ』みたいなさ」と語れば、森山が「いまみたいに情報にあふれていなかったし、『音楽を聴く』という行為自体がもう少し能動的だったじゃないですか」と返す。デジタル化が進んだ現代において、大切なことを気付かせてくれる名対談である。
森山直太朗(もりやまなおたろう)
1976年4月23日生まれ、東京都渋谷区出身。シンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽監督、俳優。大学在学中から、東京・吉祥寺の井の頭公園などでストリートミュージシャンとしてギターを弾きながら歌い始める。2001年、「ワスレモノ」でインディーズデビュー。2002年、「星屑のセレナーデ」でユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。2003年、「さくら(独唱)」が大ヒット。『第54回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。2005年、愛知万博の開会式テーマソング「マザーアース」を森山良子に提供。同年、『第56回NHK紅白歌合戦』に「風花」で2度目の出場。母親の森山良子も「さとうきび畑」で出場し、番組史上初の親子共演となる。2008年、『第50回 日本レコード大賞』にて「生きてることが辛いなら」で作詞賞を受賞。2010年、映画『真幸くあらば』のテーマ曲「真幸くあらば」、エンディング曲「僕らは死んでゆくのだけれど」を担当。同作の音楽監督も担う。2015年、ユニット「綾小路翔と森山直太朗」で、シングル「ライバルズ」を発表。2021年2月10日、「さくら(二〇二〇合唱)」を配信リリース。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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