『Merry Andrew』の
不思議な味わい深さから
安藤裕子というアーティストの
本質を考える
音と言葉と独特の組み合わせ
M8「ポンキ」以降はその仮説を確かめるような聴き方になるが、それは次のM9「愛の日」でいきなり確信に変わる。ここで彼女は冒頭からこう歌う。
《色々なことを不安に思う日々。愛もその一つで今の大きな心を占めていた。/愛を思い、幸せを想う度に少し怖くもなる。/退屈な心は それでもあなたを求めていたんだ。》。
包み隠さない…という言い方でいいだろうか。愛は決して無条件に与え受け入れるものではなく、そこには不安もあることを綴っている。それはおそらく漠としたものであって、気付かない人も多いほどのさりげない感情なのかもしれない。安藤裕子はそれを取り上げ、力強いバンドサウンドに乗せて歌っている。“愛こそすべて”を高らかに歌うのではなく、そこでの揺れるさまを含めて歌い上げるというのはポップミュージックにおいては主流なことではないであろう。だが、そこがいい。何よりもアーティスティックであるし、その視線にロックを感じさせる。ある意味、不安感を描いていくことを徹底している点においては骨太だとも言える。
ここまで来たら、あとはザっといこう。3rdシングルとなったM10「Lost child,」では、子供時代の終焉、その端境期の只中とも言える心情を綴っていると思われる。続くM11「夜と星の足跡 三つの提示」とM12「星とワルツ」で奇しくも“星”の付いたナンバーが並ぶが、タイプはまるで異なるものの、届きそうで届かない相手への“想い”を描いたところは共通している。M13「彼05」は同期も入ったガールポップなロックチューン。ここでは、これまでとは真逆とも言える《曖昧な愛はいらない/名前を呼んで会いたいな》と歌っているのが面白いが、彼女にとってアグレッシブな態度を見せるのは、全14曲(13曲?)中1曲くらいの分量=10パーセント以下といったところなのだろうか。
ラストはM14「のうぜんかつら(リプライズ)」。このピアノ弾き語りのバージョンはデモの段階のものであって、それがCMディレクターが気に入り採用されたというから、このテイクは本来アルバムの主旨からは外れたものであったのかもしれない。しかしながら、作品のフィナーレとしてアンコール的に置くにはちょうどいい印象だ。
初見では“その魅力をうまく明文化できない”と思った本作だが、一曲ずつ丁寧に聴いていくと、やはり全体像も見えてくるものだ。と、ここでアルバムタイトルを見る。“Merry Andrew”の“Andrew”は聞き慣れない言葉だが、これまたファンならばよくご存知の通り、彼女の別名で、CDのアートワークやツアーグッズのデザインを手がける時に“Üchary Andrew”と名乗っているのだという。直訳すれば“愉快なアンドリュー”となろうか。つまり、彼女自身のこと、制作時の心境、心情をまとめたアルバムだと見ることができる。そう考えれば、その作品性を明確に言語化できないのも合点がいく。人の感情、キャラクターは本来それほどに複雑なものなのである。
TEXT:帆苅智之