アート×音楽で、聴き手に新しい体験
を届けたい。ピアニスト・伊澤悠が挑
戦する「表現」の形

COSMUSICA 読者のみなさまにおかれましては、演奏会に行って音楽を聴く、という行動は身近なものかと存じます。音楽を好きになる瞬間や、そのようにしてコンサートに足を運ぶきっかけは、人それぞれの体験がありますよね。今回ご紹介するピアニストの伊澤 悠(いざわ はるか)さんは、そんな、人々がアートを味わうための新しい『場』を作ろうと一念発起、ユニークな試みを立ち上げました。現在はベルリンで学ぶ悠さんが、現地での経験も踏まえて、音楽の在り方、芸術表現の真髄、催し物の仕組みに向き合って創設した『Project NAKA(プロジェクト・ナカ)』についてお話をうかがいます。

伊澤 悠(いざわ はるか)
2009年 第63回 全日本学生音楽コンクール 高校の部 全国大会 第3位、2018年 第3回 ハンス・フォン・ビューロー国際ピアノコンクール 第3位。東京芸術大学在籍中アリアドネ・ムジカ賞、卒業時にアカンサス音楽賞、芸大クラヴィーア賞、同声会賞を受賞。2014年度 明治クオリティオブライフ文化財団奨学生。これまでに、名古屋フィルハーモニー交響楽団、芸大フィルハーモニア、マイニンゲン宮廷楽団と共演。
伊藤恵、マルクス・グローの各氏に師事し、アルフレッド・ブレンデル氏より個人的に指導も受ける。東京藝術大学を経て、現在ベルリン芸術大学ピアノ科と古楽科に在籍する傍ら近年ドイツリートの演奏にも取り組み、2019年には第26回ブラームス国際コンクールにて最優秀歌曲伴奏賞を受賞した。
「Project NAKA」立ち上げ!
– このたび「Project NAKA」という企画を立ち上げた悠さんですが、旗揚げとなる第一回公演では、4つの演目でそれぞれ異なる音楽とアートがコラボレーションする構成になっています。ユニークな試みだと思いますが、そもそもどうして企画に至ったのでしょう?
「この企画はもともと2年くらい時間をかけて構想を練っていました。今はアートというと、音楽なら音楽が好きな人、絵なら絵が好きな人、というように、ファン層も提供する側も細分化しているように思うのですが、かつてはそれぞれの分野がもっと近い関係にあったはずなんです。
自分が何かの曲に取り組むときに、その作品が書かれた動機やインスピレーションの源を探ると、ほかのアートに結びつくことが多くて、昔から、詩や絵画や小説など、音楽以外のアートにアイデアを求めてきた部分があります。そうすることで、楽曲が “ただ技にあふれた曲芸のかたまり” にとどまるなく、奏者の内面に重ねた感性がにじみ出る音楽になるように思います。
そのようにして “音楽を表現すること” を考えるうちに、自分は音楽しかできないからこそ、その道それぞれのアーティストとコラボレーションすることで、新しい化学反応が生まれたらいいなと思いました」
– つまり「いろいろな表現を掛け合わせてみたい」という興味が発端にあるのですね。もともとほかのアートもお好きなのでしょうか。
「音楽以外で特に好きな表現といえば、野田秀樹さんの舞台が好きです。高校時代に初めて見たときに衝撃を受けて以来、新作が出ればいそいそとチケットを買って劇場に行くほどのファンなんです。
でも留学して、ヨーロッパの劇場の学生券がお手頃価格、ちょっとランチを食べに行くのと同じくらいの金額で手に入ると知ったときに、日本では演劇やコンサートのチケットというとある程度値が張って当たり前になっているので、その違いに驚きました。自分が高いチケット代を出すことに疑問をもったという意味ではなく、なぜベルリンではこんなに安い値段で提供できるのか知りたいと思うようになりました。
その夢のような入場券の価格は、公的機関やさまざまな財団、企業、あるいは市民のサポートがあって成り立っているもの。その点でそもそも日本は助成のシステムが強くないので、チケットが比較的高い価格になってしまうという背景があります」
足しげく通う劇場、Berliner Ensemble
– ほかの先進国と比較したときに、日本のアートへの助成金の少なさは指摘されて久しいですね。結果的に入場料など “アクセスするための金額” がつり上がってしまうと、それは主催側にとっても、観客側にとっても、なかなか一歩踏み出しづらいものがあります。
「たとえば演劇の世界でいうと、劇団員の人たちは自分たちで赤字を負ってでも自分の劇団を作って活動していますよね。それに比べてクラシックの音楽家は『待ち』の姿勢に偏っている気がしました。赤字でも公演をやるべきという意味ではなく、クラシックの演奏家は『誰かに声をかけてもらう』ことを待つ風潮があまりに強い。演奏の機会を自分の手で作っていってもよいんじゃないかと思ったんですよね。
わたしはお笑いコンビの『バナナマン』も大好きなのですが、おふたりがどうやって今のような活躍に至ったかというと、若手時代のライブは安いチケット価格しか設定できない制約の中で、ライブのクオリティを絶対下げないよう工夫していて、そこに価値が見い出されるようになって、徐々に売れていったんですよね。その戦略には、大いに感銘を受けました。
自分で運営から取り組んで、自分がやりたいことを自分の手で形にすること。来場してくれる人がリーズナブルな価格でチケットを購入してもらえるモデルを作って、アートによりアクセスしやすくすること。この2点が、今回の企画で特に実現したいことです」
– その資金調達のために、今クラウドファンディングを実施中ですね。
「そうなんです、ぜひご協力ください。
というのも、もともとアートは、歴史的にも、世界的に見ても、個人個人の支援があって成り立ってきたという背景があります。演奏会を開催する際の収支の話をすれば、会場費・出演料・作品制作料といった大きな支出から、印刷費・郵送代に至る細かなものまで含めると、これをカバーできるだけの収入を得るには、(1)チケット代を高くする (2)支出を減らす (3)企業や行政の助成を受ける、といった方法が考えられます。
事実、この企画は光山文化財団に助成していただけることにもなりましたが、まだ埋まりきらない不足分をもし(1)や(2)の方法で補おうとすれば、お客さまにカジュアルに楽しんでもらうことは難しくなるし、無駄のない予算を立てた上で、それ以上に支出を減らそうとすることは、公演自体のクオリティを下げることにつながります。
そこで当プロジェクトは、クラウドファンディングを使って個人の方からの支援を募ることにしました。プロジェクトの意義に共感していただいた上でご支援を賜れれば、スポンサー、演者、観劇者それぞれがより個人的な思い入れをもって公演を楽しめるのではないでしょうか。このプロジェクトでは、この流れを作ることも目標にしています。
クラウドファンディング自体は10月16日を締切りにしていますが、その直前、10月4日には『アウフタクト・コンサート』と称してプレ・イベントをおこないます。これは3月の第一回公演の Vol.3 に出演するソプラノ歌手の櫻井愛子さんとわたしが演奏するもので、公演のコンセプトを直接みなさんにお知らせする機会にもなると思うので、聴いていただけたら嬉しいです。
アウフタクト・コンサートのチケットはすでに発売中です。客席に十分な間隔を設けるために席数を抑えているので、ご来場いただける方は早めにお求めいただけると安心です。出演者は公演前に新型コロナウイルスの検査をおこない、歌手の前には席を配置いたしません。またいろいろな事態に備えて、ライブ配信の視聴券も準備していますので、世界のどこからでも見ていただけます」

アートと音楽で新しい体験を
– 感染対策に努めての開催となるアウフタクト・コンサートの聴きどころを具体的に教えてください。
「プログラムは歌曲を中心に構成しました。“歌” というのは、それ自体が “文学” と “音楽”、ふたつの芸術が融合した作品です。このコンサートではまず “クラシック音楽が好きな人” に向けて、歌曲を入り口に、音楽と他分野との掛け合わせが既に多くおこなわれてきている事実をご紹介することを目的にしています。ブックレットには歌詞の対訳も載せて、読み物として楽しめるものにするべく、今執筆しています。
アウフタクト・コンサートのコンセプトは、“自然” が芸術に与える影響。特にドイツのロマン派芸術において、『森』というのは美しさと残酷を兼ね備えるものとして描かれています。自然にまつわるモチーフを軸に、ピアノ・ソロと歌曲をそろえました」
– そして3月の本公演は、コンテンポラリーダンス、映像、朗読、絵画とのコラボレーションというラインナップですね。組み合わせる音楽は、全体を通してクラシック音楽の時代の流れも追えるものになっています。アウフタクト・コンサートは Vol.3「朗読とロマン派」の内容を先取りするものになると思うですが、このラインナップはどういった経緯で生まれたのでしょう。
「 Vol.3で取り上げるブラームスの連作歌曲『ティークのマゲローネによるロマンス』という作品は、L.ティークの小説『美しきマゲローネとペーター伯爵』が元になって作曲されています。
この曲の場合、小説の中の挿入詩を歌詞に曲が作られていて、歌詞だけでは小説それ自体のストーリー展開を追いきれません。そのため小説の朗読を伴って上演することも少なくない楽曲で、この歌曲を勉強していたときに、自分もそうやって上演してみたいと思ったんです。
音楽と朗読を掛け合わせること考えるうちに、こんなこともあんなこともできるんじゃないか、とアイデアが広がっていって、さらに知人を通して舞台俳優や映像作家、ダンサーの人を企画に巻き込むことができたので、このような構成ができあがりました」
Ulrike LeoneによるPixabayからの画像
– 朗読される小説と音楽で聴く詩、こちらは聴覚から揺さぶられる回になりそうですね。そのほかの回についても詳しくうかがえますか。
「 Vol.1のテーマは舞踊と音楽です。バロック時代の作曲家であるバッハという人は、舞曲の形式を器楽曲に持ち込んで成立させた立役者でもあると思います。とはいえ当時と今では、生活様式も移動や通信の速度も全く違うわけで、DNAを介して脈々と受け継がれてきたリズム感と、環境に影響を受けて変化する感覚と、ふたつの軸を感じてみたいというの趣旨です。
Vol.2はアニメーション作家の方が作る映像作品との共演で、“色” や “モチーフの動き” といった視覚的な要素が、“音楽を聴く” という体験にどんな影響を及ぼすのか、という実験的な試みです。でも決して音楽が映像のBGMにとどまることなく、ふたつが組み合わさることで、映像と音楽双方にとってプラスに働くような内容になればと考えています。
Vol.4は高校大学時代の同期でもある作曲家・久保哲朗(くぼてつお)くんのプロデュースで、彼自身の新作を交えながら、近現代における宗教と創作の関係を探るものです。つい先日イタリア留学を終えた久保くんが、かねてから取り上げてみたかったというダリの宗教画をめぐって、近現代のアートにおいて “宗教” というものがどんな意味合いで存在したのか、探る内容です」
alsterkoralleによるPixabayからの画像
– キャスティングはどういったコンセプトでおこなったのですか?
「異分野のアーティストは先ほどお話しした通り、知りあいづてに紹介してもらったり、あるいは作品を見て好きだなあと思った方にオファーしてみたりして、まずはお知り合いになることから始めました。どなたとも今回初めてご一緒します。ミュージシャンも含めて同世代の方に依頼するというのは意識していて、しかもこういった前例のないプロジェクトを、一緒に楽しんで作り上げてくれる方たちにお願いしました」
– コロナ禍にあって配信でのパフォーマンスも増える中で、生のアート体験の意義が問われていますが、悠さんにとっての「公演を開く理由」って何でしょう。
「デジタルって手軽で、誰でも簡単にアクセスできて便利なのですが、その分 “わかりやすさ” が求められている気がするんですよね。たとえばピアノの演奏だったら、演奏会では絶対に見ることができない距離や角度でカメラが奏者に迫るから、奏者の手を真上から見られたりしておもしろい反面、魅せ方ばかりに目がいくようになってしまうと、やはりそこでも音楽がただの曲芸に偏(かたよ)ってしまうのではないかと思います。
自分自身、このステイホーム期間にオンラインでいくつか演奏会を視聴しましたが、どうもデジタル配信の音楽のほうが記憶に残りづらいようにも感じました。体験としての感触が弱くて、聴いたそのときは『よかったなあ』と思っても、その余韻がすぐ新しい体験に塗り替えられてしまう感覚があります。
それでも未曾有の事態を前にして、デジタルに頼らざるを得ない現実があります。それはそれ、公演は安全第一で実施したいし、配信もできる限りライブでお届けしたい所存です。万が一回線トラブルがあったら録画の配信になってしまうかもしれないけれど、そのテストも兼ねて、アウフタクト・コンサートでは配信に取り組んでみます」
国内での研鑽を経て、憧れのドイツで広げる表現
ベルリンでのレッスン風景
– ここからは悠さんご自身のお話をうかがいます。音楽を始めたきっかけ、ピアノとの出会いをお聞きしたいです。
「もはや記憶にないのですが、ピアノを始めたのは4歳だったと聞いています。家にアップライトピアノがあったので、鳴らして遊んでいたんでしょうね、気がついたらレッスンに通わせてもらっていて、練習を嫌がることもなかったけれど、かといって幼い頃は特別好いていたわけでもなく、初めのうちは『ああ今日はレッスンの日だ』くらいの感じでおけいこに通っていました。
出身の名古屋には音楽科のある高校がふたつある(県立明和高校と市立菊里高校)という土壌も手伝って、高校から音楽科を選ぶことも自然に選択肢に入る環境でした。進路を考える段になって、中学時代に一番熱心に取り組んでいたものがピアノだったから、ならばそれを一番がんばれる学校に行くのがよいだろうということで東京藝大附属高校を受験、その後藝大に進学しました」
– 藝高・藝大時代にとりわけ力を入れたことは何ですか?
「当時は特にコンクールやオーディションに捉われる日々で、周りもみんなそうだったので、それを疑うこともなく取り組んでいたのですが、ふと、これで本当にいいのかな、と思うことがあったんです。
ピアニストとして活動するためには、大きなコンクールで賞を重ねて、依頼が舞い込むようになって、という道筋を描く人が多いと思うのですが、今はいろいろな選択肢がある時代で、それが唯一の方法とは限りません。
でも周りの多くの人がそういった目標を掲げて努力していて、その理想と現実の狭間で自分を顧(かえり)みたときに、この思考から抜け出すために思い切って環境を変えてみようと思いました。藝大のピアノ科だと学部卒業後に大学院に進んでから留学を考える人も多いのですが、わたしは学部を出てすぐにドイツへ渡りました」
– 勝手ながら悠さんといったらコンクールによく出場されているイメージをもっていたので、実はそんな葛藤をお持ちだったとは知りませんでした。留学先はなぜドイツを選んだのでしょう。
「学部生の頃からいつかは留学したいと考えていましたし、もともとドイツ音楽が好きだから、それが勉強できるところに行きたいということでドイツに照準をあてて先生を探していました。講習会に参加したりして実際に習う中で、この人に習ってみたいという人に出会ってベルリン芸大を受験するに至ります」
– 現在は古楽科にも在学されているのですよね。音楽大学に在学していると副科で古楽器を履修される方も多いかと思いますが、ピアノ科と兼ねて古楽も本科生として学ぶことを選んだのはなぜですか。
「もともと興味があったけれど、本格的に古楽器に触れるようになったのはベルリンに渡ってからです。初めはやはり副科で取り組んでいたのですが、古楽器に触れる時間ももう少しもってみたいと思って、現在はピアノ科と古楽科の両方に籍を置いて勉強しています。自分のウエイトはモダン・ピアノにありますが、当時の楽器を知ることで、その時代の音楽の理由が見えてくるんですよね。
古楽科ではわたしは主にフォルテピアノ*を扱っているのですが、たとえばクララ・シューマンが使っていた楽器がレッスン室に普通に置いてあったりするんです。そういった歴史に直に出会えるところが、ヨーロッパで学ぶことの醍醐味だと思います」
*フォルテピアノとは18世紀から19世紀前半の様式のピアノのこと。20世紀以降に作られたいわゆるモダン・ピアノに対し、音域ごとの音色やペダルの数・機能が多様。特に初期と後期を比べると、音域の幅がかなり異なる
– もうひとつ経歴を拝見して気になったのが、ブラームス国際コンクールでの最優秀歌曲伴奏賞という実績。ひとくくりに伴奏といっても、声楽は言葉をつかさどる上に、歌手のコンディションは楽器のそれ以上に繊細で、歌曲の伴奏は特別に難しいものです。
リートの講習会にてテノール歌手クリストフ・プレガルディエン氏と
「高校時代から自分自身が副科声楽に取り組んでいたこともあって、もともと歌自体はなんとなく好きで、学部時代も折に触れ友人の伴奏者として声楽のレッスンについて行っていました。でもドイツ語がわかるようになってから、ドイツリート(歌曲)が格段におもしろくなって。
古いものだと現在自分たちが使わない言葉もたくさん出てくるのですが、ロマン派くらいの曲になるとほとんどがわかる単語になって、歌詞が実際に使う言葉として見えてくると、たとえば『この言葉にこの音を当てるのか』というような、ただ詩の意味をなぞるだけでは得られないない納得があります。また歌曲で出会った音型がピアノのソロの曲に出てきたりすると、自然に言葉が連想されるのもおもしろさのひとつです。歌曲の伴奏は、ピアノのソロでの演奏とはまた別の大きな柱として、これからも続けていきたいです」
アートと社会とのつながり
– ベルリンも東京も世界クラスの都市ですが、一言で比べると…?
「一言は難しいですね……東京の食べ物のおいしさや、街の清潔さはどこの都市も敵わないですね。ベルリンは街を流れる時間がゆったりしていて、いろいろなルーツの人がいるし、ほかの人のことを構わない気楽さがあります」
– ベルリンは音楽家のみならずさまざまなジャンルのアーティストも多いですよね。アートと人が身近な街というイメージがあります。
「ニューヨークやロンドンなど、ほかの大都市に比べてベルリンは物価が安いから、まだ駆け出しのお金がないアーティストでも住みやすいんですよね。加えてビザも出やすいから、まだ何者でもない人が “とりあえず何かしたくて” 出てみることが叶う街なんでしょうね。
わたしはベルリンに住み始めた頃に、テレビや本の中で見ていたような劇場に、それこそ学食のランチ代みたいな学生券で入場できたときに『この値段でここにいていいんだ…!』という感動を味わいました。……と言うとお金の話ばかりに聞こえてしまうかもしれませんが、ちょっとしたレジャーの選択肢としてそういう文化的な場所にアクセスできる手軽さがよいなと思います」
ベルリンの都会のど真ん中に広がる森林公園
– わたしもいち音楽家として、アートが身近にある暮らしをより多くの人に届けられたらよいなという思いがあります。音楽も含めたアートは社会とどのように関わることができるのでしょう。最後に悠さんの理想を教えてください。
「音楽を演奏する側としては、こうやって聴け、みたいなことは言いたくないんです。聴き方は相手に委ねたいというのが一番にあります。こちらは精一杯よいものをお届けする努力はするけれど、それをどのように解釈するかは、聴き手次第だと思っています。聴く人にお任せしたいんです。
音楽を聴いたときに何かが響くのは、それはこれまでにその人が重ねた経験に呼応するからなんですよね。今演奏したものが、すぐ誰かの身にはならなかったとしても、わたしが奏でた音楽がそういった体験のひとつになって、その人が次に何かの表現物に触れた機会に、それが呼応するようなことがあったらとても嬉しいです」
実際にお会いするとほのぼのとした雰囲気をおもちの悠さんなのですが、今回お話をうかがってみて、表現者としての力強い矜持(きょうじ)に触れたように思いました。音楽の噛み砕き方は聴き手のもの、それは弾き手がコントロールするものではない、という言葉には、はっとさせられた筆者でした。
何を隠そう、このたびインタビュアーをつとめたわたくし はらだ も2021年3月の Project NAKA 第一回公演にて演奏させていただく予定です。なぜ悠さんがわたしにオファーしてくださったかと言えば、なんとここ COSMUSICA でわたしが連載していた「卑弥呼のバッハ探究」をご覧になってくれたのがきっかけなんです! というわけでわたしはコンテンポラリーダンスの上田舞香さんとの共演を心待ちにして、無伴奏作品を仕込みます。全てのプログラムは 2020年9月 に発表の予定なので、どうぞお楽しみに!
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