名古屋の〈てんぷくプロ〉が、初タッ
グの演出家・ニノキノコスターを迎え
、19年前の作品を装い新たに再演

来る2020年に結成35周年を迎え、近年は1~2年に1本のペースで公演を行っている〈てんぷくプロ〉。特定の作家や演出家を持たない役者集団のため、既成の戯曲や小説などを用いる場合もあるが、結成当初から劇団員全員の話し合いによって台本作りや演出を行う、“菊永洋一郎”名義での共同制作スタイルを軸にしているのも彼らの大きな特色だ。
そんな〈てんぷくプロ〉が今回、新たな試みとして、同じく名古屋を拠点に活動する中堅劇団〈オレンヂスタ〉の劇作家・演出家のニノキノコスターを演出に招聘。また、8名もの若手客演陣を迎え、19年前に初演した『ネヴァダの月』を、11月21日(木)から4日間に渡って名古屋・大須の「七ツ寺共同スタジオ」で再演する。
てんぷくプロ『ネヴァダの月』チラシ表
西部開拓時代のアメリカ、ネヴァダ州(現在の最大都市はラスベガス)山中のゴーストタウンを舞台に、そこに行き交う人々の人間模様を描いたこの『ネヴァダの月』も“菊永洋一郎”によるオリジナル作品で、「西部劇の世界をみんなで大まじめに研究し、自分たちなりに解釈した」という2000年の初演当時のチラシには、アメリカ西部開拓時代の100余年に渡る歴史年表まで記載されている。
【ストーリー】
舞台は1860年代、西部開拓時代のアメリカ合衆国。母と祖母、二人の姉妹という女ばかり4人の一家が開拓民としてオレゴンを目指していた。ところが馬車が壊れ、ネヴァダの山の中でゴーストタウンに身を寄せることに。誰もいないと思っていた町には、マウンテンマン(山猟師)の男が住みついていた。さらに、列車強盗をたくらむガンマンの親子、駆け落ちしてきた鉄道王の息子と娼婦など、さまざまな人物がこの場所に偶然やってくる。東部では決して出会わない人々の一期一会の1日。土地を追われてゆくネイティブアメリカンの物語も加わって、様々な人間関係が交錯する。そして別れの日。一家は無事にゴーストタウンを出発できるのか、ガンマン達は、駆け落ちの二人は…?

こうして初演は完全なる西部劇として上演された作品だが、今回演出を担当するニノキノコスターは、独自の解釈で台本を紐解き、現代日本が抱える問題をオーバラップさせながら日本的要素を加えて再構築している。フレッシュでバラエティに富んだ客演陣の持ち味を巧みに引き出し、てんぷくメンバーの強烈な個性と融合させながら、「19世紀から変わらない人間の愚かさ」「人々が抱える憤りや哀しみ」を主題として大胆なアレンジに挑んだ気鋭の演出家・ニノキノコスターに、本作にかける思いなどを聞いた。
潤色・演出を手掛けるニノキノコスター
──〈てんぷくプロ〉の演出を手掛けられるのは今回が初めてですが、まずは演出を依頼された経緯から教えてください。
もともとは、2012年に「七ツ寺共同スタジオ」の40周年記念公演として『東京アパッチ族』(作:坂手洋二 演出:小熊ヒデジ)を上演した時に、小熊さんの演出助手として私が入っていて、〈てんぷくプロ〉の俳優さんたちもたくさん出演していらっしゃったんです。そこで喜連川不良さんと意気投合して、以降、自劇団である〈オレンヂスタ〉の公演に2回出ていただいたんです。それと、うえだしおみさんには、小劇場の俳優が落語をやる会〈小名古屋落語会〉(総合監修:雷門福三、制作:加藤智宏、席亭:ニノキノコスターで2014年に結成)にずっと制作協力で入っていただいていて、この2人と仲が良くてですね、「ニノ、今度の公演の演出やらん?」と(笑)。「このホンでやって。俳優はこれで」と言われて、「あ、わかりました」と、お声掛けいただいた形ですね。
── 『ネヴァダの月』の初演はご覧になっていないですよね。
そうですね、まだ高校生だったので。初演は観てないんですけど、この台本を渡された時に思ったのが、【20世紀末に〈てんぷくプロ〉が手掛けた19世紀の作品を、21世紀に再演する】というのが大きなコンセプトになっているな、と。初演に出演されていたメンバーでは、いちじくじゅんさんが同じ役をやられるんですけど、当時は若い男の役だったけど今やるにはもう父親にするしかないんで、そういうのでいろいろ配役を組み替えることで構図が変わってきましたね。
── 初演時はたしか、小熊さんが台本のまとめ役をされていたのではないかと。
小熊さんは「8割まとめた」と言ってて、他のメンバーは「みんなでまとめた」と言い張ってて、どっちなんだ!って(笑)。「僕、だいぶ書いたんだよね」と言っていたので小熊さんだとは思うんですけど。
── なにせ20年近く前のことなので、皆さん記憶が…(笑)。
大変だったっていう記憶がね、そういうことになったんでしょうね、きっと。
稽古風景より
── 台本を読んだ初見の印象はどんな感じでしたか?
何がしたいんやこれ、って(笑)。みんなにも言ったんですよ、「ホンだけ読むと、ようわからんな」って。要はワンシチュエーションでいろんな人が行き交う群像劇、というジャンルだと思うんですけど、そこにちょっと竹内銃一郎がはっちゃけたみたいな不条理な感じが入っていて、正直そういう芝居を私は得意としていないので、どうやって自分の領域に引きずり込むのかっていう。
あと、都市的な俳優陣をどうやって土っぽく持っていくのか、というところで使ったのが方言の起用ですね。ガンマン一家というのは広島弁にして、この地を追われるインディアンたちは東北弁にして。白人たちが侵略してきて、勝手に建物を建てて追われていくインディアンを、東北のかつての蝦夷の人たちの怒りとオーバーラップできないかなと思って。それで本来のネイティブアメリカンではなくてアイヌ語を使ってみたり、衣装もアイヌ寄りにしてみたりとか、ちょっと日本の構図にしています。西部劇で、ただただ時代劇をやるというのも難しいので、もうちょっと自分たちの身近な感じで土っぽく出来るような構図にしましたが、最初はどうなることかと(笑)。
── 違うものを持ってきて置き換えて、という。
そうです。「置き換えてこういう風にしたのでやってみてください」とお願いして、俳優さんたちがいろいろ自分たちでまたクリエーションしてくださったものにちょっと手を入れたり、という感じです。
── 全体の演出ポイントとしては、どんなことを心掛けていらっしゃいますか?
初演当時のメンバーにある意味当て書きで創ってある台本を、今回のメンバーでどうしていくか、となった時に、〈てんぷくプロ〉の俳優陣が持っている、都市的ではない、土とか生命力を感じる力と、客演組の都市的な俳優が一緒にやっていくのは結構大変なことだと私は思っていて。なので、初演ではみんな本能のままにやっていたようなところを、ちょっと整頓しました。
物語自体は、井戸という“生命力の源”を場の中心に据えて、いろんな人々が出る中での家族のあり方…本物の家族である女家族と、インディアンという血は繋がらないけど家族的な繋がりを持っている者達との差異を見せながら、その辺について観たお客さんが家に帰った後に何か思ってくださったらいいなぁ、という創りに変えているのと、物語の多様性の中から、お客さんが自分で線を一本どこかに引いてもらいやすいような演技演出をしました。あとはとにかく、俳優が生き生きと楽しそうに見えることを意識してます。
この話の最終的な完成形は、19世紀だろうと21世紀だろうと変わらない、人間が生まれて終焉を迎える「家族」という場や、何度でも過ちを繰り返す人間の愚かさとか、だからこその愛おしさみたいなものを、現代の日本と照らし合わせて見てもらえる構図になることだと思っているんです。その構図は最初から敷いてはいるんで、あとは俳優陣がどうそこに向かって行ってくれるかなと。演出的工夫としては、入馬券を好きになってもらう。自由な入馬券先生を、そのまま生かすことですね(笑)。
── もともとファンも多いと思いますけど、確かにそれは重要なポイントですね(笑)。
あと、衣装が面白いですね。
稽古風景より
── 初演の時は、ポンチョが印象的でしたけど。
そうです、前はポンチョを着せてたんですけど今回は構造を変えたので、ガンマンのお父さんが任侠の人みたいな服で、ガンマンのお兄ちゃんは革ジャンで、妹はスカジャンという現代的な感じで。他にも衣装のいしぐろひろこさんがいろいろ工夫してくださって、ごった煮感があります。
── 民族性の違いが見えるような?
そうですね。出自がわかる風にはなってます。
── 演出するにあたって、手こずった部分などはありましたか?
井戸がある場、というワンシチュエーションで人が出たり入ったりするので、誰かやって来ては少し話が進んで、また次の人が来て話が進んで、みたいなのが3分とか5分おきぐらいにどんどん入れ替わって、シーン数が多いんです。手こずった点としては、「(稽古に参加できなくて)この人がいないから、じゃあこのシーンをやろう」となった時に繋がりを作っていくのが難しいですね。このシーンをやって、ここをやって、となった時に、自分のキーポイントなるシーンがあるんだけど、相手がいないから他のシーンを先にやらなきゃいけない。そういう時に、俳優さんは繋ぐのが大変だったんじゃないかな。もともと2時間半ぐらいの台本を、なるべく構成をそのままでセリフも変えないで90分位にガッと切ったこともあって。
── すごいですね(笑)。
いやいや全然。切るのは得意なんで(笑)。それで一回流してみたんですけど、やっぱりわかんなかったんですよ、最初。劇作家が劇作するホンと、みんなでクリエーションするホンって違うから。今は俳優の鮮度を大事にしてるからなんとかわかるようになってきたんですけど、とにかくわからんかったんです。
── 元の台本は構成うんぬんというより、個々の俳優の見せ場で繋いでいくような感じだったのかもしれませんね。てんぷくの皆さん、主軸は俳優なので。
そうなんです。だから劇作家の脳で取り組んじゃダメだったんだな、と思って。最初から演出家脳で行けば良かったなと思います。私は結構理屈の人間なので、「この発言はなんでなのか」「その前はこうだからですかねぇ」「じゃあちょっとそれを踏まえてやってください」とかいう感じで。全体のコンセプトを考えた時に、こういう役割でなくてはならない、となったら、じゃあその前や後とか、こういう時に何が出来るか、という理屈を話す方で、その理屈さえわかってもらったらあとは好きにしてもらっていい、というタイプなんです。
稽古風景より
── 最終的には、演出家脳の進め方でまとまった感じですか?
いけそうだとは思ってます。たぶん本番中にも変化して、楽しくやっていけると思います。
── 本来の全くの西部劇に日本的な要素を取り入れたということで、ビジュアル的にはどんな感じになるんでしょうか?
衣装も舞台美術も基本的には和洋折衷ですね。初演のメンバーは子どもの頃に西部劇で育ってきてる世代なんですけど、私ぐらいの世代(1982年生まれ)になると西部劇は全然身近ではなかったので、だいぶ日本臭くしてますね。和太鼓が鳴ったり。
── 音響も日本的なものを?
音響は、作曲と編曲を〈廃墟文藝部〉のいちろーさんにお願いしたんですけど、そんなには使っていなくて。ただ、メインテーマになる曲が劇中で何回かいろんな編曲でかかるんですけど、それを美空ひばりの「リンゴ追分」(1952年発売)にしました。
── なぜ「リンゴ追分」をメインテーマに?
この土地に元々住んでいたのは結局、インディアンたちなんですよね。彼らがここを追われる東北の民である、という風にした時に、津軽三味線か、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」とかいろいろアイデアが出た中で、ちょうどこの話の主軸である女家族の出身地がアメリカのミシガン湖の近くで、リンゴの産地なんです。「リンゴ追分」自体も別れを悲しむ歌詞なので、この曲がこの芝居のコンセプトなんだろうな、と思って。西部っぽいリズムにしたオープニングダンスとか、劇中で故郷を思ったりする時にかかっているのがハーモニカの「リンゴ追分」とか、尺八の「リンゴ追分」だったりします。
てんぷくプロ『ネヴァダの月』チラシ裏
取材・文=望月勝美

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