「麒麟がくる」第十七回「長良川の対決」より

「麒麟がくる」第十七回「長良川の対決」より

【芸能コラム】主君・斎藤道三の最期
に駆け付けた光秀が口にしたキーワー
ド 「麒麟がくる」の根底にあるテー
マとは?

 5月10日に放送された大河ドラマ「麒麟がくる」第十七回「長良川の対決」は、斎藤道三(本木雅弘)と息子の高政(伊藤英明)が“長良川の戦い”で激突、道三が壮絶な最期を遂げるなど、見どころ満載のエピソードだった。だが、実はこの回で、主人公・明智光秀(長谷川博己)の口から、今後の行方を占う重要なキーワードが飛び出していたことをご存じだろうか。
 そのヒントとなる言葉が、放送前にリリースされた制作統括・落合将氏のコメントにあった。
 「道三の死後、駆け付けた光秀は、高政に向かって、道三にはあって高政にはないものが何かを彼に問い掛けます。その言葉がこのドラマのテーマにもなっています」
 実際にこの場面、光秀はなんと言ったのか。そのせりふを放送された本編から引用してみる。
 「わしは、土岐頼芸様にお会いして、一度たりとも立派なお方と思うたことはない。しかし、道三様は立派な主君であった。己への誇りがおありであった。揺るぎなき誇りだ。土岐様にもおぬしにもないものだ」
 つまり、ここで語られた本作のテーマとは、「誇り」ということになる。では、道三の「誇り」とは何だったのか。それを象徴するのが第十六回「大きな国」で、高政との戦いを決意した道三が、最後に光秀と会った際に語った次の言葉だ。
 「高政は人をあざむき、自らを飾ろうとしたのだ。十兵衛(=光秀)、人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。偽りを申す者は、必ず人を欺く。そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ。わしはケチだが、それをわしは隠したことはない。そうは思わぬか」
 油売りから成り上がった父を持ち、その血を引く自分自身もケチであると公言した上で、国を豊かにすることを第一に考え、そのために敵対していた尾張とも同盟を結んだ道三。これに対して、自らの地位を守ることに固執した高政は、「父親は(道三ではなく、源氏の血を引く)土岐頼芸様」と偽り、権威を高めようとした。そこに、道三と高政の大きな違いがある。
 「誇り」または「誇る」の意味を調べると、「名誉に思うこと」「得意になる」などと書かれている。「自信を持つ」とも言い換えられるだろうか。道三の「誇り」が「正直であること」ならば、「自分を偽る」ことは「誇りがない」、すなわち「自分自身を恥じている。自信がない」ということになる。そんな高政には、国を治めることはできない。光秀が高政に向けて放った言葉には、そういう思いが込められていたのではないだろうか。
 道三も、敵を罠に陥れるなどの策略は用いたが、それは先に仕掛けてきた相手に対する自衛のためであり、自ら率先して欺いたわけではない。道三を評した「誇り」という言葉は、そんな生きざまを知る光秀だからこそ出てきたものと言えるだろう。
 主君・道三から学んだ「誇り」。この言葉を胸に、光秀はこれから激動の戦国乱世を歩んでいくに違いない。そしてそれは、やがて光秀が「本能寺の変」を引き起こす上で、重要なキーワードとなる予感がする。「誇り」という言葉が、光秀をどんな運命に導いていくのか。これから先、その意味をかみしめながら、物語の行方を見守っていきたい。(井上健一)

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