【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#127
歌手・西城秀樹の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歳をとっても病気に倒れても、心の持ち
方一つで「青春」でいられる

『ありのままに「三度目の人生」を生きる』(著・西城秀樹/廣済堂出版/2012年11月8日発行)より

本の中で西城秀樹は、米国人実業家S・ウルマンの『青春』というタイトルの詩を紹介している。この作品の訳詞を、がんで亡くなった西城の知人が手掛けたのだそう。西城が「詩の中で特に気に入っているのは、〈気持ちをふるいたたせて挑戦する 冒険心を青春という〉という箇所」としつつ、二度の脳梗塞にみまわれた西城が「暗闇の中からまた人生をスタートさせたぼくへのエールのように思えてきた」と書いている。今回の名言は、西城の知人が『青春』という詩に託した思いを代弁しているのだ。いつも「青春」でいられるための心の持ち方とは? ひとつは冒険心を持つこと。そして、「『素直さ』が人間を前進させてくれる」こと、「自分の弱さに気づく」ことなどと、西城は、そのキーワードをこの本の中で記してくれている。

西城秀樹(さいじょうひでき)
1955年4月13日生まれ、広島県広島市出身。幼少期よりジャズスクールにてドラムを学ぶ。小学5年生の時、兄とともにエレキバンドを結成し、ドラムを担当する。中学時代には、米軍岩国基地などでライブ活動を始める。高校時代、ジャズ喫茶にてバンド演奏中、たまたま歌を披露していたところスカウトされプロ歌手の道へ。1972年、「恋する季節」でデビュー。1973年、「情熱の嵐」のヒットによりトップアイドルとなる。同年、「愛の十字架」で第15回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。デビューが近かった、野口五郎郷ひろみらと共に「新御三家」と呼ばれた。1974年、「傷だらけのローラ」で、第15回「日本レコード大賞」歌唱賞を受賞。1976年、「若き獅子たち」で第17回「日本レコード大賞」歌唱賞を受賞。1978年の「ブルースカイブルー」から1983年の「ギャランドゥ」まで、「日本レコード大賞」金賞を、6年連続で受賞する。「NHK紅白歌合戦」は、1974年から1984年まで11年連続出場を果たす(生涯で18回の出場)。歌手以外でも、テレビドラマ『あこがれ共同体』(TBS)、『寺内貫太郎一家』(TBS)、映画『愛と誠』(松竹)などで、俳優としても活動。2003年から、2度の脳梗塞を発症し、後遺症を残しながらも不屈の精神で芸能活動を続けた。2018年5月16日に急性心不全のため死去。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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