民藝公演『泰山木の木の下で』──演
出家・丹野郁弓、主演の日色ともゑに
聞く

瀬戸内の劇詩人・小山祐士が、広島に原爆が投下されてから18年後、その影響下で生きていく人々の哀感を、美しい詩情で描いた『泰山木の木の下で』。1963年の初演以来、宇野重吉演出、北林谷栄主演で高く評価された舞台を、劇団民藝が新たに丹野郁弓演出、日色ともゑ主演で挑戦する。
⬛︎劇団民藝にあった泰山木
──泰山木の木って、けっこう学校で見かけますよね。お茶の水女子大の講堂の横にも大きな泰山木がありますし、東京学芸大学附属高校は泰山木の花が校章になっています。
丹野 泰山木だと意識したことがないから、わからないのかもしれないですね。 
──わたしも木にプレートが付いていて、「泰山木」と説明書きがないとわかりません。ずいぶん大きくなるんですよ。
日色 大きくなるんです。劇団にあったんですよ、青山の。この初演のころ、記念して植えたんです。そしたら、みるみるすごく大きくなって。ここ(川崎市麻生区黒川)に引越すときに、なんで持ってこなかったのか……
丹野 移動させると根付かない木も多いそうです。
──移動に弱い木と強い木がありますが、桜だと半分くらいダメになりますね。
日色 桜はこっち(黒川)に植えたんです、移したんじゃなくて新しく。宇野(重吉)先生がどうしても桜を植えたいって。
丹野 道路拡張でいまはないのですが、桜があったのはわたしも覚えています。
日色 劇団の玄関の前に椅子を出してね。
丹野 花見のときに、みんなで宴会をしたり……。
──『泰山木の木の下で』は1963年に書かれていますから、当時、青山にあった劇団民藝に、そのころ泰山木が植樹されたんですね。
日色 そうです。初演のときが63年なんで。
民藝公演『泰山木の木の下で』のチラシ。
⬛︎原爆の爪痕、人間の原罪を見つめる
──1963年というと、戦争が終わって18年。まだ第二次世界大戦の記憶と地続きだった時期。この作品では、ケロイドや原爆の後遺症など、戦争の影響は現在も続いていますが、時間の経過とともに少しずつ見えにくくなっている。すでに風化しつつあるものに対して、過去の反省をもう一度しておかなくちゃいけないと、小山祐士さんがお書きになられた気がしています。
日色 そうですね。舞台になるのははっきりと何年とは書いてないけど、昭和30年代ですよね。
──だからこそ『泰山木の木の下で』を上演し、若い俳優たちと当時を追体験することで、問題意識を未来に向かってつなげていくことができるんじゃないかと。
丹野 いまこの芝居が、わたしたちの世代にとっても、すでに地続きではない世界なので、知識としてはわかってはいても、説明抜きでハートに来ない部分がやっぱりあるんですよ。この作品は元々『神部(かんべ)ハナという女の一生』という題でラジオドラマになっている。ハナ婆さんの一生を追う芝居だと、一見、救いがない芝居に思えるんですよね。
 でも、ここに木下という刑事を交えることで、木下の苦悩が、最後のハナ婆さんの死によって浄化されるというのかな。そうとらえると、必ずしも救いがない芝居ではないんだよなと思って、割とそこを生かそうと、がんばっています。
──木下刑事は父親が爆心地近くにあった教会の牧師でしたから、そこにはキリスト教の神の問題も出てきますね。
丹野 彼は神の問題をとても意識していて、一時は神を捨ててるわけじゃないですか。
──劇中で、木下刑事には「神さまの話なんか、わしァお婆さん聴きとうはない」と言う台詞がありますね。
丹野 だけど、これはト書きにあるんですけど、最後に「十字を切る」ところで、木下刑事は神というものを自分の心のなかに取り戻すわけなんですよね。だから、日本人が抱える原罪の問題……劇作家の木下順二さんは、よく日本人の原罪意識というけれど……木下刑事だって、割といろんな罪をおかしてるわけですよね、そこここで。みんな誰しもが、キリスト教的に言えば、いろんな罪を背負っていて、それが人間の業(ごう)みたいなものだとすると、それが最終的には解放されるという、そういう芝居なんだろうなと読み返して、やってるんですけどね。
 だから、原爆の話、被爆者の話というだけにとどまらず、もうちょっと広い、大きい世界を目指そうかなと思っています。
民藝公演『泰山木の木の下で』演出家の丹野郁弓。 撮影/稲谷善太
⬛︎自然のなかで生きるハナ婆さん
丹野 日色さんがね、すっごい楽しいんですよ。いままで見たことのない日色ともゑの芝居だと思う。
日色 もう四苦八苦してるんですよ。
──日色さんはダイビングが趣味ですから、瀬戸内の島々の風景もイメージしやすいのかなと思っています。きっと元気なハナ婆さんが見られるんじゃないかなと。
丹野 「目鼻だちのハッキリとした童顔の、大変に可愛らしい」とト書きにもありますし。
──だから、北林谷栄さんからバトンを渡されるかたちですが、これまでとはちがったハナ婆さんが誕生するかなと思っているんです。
日色 そうだといいんですけどね、北林さんほどにわたしは癖がありませんので、さらっとしてますから。わたしは田んぼも、もう23年間やってますので、農作業についてはほとんど想像できるんです。だから、あとは方言を覚えるだけなんですが、まるで音楽のようなんですよ。
 で、さっきの神の問題だけど、ハナ婆さんは苦しい生活のなかで、ただ近所の教会に行っただけなのに救われるんですよね。だから、人間って、そういう人もいっぱいいるんじゃないかな。わたしも子供のときに、お菓子がもらえるというので、近所の教会へ行ってましたよ。信者にはならなかったけど。もしかしたらお寺でもそういうことはあったのかもしれない。
──何度も神さまに誓う場面で、十字を切りますよね。
丹野 心の拠りどころとしての宗教という意味ですよね。
日色 そうなんですよね。ハナ婆さんは洗礼を受けているわけでもないし、神さまは大目に見てくださると思って堕胎をやってるわけですから、そういうところは自然のなかで生きている人の考えかたかなと思います。やっぱり、土と対話してる人たちは強いし、よく丹野さんは言うけど、ずる賢く生きてるっていうのかな。
──やっぱり、生命力が強いから、そういう生きかたになっていく。
日色 それはきっと漁師でも、瀬戸内の人たちもね。先日、はっと気がついたんですけど、劇中には出てこない木下刑事の奥さんが、もうひとり影のようにいるんだなと思って。重い障害を持った子供と生きるということ……だから、女は強いなと思うんですよね。結局はそこへたどりつくんだけど……。
民藝公演『泰山木の木の下で』神部ハナを演じる日色ともゑ。 撮影/稲谷善太
⬛︎生き抜くための愛嬌とたくましさ
丹野 初演からずっとハナ婆さんを演じた北林谷栄さんが「苦労してきた人間というのは、ただいい人というだけじゃないでしょう」って。「いろんな苦労のなかで、ずるさみたいなものを抱えて、それも表現しないと全人格にならない」とおっしゃっていて、それは今度の舞台のヒントになっています。よく見ていると、この芝居にはけっこうずるい人間しか出てこない(笑)。
日色 そうなのよね、みんなね。
丹野 でも、それが愛嬌に見えなきゃいけない。だから「いやだなあ、こんなずるい人間……」とは思わせない。「おかしいねえ、こういうの、あるある」と見えなきゃいけない。
日色 わたし、長谷川町子さんの『いじわるばあさん』が大好きなんですよね。芝居になったら立候補しようと思うぐらいなんですけど、そういう愛嬌があって、ずるくて、だけど、だれからも嫌われなくてという……。 
──ハナ婆さんは、裁判のさいに島じゅうの人たちが応援してくれるほどの人気者ですから。
日色 当時のお金で3000円も出して、お弁当の差し入れをしてくれるとか。きっと一生懸命な働き者なんだと思いますよ、あっちこっちで雇われて。当時は国からは何の保障もなかったわけでしょう、ピカにやられた人たちも。
──9人も子供を産んで、それを育てて……。
丹野 それが戦争や原爆で全員死んじゃうって、すごい設定ですよね。
日色 だから、たくましいです。ここに出てくる人たちは。
⬛︎所作や動きという文化遺産
丹野 日色さんもびっくりしたとおっしゃるんだけど、ハナ婆さんは、台詞の字面だけ読むと、難しいことを言ってるんですよ。優生保護法のこととか、憲法を偉い人が変えようとしているとか、そんなことを言葉の端々で発言しているんですよね。
日色 仕事を頼まれて行った先々で読んだり、見聞きしたんじゃないかなと思って。
丹野 こういう台詞をいわゆる社会的地位の高い人が言うなら、それは理屈の台詞になるわけだけど、そういうものにおそらくは触れていないであろう神部ハナという人物に語らせるのは、小山さんの工夫だと思います。
──ハナ婆さんが語ることで、生活者の実感がこもった言葉になりますね。出前持ちの青年も、けっこう社会批判をします。
丹野 瀬戸内の密漁船とか、工場からの有毒ガスの話とか……。
日色 その出前持ちの青年が、東京に出ていき、ニューフェイスに応募すると聞くと、わたしの世代だと、すぐに日活の小林旭さんとかが思い浮かぶけど、いまの人はわからないかもしれないなと。『ベラクルス』という西部劇の映画があるんですけど、劇団でも拳銃の早撃ちをするのが流行(はや)って、みんなが競うようにやっていた。
丹野 でも、見たことがないというのと、なんか見て知ってるというのとは大きくちがいますからね。だから、若い人たちは、見たことがないことをやらされてるという感覚なのかな。
日色 それを映像のなかでしか知らない。劇団の人たちはみんな勉強家ですから、当時の映画とか、いっぱい見てるんですよ。それでも見ただけじゃわからないこともあるんでしょうね。
丹野 たとえば、火鉢の使いかた、煙管(きせる)の吸いかた……いろんな所作ですよね、立ち居振る舞いとか、そういうものは劇団に入らなきゃわからないこと。小道具ひとつとっても、これは編みのバッグなのか竹のバッグなのかとか、いろんなことがある。他の芝居を見てて、ちがうなと思うことがあるんだけど、まあ、やる方も知らなければ、見る方も知らないからいいんだよって、ある舞台美術家に言われたけど……。
──知ってるお客さんも、民藝の客席にはおおぜいいらっしゃると思うんですが……。
日色 いるでしょうね。
丹野 そうなんですよ、民藝ではね。だから、そうしたことを伝えるのもウチの役割だなと思うので、できるだけちゃんとやろうと。
 演劇の知識は、たとえば、所作、動きなどは、知っている年代が伝えなければ、どんどん消え去るのみじゃないですか。だから、伝えられるうちには、やっぱり伝えていかないと。だって、いま、ゲートルの巻きかたはだれも知らないわけじゃない。だけど、民藝の若手はゲートルの巻きかた、だれでもできるし、たぶん、いちばん最初に教わる。敬礼のしかただって、海軍と陸軍はちがうとか、丁稚(でっち)の歩きかた、兵隊さんの歩きかた、そういうのはできるだけちゃんと作っていけたらいいなとは思うんです。
──それもある意味では文化遺産みたいなものですね。
日色 本当にそうだと思いますね。昔はこういう芝居をやるときは、先輩たちが稽古場に来て「あ、そこ、ちがう」なんてやってましたけど(笑)。
丹野 一般的に、いまはネットで調べたりしてるわけだけど、そういう知識だけで台本を書かれると、生々しいものが出てこない。そうすると、どうしても薄っぺらいし、実感が伴わない。
──それとはひと味ちがった、生活体験の裏打ちのある演技が見られそうですね。
丹野 見られますし、そのように書かれた台本だということです。
⬛︎『泰山木の木の下で』に込められたこと
──『泰山木の木の下で』という題名が、ずっと気になっているんです。どうして泰山木なのでしょう。
丹野 なぜ泰山木なのか、わたしもわからなくて、いろんな人に訊いたんです。そうしたら、瀬戸内のあたりには、泰山木があっちこっちにあったそうなんです。劇作家の小山さんにとって、泰山木はものすごく身近だったはずなんですって。
──やっぱり、自然に見守ってもらう感じですかね。劇中に、漁がうまくいかなくなったから、オリーブを植えるという台詞がありますが、いまでは小豆島がオリーブの産地になっていますから、このころが転換期だったのかなと思ったり。
丹野 そういうところも、少し丁寧に言ってもらってます。さして意味がないように見える台詞だけど、いまとつながっている。
日色 いまでは小豆島の方が知られてるけど、岡山の牛窓に日本オリーブという化粧品会社があって、50年前から知っているのですが、いまも使っています。
──そういえば、観察映画を撮っている想田和弘監督が昨年発表したのが、牛窓を舞台にした『港町』で、そこには美しい海と自然のなかで生きる人々が描かれていました。日色さんが演じるハナ婆さんは、ご本人が農業も海の世界もよく知っていらっしゃるので、行動的な感じになりそうですね。
丹野 北林さんの演じたハナ婆さんよりは、すこし元気かもしれない。稽古場は楽しいですよ。台詞には方言があるので、まだ稽古では苦戦してますが……。
日色 こんがらがっちゃうみたいなんですよ、台詞が。
──イントネーションがちがいますし、アクセントもちがうので、このふたつを身につけるのは大変ですよね。
丹野 でも、この台詞は広島弁でもなく、岡山弁でもなく、どこの地域というのが特定できないみたいなんです。香川弁でもないですし。福山の人に録音してもらったんだけど、やっぱりちがう。だから、きっと「一般瀬戸内弁」として、小山さんが作ったんじゃないかと。
──ハナ婆さんのハナは「花」、木下刑事の「木下」、どちらも木にちなんだ名前です。泰山木は白い大きな花を咲かせますが、新しいハナ婆さんの出現を楽しみにしています。
取材・文/野中広樹

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