「ターニングポイントフェス〜関西小
劇場演劇祭〜」について、わかぎゑふ
、内藤裕敬、古川剛充が大いに語る

新型コロナウイルス感染拡大で大打撃を受けたエンターテインメントの世界も少しづつ動き始めているが、客席との距離が近く、役者の息遣いまでもが手に取るように感じられる小劇場は、むしろ密を売りにしていた芸術だけに、復活に時間がかかっている。
そんな中、ゲキゲキ/劇団『劇団』主宰の古川剛充が「演劇を止めるな、芸術を止めるな」との思いで、関西小劇場の団体間の結束を図ろうと『ターニングポイントフェス〜関西小劇場演劇祭〜』の開催を提唱し、多くの劇団や団体からの支持を取り付けた。
1980年代に起こった小劇場ブーム以降、関西の演劇シーンを常に牽引して来た南河内万歳一座座長 内藤裕敬と劇団リリパットアーミーII座長 わかぎゑふは、今回の『ターニングポイントフェス』をどう見ているのか。また、コロナ時代の演劇について、何を思うのか。
『ターニングポイントフェス』のホストを務める古川剛充を交えて、3人に思う存分語ってもらった。
―― 古川氏を挟んで、関西小劇場界の重鎮二人が揃いましたね(笑)。まずは古川さんから『ターニングポイントフェス』を立ち上げられた経緯をお話頂けますか。
古川剛充 我々ゲキゲキが押さえていたABCホールを使って、演劇フェスのような事が出来ないか、ふっこさん(わかぎゑふ)に相談したのがきっかけです。うちの劇団は、まだまだ歴史が浅く、横のつながりもあまりなかったので、ふっこさんから万歳さんや清流劇場さんに声をかけてもらいました。コロナの緊急時に、志を同じくする劇団が手を取り合い、意見交換をしながら、みんなで “せーの” でやれる公演や配信が出来たら素敵なことではないかと思い、立ち上げたのが『ターニングポイントフェス』でした。
わかぎゑふ ね、私達の若い頃と違って真面目でしょう?
内藤裕敬 うん、このように若い人たちがどんどん踏み出してくれるのはよろしいねぇ。こっちはロートルだから。
わかぎ みんなちゃんと意思を持って集まっているのが凄い。昔は何か有れば、取り敢えずみんな内藤の下に入れ!みたいな感じだった。内藤を担いでおけば、後は何とかなる事をみんな知っていたからね(笑)。
内藤 若いバリバリの諸君が先頭を切って進んで行き、俺らは出来る限りのフォローをするというカタチが望ましいと思う。コロナも4月頃までは先行きが見えず、どう動けばよいか分からなかったけれど、時間が経つにつれ、そう簡単に終わらないという事が分かって来た。分かった段階で、演劇を演っている者がノーアクションというのは良くないんじゃないか。何等かのアクションが見えて来ないといけないと思っていたタイミングだったので、今回の『ターニングポイントフェス』は良い事だと思ってますよ。
古川 ありがとうございます。あるズームのミーティングで、初めてふっこさんとお話をさせて頂いた時、うちの劇団の配信などの取り組みをご存知だったんです。その時、何かお祭りみたいな面白い事がやれたらいいねというハナシになって。そんな事から今回、まずふっこさんに相談したところ、即答でやろう! と言っていただきました。きっと南河内万歳一座も協力してくれるよとも言っていただいて……(笑)。
古川剛充(ゲキゲキ/劇団『劇団』主宰)  (c)H.isojima
わかぎ やはり、こういうイベントをやる場合、まず内藤を巻き込むと云うのは鉄則なんで、最初は私が動くよという事でね(笑)。
内藤 俺もふっこも、若手が率先してやろうとしてる事は、基本的に協力するんだよ。ただ、世代が違う、演劇観も違う訳で、やりたくても良い悪いではなく、出来るかな?という事は出て来るかもしれないけどね。ところで、みんな何やるの?
わかぎ うちは朗読。セットが無いので、朗読のスタイルの方が作りやすいかなと思って。あと、清流劇場は本番前なんだけど出演してくれることになって、上演するギリシア劇の一部をリーディングでやってくれるそうです。ギリシア劇が入る事で、フェスティバルの格調が高くなるかなと思って声をかけてみました(笑)。
わかぎゑふ(リリパットアーミーII座長)  (c)H.isojima
古川 ゲキゲキはフェス用に、20分くらいの芝居を作ろうと思っています。
わかぎ 万歳は何するの?
内藤 コロナのこの時期に演劇をするとしたら、こうするしかないのではという一つの結論を、皆さんに提示しようと思っている。まあ、これから考えるんだけどね(笑)。
古川 面白そうですね。ところで、万歳さんはコロナで公演のキャンセルはありましたか。
内藤 有ったよ。5月から6月にかけて大阪、東京公演が無くなりました。
わかぎ うちは、稽古も終わり、さあ劇場入り!のタイミングで、東京スズナリの休館が決まり、そのまま大阪公演も中止。
内藤 そこまで準備しての中止はキツイねぇ。テレビでも連日、感染者数の報道があり、もう数字にはみんな慣れてきている。しかも重症化する人が少なく、当初に比べてだいぶん警戒心は和らいできているように思うが、クラスターだけは別。小劇場やライブハウスは、これから秋、冬に向けて再びクラスターが出るような事があれば、劇場を締めてくれと言われる可能性だってある。まだまだ注意が必要だね。
内藤裕敬(南河内万歳一座座長)  (c)H.isojima
わかぎ 小劇場の後には宝塚や劇団四季にも感染者が出た。ようやく動き出した歌舞伎の世界では今、一切の面会は不可で、とても神経質になっている。一人でも出たらアウトなので大変だと思う。
―― 東京の劇場の支配人のハナシですが、劇場がいくら万全な感染予防対策をしても、劇団が稽古場や普段の生活で、コロナを完全に排除する意識で向き合っていただかないと、仕込み・本番で感染者が出てしまうと完全にアウト! 劇場も責任を問われるし、その後借りて貰っている劇団にも迷惑がかかる。劇場入り前の劇団の事情は、我々にはどうしようもないんですよねと言われていました。
内藤 うーん、確かにそうなんだよな。
わかぎ 劇場入りの2週間前と、前日あたりのタイミングでPCR検査をして劇場に入るのが礼儀になってくるかもしれないね。うちが出したら、次の劇団も出来なくなる。その劇団の損害は誰が面倒みるのか。公演の間を2週間空けてやる訳にはいかないし。ただ、でも客席数は半分なので、これは本当に難しい問題ですね。
古川 まずは、PCR検査をもっと簡単に出来る状況にならなくては始まりませんね。ところでお二人の付き合いは随分長いのでしょうね。
わかぎ いや、そんなに。30年くらいかな。
内藤 十分長いよ、30年は(笑)。リリパが出て来た当時は(1986年旗揚げ)、関西小劇場は盛り上がり、群雄割拠の時代。個性的な集団も多かったが、リリパは異色な存在だったと思うよ。
わかぎ 確かにうちには中島らもさんがいたし、ちょっと違った存在でしたね。元々、らもさんと私だけが劇団員で、常に周りは客演。色んな人がいましたから。
古川 ある程度売れると東京に出て行く人が多い中、お二人は関西を拠点に劇団にこだわってやっておられるのは何故ですか。
わかぎ 劇団を立ち上げる前、東京で5年生活していました。帰って来て思ったのが、どうしてみんなあんな大変な東京に引っ越すんだろうという事。家賃は高いし、住みにくいし、才能ある人はいっぱいいるし。東京に行ったら色んな所を人と比べられるよーって、仲の良い人には言ってたんですけどね。
わかぎゑふ(リリパットアーミーII座長)  (c)H.isojima
リリパットアーミーII「体育の時間」(2019.10)より  写真提供:リリパットアーミーII
内藤 二人とも東京の経験があるので、そもそも東京に拠点を移すことに大きな魅力を感じていなかったんじゃないかな。こっちで作って持って行けばいいじゃないかと。東京一極集中で、地方都市で小劇場は成立しないのではないか、等と言われていましたが、劇場、公共ホールが一緒になって演劇に理解を示して、状況作りをしっかりやっていけば、何とかなる。リリパも万歳一座も30年以上やって来たわけで、コレ自体がやれる事の証明だと思う。
小劇場ブームのあの時代、関西にも東京にもいっぱい劇団が有って互いに競り合っていて、演劇の新しいスタイルや面白い作品が生まれていた。当時は、そういった動きにも、経済同様にアンテナを向けていたマスコミも有ったが、今は経済と、せいぜい金になる芝居にしかアンテナは向いていない。特に内容の評価には無関心だと思うのよ。とはいっても、評価の土俵は関西では無く、やはり東京にあるので、自分たちの作品を評価の土俵にかけて来るのは大事な作業だと思ってやって来たが、正直ここ最近、東京でやる事に手応えはあまりないね。俺は東京以外の、北九州や高知や上田や豊岡や三島など、色んな地域でいっぱい仕事してるよ。大阪から、あっちこっちの企画の手伝いに出向いて行って、その土地の人たちと酒と肴で一杯やるのが楽しい。
内藤裕敬(南河内万歳一座座長)  (c)H.isojima
南河内万歳一座「〜21世紀様行〜 唇に聴いてみる」(2019.6)より  (c)谷古宇正彦
わかぎ それが楽しみなんでしょ。内藤のハナシは必ず酒と肴に結び付く(笑)。
古川 楽しそうですね。今回、『ターニングポイントフェス』を立ち上げて、いろんな方との出会いがあり話を聞く機会も増えました。関西小劇場の歴史について、ちゃんとした文献が残っている訳ではないので、先輩方の話はとても貴重だと思います。
内藤 関西小劇場の歴史って、そんなに凄いもんじゃないよ。バブルの助走期間からバブルにかけて小劇場ブームが有ったが、バブルと共に消えた。何が有ってどうなったかなんて、せいぜい酒飲みながら2時間もあればだいたい話せる。演劇的な出来事だったとは思うけど、1970年代にアングラ演劇が出て来たような、そんな出来事ではない。
わかぎ ほら、酒だ。なんでいつも酒と肴なのか、それを教えてくれ(笑)。
古川 コロナによって演劇だけで無く、どの世界でもこれまでの常識が通じなくなっているように思います。僕はリリパットアーミーと同じ1986年生まれですが、大先輩の皆さまと語らい、過去を知りながら未来に向かってどうして行くのかを考えられるのは幸せだなと思います。そこでお聞きしたいのですが、今まで、これだけ演劇が止められる事って無かったですよね。阪神淡路大震災の時も、演劇活動を止められる事は無かったと思います。ここまで30年、40年、演劇の世界を走って来られた方からすると、今の状況を僕らとはまた違った見方をされるのではないかと思っています。
古川剛充(ゲキゲキ/劇団『劇団』主宰)  (c)H.isojima
gekiGeki 1st『LARPs』(2017.5)より  写真提供:ゲキゲキ/劇団『劇団』
わかぎ 35歳でそういった経験が出来るのは良いことだよね。私も内藤もまだ元気だし、といっても若くもないので、若手のように「もう演劇が無くなってしまうんじゃないか! 」と心配はしてなくて、必ず戻って来ると信じていると思うんだ。コロナは全世界の問題で、パリ・オペラ座でもストップしているのだから、関西小劇場がジタバタしても始まらない(笑)。
「何年か休んだら良いんじゃないか、そのうちやれるよ。慌てずに今は力を溜めて行こう」、そんな感じですかね。しかし、これが80歳、90歳だったら、もう死ぬまで二度と舞台に立てないのではないかと、落ち込んでいたかもしれないねぇ。幸いに私達はまだ元気だし。
内藤 俺も今の状況は身に沁みていないなぁ。妙に他人事っぽい。自分に迫って来ている大問題だというリアリティを持っていない。人それぞれだとは思いますが。自分の20代、30代を思い出せば、様々な事を今やらなければ間に合わなくなるのではないか、みたいな所が有って、演劇のド真ん中で自分が踏ん張らないといけない!という気持ちが強かった。今、全力疾走をしなければ!と思っているその世代の人たちは、自分の旬をコロナに持って行かれて焦っている人達、多いと思うのよ。もし自分が今、20代、30代だったら、演劇以外の形で自分の発想やイメージや作品の世界感を発信して行ったかもしれないなぁ。映画撮るとか、絵を描くとか写真撮るとか文書書くとか、演劇と違う事をやって、withoutコロナになった時に、しっかりと劇場で演劇作品として発表できるように備えておく。
まあ、発想を変えれば、芝居をやらなくたってイイんだから楽だよね。どうせやった所で、赤字を出すだけなんだから。それも、やらないのではなく、やりたくても出来ないので、言い訳もつく。やんないだけ得だと思えばいいのよ(笑)。
 (c)H.isojima
わかぎ 自分が30代だったら怖かったと思う。今は、一回くらい止まったって怖くないよという年齢。しかし実際には、すべての予定が無くなったのに、6月以降毎月芝居を作っている。7本の仕事が飛んだのに、10何本の芝居を作らないといけない。中身も、歌舞伎と組んだり変化に富んだものばかり。人生ってそんなモノだと思います(笑)。
内藤 これまでも、若い世代を色々な呼び方で呼んで来た。三無主義、軽薄短小、新人類、ゆとり世代、さとり世代、ロスト・ジェネレーション。バブル崩壊の煽りを食ったロスジェネ世代に対して、コロナによる新たなロスジェネ世代が誕生しようとしている。
現在、大学はびくびくしながら授業をしている。国公立の大学は、注意を払ってオンライン授業。勉強頑張って入った結果が通信教育かよっ! 誰も経験した事のないコロナの時間をどう生きるのか。コロナによって新たに生まれるモノも有るはず。若い連中には、何かとんでもない事をやらかして欲しい。
内藤裕敬(南河内万歳一座座長)  (c)H.isojima
古川 僕らってSNS世代なんですよ。学生時代にスマホを持ち出し、ツイッターやフェイスブックが登場。しかし、現在はSNSの時代も終わったと思います。情報収集の役割が、変な感情をため込む機械になってしまった。今ではみんながSNS疲れをしています。もちろん需要はまだまだあると思いますが、今後SNSは、あくまでも受け皿として残り、また新たに人と人の繋がり、信頼関係が重宝されるコミュニティ、集落が生まれて、そこで面白い事をしていこうという時代になって行くのではないでしょうか。関西小劇場に置き換えると、今回のターニングポイントフェスのように横の繋がりを強化して、情報交換を兼ねて共に飲食する事で信頼関係が強化されていく。こんな考えどうですか。
わかぎ あんたも飲み食いかいな(笑)。多分ネット社会を一番凄いなあと思っているのは私たちの世代だと思う。ガリ版で台本を刷ってた時代から、ワープロになりパソコンになり…。短期間での技術革新に驚いているはず。今の若い人たちを見ていると、いつでも簡単に検索が出来るので、モノを覚えようとしない。昔は芝居を見に行って、他所の劇団の台詞が良いからと覚えたもの。そんな事、今はないでしょうね。この間、何を見て芝居を見に行くかのというハナシを仲間内でしていたけれど、圧倒的にフライヤー!「このフライヤー、凄いなぁ!」という一昔前の時代に戻って来ている。これだけSNSの時代といっても、やはり人に戻るんだと思う。
内藤 匿名の責任のない暴言がネットで踊る。危険が無いと思って書いてるんだろうが、こんなものに俺は関わりたくないんだよ。だからツイッターもフェイスブックもやらない。コロナが感染していくのを見ていると、パチンコを我慢できない。そしてキャバクラやカラオケを我慢できない。しかし世間の風当たりが強くなると、仕方無いかということで、何となく収まっていく。デジタル社会で、AIの実用化が止まらないと言いながら、みんなアナログに帰って行く。うん、なかなか捨てたもんじゃないと思うよ。
古川 一方で、これはよく言われていることですが、飲食店なんかはネットによって情報が均一化されましたよね。食べログで星が3つ以上のところに行こうとか、行く前からある程度情報を収集できる。僕の場合はどうせお金を使って食事をするなら、知り合いの店に行こうとか、あの人がいる店に行こうと考えるようになったんです。それって認知度より人気度が重要になって来たのかなと。認知ももちろん大切ですが、1000人に知られるよりも10人が信頼関係のもとに必ず応援してくれる。コロナ禍ではそれが如実に現れた気がして、劇団もそれに似ているように思います。
古川剛充(ゲキゲキ/劇団『劇団』主宰)  (c)H.isojima
わかぎ 完全にアナログに戻る訳もなく、デジタルとアナログが両方の車輪となって行けば良いと思う。
内藤 ランニングやキャンプが流行っているのは、デジタルのストレスだと思うのよ。飽和状態になっている所からちょっと漏れる。アナログへ逃げ出す。今振り返ると、扇町ミュージアムスクエアや近鉄劇場が無くなった時代が、演じる側と見る側がアナログな関係で繋がっていた時代の最後だったんだろうな。
わかぎ その後、芝居をやる場所が無くなったという事で、多くの劇団が水害に有ったみたいに無くなって行った。所々に島がポツン、ポツンと残って、地続きで無くなった。それをマスコミが、小劇場が無くなった。劇団までもが無くなったって報道して……。確かにお客さんの数は減ったけど、内藤なんかは替わりの劇場を確保するために奔走していたし、あの一方的な報道は嫌だった。今回、コロナで大変だけど、18団体が集まればこれだけの事は出来ると云うのをちゃんとマスコミにも見せたいと個人的には思っている。
内藤 あの時も残る劇団は残ったし、超える奴はちゃんと超えて来た。コロナの節目も、残る奴と残らない奴が出て来ると思う。その時、コロナとどう上手く付き合うか。今までやって来た芝居を、コロナに合わせて安易に変えたところから潰れると俺は思うよ。そうじゃなくて、発想の転換でコロナを逆手に取った面白い芝居を作る所が出てきたら凄いね。難しいと思うけど。
―― リリパットアーミーは配信にも力を入れておられます。配信についてどうお考えですか?
わかぎ 「演劇支援プロジェクト SAVE THE THEATRE」が発足してすぐに、私の作品を5本預けた。プロジェクトの考え方は悪くなかったので、私も協力しています。その後、Z systemと一緒にやったり、アノ「12人のおかしな大阪人」をやったりね。あれは無料配信だったので14000人くらいの人に見て頂いたそうですが、もう、超アナログな作業の連続で大変でした。結構色々な団体が配信にトライしているみたいですが、上手く特性を生かして作っている所もあるように聞いている。ただ、経済的にはなかなか割りが合わないみたい。
わかぎゑふ(リリパットアーミーII座長)  (c)H.isojima
内藤 まあ、小劇場クラスだと、よほど全国に名前が知れ渡っている所でないと、コロナ感染対策で客席を削った分を補填するまでには行かないだろうね。特に規模の大きな劇団は相当厳しいのでは。小劇場なんて多少借金抱えたところで、皆でバイトすれば、1年くらいで返せるんじゃないの。何もビビる事はない(笑)。こんな事でやめようとは思わないね。
わかぎ アンタは昔から芝居をやめる気配、1ミリもなかった(笑)。
古川 内藤さんは、やめようかとか迷った事なんかなかったんですか?
内藤 何年くらい前かな、このまま劇作家として台本書いていけるのかなあと、追い詰められた事はあったよ。考え方を変えて、書き方も変えないとこのままでは難しいと分かっていたけれど、なかなか出来なかった。とことん追い詰められてある時、開き直って違う思考と発想で書き始めたら、書けた。それ以降は、書けないなんてことは無いね(笑)。年取ってからの方が、好き放題、自由に書いている。若い時の方が自分に手かせ足かせをして、周りの状況を睨みながら、この水準に達するにはどうすればいいか。どんどん息苦しくなって来て…。劇団というスタイルで40年やって来たけど、何度も劇団継続の危機は経験している。結果的に何とか続いているけれど、たとえ劇団をやめても仲間を集めてやればいい訳でね。芝居をやめようと思う事はこの先も無いんじゃないかな。そういう意味では、続けようという意思は大切だが、やはり実力は無いとダメだね。実力のないオヤジなんて、誰も見向きもしない(笑)。人気は自分と無関係に落ちるが、実力は自分が努力を続ければ落ちないもんですよ。
わかぎ 実力の無いオヤジ! 私の周りにもいっぱいいる(笑)。東京は仕事が多いからか、実力無くても食えるオヤジもいっぱいいるよ。人間性だけでフワフワしているオヤジもいっぱい知っている(笑)。
内藤 実力が無いなら、せめて人間性が良くないとどうしようもない。あの人居ても別に邪魔になんないしねって。けど、そういうオヤジは何等かの実力が有るんだと思うよ。
 (c)H.isojima
わかぎ 今はコロナでどこも大変だけど、何年後には、あの時こうだったから、今が有るんだねって、話せるようになるかもしれない。
内藤 OMSのあの時代、朝まで飲んで扇町公園で寝て、金も無かったけど辛いとは思わなかったし、まあ、楽しかったんだろうね。コロナも、あの時色々やったな!ってそんな風に話せる時が来るんじゃないか。
古川 そのためにはまず、今回のフェス参加の18団体からコロナ感染者を出さないようにしないといけません。日々、ホール側や関係各所と相談しながら、進めて行こうと思います。最後まで、お二方には協力をお願いします。
内藤 おう、何でも言ってきて。
わかぎ 古川君、頑張ってね。
―― わかぎさん、内藤さん、古川さん、どうもありがとうございました。『ターニングポイントフェス』の大成功を祈っています。
万全のコロナ対策で臨む『ターニングポイントフェス』にご期待下さい!  (c)H.isojima
予定時間を大きく過ぎて、会談は終了。
わかぎゑふは内藤裕敬に対して「内藤」や「内ちゃん」と呼びかけ、内藤も「ふっこ」「ふっこさん」と、呼び捨てにしたり、さん付けで呼びかけてみたり、どうもやり取りが微妙にぎこちなく……。それがお互いに、ちょっとした遠慮と尊敬と、それ以上に同志としての親しみが混ざった感じで、同い年の二人の素敵な関係が見て取れた。
そんな二人のやり取りを、リリパットアーミーの誕生した1986年に生まれた古川剛充が、目を輝かせて聴いていたのが印象的だった。
9月に行われる『ターニングポイントフェス〜関西小劇場演劇祭〜』について……かねてよりワタシは、関西小劇場を一括りにする事にたいした意味を感じていなかったのだが、それぞれが必死にコロナの現在を闘っている背景があり、その上で互いに横に手を繋ごうという今回の企画はハナシは別。きっと心温まる、画期的なフェスティバルになる予感がする。
『ターニングポイントフェス』が文字通り、出演団体だけでなく、観客や関係者、他劇団の皆にとっても、人生の転機になる事を祈っている。
コロナの時代は続く。演劇と一緒に生きて行けば、きっと楽しいはずだ。
取材・文=磯島浩彰

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