「紅蓮華」作曲の草野華余子が語る「
作家は仕事、シンガーソングライター
はライフワーク」の真意

アニソン業界で注目の作家がいる、草野華余子。
LiSAに提供した「ADAMAS」「紅蓮華」のヒットは新しいところだが、LiSAとのタッグ以外にも岸田教団&THE明星ロケッツ、鈴木このみ水瀬いのり三澤紗千香、ReoNaなど多数のアーティスト、声優に楽曲や歌詞を提供しているいわゆる“売れっ子”だ。
彼女は作家ともう一つ、シンガーソングライターとしての顔もある。2月25日に配信限定シングルとして「最後のページは開かずに」をリリースした草野華余子は、作家とシンガーソングライターの2つの顔をどう使い分け、どう感じてもらいたいのだろうか?
その思いを聞き出すべく、SPICEではインタビューを敢行した。聞き手は以前草野と同じ事務所「ultraCeep(ウルトラシープ)」に所属していたSPICEアニメ・ゲーム編集長加東岳史。積年の友人でもある二人の会話から、草野の発する“音楽”の姿が見えた。

――SPICEに初登場ですので、改めて自己紹介というか、どういう人かを聞きたいんですが。シンガーソングライターと作詞・作曲家では、どちらが肩書として前になるのでしょうか?
シンガーソングライターですね。どっちも、って言うとあれなんですけど。私は50:50じゃなくて、シンガーソングライター100、作詞作曲家としても100っていう気持ちでやってるので。どっち? って言われても、どっちも全力です、っていうのがポリシーです。
――どっちが先とかはないと。
自分が音楽を始めたきっかけはシンガーソングライターだし、自分の名前を大きく世の中に広めてくれたのは作家としての自分だし。この二つが最初は分断されてて苦しかった時期もあったんですけど、「いま私から生まれる音楽はすべて私だ」っていう確証みたいなものが去年得られたので。
――やはりアニメファンにはLiSAさんや奥井雅美さんへの楽曲提供で有名だと思うんですけど、元々小さい頃から作曲はしてたんですよね。
5歳ぐらいのときに、妹とぬいぐるみを、それぞれ6体ずつ持ってて、「Mステの階段から下りてくる」っていうの(遊びで)やってたんですよ。「そうやってるときに、「お姉ちゃん、これ曲が無いと成り立たへん」って言われて。「何言ってんだこいつ!?」って思ったんですけど、(合計)12体のぬいぐるみに、1曲ずつ楽曲を提供したんですよ。
――まさかのぬいぐるみ!
これが初めての楽曲提供なんですよ(笑)。妹もすごくバンドが好きだったり、音楽をよく知ってるんですけど、彼女が私の作曲したものを聴いて、「天才だ!」って言ってくれたのが嬉しくて、そこから10年近くずっと妹のためだけに曲を書いてました。
――じゃあ妹さんがいなければ草野華余子はいない。
いないですね! だから、(妹が)「いつになったら私に印税のマージン入ってくんの?」って、最近(笑)。「誰が渡すか!」って言いながら。
――そして成長してバンド活動を始められますが、バンドではパートは?
最初はキーボードもやったりしてたんですけど、大学進学して初めてやったのは、グリーン・デイとか、BRAHMANのベースボーカルのコピーですね。でも向いてないわと思って。ベースライン弾きながら歌うのムズイ、ってなって辞めました(笑)。
――まさかのBRAHMANですね……。
その後はギターボーカルで。時期的にアヴリル・ラヴィーンだったり、椎名林檎さんだったり。岡北有由さん、天野月子さん、矢野まきさん。アラニス・モリセット、シェリル・クロウ、海外も日本も関係なく、いろいろコピーバンドを4年間してました。
――そして2007年ぐらいからカヨコっていう名義でシンガーソングライターとして活動を開始するわけですが、そんな活動を始めようと、自分の中のスイッチを入れた瞬間っていうのはいつ頃なんでしょうか?
21歳のときかな。就職するかどうかっていう問題になったときに、Limetone Audio(エフェクターのブランド)の今西勇仁さんと、元ゲームフリークでポケモンシリーズなどの作曲を手がける景山将太さんの二人組のユニットがあったんですよ。彼らが関西大学の軽音楽部にいて。楽曲を歌ってくれる人を探していて。私もそのころ成人式の着物のお金でMTRを買って(笑)。
――人生一度きりの成人式なのに(笑)。
そう、成人式にも行かずに曲を作り始めたんです(笑)。で、初めてマルチトラックで曲を作ったものを今西さんに聴かせたんですよ。そしたら、「カヨちゃんこれ、絶対どっか出しなさい」って言ってくれて。当時の東芝EMIとか、ソニーミュージックのオーディションに出したりとかしたんです、そうすると一次審査は受かるんですよ。
――おお!
でもやっぱり最後の審査とかで落ちるんです。まあ演奏力も無かったし……。その時に「この曲書けるんだったら、本当にいろんな人に伝わると思うから、歌っていった方がいい」って先輩に言われたんですよ、それで私、就活を辞めたんです。
――辞めたんだ。
スパッと辞めました。その瞬間ぐらいですかね、私はいつか音楽で飯を食えるんだっていう、無謀な夢というか、確証のような、妄想のような気持ちが芽生えたんです。
――人に歴史ありじゃないけど、ポイントポイントに、ターニングポイント的な人が出て来る感じですね。
そう。自分から何かを決めたりっていうのがすごく苦手なタイプなので、人に求められることが好きなんですよね。愛されたいって思ってるかもしれない。でも愛されたいって素直に言えないから、先に愛そうってする、みたいな(笑)。
――そんな中の一つに、LiSAとの出会いがあるっていうのもあると思うんですけど。
もちろんです。もともとLiSAさんは、アニメ『Angel Beats!』の劇中バンドのボーカリストを担当していたころからすごくファンで。彼女が、今と比べたら割と小さ目のキャパのところでライブしているときに、自分でチケット買って観に行ったりしてたんですよ。
――そうなんですね。
私はガチのアニオタだし、コスプレやってたし、同人誌描いてたし(笑)。いまだにやっぱりコミケも行くし。だからアニメのコンテンツ自体への理解とかもあると思うんです。そういうところで共通の知り合いの方が、LiSAさんの当時のディレクターの岡村弦さんに「アニメが好きで良い曲が書ける子がいる」って紹介してくださって。
――また出会いだ。
そこで岡村さんが「ちょっとLiSAに合いそうな曲書いてみてよ」って。わたしの相当荒削りなデモ音源を聴いて、色々と感じ取ってくださってたみたいで。そのときに何曲か書いて持って行って、そのうちの一曲がLiSAさんに初めて提供した楽曲「DOCTOR」です。
――LiSAさんの最初の印象ってどうでした?
私、そのときは東京に上京してなくて、慣れてなくて、まだ大阪から通ってたんです。当時電車がまだよくわかってなくて、ぜんぜん違う場所に出ちゃって、ちょっと遅れてしまったんですよ。初めてメジャーのお仕事させていただくのに遅れたから、周りの人にすごく怒られて本当に落ち込んでしまって、廊下でずっと下向いてたときに、初対面のLiSAちゃんがバッて来て、背中をポンポンとしながら、「こういうこともあるよね。いい曲ありがとう」って言ってくれたから、私、その瞬間、「この人のために死ぬまでいい曲を書き続けよう」と思ったんですね。
――いい話ですね……。
それが2012年。ずっと音楽に真正面から向き合うのがすごく怖かったけど、LiSAちゃんに曲を書かせてもらえるかもしれないって思ったときに作った「DOCTOR」っていう曲は、「助けてお医者さん!」みたいな感じのテーマなんですけど、私誰かに助けて欲しいと思いながらあのメロディを書いていたんですよ。LiSAちゃんに出会って、音楽の楽しさとかを思い出させてもらった。本当に彼女に出会ってなかったら辞めてたんで。
――ある意味、ギリギリの状況だったんですね。
辞めようって思ってました、本当に。ライヴ活動も完全に休止しているタイミングで。それを見かねた、奈良のMORGっていう有名なスタジオの、門垣(良則)さんっていうエンジニアさんが「お前は音楽やっていくべきやから!」って言ってくれたんですね。その人も私のキーマンになってます。
――いま聞いてるだけでも、色んな人に「お前は音楽をやるべきだ」って、ずっと言われ続けてるんですね。
「運命力」って最近言ってるんですけど、私すごい「運命力」強いんですよ。LiSAちゃんだけじゃなくて、ichigoさんや岸田さん(共に岸田教団&THE明星ロケッツ)、分島(花音)と出会ったときも感じたんですけど。つながってる人たちは、出会った瞬間から何かがある。甘え下手なんですけど、助けてくれる人がいるというか。
――甘え下手ですか。
中学、高校ぐらいでいじめられてたからですかね、けっこう人の顔色伺ったりとか。
――それは僕もそうかも(笑)。
あと、「相手が求める自分」にならないと必要とされないんじゃないかなって思ってしまうところがあって。カヨコって名前で活動してたときは、弱い自分じゃなくて、もう一人の関西の肝っ玉姉ちゃんみたいな感じ。みんなが「カヨコ姉さん」って言ってくれるキャラ像を作っておくと、いじめられない、嫌われないで済むって思ってたんですよ。
――ああ、そうですね、それもわかりますね。
だけど、そのカヨコと普段の私が一個になり始めて。弱い自分も認められる、カッコ悪い自分とも生きていけるって思えた、“草野華余子”になれたっていうのはありますね。

撮影:荒川潤
――ちょうど“草野華余子”の名前がでましたが、訊かなきゃいけないなと思っているのは、名前を草野華余子に戻して、ライヴ活動で歌ってもいるんですけど、変な話、今すごい作曲家としてはノッてるじゃないですか。

そうですね、ありがたいです。
――シンガーソングライターとしての草野華余子と、作家としての草野華余子はイーブンと言っていたけど、この需要と供給の心のバランスっていうのはどうなのかなって思っていて。
一昨年から去年くらい、悩んだんです。それで一旦ライヴ活動を止めたのもあるんですよ、やっぱり混乱してたんですよね。
――混乱?
私が本当にやりたいことが人に求められなくて、自分がシンガーソングライターとして生き続けるために、最初は苦しみながらやった作家業が認められて、世の中に出ていくっていう部分ですね。でも、以前所属していたultraCeepのプロデューサーに「なりたいものとなれるものは違う時もあるんだよ。才能あるシンガーソングライターがいるとするよね。その人が歌だけで頑張っていくのと、楽曲を提供できるレベルでメロディが良くて作家をやって、てっぺんの旗を取ってから本人が歌うっていうのは、どう違うの?」って言われたことがあったんです。
――おお……。
なるほどな!と思ったんですよね。じゃあ今何がやりたいかって思ったときに、作曲がしたいと思ったんです。去年1年間本当にそれを突き詰めて、いつでも最高の曲が出せるように書き貯めたんです。その時に、ライヴから最高の刺激もらってるのに、ライヴやらないのは駄目だなとも思えた。
――なるほど。
アリーナクラスの会場で、自分の曲で盛り上がる人たちを散々何回も見てきて、感動して鳥肌が立って泣いたりする。それと同時にライヴをして、自分が目の前の200~300人のために歌うのも感動する。でもこれって、どっちも最高の感動で、種類が違うって気づいたんです。私が持っていけない場所まで楽曲を持って行ってもらっているという感動と、自分がやって、やっと届けられた200~300人への1曲っていうのって、また違う感動。
――ああ、なんとなくわかりますね、達成した感覚の違いというか。
私もやっぱり商業音楽をする上で、一人でも多くの人に聴いてもらうというポリシーで作詞作曲に当たっているんですけど、その傍ら、自分が本当に作りたいものとか、気持ちいいと思うものを出し続けないと、自分が枯渇するって思ったんです。作り続けることが私のインプットだっていうことにやっと気づけたんですね。どっちも全力でやってないとだめになる。
――でも例えば、楽曲提供してる人が自分の楽曲を大きなところに持ってってくれてるわけじゃないですか。そこに対してシンガー草野華余子はジェラシーみたいなものはまったく無い?
ぜんぜん嫉妬しない。だって、私より凄いと思ってるから。……いや全くそういう時期はなかったと言ったら嘘だけど、30過ぎてからすごくフラットになりましたね。アーティスト草野華余子を見たときに、プロデューサーの目線の自分もいるから、「お前の実力だとこんなもんだよ」って、もうわかってるんですね。諦めじゃないんですよ、受け入れてしまう。
――それは本当に作家目線ですね。
それを言われて「悔しい」と思う気持ちはもちろんあるけど、それをどうやったら良くなるだろうって作家・プロデューサー脳の私と、シンガーの私が今相談してくれてる。だからぜんぜん健康的なんですよね。
――大体の人はそれ、“悔しい”で立ち止まったりとかしそうですけどね。
すると思う。私はもう20代はずっと止まってました。立ち止まって悔しくて、見たくない人のTwitterミュートしたりとか、ホームページを更新できなくなったりとか。ライヴで10人しか呼べなかったって言って泣いたりとか、ずっとしてたけど。
――なんかそう、意識が変わったきっかけはあったんですか?
明確なきっかけは……さっきのスタッフさんが言ってくれた言葉とかはあるな。ultraCeepの会議室で、「お前はじゃあ、何がやりたいの? 何になりたいの?」って言われたときに、「こうなりたいです」って言ったときに、「そんなにちっちゃい夢、一緒に追いかけられない」って言われたんですよ。
――うわ(笑)。
それこそ1000キャパを埋めたいとか、アニメのタイアップを歌いたいとかっていう夢を語ったんですけど。「そうじゃなくて、どうなりたいのっていうところとかって、ハッキリしないんだったら、お前もう、シンガーソングライター趣味でやれば」って言われたんですよ。で、「ツラーーーい!」って思って(笑)。
――そりゃ辛いでしょ(笑)。
「じゃあ今お前は、何で社会に求められて、何を生業としているの?」って言われたときに、「私は作家が仕事なのに、変なプライドとか凝り固まった考え方や、悔しいっていう感情だけで自分の活動範囲を狭めているわ」と気づいて。あ、わかった、私、ライフワークをシンガーソングライターにしようと思ったんです。
――仕事としては作家で、ライフワークとして歌う、があると。
自然とあるもの、朝起きて歯を磨くように、私はシンガーソングライターです、仕事じゃありませんが、そこはすべてライフワーク、自分の一部ですって考え方に変えたんです。で、お仕事は作家です。でもそれもめっちゃ楽しんで全力でやります!って切り替えた瞬間に、私はライフワークとして1000人~2000人集められるシンガーソングライターを目指そう。作家としては日本一の作家になろう、って決めたんです。
撮影:荒川潤
――では今度はお仕事である作家としての話も聞かせてもらえたら。やっぱり今皆さんが訊きたいのは「紅蓮華」の話だと思うんですよ。どうしたって(笑)。
そうですね、ありがたいですね。
――紅白の話を聞いたときってどうでした?
この「紅蓮華」って、私が初めてLiSAちゃんに「草野華余子」名義で提供した曲なんです。その曲に、自分の名前の漢字一文字(華)が入っているのもすごく嬉しかったし、「紅」って入ってるから紅白決まるんじゃないかな、って4月の段階で思ってて(笑)。決まったときにどこか「あ、やっぱり」って! 去年のLiSAちゃんの頑張りだったり、『鬼滅の刃』という作品の人気だったり素晴らしさだったりで、「あ、これLiSAちゃんが出ない紅白はイメージできないな」って思ってました。
――『鬼滅の刃』って作品のヒットはもう普通じゃないですからね。
アニメが素晴らしいし、原作も最高だし。主題歌もめちゃくちゃ頑張ってみんなで作って、1ミリもスキを突く場所が無かったんですよ。
――僕は今までの草野華余子が作ってた楽曲で一番好きで、ガツンときたのが、「ADAMAS」(『ソードアート・オンライン アリシゼーション編 ビギニング OPテーマ』)で。何か、血が滲んだ曲だなと思ったんですよ……。
よくわかってくれてる(笑)。 本当に、めっちゃ苦しみながら書きましたね。何回も書き直した部分とかもあったし、編曲の堀江晶太君と、シンガロングの部分とか、彼がかなりアドバイスしてくれて。シンガロングの元ネタは晶太君が作ってくれたんですけど。私とチームの人がすごく魂込めた一曲なんです。テーマが「固い意志」だから、ガンとしたもの作ろうっていう思いが凄くあった。
――そしてさらに「紅蓮華」が出たじゃないですか。パッと聴いた印象として「ADAMAS」は滅茶苦茶強いアニソンなんですよ。でも「紅蓮華」は歌謡曲だなと思ったんです。そう思えたから、街中で流れて違和感が無いんだなと。
そう、そうだと思う。本来、LiSAちゃんも私も好きだったものを作ろうっていう感じでした。私はアニソンも大好きだし、LiSAちゃんもアニソンのこと本当に勉強してて、それで最高の状態までアニメにリスペクトを持って作ろうってしたのが「ADAMAS」だったんです。で、純粋にLiSAを代表する曲として、アニメの映像や絵があろうがなかろうが、素晴らしいなと思える曲を作ろうっていう。割とそこは根っこにありますね。
――「紅蓮華」は街でも流れてるし、テレビでも流れてる。『鬼滅の刃』が紹介されるときはほぼバックに流れてるじゃないですか。でも例えば朝のワイドショーとかで「ADAMAS」が流れたら、僕は若干違和感を感じたかもしれない。アニソンがめっちゃ流れてるな、と思ってしまう。
今回の「紅蓮華」は、私の要素を薄めて、ポップスの方向に皆で私をいざなってくれたと言うか。元々はこれ、オケもサイズも決まってたんですよ。だからLiSAチームの皆さんが、「こういう楽曲が欲しいね、メロディを華余子にお願いしよう」っていう形で作ったものだったので。いつもより草野華余子の濃度は薄いかもしれない。
――完成品聴いたときって、どうでした?
いつでも聴けるなって思いましたね。頑張らないときも聴けるし、頑張りたいときも聴ける、朝でも夜でも聴けると思いました。「ADAMAS」は多分、本当に頑張りたいときに聴きたい曲だと思うんです。私が楽曲提供するものって多分、そういうニュアンスが多くて(笑)。
――わかる気がしますね。
草野華余子が歌う楽曲に関しては、逆なんですよね。私の曲は、隣に座って肩叩きながら、「辛いよな、辛いこともあるよな。わかる、私もそういうのある」っていう共感性の強さが私の曲の持ち味だと思っていて。でも楽曲提供するときは作品やアーティストにリスペクトを持って作るから、その人の強さとかが出てくる。
――でもここまでいくと思いました?世間への浸透度って意味で。
行く、と言うか、可能性を包括した楽曲ではあるなとは思ってました。
――そこも「運命力」を信じてるんですね。
そうですね。根拠あるようで無いような「運命力」ですね。
撮影:荒川潤
――では、改めてシンガーソングライター草野華余子の話に戻ります。「最後のページは開かずに」という新曲がデジタルで配信されています。布陣としては、堀江(晶太)君がギター・ベースで入っていたり、ドラムが岸田教団のみっちゃんだったり。エンジニアとして岸田さんが入っています。
ピアノ&ストリングスアレンジメントのうたたね歌菜ちゃんは、Tom-H@ck(トム-ハック)さんのTaWaRaの事務所の素晴らしいソングライターなんですけど。特にクラシックで私とフィーリングが合うんです。
――このへんの布陣の人で曲を作って出来たのがJ-POPというのに驚きました。
このチームって、岸田教団の『天鏡のアルデラミン』のMVと共に爆発したultraCeepの欠片集めてますからね、私(爆笑)。
――でもなんか、この曲の主人公とても女々しいじゃないですか。こう来たか、と。
この曲、大阪のワンマン、1月24日の前々日ぐらいに歌詞が上がったんですよ。最初、最後のサビの歌詞が「巡り巡る奇跡であなたに出逢えたから 伝えたい言葉はそう ありがとう」だったんですよ。それを大阪と名古屋で歌ったときに「何で私、ありがとうって思えてもいないのに、ありがとうって歌ってるんだろう。ありがとうって、曲終わらせたいだけじゃん。納得したって思い込みたいだけじゃん」と思って。
――ライブで歌いながらそう思ったんですか?
そう、それで岸田さんにお願いして、レコーディングの予定ちょっとだけ遅めにしてもらって、歌詞、3日ぐらいで書き直して。「そっか、私は、このストーリーを最後まで読めないことをまだ許せてなかったんだ」って思ったんです。だけど次に歩き出そうって思うとき何しなきゃいけないかって言うと、相手にさよなら告げるんじゃなくて、私が物語自体にさよならを告げなきゃいけないんだなって。
――うんうん。
だから「あなたを失って初めて気づいた、この何気ない日々が奇跡だったっていうことに気付かされた。それだけでもいいじゃん。その大事な本を胸に仕舞って、歩き出そう。最後のページはもう開かないよ。今さよならを告げよう」になったんです。ライヴの中でお客さんの反応とか見たり、自分で歌っているときの自分の感情の揺れとかを見ながら歌詞を直せたんです。
――さっきちらっと聞いた中では、ニッケルバックをちょっと意識してるとか。
岸田さんのミックスがね(笑)。
――そうやって聴くと意外にリズム隊がシンプルだけどタイトですよね。
これは、私のJ-POPっぽさと、シンガーとしてのロックさの、ちょうど融合。クロスフェードするポイントなんですよ。それをうたたねちゃんと私のメロディや、歌詞は割と女性的でJ-POPだけど、晶太君とみっちゃんのドラム、岸田さんのミックスのロック感がうまく混ざり合ったものになったっていう。
――今までのカヨコ名義の曲と比べると凄くソリッドな一曲になっている。
たぶん「ADAMAS」以前と、「紅蓮華」以降でめっちゃ変わってますね。東京に来て6年経ってから、感じることとか、書きたいものが変わってきたのかも。
――歌詞だけで言うと、「雲の切れ目から光が注ぐ」とかあるんだけど、これぜんぜん希望の光が差し込んで前へ向かってる感じはしないんですよ。ここにいることの大事さや、自然体の自分みたいなことを書いてる印象があって。それを見せるのはけっこう勇気がいると思うんですよね。
停滞と言うよりは立ち止まってても、後ろ向いてても、無理矢理ガツガツしてても、時間は同じ速度で流れるから。受け入れている曲、ですかね。
――それは自身が受け入れられる人になった、ってことですかね。
そうかも(笑)。でも変わりたくて変わったもの、変わりたくないのに変わってしまったものとかぜんぶ差し引いたときに最後に残るのって、自分の本質だから。それを許せないって思わずに、ちゃんと受け止めて、許容して、容認して進んでいくしかないんですよね。
――その境地に至るまで、結構時間がかかったな、という意識ってあるんでしょうか?
元々こうだったんですよ。でもいろんなことがあって、着ていた鎧を一枚ずつはがして残ったのがこれって感じですね。去年は1年間でそれをはがす作業と言うか。髪の毛切ったのとかもそうだったかも。
――ああ、一枚ずつ剥がす、たしかに。
何か男らしい言葉で、髪の毛長くて、ワンピースやドレスを着て歌ってたけど、去年、髪の毛切ってスーツで歌うようになって、「僕」とか「俺」って言わなくなったんです。いろんな人に出逢う中で摩擦が起きて、転がる石のように丸くなってきて、最後に残ったものが、このクラシカルな感性だったんだなと思います。
撮影:荒川潤
――で、そんな草野華余子が発表した、7月10日に東京で、ファーストバンドワンマンがあります。タイトルが、『愛されたかったあの日の僕らへ』っていう……また何か、非常に重たいものを感じるタイトルですが、何でこのタイトルに?
本当は、私は「愛したい」ってずっと歌ってきてたような錯覚があったんですけど。何で私はこんなに人のことを愛すんだろうと思ったら、結局、愛されたかっただけなんだということに気付いて、それを受け入れられたんですよ。だから今回、ライヴのテーマも、7月に出す初めてのCDのテーマも「受け入れる」ですね。
――受け入れる、ですか。
「君の為に歌うよ」とか、「君の未来を照らすよ」って、逆説的に、押し付けなんですよ。黙って傍にいるんじゃなくて、お節介なんですよね。何かやってあげるよ、これしてあげるよっていう。そうじゃなくて、ただそこにいてくれたらいいよ、私はこれがやりたいからこれをするよ、っていう淡々としたフラットな感情が出てきた感じかな。
――ライブって不思議で、何故かそこでしか生まれないグルーヴってあるじゃないですか。今回のこの草野華余子のライヴで言うと、どんなセトリなんだろう、何歌うんだろう?より、どういう空間にどういう音が鳴るのかっていうのが気になるというか。
どう転んでも、その日に一番合っているものとか、自分やみんながその瞬間必要としているものが出せるんじゃないかなって思ってますね。
――これだけ作家として大成した中で、沢山の製作を得てきた道の、1個のポイントになりそうですね。
このライブは、私は、作家の草野華余子を、シンガーの草野華余子が超えなきゃいけないスタートラインなんです。その場の空気だったり、そのときに発する自分のニュアンスだったりにすごく神経を注ぐライヴになると思います。
――仕事としての作家と、ライフワークとしてのシンガーソングライターという切り取り線があるとはいえ、やっぱりもうちょっとシンガーとしての自分を知ってもらいたい、っていう思いはあるわけじゃないですか。
もちろんです。でも知ってもらうためにキャッチーなものを書くとか、やりたくないことをするっていうのは1ミリも無くて。しなきゃいけないものをシンプルに、その時、その瞬間を捉えてやっていく、っていう感覚ですね。
――正直、長い付き合いではあるんですけど、こんなに大人だったっけ?と今お話聞いてて思っています(笑)。
わはは!(笑) この数年で色々あったし、考えたから(笑)。まあ、長い人生、いつまで命があるかわからない中で、私に触れてくださったからには、何か心に一滴、波紋を与えるような楽曲を書いていきたいなと思っています。それはシンガーソングライターとしてでも、作家としてでも、どの部分を切り取って好きになっていただいても、もうそれが私の一部だから、出会ってくれてありがたいな、っていうことを伝えたいですね。

後期
彼女と出会ってそれなりの年月が経ったが、出会ったときの草野華余子はもっと尖った女性だった。陽気で豪快で、それでいて傷つきやすかったカヨコは名曲をたくさん産み、それに伴ってしなやかな女性に進化した。
生み出した音楽によって自分を見つめ直し、それが自らの歌としてまた音楽になる。
まるでPAミキサーのように環境を取り入れ、発信していく彼女から生まれる音楽は、また僕たちの心を掴む。 
SPICEアニメ・ゲームジャンル編集長 加東岳史
インタビュー・文:加東岳史 撮影:荒川潤

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