壁なき演劇センターと国立ベトナム青
年劇場が3年がかりで取り組んだ『ワ
ーニャ伯父さん』が日本上陸

「これまでのイメージとは違う新鮮なチェーホフを楽しんで」(演出・杉山剛志)
「文化・民族・国籍・所属などに関係なく舞台芸術にかかわる者が、ひとつの共同活動体として相互理解を築き、演劇を媒体として社会とのかかわりを目指す」ことをコンセプトに掲げる一般社団法人「壁なき演劇センター」。彼らが国立ベトナム青年劇場と、代表理事・杉山剛志の演出により、3年計画での国際共同制作した『ワーニャ伯父さん』が上演される。スタニスラフスキー・システムをベースに持ちながら、戯曲の忠実な再現にとどまらない作品づくりをする杉山が、ベトナムの俳優たちとどんな作品を仕立て上げるのか――。
――まず、杉山さんと国立ベトナム青年劇場との出会いから教えてください。
杉山 2014年に国際交流基金の主催で、ベトナムの舞台芸術関係者を3カ月くらい日本に招聘する事業があったんです。そのとき、僕が主催していた長期の俳優育成クラスのワークショップに国立ベトナム青年劇場の俳優さんたちを受け入れてほしい、という話があって。最初は1日だけの予定だったのですが、楽しかったからとそれは最終的に1週間くらいになりました。その縁もあって、2016年に僕が演出したチェーホフの『かもめ』がベトナムの首都ハノイで開催されたベトナム国際演劇祭に招聘されたんです。そこで彼らと再会をして、約束していたワークショップもできました。演劇祭でもギリシャやフランス、ドイツ、パナマなどから参加した作品の中で、僕らが最優秀作品賞、最優秀演出家賞をいただいたんです。
演出の杉山剛志
――そういう流れがあって、『ワーニャ伯父さん』へと続くわけですね。
杉山 はい。ワークショップだけではなく、一緒に作品づくりをしましょうという話が持ち上がりました。2017年から3年計画で『ワーニャ伯父さん』をやろうと。まず初年度はリサーチとキャスティング、2週間のワークショップを2回やりながらお互いの創作方法をシェアしました。2年目は2カ月半ほど長期滞在して作品をつくり、ハノイの国立劇場で初演した後でベトナム国内をツアー。そして3年目は日本で上演しようということで、いよいよ今年の日本公演に至ったわけです。
「ワーニャ伯父さん」より
ロシアの影響が強いベトナム演劇もチェーホフは上演できず
――申し訳ないことに、ベトナムと伺って現代演劇のイメージが少し湧きにくいところがありました。伝統芸能の水上人形劇、あるいは現代サーカスなんかが有名です。
杉山 一言で表現するのは難しいし、ハノイとホーチミンではまったく演劇事情が違うのですが……。ハノイにはベトナム青年劇場とドラマ劇場という二つの国立劇場があって、現代劇は両者がメインで担っています。作品群としてはシェイクスピアから近現代のエドワード・オールビー、テネシー・ウィリアムズなど多岐にわたるんですけど、彼らにすれば、アジアのほかの国に比べるともう一歩先に行けていない、何かを変えなければいけない、変えていきたいという高い志しを持っているんです。新しいところを目指している環境はあります。実はそれが『ワーニャ伯父さん』を選んだ理由にもつながるんです。
――と言いますと?
杉山 ベトナムの俳優教育はロシアの影響を受けているにもかかわらず、過去にゴーリキやゴーゴリはやっているのにチェーホフは上演されていなかったんですよ。厳密に言えば何度か挑戦はしたんだけど成功せず、上演に至らなかった、と聞いています。つまり昔の作品を現代に上演するためにふさわしい視点を見つけられなかったんですね。でも彼らの中にはチェーホフの作品を現代によみがえらせ、若いお客さんを巻き込みながら興味・関心を集めたいという目標があるんです。それで僕の『かもめ』を、スタイルから構成、取り組み方も含めて気に入ってくれて“一緒にやりましょう”ということになりました。
「ワーニャ伯父さん」より
「ワーニャ伯父さん」より
――ハノイはフランスの植民地だったのに、演劇はロシアだというのは面白いですね。
杉山 生活文化はフランスの影響は強いんですけどね。カフェだとか建築物、オペラ座みたいなものもありますし、フランスの文化を感じさせます。演劇はかつてロシアで学んだ方が教えていたこともあって、ハノイの演劇教育もロシアの教育を取り入れて4年間の育成を行うなど影響が大きいわけです。
――杉山さんご自身もスタニスラフスキーを前面に出した演出をされるわけではないんですけど、演劇の原点がおありになるから親和性があったかもしれませんね?
杉山 そうですね。俳優とのやりとりの上では共通理解はありましたので、非常に仕事はしやすかった。ベトナムの俳優さんたちは、日本では知られていないけれど才能も豊かだし、歴史が辛いからか明るさを保ちながら乗り越えていこうとするバイタリティみたいものを感じました。そこがチェーホフに通じるんですよね。そういう意味でも、今回のプロジェクトはベトナムの現代演劇において重要な意味があったと思います。
メタファーを多用して本質を描く
――杉山さんの演出スタイルについて教えていただきますか。
杉山 ロシアで学んでいるのでイメージされるのは、スタニスラフスキーの写実的なリアリズムの印象になるかもしれません。しかし私は、もちろん原作者の意図を最大限に尊重していますし、即席的なアイデアで本質的なものを変えようとは思わないんですけど、今のお客様に届けるには現代の感覚や感性、ビジュアル、聴覚などは重要だと考えていて、最終的な表現形態もリアリズムというよりは多分にメタファーを駆使し、表現に多様性を持たせたものを意識しています。
――『ワーニャ伯父さん』は、ワーニャとその母ヴォイニーツカヤ、姪のソーニャが、乳母マリーナや居候テレーギンらと暮らす田舎の屋敷に突然、都会から大学教授を退職したソーニャの父セレブリャコーフと後妻のエレーナがやって来たことから、穏やかな生活が一変し、やがて一家を揺るがす重大な発表がセレブリャコーフから下される、という話です。
杉山 物語の捉え方としてはシンプルです。まずは、真の美しさを求める人生、そして虚栄を求める人生、ふたつの異なる世界観を持つ人たちの物語として捉えています。戯曲はお互いが理解し合い、共存あるいは調和していくことが不可能だということを物語っていますが、それをあらゆる形で表現したかったんです。真の美しさを求めている人たちは、人間の根源的かつ原始的な部分、つまり人を愛すること、一緒に暮らすことなど、つながりを大事にする。対して虚栄の美しさを求める人たちは、都会からやってきて、自己中心的で、自分の地位や名声、テクノロジーと経済の発展を望み、自分の生活が他者との共存で成り立っていることを忘れている。両者の違いを描くのにどんなメタファーによる表現が可能か、できるだけお客さんの想像力に委ねたいということを共有した上で、俳優と一緒に即興を通しながら探っていきました。
「ワーニャ伯父さん」より
――巨大な椅子と机があって、躍動感ある身体性をイメージさせる写真が届きました。
杉山 巨大な椅子と机の発想の源は、ここに座る人びと――ワーニャ伯父さんたちですが――それらの道具によってとても小さな人たちを表現したかったんです。器が小さいということではなく繊細で脆く傷つきやすい人間たち、生活に必要以上のお金が欲しいとか、欲望を持っているわけではなく、ささやかな幸せがあれば生きていける人たち。その尊さも描くんですけど、それさえも奪ってしまう巨大な欲望や策謀を持っている人たちとの対比を表したいと、美術家と一緒に考えました。
――机に座って議論ばかりしているわけはなさそうですね。
杉山 私の最初の狙いは、チェーホフの作品を暗く、重く、陰鬱、退屈というイメージから解放して、むしろ逆にとても情熱的で、もう一度人生を取り戻そうというものでした。おそらく行き着くゴールは「死」かもしれないけど、最初から失ってしまった人たちではなく、失われた時を取り戻そうとする、まるでシャンパンの泡が弾けるようなところから始まり、さまざまな出来事を通して人生と向き合い、最終的には人生を喪失してしまう、そういう道のりを辿らせたかったんです。情熱的に、生命力あふれ、ダイナミックにスピーディに。チェーホフにはそういう部分があると思いますので。
――公演によって、ベトナム人俳優と日本人俳優のバランスが違うんですね。
杉山 それによって印象も違ってくると思います。もともとベトナムでつくったときは日本人俳優はエレーナ役とテレーギン役の二人で、あとはベトナム人でした。あとは下男役を二人入れて、一人は人間、もう一人は人間と動物の中間のような存在として描いています。日本人は日本語、ベトナム人はベトナム語で会話をして、お互い言葉はわからない中での交流が言下で行われていくというふうにつくりました。この作品は国立ベトナム青年劇場の正式なレパートリーに加わったので、現地ではベトナム人キャストだけで毎月上演されています。日本公演では新たにソーニャ役とアーストロフ役を日本人俳優が演じるバージョンにもトライします。特に日本という意識はないんですけど、日本人の俳優のバランスやパーソナリティによって、同じ演出で同じ道筋を通りつつも、印象は違って見えるかもしれません。
――では最後にこの作品を日本で上演する思いを教えていただけますでしょうか。
杉山 まずはこれまでのチェーホフ、『ワーニャ伯父さん』ではなく、今に近い回路を通して生まれた新鮮な作品を楽しんでいただければと思います。ベトナムという国の舞台芸術がいかなるものかは演劇関係者でも決して身近なものではないかもしれません。この二つの国の出会いによって生まれた『ワーニャ伯父さん』を見ていただくことで、ベトナムの舞台芸術のクオリティの高さを伝えられれば思います。それと同時に今の日本ではベトナムからやってきて働いている方はすごくたくさんいらっしゃいます。そういう方々に目を向け、交流する契機にしていただければ幸いです。そして、互いの関係が、この物語のような「破滅」に至ることなく、共生・共存していくためには我々は何ができるのか、ということについて共に考える契機になればと願っています。
 実は、10月に行われたベトナム国際演劇祭に国立ベトナム青年劇場が『ワーニャ伯父さん』を出品してくれたんですよ。ハンガリー、イスラエル、インド、韓国、中国、シンガポール、ギリシャ、ベトナムの8カ国から21作品が参加した中で、最優秀作品賞、主演&助演俳優・女優賞を受賞させていただくことになりました。そして私自身も、ありがたいことに、来年度から国立ベトナム青年劇場のアーティストダイレクター(Artistic Director)として長期的に作品づくりにかかわることになったんです。日本のお客様にも楽しんでいただける思いがさらに高まる機会になりました。
取材・文:いまいこういち

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