ダムタイプが18年ぶりの新作『2020』
~高谷史郎「メンバーの中にもお客様
の中にもそれぞれまったく違うダムタ
イプがあるでしょう。そのイメージを
壊していくことこそがダムタイプだと
思う」

ダムタイプが18年ぶりに新作パフォーマンス『2020』を発表する。彼らの生誕の地である京都で、ほんの3公演というプレミア公演だが。チケットをゲットするべく身構えていたが、瞬く間になくなってしまった。そりゃそうなるだろうさ。また時を同じくするように2019年末から東京都現代美術館で「ダムタイプ|アクション+リフレクション」が開催された。まったく別の文脈から動き出した二つのプロジェクトが、偶然にもリンクしていく巨大な流れは、なんだか2020年という時がダムタイプを求めているような気分になる。そんなものは妄想かもしれないけれど、そう思ったほうが楽しい。
ダムタイプの結成は1984 年。ヴィジュアル・アート、映像、コンピューター・プログラミング、音楽、ダンスなど、さまざまな分野のアーティストが集い、ヒエラルキーをできる限り排除した共同制作により作品を手がけている。既成のジャンルにとらわれない、あらゆる表現の形態を横断するマルチメディア・アートとして、また現代社会におけるさまざまな問題に言及してきたことによって国内外で高い評価を得てきた。
取材時に応じてくれたのは、旗揚げ時から参加してきた高谷史郎。彼は「僕はこう思う」という表現を多用する。それがダムタイプの姿勢を表しているのかもしれない。
――パフォーマンス作品の制作としては18年ぶりということですよね?
高谷 そうです。『Voyage』という作品をつくってから18年になります。『Voyage』は2009年まで海外ツアーをしていましたから、みんなで公演するのも11年ぶりになります。
――このタイミングで作品を発表することになった流れを教えていただけますか?
高谷 ロームシアター京都プログラムディレクターの橋本裕介さんから「KYOTO STEAM -世界文化交流祭-2020」という、サイエンス・テクノロジーとアートをテーマにしたフェスティバルの計画があるので、そこでダムタイプに新作パフォーマンスを上演してほしいと提案していただきました。実は最初は本気に受け止めていなかったんです。あまりにも不可能に思えたので。でも熱心にその計画について説明をしてくださり、具体的に提案してくださったので、それだけ準備してくださっているのならと、メンバーに声を掛けてみたら「やりたい」と声が挙がって今に至ります。このタイミングでロームシアター京都からお声がけいただいて、地元京都で創作できるのは良かったと思います。この機会がなかったらダムタイプとして新たにパフォーマンスをつくることはなかったと思います。
高谷史郎
 ダムタイプの集団創作はものすごく非効率なんですよ。本当に一人ひとりが今何を考えているか、舞台で何がしたいか、何ができるかを出し合いながら、面白いねというものに映像はこう、音はこう、照明はこうという具合にどんどん重ねていくんですよ。もちろん途中でそれは違うよねと消えるアイデアもあります。重ねて重ねてとやっていくうちに、もとのアイデアを誰が出したのかわからなくなるパートも多いんですよ。例えばコンセプト的なところで、なぜこういう思考行動が出てきたのかをシェアできたとしても、魅力的な表現で完成度をどう上げていくかとなると、それぞれ方法やアプローチがバラバラなので決まらないんです。だから面白いんですけど。ダムタイプのインスタレーションや僕のパフォーマンスで手伝ってくれたりしていた原摩利彦君、濱哲史君、白木良君、古舘健君も参加してくれています。オーディションに応募してきてくれたアオイ・ヤマダさんもとても面白い存在です。彼らも含めてダムタイプは本当に一人ずつが対等の関係の中でつくっている。1時間という枠の中に何をどう配置するかまでみんなで話しますからね。
――では新作『2020』はどんなふうに始まっていったんですか。
高谷 何を話したか忘れてしまうくらい、ありとあらゆる話をしました。以前、パフォーマンスを作っていたころは、ツアーをしながら次の作品をつくっていたんですよ。メンバーとはいつも一緒にいて、食事の時も作品の話をしていた。でも11年離れていると、その間に見てきたものも違うし、なぜこのアイデアが出てきたのかを根本のところから話をしなければならなかった。そういう意味ではダムタイプらしいのかもしれません。
 例えば舞台装置も使いにくい装置はどんなだろうという話をしましたね。もっとも重要な場所が使えない舞台をつくってやろうということで、穴が空いているんです。穴にはブラックホールのように怖いイメージもあるけど、その向こうに何か楽しそうなものが存在するというイメージもある。かと言って哲学的にああでもないこうでもないと外から話しているわけではなく、穴と実際にかかわっている人としてパフォーマーが存在できたらと思っているんです。これがヒント(笑)。
ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』(リハーサルより) 撮影:井上嘉和
――『2020』というタイトルもストレートですね。
高谷 タイトルもギリギリまで決まらなかったんです。パフォーマーの田中真由美さんから「2020はどう?」とグループメールで提案があって、僕は面白いなと思った。妙にキリがいい数字だと感じたり、東京オリンピックが浮かんだりするけれど、よくよく考えれば誰にでも均等に訪れる年に過ぎない。2020年が特殊になるかどうかは何が起こるかで決まるわけで、むしろ自分の2020年を考えなきゃいけないんじゃないかと。そして、いつから2020年を未来だと思わなくなったんだろうという話も出ました。かつて描いていたその未来という言葉には希望や明るさが含まれていたけれど、現代は未来に希望を抱かなくなってきている。それは年をとったせいなのか、社会や時代によるものなのかを検証するのは面白いねと。
――ダムタイプならではの批評性という意味では、現在はものすごくいろんなキーワードにあふれていそうですよね。
高谷 なるほど、そうかもしれません。『S/N』(1994~96)は社会的マイノリティをテーマに、その本人が舞台上に出て自分に貼られた社会的なレッテルに対してリアクトしていく部分がありました。そのレッテルを貼り続けて真っ黒になるのか、剥ぎ続けて何もなくなるか。でも僕らの中では、世の中で起こっていることを当事者として受け止めているその人を見せていたということだったと思います。作品全体がリトマス試験紙になって鑑賞者が気づきを持つ、それがダムタイプらしいのかなと思います。二項対立の図式にそって(問い/答え、イメージ/言葉、事実/虚構、公/私、現実/非現実など)13のシーンで構成された『pH』(1990~95)はそのままリトマス試験紙というタイトルでした。『Pleasure Life』(1988)のころは世の中に希望に輝く未来があったと思うんですよ。それに対して「こんなのがプレジャーライフなのか?」と社会のことをシニカルに捉えたパフォーマンスだった。このころから批評性がより増したのかもしれません。
――なるほど。
高谷 活動を始めた時は学生でしたからローアートの底辺にいました。それは60、70年代的に考えると「ハイアートがなんだ、叩き壊してやる」と運動になるわけですよ。でもそういう闘争は、底辺が上がるだけで、気がつくと下ができるということを繰り返すだけ。だったら騒ぎ立てるのではなく、押し黙って、自分たちのやりたいことをやろうという表明としてダムタイプと名付けたんです。ほかにも失敗を表すダム、バカ者という意味もありますけど、既成概念にとらわれない方が世の中のことがよく見えている、そんなことが含まれた言葉でもあります。僕らがやってきたことは反対や主張を叫ぶのではなく、社会の矢面に立っているように見えるパフォーマーがそこにいることが重要なんだと思っています。俳優でも女優でもない、パフォーマーはその人そのものであると。そんなことをつくろうとしているんじゃないかと思います。

高谷史郎

――マルチメディア・パフォーマンス・グループとしてのダムタイプ、令和に何を見せてくれるのかという期待もあります。
高谷 その名称は苦手なんですよ(笑)。僕ら思われているほどアドバンストなテクノロジーは使っていなくて、ホームユーステクノロジーのものでなんとかしているんです。メディアへのこだわりはありますけど、アドバンストなものへの憧れはありません。大型プロジェクターで全面にプロジェクションマッピングして、その映像とパフォーマーが絡むとか、そういうテクノロジーに興味があるわけじゃない。それよりはどうしたら、そのメディアの特性を生かしたものができるかが重要。こういうことをやりたい、それをリアライズするためにテクノロジーを使っているんです。それに舞台はデジタルに限らず、パフォーマーの動きを含めてテクノロジーの塊じゃないですか。バトン一つにしても、こんな使い方ができるんだと発見することの方が楽しい。伝えたい内容のために、その発見したものを取りこぼさずに、うまく積み上げていくのがダムタイプの作品なんですよ。ビデオと人、人と照明、照明と音、音とビデオの関係が一体のものとして、連携がなされているものがマルチメディア・パフォーマンスなんだろうと思います。
ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』(リハーサルより)
――ところで京都は旗揚げの地であり、拠点ですよね。かつて無門館、劇研という小さい空間があって、そこからさまざまな才能が生まれてきました。久々の京都での制作はいかがですか?
高谷 無門館のころは1カ月かけて仕込んで、3日公演してみたいなことができたんですよね。それは遠藤寿美子さんというプロデューサーのおかげ。そういう時代を経て、事務所は京都にありますけど、僕らはフランスで製作することが多くなりました。フランス人プロデューサーとの出会いがあって、シーズンオフにレジデンスさせてもらい、劇場の鍵を渡してくれて「帰るときは鍵を閉めて帰ってね」と、好きなだけ自由に劇場を使わせてもらいました。徹夜で音と映像の編集して、次の日にパフォーマーと合わせて、昼間ちょっと寝てまた徹夜で作業するという繰り返し。言ってみれば無門館の延長です。僕たちはオファーがあるところへ行って創作をしています。海外公演が自然と増えたわけですが、遠藤さんが亡くなってからは京都で創作する機会がなくなりました。ダムタイプの創作をプロデュースすることは非常に大変なので皆さん二の足を踏まれるんじゃないですか(笑)。今回、京都でできたのは、橋本さんという優秀な制作者がいてくれたからこそです。
――東京都現代美術館で「ダムタイプ|アクション+リフレクション」(2019年11月16日~2020年2月16日)がありました。この展示と新作公演はリンクしていたんですか?
高谷 いえいえ、全然違うタイミングで、違うところから話がきたものです。2018年にフランスのポンピドゥー・センター・メッスで個展がありました。それを東京都現代美術館でも展示することになりました。過去のパフォーマンスやインスタレーションを自分たちで今どう捉え直すか、そして内省しながら未来を想像するというプロセスでした。本当にリフレクション、ヒストリカルにご覧になる方もいらっしゃったし、僕としては未来に向かっている部分を少しでも感じていただければという思いもありました。2020年が希望とは重ならなくなってきたのはなぜなのかという要素も入っていた気がしますね。もし輝ける未来を想像できない現代ならば、我々も楽しい未来も提示できないし、氷ついたような冷たいゴミ捨て場のような展示しかつくれないのではというイメージもありました。これからどうなっていくんでしょうか、想像だにできない。アートだとか言っていられる時代もいつまで続くんだろう。病気にしても気候変動にしても、全体のバランスが狂っていって故のような気がする。不安を煽ってどうするんだとは思うんですけど、具体的にそれについて考える必要性もありますよね。
Dumb Type《TRACE/REACT II》2020 「ダムタイプ|アクション+リフレクション」展示風景2020年   東京都現代美術館/Photo: Kazuo Fukunaga
――新しい、若いメンバーも入っていらっしゃいますが、これがあればダムタイプ だ、という定義はありますか?
高谷 「ダムタイプ」に対するイメージは、各メンバーの中にもお客様の中にもそれぞれあって、それは一人ひとりまったく違うものでしょう。そのイメージを壊していきたい。80年代と2000年代ではまったく違いますし、そしてこれから先もっと違うことをやってやろうと思っています。それこそがダムタイプだと思うんです。
『DUMB TYPE 1984 2019』も展示に合わせて発売された DUMB TYPE 著/河出書房新社 発行
取材・文:いまいこういち

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