爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.107 「ナイス
・ジャケット♪ノーマン・シーフ特集

いい音爆音アワー vol.107 ナイス・ジャケット♪ノーマン・シーフ特集
2019年 10月16日(水)@風知空知
CDになり、配信になって寂しいのが、「ジャケット」というものの存在感が小さくなってしまったことですな。音の方は、ハイレゾとかでまた新しい可能性があるのかもしれませんが、ジャケットとしてはなんと言ってもアナログ時代、30cm四方のLPがよかったということに、異論のある人は多分いないでしょう?今またアナログがちょっとしたブームになっているのは、ジャケットの魅力も大きいだろうね。
音楽作品の顔として、音楽そのものとともに、好悪や評価の重要な対象として、私達を魅了し続けてきたこのジャケットに関しても、いろんな切り口で選曲してみたいと、前から考えているのですが、実際ジャケットをテーマにするのは今回が初です。
で、今回は、ノーマン・シーフという有名な写真家が撮ったポートレイトを使ったジャケットを集めてみました。シーフが撮った写真はなんとなく分かります。眼と髪に特徴がある、と私は思っているのですが、こちらをしっかり見ていて、髪に動きがある写真が多いです。それと、グループの写真がとてもうまいと思う。何人もいると、1人くらいイマイチな感じで映っている人がいたりするものですが、シーフの写真は必ず全員活き活きしています。
写真だけでなく、デザインについても、彼が関わったジャケットはたくさんあるのですが、その中で、もちろん、音も素晴しいモノを選びました。
ちなみに、「ジャケット」という言い方、米英ではしません。英語では「cover」。アナログ時代は「sleeve」とも言いました。なので、「ナイス・ジャケット」とは「素敵な上着」になってしまい、正しい英語にこだわりたい私としては抵抗あるのですが、「ナイス・カヴァー」ではカヴァー・ヴァージョンのことだと思われるだろうし、日本ではどうしてもあれは「ジャケット」なので、それでいきます。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト▶Norman Seeff
1939年3月5日、南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生まれ。
17歳の時、史上最年少で、南アフリカのサッカーリーグ「Premier Soccer League」のプレイヤーとなる。
1965年(26歳)、医学博士となり、3年間、ヨハネスブルグ・スウェトの病院の救急内科で勤務する。
1969年、ニューヨークに移住。間もなく、彼がマンハッタンで出会った人々を撮った写真が、デザイナーのBob Catoの目に留まる。Catoはコロムビア・レコードのクリエイティブ部門の副社長も努め、担当したアルバム・カヴァーが2作、グラミー賞を獲得したこともある実力者。彼はシーフに、The Bandのアルバム『Stage Fright』での写真の仕事を与えた。これが評判になり、たちまちシーフはロック・フォトグラファーとして認められた。
1971年末、Catoの推薦によりUnited Artists Recordsのクリエイティヴ・ディレクターとなるため、ロスに移転する。
・・・
The Band「Strawberry Wine」
ノーマン・シーフのプロ初仕事はこのアルバムの付録ポスター写真♪
∨3rd アルバム『Stage Fright』(1970年8月17日発売)収録
作詞・作曲:Levon Helm, Robbie Robertson/プロデュース:The Band
レーベル:Capitol
アルバムは全米5位

*Norman Seeff: photography

・design: Bob Cato
・vocal: Levon Helm
・「Woodstock Playhouse」という小劇場で、観客のいないライブ収録。当初観客を入れようと思ったが、町議会が、前年のウッドストック・フェスティバルのような混乱の再発を恐れて却下した。
・engineer:Todd Rundgren / Glyn Johns なぜか2人個別に、Rundgrenはニューヨーク、Johnsはロンドンでミックスダウンを行い、最初のLPはRundgrenの7曲とJohnsの3曲が混在していた。2000年版CDの際、ようやく当初意図したJohnsミックスのみによるマスターとなった。
ザ・バンド:
1960年頃から、カナダ・トロントを本拠地とするロカビリー・シンガー、ロニー・ホーキンスRonnie Hawkinsのバック・バンド”The Hawks”に、リヴォン・ヘルムLevon Helm (dr)、ロビー・ロバートソンRobbie Robertson (g)、リック・ダンコRick Danko (b)、リチャード・マニュエルRichard Manuel (p)、ガース・ハドソンGarth Hudson (key)が、徐々に集まった。
1963年末、バンドはホーキンスと袂を分かち、やがて、ボブ・ディランのバックバンドに抜擢される。
1966年7月29日、ディランのワールド・ツアー終了直後、ディランは交通事故で負傷。メンバーはディランに誘われ、ニューヨーク郊外のウッドストックに住みつく。彼らの家はピンクのペンキで塗られており、「Big Pink」と名付けられた。
1968年7月1日、バンド名を”The Band”とし、1st アルバム『Music from Big Pink』をリリース。シングル「The Weight」は翌年の映画「Easy Rider」の挿入歌となった。
1969年8月17日、ウッドストック・フェスティヴァルに出演。
 同年9月22日、2nd アルバム『The Band』リリース。
1970年8月17日、3rd アルバム『Stage Fright』リリース。
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1976年11月25日、サンフランシスコのウインターランドでラスト・コンサートを行なう。ディラン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトンら錚々たる顔ぶれがゲスト参加し、この模様はマーティン・スコセッシにより『The Last Waltz』として映画化された。3枚組サントラ盤も1978年4月7日リリースされた。
1986年3月4日、マニュエルが自殺。
1999年12月10日、ダンコ死去。
2012年4月19日、ヘルム死去。
The Rolling Stones「Tumbling Dice(ダイスをころがせ)」
シーフの仕事はLPの付録のポストカード(12枚組)の写真。
∨17th(英)/ 23th(米)シングル(1972年4月14日発売)
10th(英) アルバム『Exile on Main St.(メインストリートのならず者)』(1972年5月12日発売)収録
作詞・作曲:Jagger/Richards/プロデュース:Jimmy Miller
レーベル:Rolling Stones Records
全英5位、全米7位 アルバムは全英1位、全米4週連続1位、オリコン7位

*N.S.: layout design with John Van Hamersveld

・cover photography and concept: Robert Frank(作品集「Les Americains」より)
Bill Wymanはこの曲を録音する時に不在だったので、Mick Taylorがbassを弾いている。そしてMickがrhythm guitarを弾いている。
・コーダ〜エンディングのドラムはプロデューサーのJimmy Millerが演奏していることが、40年以上も経ってから明らかになった。またCharlie Wattsはストーンズの曲の中で唯一、ドラムのダビングをしている。
・レコーディングは150テイクに及んだという。
Eagles「Take It to the Limit」
シーフはアルバム裏ジャケの写真を撮影。シングルにも別パターンを。
∨第3弾シングル(1975年11月15日発売)
4th アルバム『One of These Nights(呪われた夜)』(1975年6月10日発売)収録
作詞・作曲:Randy Meisner, Don Henley, Glenn Frey/プロデュース:Bill Szymczyk
レーベル:Asylum
全米4位、全英12位 アルバムは全米1位、全英8位

*N.S.: photography

・cover illustration: Boyd Elder / design: Gary Burden
・lead vocal: Randy Meisner(Eaglesのシングルで彼のリードヴォーカルはこの曲だけ)
イーグルス:
1970年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集められたDon Henley (dr)、Glenn Frey (g)、Randy Meisner (b)、Bernie Leadon (元”the Flying Burrito Brothers” / g, banjo)は、やがて自分たちのバンドを作ることで意気投合する。
1971年9月、David Geffenが創設したばかりのAsylum Recordsと契約する。
1972年6月1日、Glyn Johnsのプロデュースにより、英国にて制作した1st アルバム『Eagles』をリリース。先行発売した1st シングル「Take It Easy」が全米12位、「Witchy Woman」が9位、アルバムも22位と、幸先の良いスタートを切った。
1973年4月、2nd アルバム『Desperado』リリース。
1974年3月、3rd アルバム『On the Border』リリース。またもJohnsにプロデュースを依頼するが、カントリー・テイストからよりハードなロックへというバンドの意向とズレが出てきたため、途中からBill Szymczykを起用、Szymczykはロック志向のギタリストの採用を提案し、レドンの幼馴染だったドン・フェルダーDon Felderが加入。本アルバムからのシングル「Best of My Love」がバンドにとって初の全米1位を獲得。
1975年6月、4th アルバム『One of These Nights』リリース。タイトル曲「One of These Nights」のシングルが全米1位となり、アルバムも全米1位。第2弾シングル「Lyin’ Eyes」は全米2位、グラミー賞の”Best Pop Performance by a duo or group with vocal”を獲得した。
 同年12月20日、カントリー好きなレドンが脱退を発表。後任にはジョー・ウォルシュJoe Walshが入った。
1976年2月11日、ベストアルバム『Their Greatest Hits (1971–1975)』をリリース。20世紀の米国で最も売れたアルバムとなった。
 同年12月8日、5th アルバム『Hotel California』リリース。シングル「Hotel California」はグラミー賞の”Record of the Year”、「New Kid in Town」は”Best Arrangement for Voices""を獲得した。アルバムは”Album of the Year”にノミネートされたが、Fleetwood Mac『Rumours』の後塵を拝した。
 このアルバムの成功およびそれに続く大規模なワールドツアーにより、メンバーは疲弊し、バンド内の人間関係も悪化の一途を辿った。マイズナーは胃潰瘍を患い、「Take It to the Limit」のハイノートが辛くなり、77年6月、ノックスビルでのコンサートで唄うのを拒否し、フライと大喧嘩になった。ツアー終了後、マイズナーはバンドを去り、代わってティモシー・B・シュミットTimothy B. Schmitが加入した。
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Electric Light Orchestra「Evil Woman」
これも裏ジャケの写真。おもしろい写真です。
∨シングル(1975年10月発売[米])
5th アルバム『Face the Music』(1975年9月発売[米])収録
作詞・作曲:Jeff Lynne/プロデュース:Jeff Lynne
レーベル:Jet (UK) / United Artists (US)
全英10位、全米10位 アルバムは全米8位、英国ではランクインせず

*N.S.: Back Cover Photo

・バンドにとって初めてのインターナショナルなシングルヒット。
・同アルバムに収録されている「Nightrider」のストリングスパート(3:15-3:19)が逆再生されて、クライマックス(2:56-3:00[アルバムver.])に挿入されている。
・アルバムの他の曲は全部既に録音できたあと、ちょっと短いので時間稼ぎ用にもう1曲と、ジェフが、コードとメロディは6分で、という異例の速さで書き上げた。
Fleetwood Mac「Over & Over」
これも表には使われず、インナースリーヴに2パターンのメンバー写真。
∨12th アルバム(2枚組)『Tusk(牙(タスク))』(1979年10月12日発売)収録
作詞・作曲:Christine McVie/プロデュース:Fleetwood Mac, Richard Dashut, Ken Caillat
レーベル:Warner Bros.
全米4位、全英1位

*N.S.: photography

・lead vocal: Christine McVie
・完成したばかりのLAのハイクラススタジオ、The Village Recorder / D studio(2万ドル/週)を6ヶ月間借り切って制作。制作費は100万ドル(現在の345万ドル!)かかったという。
Carpenters「If I Had You」
ここから下は全てジャケットの表にシーフの写真♪
∨シングル(Karen Carpenter名義)(1989年発売)
アルバム『Lovelines(愛の軌跡〜ラヴラインズ)』(1989年10月31日発売)収録
作詞・作曲:Steve Dorff, Gary Harju, Larry Herbstritt/プロデュース:Phil Ramone
レーベル:A&M
ビルボードACチャート18位 アルバムは全英73位、米ではチャートインせず。

*N.S.: photography(カレン生前最後のCarpentersアルバム『Made in America』(1981年)の頃に撮った写真の1枚)

・カレン死後にリリースされたアルバム。デビュー20周年記念。1980年に制作され、96年まで発表されなかったカレンのソロアルバム『Karen Carpenter(遠い初恋)』から本曲を含む4曲と、77〜80年にカーペンターズとして録音しつつ未発表だった8曲と。
・rhythm arr.: Bob James / vocal arr.: Rod Temperton / tenor sax: Michael Brecker
Chicago「Take a Chance」
シーフ得意のグループ写真(裏ジャケにつながる)。
∨12th アルバム『Hot Streets』(1978年10月2日発売)収録
作詞・作曲:Lee Loughnane, Lawrence "Stash" Wagner/プロデュース:Phil Ramone & Chicago
レーベル:Columbia
全米12位

*N.S.: photography and design

・lead vocal: Donnie Dacus
・2nd アルバム以来初めて、何作目かを示すローマ数字をタイトルにしなかった。また初めてジャケットにロゴ・メインでなくメンバーの写真を使ったアルバム。
・前作『Chicago XI』リリース後、1978年1月にギターのテリー・キャスが銃の誤操作で死去。代わりのギタリストに、Donnie Dacusを迎えた。
・そのデイカスも次作『Chicago XIII』リリース後に解雇されてしまう。
Santana「Well All Right」
これもジャケの表裏合わせて1枚のグループ写真。話し声が聞こえてきそうな♪
∨第1弾シングル(1978年発売)
10th アルバム『Inner Secrets(太陽の秘宝)』(1978年10月発売)収録
作詞・作曲:Norman Petty, Buddy Holly, Jerry Allison, Joe B. Mauldin/プロデュース:Brian Potter, Dennis Lambert
カヴァー:オリジナルはBuddy Holly、シングル「Heartbeat」(1958)のB面。
レーベル:Columbia
全米22位

*N.S.: design, art director, photography

・”Blind Faith”もアルバム『Blind Faith』(1969)の中でカヴァー。
・アルバムはゴールド(50万枚)には達したがチャートインせず。
サンタナ:
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1972年10月1日、4th アルバム『Caravanserai』リリース。
 大幅なメンバー・チェンジが起こる。バンドを脱退したニール・ショーンNeal Schonとグレッグ・ローリーGregg Rolie (key)は後に”Journey”を結成する。
1973年7月、来日コンサート。大阪厚生年金会館での演奏は、横尾忠則デザインのジャケットでも有名なライヴ盤『Lotus(ロータスの伝説)』(1974年5月)に収録された。
 同年11月9日、5th アルバム『Welcome』リリース。それまでの中では最低の全米25位。
1974年10月、6th アルバム『Borboletta』リリース。
1976年3月26日、7th アルバム『Amigos』リリース。全米10位。
1977年1月、8th アルバム『Festivál』リリース。全米27位。
 同年10月、ライブ+スタジオの2枚組アルバム『Moonflower』リリース。全米10位。
1978年10月、10th アルバム『Inner Secrets(太陽の秘宝)』リリース。
1979年9月、11th アルバム『Marathon』リリース。
1981年4月、12th アルバム『Zebop!』リリース。全米9位。
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Pointer Sisters「I'm So Excited」
3姉妹それぞれの表情。見飽きない写真です。
∨第2弾シングル(1982年9月発売)
9th アルバム『So Excited!』(1982年7月発売)収録
作詞・作曲:Anita Pointer, June Pointer, Ruth Pointer, Trevor Lawrence/プロデュース:Richard Perry
レーベル:Planet Records
全米30位 アルバムは全米59位

*N.S.: cover photography

・design: Kosh
・lead vocal: Anita / guitar: Lee Ritenour
・「He's So Shy」(1980 全米3位)や「Slow Hand」(1981 全米2位)などのシングルヒットを飛ばし、絶好調の時期。この曲は84年7月にリミックス版が再発され、その際は全米9位にまで上がった。
ポインター・シスターズ:
米国カリフォルニア州オークランド出身。
Ruth Pointer:1946年3月19日
Anita Pointer:1948年1月23日
Bonnie Pointer:1951年7月11日
June Pointer:1953年11月30日-2006年4月11日

四姉妹は幼い頃からゴスペルに親しみ、聖歌隊で歌う。
1971年、Atlanticと契約。このときはアニタ、ボニー、ジューンの3人組だった。
1972年12月、ルースが加入し4人組となり、ロサンゼルスに渡り、Blue Thumb Recordsに移籍。
1973年2月、アラン・トゥーサンの作品「Yes We Can Can」リリース。全米11位のヒット。
1975年、「Fairytale」でグラミー賞の「Best Country Performance by a Duo or Group with Vocal」を受賞。
1977年、ジューンが休息のため、ボニーがソロ転向のため脱退する。
1978年、ボニーはMotownのプロデューサー、Jeffrey Bowenと結婚、Motownと契約し、79年には「Heaven Must Have Sent You」がスマッシュヒットとなる。
 ルースとアニタは方針転換を図り、40年代ノスタルジック路線を捨て、コンテンポラリー路線を選択する。二人はRichard PerryのPlanet Recordsと契約し、ジューンを呼び戻す。
 同年11月、5th アルバム『Energy』リリース。ブルース・スプリングスティーンの「Fire」をカヴァーしたシングルが全米2位の大ヒットとなる。
1979年9月、6th アルバム『Priority』リリース。ヒットはしなかったが、グループの多才さが高く評価された。
1980年7月、シングル「He's So Shy」リリース。全米3位。
1981年5月、シングル「Slow Hand」リリース。全米2位。
1982年7月、9th アルバム『So Excited!』リリース。
1983年11月6日、10th アルバム『Break Out』リリース。グループにとって最もヒットしたアルバム。全米8位、全英9位、トリプル・プラチナム(300万枚)
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2006年、ジューンが癌のため死去。ルースの娘、Issa Pointerが代わりに参加。
2009年からはルースの孫のサダコ (Sadako Pointer、母親が日本人) が加わって活動している。
Captain & Tennille「You Need a Woman Tonight」
髪、スカートのひだ、火山の煙…瞬間フリーズもシーフの神業♪
∨第3弾シングル(1978年発売)
4th アルバム『Dream』(1978年5月発売)収録
作詞・作曲:Dana Merino/プロデュース:Daryl Dragon
レーベル:A&M
全米40位 アルバムは全米131位

*N.S.: photography

・piano: Tennille / guitar, bass, keyboards, percussion: Daryl “Captain” Dragon
キャプテン&テニール:
米国カリフォルニア州ロサンゼルス出身のダリル・ドラゴンDaryl Dragonとトニ・テニールToni Tennilleが1971年に結成したポップ・デュオ。
ドラゴンが「Captain」と呼ばれたのは、彼がいつも船長のような帽子をかぶっていたから。

1972年、キーボーディスト兼アレンジャーのドラゴンとソングライター兼キーボーディストのテニールは共にザ・ビーチ・ボーイズのツアーに参加。ツアー終了後、デュオとしての活動を開始した。
1973年、自主制作レコードがロスのラジオで評判となり、A&Mと契約。
1975年4月、デビューシングル「Love Will Keep Us Together(愛ある限り)」(Neil Sedakaのカヴァー)リリース。4週連続全米1位および75年年間でも1位の大ヒットとなり、翌年のグラミー賞でも「Record of the Year」を獲得。
 同年5月、1st アルバム『Love Will Keep Us Together』リリース。全米2位。
 同年11月11日、二人は結婚する。
1976年2月27日、2nd アルバム『Song of Joy』リリース。全米9位。
 同年9月、ABC系列にてTVショー「The Captain and Tennille」放送(→77年3月)
1980年2月26日、前年10月にカットしたシングル「Do That to Me One More Time(愛の証し)」が全米1位。
80〜90年代、テニールはデュオの活動の他、ジャズ歌手としてビッグバンドとともにライブ、またレコード制作を行う。
1998年8月、テニールはミュージカル「Victor/Victoria」のナショナルツアーに、主役として出演する(→99年6月)
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2014年1月、二人が離婚。
2019年1月2日、ドラゴンが腎不全により死去。
Art Garfunkel「I Believe (When I Fall in Love It Will Be Forever)(永遠の思い)」
レストランでのある瞬間を切り取った写真だけど、左の男性の手が気になるー。
∨2nd ソロアルバム『Breakaway(愛への旅立ち)』(1975年10月14日発売)収録
作詞・作曲:Stevie Wonder, Yvonne Wright/プロデュース:Richard Perry
カヴァー:オリジナルはStevie Wonder『Talking Book』(1972)に収録
レーベル:Columbia
アルバムは全米7位、全英7位、オリコン21位

*N.S.: photography(写真の場所は、ハリウッドのSanta Monica Boulevardにある「Dan Tana’s Restaurant」。左の女性はギリシャ系アメリカ人女優のHelena Kallianiotes、右はやはり女優のLaurie Birdで、彼女はアートと74年から恋愛関係になり、79年彼と同棲していたアパートで自殺した)
Frank ZappaPeaches en Regalia」
サングラスに映ったストロボの光がザッパにとても似合う♪
∨compilation アルバム『Strictly Commercial』(1995年8月2日発売)収録
初出:2nd ソロアルバム『Hot Rats』(1969年10月10日発売)収録
シングル(1970年発売)
作詞・作曲・プロデュース:Frank Zappa
レーベル:Rykodisc

*N.S.: photography

・ザッパの死(1993年12月4日)後、発売されたコンピレーションアルバムだが、2011年に、未亡人Gail ZappaがレーベルRykodiscを、「Zappa Family Trust」の許諾を得ないで貴重なマスターを使用しているとして訴訟を起こした。そのため現在は生産中止となっている。
・drums: Ron Selico / bass: Shuggie Otis / piano, organus maximus, flute, all clarinets, all saxes: Ian Underwood
フランク・ザッパ:
1940年12月21日、米国メリーランド州バルチモア生まれ
1993年12月4日、死去。満52歳没。
Rickie Lee Jones「Chuck E.'s in Love(恋するチャック)」
このデビューアルバムの写真、印象的でしたね。
∨1st シングル(1979年4月28日発売)
1st アルバム『Rickie Lee Jones(浪漫)』(1979年2月28日発売)収録
作詞・作曲:Rickie Lee Jones/プロデュース:Lenny Waronker, Russ Titelman
レーベル:Warner Bros.
全米4位、全英18位 アルバムは全米3位、全英18位

*N.S.: photography

・「Chuck E.」はシンガーで作曲家のChuck E. Weissのこと。
・アルバムには、Dr. John (p)、Michael McDonald (vo)、Randy Newman (synth)、Tom Scott (horns)、Ernie Watts (horns)、Buzz Feiten (g)、Willie Weeks (b)、Steve Gadd (dr)、Andy Newmark (dr)、Jeff Porcaro (dr)、Victor Feldman (perc)、Nick DeCaro (accordion, orchestral arr.)など、錚々たるメンバーの名前が並ぶが、曲ごとのクレジットがない。
リッキー・リー・ジョーンズ:
1954年11月8日、米国イリノイ州シカゴ生まれ。
1959年、アリゾナに移転。
1964年、ワシントン州オリンピアに移転するが、両親が離婚、69年、リッキーはミズーリ州カンサスシティの父の元へ行き、またしばしば、ワシントン州のピュージェット湾(オリンピアのそば)に戻るという生活を送る。
1972年、カリフォルニア州ハンティントンビーチに移転、19歳頃からLAのカフェで歌い始める。
1977年、トム・ウェイツと知り合い、恋愛関係となる。彼女はウェイツのアルバム『Blue Valentine』(1978年)の裏ジャケットにも映っている。彼女のデビュー曲「Chuck E.'s in Love(恋するチャック)」に登場するChuck E. Weissともこの頃知り合う。
1978年はじめ、Dr. JohnやLowell George (Little Feat)と知り合う。ジョージはジョーンズが作った「Easy Money」を、自分の1st ソロアルバム『Thanks, I'll Eat It Here(特別料理)』(1978年)で取り上げた。
 やがて彼女のデモテープが、Warner Bros.のプロデューサーで重役のLenny WaronkerやTommy LiPumaの興味を引く。メジャーレコード会社の争奪戦の末、Warner Bros.と契約をする。
1979年2月28日、1st アルバム『Rickie Lee Jones(浪漫)』リリース。全米3位の大ヒットとなる。シングルカットされた「Chuck E.'s in Love(恋するチャック)」も全米4位のヒット。同年4月7日の「Saturday Night Live」でのパフォーマンスが大評判となった。
 翌80年の第22回グラミー賞では5部門でノミネートされ、「最優秀新人賞」を受賞した。
1980年、Francis Ford Coppola監督から次の映画「One from the Heart」での音楽をトム・ウェイツとともに担当してくれるよう依頼されるが、79年のうちに二人の恋は破局を迎えていたので、ジョーンズは断る。コッポラは「映画も主役二人が別れる話だから、むしろちょうどいい」と説得するが、それでも断った。だけどジョーンズは後でそれを後悔している。
1981年7月15日、2nd アルバム『Pirates』リリース。これも全米5位のヒットとなった。
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Carly Simon「Waterfall」
デザインもシーフ。グラミー「Best Album Package」にノミネート♪
∨2nd シングル(1975年発売)
5th アルバム『Playing Possum(人生はいたずら)』(1975年4月21日発売)収録
作詞・作曲:Carly Simon/プロデュース:Richard Perry
レーベル:Elektra
全米78位、ACチャート21位 アルバムは全米10位、オリコン70位

*N.S.: design & photography

・1976年、第18回グラミー賞にて、「Best Album Package」にノミネート。また、Rolling Stone誌の「the 100 greatest album covers」(1991年)で20位。
・piano: Carly / a-guitar & bv: James Taylor / drums: Russ Kunkel / bass: Lee Sklar / e-guitar: Lee Ritenour
カーリー・サイモン:
1945年6月25日、ニューヨーク市ブロンクス生まれ
父親はドイツ系ユダヤ人で、米国の大手出版社「Simon & Schuster, Inc.」創業者のRichard L. Simonという、裕福な家庭に生まれ育った。
7歳の時に、性的暴行を受け、そのせいか、激しい吃音症になったが、それを克服するため、歌い、また曲を作るようになった。
1964年、姉のLucyとフォーク・デュオ”The Simon Sisters”を結成、3枚のアルバムを残す。
1970年、Elektra Recordsと契約。
1971年2月9日、1st アルバム『Carly Simon』リリース。シングル「That's the Way I've Always Heard It Should Be(幸福のノクターン)」が全米10位、アルバムが全米30位とヒットした。
 同年11月、2nd アルバム『Anticipation』リリース。全米30位。シングル「Anticipation」は全米13位。この曲はHeinzのケチャップのCMで使われた。
1972年、グラミー賞で「Best New Artist」を受賞。
 同年11月3日、James Taylorと結婚。(1983年に離婚)
 同年同月8日、シングル「You're So Vain(うつろな愛)」リリース。全米1位の大ヒット。
 同年同月28日、3rd アルバム『No Secrets』リリース。全米5週連続1位。
1974年1月、4th アルバム『Hotcakes』リリース。全米3位。
1975年4月、5th アルバム『Playing Possum(人生はいたずら)』リリース。
1976年6月、6th アルバム『Another Passenger』リリース。
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Joni Mitchell「Black Crow(黒いカラス)」
シーフが最も多く関わったのはジョニ・ミッチェル。
∨8th アルバム『Hejira(逃避行)』(1976年11月発売)収録
作詞・作曲・プロデュース:Joni Mitchell
レーベル:Asylum
アルバムは全米13位、全英11位

*N.S.: photography

・design: Joni Mitchell
・シーフが関わった、ジョニの他のアルバム:『Court and Spark』(1972)、『Hissing of Summer Lawns』(1975)、『Don Juan's Reckless Daughter』(1977)、『Dog Eat Dog』(1985)
・bass: Jaco Pastorius / e-guitar: Larry Carlton アルバムのベーシックトラックを録音し終えた後にジャコと出会い、4曲にベースのオーバーダビングを依頼した。
・フォーク/ロックからジャズよりのサウンドに志向していく節目となったアルバム
・「hejira」は「rupture=決裂」のアラビア語。本来は「hegira」もしくは「hijra」
ジョニ・ミッチェル(本名:Roberta Joan Anderson):
1943年11月7日、カナダ・アルバータ州フォート・マクラウド生まれ。
母はスコットランド及びアイルランド系で、父はノルウェー系。
1960年代にトロントで音楽活動を開始。
1965年6月、フォーククラブで出会ったミシガン州出身のアメリカ人フォーク・シンガー、チャック・ミッチェルと結婚し、名字をAndersonからMitchellに変える。二人はデトロイトで音楽活動を行った。1967年初めに離婚し、ニューヨーク市マンハッタン・チェルシーに転居。
1968年3月23日、David Crosbyをプロデューサーに迎え、1st アルバム『Song to a Seagull』をリリース。
1969年5月、2nd アルバム『Clouds(青春の光と影)』リリース。シングル「Both Sides, Now(青春の光と影)」はジュディ・コリンズほか多くのミュージシャンにカヴァーされた。
1970年4月、3rd アルバム『Ladies of the Canyon』リリース。映画「いちご白書」の主題歌としてバフィ・セント=メリーに歌われた「The Circle Game」のセルフ・カヴァー、CSN&Yのバージョンで知られる「Woodstock」、環境問題を題材にした「Big Yellow Taxi」などを収録。全米27位、全英8位。
1971年6月、4th アルバム『Blue』リリース。全米15位、全英3位。
 同年11月、5th アルバム『For the Roses(バラにおくる)』リリース。
1974年1月、6th アルバム『Court and Spark』リリース。全米2位、カナダ1位、全英11位。
1975年秋、「Bob Dylan's Rolling Thunder Revue」に参加。
 同年11月、7th アルバム『The Hissing of Summer Lawns』リリース。全米4位、全英11位。
1976年11月、8th アルバム『Hejira(逃避行)』リリース。レコーディング時にジャコ・パストリアスと出会う。1970年代後半には、パストリアスのほかハービー・ハンコックやラリー・カールトン、ウェイン・ショーター、マイケル・ブレッカー、パット・メセニーなどのジャズ、クロスオーバー系のミュージシャンと多く共演した。
・・・
Ray Charles「Do I Ever Cross Your Mind? (duet with Bonnie Raitt)」
レイのサングラスに映ったピアノの鍵盤がチャームポイント♪
∨final アルバム『Genius Loves Company』(2004年8月31日発売)収録 
作詞・作曲:Billy Burnette, Michael Smotherman/プロデュース:John Burk, Phil Ramone
レーベル:Concord / Hear Music
アルバムは全米1位、全英18位

*N.S.: photography

・レイの死(2004年6月10日)後に発売された。制作は2003年6月〜04年3月。
・全編デュエット。 Natalie Cole, Elton John, James Taylor, Norah Jones, B.B. King, Gladys Knight, Diana Krall, Van Morrison, Willie Nelson, Bonnie Raitt
・「Hear Music」はスターバックスとConcord Recordsが共同で設立したレーベル
・2005年第47回グラミー賞にて、「Album of the Year」、「Record of the Year」(「Here We Go Again (with Norah Jones)」他、8部門で受賞。
レイ・チャールズ:
1930年9月23日、米国ジョージア州アルバニー生まれ
2004年6月10日、肝不全にて死去。満73歳没。

次回の爆音アワーは・・・

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