【連載】Vol.079「Mike's Boogie St
ation=音楽にいつも感謝!=」

ベンチャーズ フランキー・ヴァリ そして山岸潤史/近藤房之助/永井ホトケ隆 やはりこの道ウン十年のベテラン勢のLIVEには“ドラマ”を強く感じる!

9月も先月に引き続きザ・ウェイト・バンドに始まって多くのベテラン勢のLIVEを楽しんだ。爺のせいかそれとも偶然なのか分らないが、彼等のこの道ウン十年に亘る安心したステージは心から楽しめる。それに加え演奏や歌声からドラマティックな世界を僕は強く感じるのだ。

PT1 ベンチャーズ
ベンチャーズのステージを楽しむようになって50年以上になる。実は僕が日本で体験したコンサートで一番回数の多いアーティストはベンチャーズだ。勿論今年も9月8日東京・中野サンプラザでテケテケ・サウンドを堪能した。ご存知のようにメンバーは変わってきているけど、伝統のベンチャーズ・サウンドはしっかりと伝承され未だ僕らファンを興奮させる。今年は“祝・グループ結成60年周年”のおめでたい年である。現在のライン・アップはリオン・テイラー、ボブ・スポルディング、イアン・スポルディング、ルーク・グリフィンの4名だ。
もうすっかりお馴染みになった午後4時開演&二部構成。僕ら高年齢観客は大助かりだ(笑)。しかしふと客席を見渡すと若いお客さんがちらほらと…昨年以上に増えてきている。第一部オープニングはベンチャーズ初期の代表作、「急がば廻れ」。この“廻れ”表記が60年代からのファンには馴染み深い。Billboard誌HOT100では60年7月18日付88位(★)初登場、その後39位(★)→18位(★)→7位(★)→5位→3位、そして8月29日付で最高位2位。同誌R&B チャートにも登場し最高位13位を記録している(これマニアックな話です、ベンちゃん)。
▲『Joel Whitburn Presents The Billboard HOT100 The Sixties』60年8月29日付 from Mike’s Library

以下のランク表は『Joel Whitburn Presents The Billboard HOT100 The Sixties』(日付は明記してありません ご了承ください)

メドレー・スタイルで「パーフィディア」、これも初期のヒットだ。HOT100では60年10月31日付78位(★)初登場、その後44位(★)→31位(★)→21位(★)→18位→19位→18位→17位、そして12月26日付で最高位15位だ。
そして「イエロー・ジャケット」、“廻れ”B面ソングとしてよく聴いた。そして当時のジャパニーズ・エレキ・バンドがよくレパートリーにしていたカントリー・チューン「ライダーズ・インザ・スカイ」。そして「ローハイド」ではイアンがリードを担当。
「ドラヴィング・ギター」「バンブルビー・ツイスト」この2曲は33回転7インチEPで僕は楽しんだ。60年代当時ベンチャーズは僕ら日本の若者達にいろんなジャンルの音楽を教えてくれた、「ベサメ・ムーチョ」もそうだ。「でしゃばり者(ジ・イントルーダー)」はなかなかダンサブルだ。そしてリオンのドラムをたっぷりと味わえるのが「ザ・サベージ」。僕達は当然のようにリオンの父メルを想い出す…。因みにリオンの母親はフィオナ・テイラー、ベンチャーズのマネージャーさんである。今年リリースのアルバム『ベンチャーズ 60周年ヒストリック・オリジナル・コレクション』のライナーに彼女はメルとの想い出などを寄稿、ぜひとも読んで欲しい(彼女からの伝言でもある)。
▲フィオナ・テイラーと筆者

テルスター」「悲しき闘牛」の2曲はカップリングされ日本でシングルとして登場していたのだ。63年のアルバム『The Ventures Play Telstar The Lonely Bull』から。現メンバーの大好きなアルバムだ。続いての「アパッチ」はシャドウズがオリジナルだけど日本では断然ベンチャーズ・ヴァージョンでお馴染みだ。これもテルスター・アルバムから。
メンバー紹介の後は「上を向いて歩こう」。63年のアルバム『Let’s Go』収録。ボブの“UE WO MUITE ARUKOH”という曲紹介も嬉しい。久しぶりに坂本九さんの名作を堪能、僕は客席で歌わせてもらった…。
そして前半のラスト「ワイプアウト」。オリジナルは来日したこともあるサファリーズだけど、これまた我が国ではベンチャーズでお馴染みだ。皆さん、サーフボードから落ちないようにしてください!“Heheheheheheee~”

15分の休憩後二部が始まる。「星への旅路」でスタート。わが国では65年にシングルB面ソングとして登場した。そう言えばあの頃のベンチャーズ・シングル日本盤ではB面曲名も大きくデザインされていた。そしてその時代に一気に誘ってくれるかのように「パイプライン」が始まる。イントロから観客は早手拍子だ。オリジナルはシャンテイズだけど勿論わが国ではベンチャーズ・ヴァージョンが全国津々浦々に浸透、日本で7枚目のシングル曲だった。
「ランニング・ワイルド」もその頃のナンバー。そして60年代中期のステージで披露していたのが「アウト・オブ・リミッツ」。日本盤シングルもリリースされた。そして後半5曲目「逃亡者」。あの効果音が懐かしいのだ。HOT100では“Bubbling Under The HOT100”で64年5月16日付&23日付で最高位126位。
続いてはアニマルズのヒットで知られる「朝日のあたる家」。ノーキー・エドワーズ、ジェリー・マギーを彷彿とさせる。
そしてベンチャーズの大ヒットが登場「10番街の殺人」。TBSラジオ“POPS BEST 10 ”(放送開始は57年)の65年/年間チャートで2位に輝いている。この曲でベンチャーズ人気が更にエクスプロージョンしたのを記憶している。HOT100では64年10月24日付80位(★)で初登場、その後→68位→57位(★)→45位(★)→38位。そして11月28日付で最高位35位。
ここからは60年代後半から70年代にかけてのナンバーが登場。まずはベンチャーズ歌謡の「二人の銀座」。和泉雅子&山内賢(ベンチャーズ・プログラム用にインタビューしたことがある)で知られる。そしてベンチャーズの60年代後半のUSヒットの「ハワイ・ファイヴ・オー」(同名TV番組テーマ)。HOT100では69年3月8日付100位で初登場、その後99位→92位→70位(★)→51位(★)→32位(★)→17位(★)→13位(★)→8位(★)そして5月10日付で最高位4位。ベンチャーズにはやっぱり“海”がマッチする。
そして再びベンチャーズ歌謡が3曲続く。「雨の御堂筋」は欧陽菲菲。そして渚ゆう子の「京都慕情」「京都の恋」。今年8月に放送されたテレビ朝日“決定版!日本の名曲100選”で現メンバーのベンチャーズと渚ゆう子の共演も実現した(彼女にもプログラム用にインタビューしたことがあるけどとっても素晴らしい方です)。
そして“港のひなげし”こと「ブルー・ドーン」、辺見マリの92年ナンバー。ボブが軸になって作ったナンバー。そう言えば「港のひなげし」リリース当時ベンチャーズ招聘元のボスのブッキングで僕は彼女のMCしたことがあったけ(冷や汗)。たまにはCD『ベラーチョ・ウィズ・ザ・ベンチャーズ』を聴こう!
「ビッグ・サーフ」は比較的新しい16年の作品。そしてラスト・チューンはこれで決まりだ、「ダイアモンド・ヘッド」、会場全体が早手拍子で盛り上がる、もうここはエレキ大会なのだ(笑)。メンバーは客席に降りての演奏。いつもに比べてその時間が長いように感じたのは僕一人だけだろうか…。そうだ、このオレンジ色のJPシングル盤を購入したのは中2の正月だった。TBSラジオ“POPS BEST 10 ”の65年/年間チャートで6位を記録している。一方HOT100では65年1月30日86位(★)で初登場、翌週74位そして2月13日付70位が最高位。
勿論アンコールは「キャラバン」。ベンチャーズというエレキ・バンドの音楽的才能を多くのファンがこのナンバーで開眼させられた。メル・テイラーのドラミングを息子のメルがしっかりと受け継ぎ今年も見事なパフォーマンスで観客を圧倒する。TBSラジオ“POPS BEST 10 ”の65年/年間チャートで「10番街~」と共に同率2位にランキングされた。
Pic. by Hiroyuki Yoshihama

終演後バックステージでいつものようにメンバー4人に挨拶を行った。その後台風が近づいていたけど久しぶりに会った大学の先輩でもある元某レコード会社社長Y氏とサンプラ近くのチャイニーズ・レストランで遅くまでベンチャーズ&キース・リチャーズ話しで盛り上がった!!


PT2 フランキー・ヴァリ & ザ・フォー・シーズンズ
11月10日、昭和女子大学 人見記念講堂でフランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズの素晴らしいステージを堪能した。オープニングはフランキー・ヴァリ懐かしの動画&ツー・ショットが次々に登場。フランキー withボブ・ディラン、アレサ・フランクリン、ライオネル・リッチー、シェール、ポール・マッカートニー…。

そしてフランキーが登場!4人のザ・フォー・シーズンズ&バック・ミュージシャンを従えてのファースト・ソングは「Working My Way Back To You」。フォー・シーズンズ1966年のヒット・チューン、いきなり僕は大興奮、元気いっぱい、85歳とは思えない素晴らしい&若々しい歌声。僕がFENで初めて聴いた63年と同じあのソウルフル&ファルセット気味のヴォーカルが聴こえてくるのだ。勿論一緒にシャウトしてしまう。Billboard誌HOT100では66年1月29日付63位(★)初登場、その後44位(★)→22位(★)→15位(★)→10位(★)そして3月5日付で最高位9位。この曲は80年にR&Bヴォーカル・グループのスピナーズでリバイバル。
2曲目はメドレー形式でそのまま「Opus 17(Don’t Worry ‘bout Me)」。会場は早くも手拍子で盛り上がる。これも66年のヒット、HOT100では同年5月21日付63位(★)初登場その後、31位(★)→19位(★)→14位(★)→14位そして6月25日付で最高位13位。
東京に再び来ることが出来てとても嬉しいと挨拶の後「Beggin’」。ブラス・セクションはお休みのポップな雰囲気。67年のナンバー。HOT100では同年3月4日付83位(★)初登場、その後56位(★)→37位(★)→30位(★)→25位(★)そして4月8日付&15日付で最高位16位(8日付のみ★)。
そして僕がザ・フォー・シーズンズを一番よく聴いていた64年にこれまたFENで流れていたのが「Save It For Me」。まさに4Sサウンド!HOT100では同年8月29日付64位(★)初登場、その後31位(★)→22位(★)→18位、そして9月26日付&10月3日付で最高位10位(9月26日付のみ★)。
その頃日本盤シングルを西武池袋線桜台駅前のサクラレコードで購入したのが「Dawn(Go Away)」、“悲しい朝やけ”だ。
▲from Mike’s Collection

当時僕はアメリカン・ヒット・ソングのニュー・チューンズ・ファン・クラブの会員でレコード・コンサートでこのナンバーを楽しんでいたのだ。ザ・フォー・シーズンズの大ヒットでHOT100では64年2月1日付75位(★)初登場、その後24位(★)→11位(★)そして2月22日、29日付&3月7日付で最高位3位(2月22日付のみ★)。
ザ・フォー・シーズンズ・ヒット・パレードを21世紀になってLIVEで堪能出来るなんてまさに夢の夢だ。“雨に言っておくれ”この邦題が好きだった。アップ・テンポの軽快なポップ・ソング「Tell It To The Rain」。66~67年のヒット。HOT100では66年12月10日付92位初登場、その後58位(★)→31位(★)→23位(★)→15位(★)→12位、そして67年1月21日付で最高位10位。
ここでフランキーは大きな影響を受けたフランク・シナトラのナンバーをというMCを入れて「I’ve Got You Under My Skin」。
元々はコール・ポーターが映画のために作った作品。56年にフランク・シナトラで話題を呼び彼の代表作の一つになった。ザ・フォー・シーズンズは66年にシングル・カット、HOT100では同年9月3日付83位(★)初登場、その後41位(★)→28位(★)→19位(★)→12位(★)→10位、そして10月15日付で最高位9位。バラード・タッチのフランキーの名作をフランキーは見事に歌い上げる。ジャジーな味わいのアレンジだ。
そして8曲目は「Swearin’ To God」。75年リリースのフランキー・ソロ・ナンバー。ダンサブルなサウンドをフィーチャーしてのディスコ・フィーリング。HOT100では同年5月17日付82位(★)初登場、その後61位(★)→50位(★)→44位(★)→34位(★)→27位(★)→14位(★)→12位(★)→8位(★)→7位(★)そして7月26日付で最高位6位。一方Billboard誌R&Bチャートで31位。そう言えばこのナンバーのアルバム・ヴァージョンにはパティ・オースティンがゲストだった。彼女が今度日本に来た時にその思い出を聞いてみよう・・・。
ステージは中盤に突入。9曲目は「Silent Is Golden」 。フランキーがMCしていたようにこのナンバーはBサイドだけど彼は大好きなのだ。「Rag Doll」のBサイド・ナンバーのとても華麗なポップ曲。67年にイギリスのザ・トレメローズで大ヒットした。

続いての「The Night」は72年の4Sアルバム『Chameleon』(ジャケットがとっても豪華でした)収録曲。何故か3年後にイギリスでシングル・カットされベスト10入りするヒットを記録したのだった。
そしてフランキーのフェイヴァリット「Fallen Angel」。スロー・バラードのとってもロマンティックなナンバーだ。76年のフランキーのソロ・シングル、HOT100では同年4月3日付81位(★)初登場、その後68位(★)→58位(★)→48位(★)→42位(★)そして5月8日付&15日付で最高位36位(8日付のみ★)。
フランキーのソロ・ナンバーが続く。ソロとして最も好セールを記録した「Grease」。ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン=ジョン出演の78年公開の映画『グリース』からの楽曲。勿論フランキーの歌うこの作品はオリジナル・サウンドトラックに収録。シングル・カットされHOT100では同年5月27日付69位(★)初登場、その後54位(★)→45位(★)→39位(★)→31位(★)→31位(★)→26位(★)→16位(★)→11位(★)→6位(★)→5位(★)→3位(★)→2位(★)→2位(★)そして8月26日付&9月2日付で最高位1位(8月26日付のみ★)。R&Bチャートでは40位。プラティナム・シングルを獲得している(RIAA)。
「Who Loves You」はザ・フォー・シーズンのモータウン・チューン。75年のシングル・ナンバー、HOT100では同年8月23日付88位(★)初登場、その後78位(★)→66位(★)→54位(★)→40位(★)→30位(★)→17位(★)→14位(★)→10位(★)→7位(★)→6位(★)→4位(★)そして11月15日付&22日付で最高位3位(15日付のみ★)。ダンサブルなディスコ・サウンド。
フランキー・ヴァリは1960年代のサウンド、楽曲が一番好きだと語る。そんなこともあって今度はそんな時代のナンバーが続く(爺は大拍手、実は僕も60年代オールディーズ・バット・グッディーズがイチバン)。07年リリースのアルバム『Romancing The ‘60』からのセレクションでまずは「Call Me」。クリス・モンテスの66年ヒット。日本では彼は後に「愛の聖書」でブレイクした。続いては元ドリフターズのベン・E.キングの60~61年にかけてのヒット。R&Bの名作でベンにとってはソロとしてのファースト・チャート・イン・ナンバー。そして「My Girl~Groovin’」。前者はテンプスことテンプテーションズ65年のナンバー・ワン・ヒット。ローリング・ストーンズもカバーしている。後者はヤング・ラスカルズ67年のナンバー・ワン・ヒット。そう言えば数年前にフェリックス・キャヴァリエに会った際、ザ・フォー・シーズンズは大好きだったと語っていた。ブルー・アイド・ソウルの名作である。因みに『Romancing The ‘60』では僕は「What Became Of The Broken Hearted」(ジミー・ラフィンの代表作)に一番泣けるのだ。
▲from Mike’s Collection

「My Eyes Adored You」はザ・フォー・シーズンズとして74年にレコーディングされた楽曲。しかしその直後フランキーのソロとしてシングル・リリースされ、74年末から75年初頭にかけて大ヒットした。HOT100では74年11月23日付94位(★)初登場、その後90位→79位(★)→68位(★)→65位→55位(★)→52位→48位→40位(★)→32位(★)→28位(★)→12位(★)→9位(★)→7位(★)→4位(★)→3位(★)→2位(★)そして75年3月22日付で最高位1位。ゴールド・シングルを獲得している(RIAA)。場内はペンライトや携帯の明かりで盛り上がる。
そのままの盛り上がりが今度は手拍子、イントロでフランキーは水分補給。これまたお馴染み「December 1963(Oh What A Night)」、ザ・フォー・シーズンズの75年末の作品で翌年前半に大ヒットした。HOT100では75年12月27日付85位(★)初登場、その後74位(★)→64位(★)→54位(★)→44位(★)→40位(★)→28位(★)→18位(★)→12位(★)→5位(★)→3位(★)そして76年3月13日付20日付27日付で最高位1位(3週とも★)。ゴールド・シングルを獲得。この日のステージでもレコード同様フランキーはサブでヴォーカル担当。会場で久しぶりに会った若い4Sマニアはこの辺もしっかりチェックしていた…。
メンバー紹介後の19曲目は“君の瞳に恋してる”こと「Can’t Take My Eyes Of You」。フランキーの67年のソロ・ヒット。HOT100では67年5月20日付74位(★)初登場、その後53位(★)→33位(★)→17位(★)→11位(★)→8位(★)→7位→3位(★)→3位、そして7月22日付で最高2位。ゴールド・シングルを獲得。82年にジャパニーズ・ディスコ・シーンにおいてボーイズ・タウン・ギャングで大ヒットした。場内は大合唱!!!機会があったらナンシー・ウィルソン・ヴァージョンも聴いてみてネ。
ラスト・チューンはザ・フォー・シーズンズのデビュー時のヒットがメドレーでの登場なのだ。これを僕は聴きに来たのだ。
▲25センチJPLP『シェリー~ザ・フォー・シーズンズ・ハイライト~』 右下の○は中古盤ということ、何たって中学生時に購入したもので…。ライナーは高崎一郎さん、後年青山のバーバーで一緒になった。 from Mike’s Collection

まずは「Sherry」、グループ62年のファースト・ヒット(彼らはその前に1枚シングルをリリースしたがヒットしなかった)。まさに白人ドゥ・ワップ。HOT100では同年8月25日付65位(★)初登場、その後22位(★)→11位(★)そして9月15日付から連続5週1位(15日付★。22日付、29日付、10月6日付、13日付)。R&Bチャートでも見事ナンバー・ワンに輝いている。わが国でも大ヒットし“POPS BEST 10 ”では63年2月23日付から10週連続1位で同年の年間チャートでも5位を記録した。
“恋はヤセがまん”「Big Girl Don’t Cry」は“シェリー”に続いての同年ナンバー・ワン・ヒット。HOT100では10月20日付66位(★)初登場、その後17位(★)→6位(★)→2位そして11月17日付から5週連続1位(24日付、12月1日付、8日付、15日付)。R&Bチャートで3週1位を記録。観客コーラス隊がこんなにもハモれるなんて爺は涙&涙だった。手拍子も凄い。
そしてこれまた涙なしではシャウト出来ない“恋のハリキリ・ボーイ”こと「Walk Like A Man」。63年に大ヒット、これもナンバー・ワン・ソングなのだ。HOT100では同年1月26日付40位(★)で初登場、その後15位(★)→6位(★)→3位(★)→3位そして3月2日付、9日付、16日付の3週1位。R&Bチャートでも3位。
そして「Bye, Bye, Baby(Baby Goodbye)」はザ・フォー・シーズンズ65年の話題曲。HOT100では同年1月16日付87位(★)初登場、その後→61位(★)→29位(★)→15位(★)そして2月13日付&20日付で最高位12位。アップ・テンポのエキサイティングな雰囲気の中で観客の手拍子がより大きくエクスプロージョン。
伝説のグループ、ザ・フォー・シーズンズのステージがリード・ヴォーカルのフランキー・ヴァリによって今宵見事にファンに届けられた。まさに多謝である。
でもまだあの曲が出てこない。ナンバー・ワン・ヒットの♪Ooh Ooh ~Ah Ah~♪。そう64年の “悲しきラグ・ドール”「Rag Doll」。アンコールで遂にこの曲が登場した。当時FENで毎日幾度となく流れていた。HOT100では同年6月20日付53位(★)で初登場、その後18位(★)→8位(★)→3位(★)そして7月18日付&25日付2週1位(余談、18日付1~20位はすべて歌えちゃったりします)。ゴールド・シングルを獲得した。わが国では69年にリバイバルした。
そしてワン・モア・ソング「Let's Hang On」。高校受験勉強そっちのけでFENばかり聴いていた頃、このナンバーはちょっぴりお洒落な楽曲だと感じた。65年のヒットでとてもリズミックなサウンドが印象的。HOT100では同年10月9日付72位(★)初登場、その後60位(★)→41位(★)→18位(★)→13位(★)→8位(★)→5位(★)→4位→4位そして12月11日付3位が最高位。
ありがとうフランキー!素晴らしい、素晴らしいLIVE!!2020年も来日してください!!!今度歌って欲しいのは「Peanuts」「Candy Girl」「Stay」「Ronnie」「Alone」…。
*Pic by. Ryota Mori(森リョータ)


PT3 TRIO DA BLUES 山岸潤史/近藤房之助/永井ホトケ隆 特別ゲスト:KOTEZ
▲右から近藤房之助 永井ホトケ隆 山岸JUNE潤史

9月21日、地元所沢の音楽喫茶MOJOで日本の誇る大ベテラン・ブルーマンの素晴らしいLIVEを味わった。3人とも古くからの友人でもあるんだけど、ステージが始まると彼らの音楽に対する真摯な姿勢に正直感動の連続であった。ブルースを愛し、自らの信ずる道を邁進する姿は素晴らしい。そんな彼らの熱気が“満員御礼”の場内を包み込む。そんなステージに僕のウィスキーもすすむ。

シッティング・スタイルの3人が並ぶ。上手から房之助、ホトケ、山岸。スローなエルモア・ジェイムズの「The Sky Is Crying」でスタート。房之助のヴォーカル。山岸、ホトケのギターも気持ち良くフィーチャーされる。Billboard誌R&Bチャートで60年に15位。

房之助のヴォーカルが続く、B.B.キング・ナンバー2曲。まずは「Rock Me Baby」。パワフル&セクシーな房之助ヴォーカルが早くも会場を盛り上げる。途中、山岸ギターが“Next Time You See Me”(リトル・ジュニア・パーカー)のフレーズを引用する。Billboard誌HOT100で64年に34位(その頃BBのR&Bチャートはお休み中)。
曲間で房之助が山岸の初めて会った時の想い出などが居酒屋トーキング・スタイルでワイワイガヤガヤ、“カンパーイ”!そして房之助が初めて覚えたブルース「Sweet Little Angel」、B.B. の名作。56年にR&Bチャートで6位を記録

今度は山岸がヴォーカル。まずは「Down Home Blues」、サザン・ソウル・ファンが大好きなZ.Z.ヒルのお馴染みのナンバー。82年の注目を集めた同名のアルバムのタイトル・チューンだ。山岸のヴォーカルがとても良い味を出している。
そして途中からジミー・リード・メドレーへと入っていく。3人ヴォーカルでまず「Baby What You Want Me To Do」。60年にR&Bチャート10位を記録したダンサブルな作品。Blues Da Trioの絶妙なコンビネーション、会場もコーラス♪Yeah Yeah Yeah♪&手拍子!「You Don’t Have To Go」で再び山岸のヴォーカル。55年にR&Bチャート5位を記録した。ローリング・ストーンズもジミーは大好きで彼らが大昔にライヴで取り上げていた「Bright Lights, Big City」(63年R&Bチャート3位)も登場。そして最後は3人ヴォーカルで再び「Baby What You~」。
ホトケが74年の第一回ブルース・フェスティヴァルの想い出を語りロバート・ジュニア・ロックウッドの「Take A Little Walk With Me」(41年)を見事に聴かせてくれた。ホトケのヴォーカルをもう2曲楽しむ。ホトケ&山岸はご存知ウエスト・ロード・ブルース・バンド、バンドはB.B.の来日公演で前座を務めたこともある。「Beautician Blues」、髪結いの亭主ブルース。リズミックなグルーヴ感溢れた作品。B.B.のギター・プレイを彷彿させるホトケの演奏ぶりにも僕は大きな拍手だ。HOT100で64年に82位を記録している。
そして3人の寂しい老人生活ぶりが披露されたところで(笑)(ホトケ1950年生まれ、房之助51年生まれ、山岸53年生まれ)、ファースト・セットのラスト。「First Time I Met The Blues」。75年リリースWRBBファースト・アルバム収録のナンバー、そこではバディ・ガイ・ヴァージョンが聴かれた。オリジナルはリトル・ブラザー・モンゴメリー。この日もバディを彷彿とさせながらドラマティックなブルースをホトケは実にパワフルにシャウトする。もう堪りません!!!

束の間の休憩の後セカンド・セットが始まる。ここで特別ゲストKOTEZ(ブルース・ハープ)がジョイン。まずは房之助ヴォーカルで「Looking Back(Take A Look Behind)」、聴いているうちに無性に僕はオーティス・ラッシュの作詞作曲。オーティスの日本公演ライヴ・ヴァージョンも聴きたくなった…。KOTEZ参加でステージがより盛り上がっていく様は流石だ。
「Stormy Monday」も房之助が歌う。T-ボーン・ウォーカーのナンバーとして知られる。ジャジーな味わいを噴出させながらのミッド・テンポ・シャッフル。そこにKOTEZのハーモニカが実にソフィストケイトされ味わい深く溶け込んでいく。僕が確かこの曲を初めて耳にしたのは60年代後半のBluesway盤だった。
こんどはKOTEZが1曲歌う。イントロのブルース・ハープが終わるや否やソウルフルなヴォーカルで始まった。じっくりと聴き惚れたよ、拍手だ!「Can’t Hold Out Much Longer」、リトル・ウォルターの57作品。前半のシャウトぶりに房之助も思わず“Yeah!”。“Come on GTR”(KOTEZ)後から山岸のギターがフィーチャーされそこへハープがジョインして大きく曲が展開していく。6月の“KOTEZ & YAMCY”のLIVEの時も感じたけど、KOTEZの歌うブルースやR&Bは素晴らしい、僕は大好きだ。

今度は山岸が歌う番だ。ニューオーリンズ在住ということから曲は「Country Boy Down In New Orleans」。90年代の来日公演も懐かしいニューオーリンズ出身のスヌークス・イーグリンの作品だ。91年のアルバム・タイトル・チューン。ミディアム・アップでダウン・トゥ・アース・サウンドにのって山岸が個性的な歌いっぷりを我々に楽しませる、これぞベテランならではの味わいだ。エンディングは♪Let The Good Times Roll♪で盛り上がったのだ。
後半はホトケのヴォーカル・ナンバーが続く。まずマジック・サムの「All Of Your Love」。シカゴ・ブルース名作アルバム『West Side Soul』(’67)収録。スローな展開の中にドラマが詰まっている。こう言ったドラマティックな作品にはホトケの声はとてもお似合いだ!
「Ain’t Nobody’s Business」はジミー・ウェザースプーンの49年のヒットでR&Bチャート1位に輝いている。このナンバーもスローでドラマティックな作品。哀愁溢れるKOTEZのハープが鳴り響き楽曲全体を大きく包み揚げ盛り上げる。一方で房之助のブルージーなギターが更に盛り上がりを…。外タレ/山岸、この中では若いKOTEZも素晴らしいとホトケが皆を褒め称える!
ラスト・チューンはロックンロールな「Kansas City」で纏めとなる。ウィルバート・ハリソン59年のヒット、僕らにはリトル・リチャードでお馴染みだ。観客も手拍子の中でエクスプロージョン。♪Hey Hey Hey He~y Baby♪、何度も何度も通ったシカゴのブルース・クラブを想い出しながら僕はダンス・ダンス・ダンス。

勿論ステージはアンコールとなる。曲は近藤房之助の「Travelling」。村上“ポンタ”秀一&CHARとのヴァージョンでも馴染み深い名曲。房之助のソウルフルなヴォーカルをたっぷりと味わった。しっとり聴かせる中にファイナルということでホトケ、山岸、そしてKOTEZの演奏もしっかりと前面に出てくる。歌詞に“TOKOROZAWA”(笑)!
ありがとう所沢LIVE“TRIO DA BLUES 山岸潤史/近藤房之助/永井ホトケ隆 特別ゲスト:KOTEZ”。

終演後4人のメンバーたちに加えてブルース・ライターの妹尾みえさん、BLUES GINZAの陶守正寛さん、シカゴ25年の小田憲司さんほかいろんな方々と午前2時ころまで会場のMOJOで飲んでしまった。そう言えば遅い時間になったけどご近所さんPANTAも顔を見せたよ。PANTA『走れ熱いなら』(‘77)に山岸選手が参加している。

Pic. by Kenji Oda
Special thanks to Kiyoto Tsuda snd Shotaro Kudo

【ライヴinfo (1) 】

◆ジャーメイン・ジャクソン
1960年代後半センセーショーナルにシーンに登場したジャクソン5。そのジャクソン兄弟3男のジャーメインがクラブLIVEを敢行する。凄い!アマチュア時代グループのリード・シンガーはジャーメインが務めマイケルは兄から大きな影響を受けたことはよく知られている。そう言ったこともありジャクソン5時代の70年初頭、ソロ・ナンバーを発表して注目された。中でも72~73年にかけて大ヒットした「Daddy Home」は当時日本のソウル・ミュージック・フリークからも高く評価され、まさに名曲だと僕は信じている。このバラードはBillboard誌R&Bチャートで3位、HOT100で9位を記録した。70年代中期以降はソロとして着実に活動、80年には「Let’s Get Serious」が大ヒット、R&Bチャートで6週ナンバー・ワンに輝いている。スティーヴィー・ワンダーとのコラボとしても話題を呼んだ。ダンサブル・ビートなこのナンバー、わが国のディスコ・シーンでもブレイクした。
ジャーメイン・ジャクソンがBlue Note TOKYOのステージに立つ、これは事件です!
*2019年11月7日 8日 Blue Note TOKYO
開場18:30  開演20:00
*2019年11月9日 10日 Blue Note TOKYO
開場16:30  開演18:00
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/jermaine-jackson/

【ライヴinfo (2) 】

◆エンゲルベルト・フンパーディング
ジャパン・ツアー2019 エンジェル・オン・マイ・ショルダー・ツアー
1960年代後半から70年代にかけて当時キングレコードが大プロモーションしていた英国男性シンガー二人がいた。トム・ジョーンズとエンゲルベルト・フンパーディングだ。パワフルにシャウトするトムが“動”で、エレガントなスタイルでソフィストケイトされた歌声を聴かせるエンゲルが“静”、こんな表現で二人を表していた。僕も当時そんな二人が大好きで、彼らのLPをよくターン・テーブルに乗せた。トムのステージも良かった。そしてエンゲルのコンサートも感動した。CDでのアルバム再発の際エンゲルのライナーを大分書かせてもらった記憶がある。そんなエンゲルベル・フンパーディングのライヴを40数年ぶりに味わうことが出来るなんて感激だ。彼も80歳を超えているはず。元気に歌い続けるパワーに敬意を表したい。「リリース・ミー」「ラスト・ワルツ」「太陽が燃えている」ほか多くのヒットを発表。イギリス本国は勿論アメリカでも大成功をおさめ、世界各国でエンゲルは人気者になったのだ。そして2019年秋、ジャパン・ツアーである。やはり女性ファンがコンサート会場を埋め尽くすのかな??“キング・オブ・ロマンス”!一夜限りのプレミアム・ステージ、お見逃しなく!!
*2019年11月14日
開演18:00 開演19:00
会場:東京国際フォーラム ホールC
http://www.ehumperdinck-japantour.com/

【イベント報告】
MBSプレゼンツ【MIKE’S GARAGE VOL.12】
ザ・タイガース ザ・テンプターズのバックでダンスした!1960年代後半GSシーンを赤裸々に語る“夢見る魔女 マジョリー”。

ダンス・ユニット“ティーンズ”の一員として数多くのグループ・サウンドと共演した“夢見る魔女 マジョリー”ことMAMIが1960年代の音楽シーンをリアルに語ってくれたエキサイティングなイベント。
▲懐かしのティーンズ!後列一番左がMAMIさん

MAMIはザ・タイガースの追っかけから始まり高校時代からそのままプロの世界へと足を踏み入れた。今とは全く違った業界の様子がしっかりと語られた。後半からは『沢田研二 大研究』著者・國府田公子も乱入!お二人の形こそ違え素晴らしき“音楽愛”を感じさせる内容に会場の皆さんも大満足。
▲右から國府田さん MAMIさん 筆者 Pic. by K. Sato

そんなGSシーンを読んで楽しめるのが「タブレット純のGS聖地純礼」だ。MAMIも登場する本書には僕の知人の野田義治さんや西哲也さんもしっかりあの時代を語っている。御一読あれ、とてもリアルなのであります、大興奮!
▲提供:株式会社山中企画

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