ジミー・ペイジ、1971年の日本公演を
振り返る

インスタグラムに過去の写真を投稿し、「○○年のこの日…」と振り返っているジミー・ペイジが、9月27、29日の投稿で1971年の日本公演を取り上げた。
9月27日には、メダルを手にした姿、原爆ドームなどの画像をあげ、「1971年のこの日、レッド・ツェッペリンと広島で慈善公演を開いた」と綴った。「レッド・ツェッペリン初の日本ツアー中、広島で、被災者たちを支援しプレイした。市長からバンドとマネージャーのピーター・グラントへ、メダルと感謝状が贈られた。これにより、僕は戦争の懸念というものについて、長時間に渡り真剣に考えさせられた。恐怖の塊だ。音楽は、クシシュトフ・ペンデレツキが1960年に作曲した“広島の犠牲者に捧げる哀歌”」
2日後(29日)の投稿では、1971年の日本ツアーの最終公演(大阪)を振り返った。「“That's the Way'”、“Going to California”、“Tangerine”のアコースティック・セットの最中、ジョン・ボーナムがステージからいなくなり、エレクトリックの“What Is and What Should Never Be”の番になっても戻ってこなかった。だから僕ら、素早く調律し直し、“Friends”でアコースティックのセットを続けた。この曲をライブでプレイしたのはこれが最初で最後だった。それが終わっても、彼は戻らなかった。ロバートが“Smoke Gets in Your Eyes”を演奏しようとしても、まだ彼は戻らなかった。ロバート・Pとオーディエンスからの“ミスター・ボーナムはどこだ?”との掛け声に押され、彼はようやく姿を見せ、僕らはこの夜のセットを終えた」
レッド・ツェッペリンは1971年に初の日本ツアーを行ない、東京、大阪、広島で計5公演を開催。続いて翌年にも二度目となる日本ツアーが開かれたが、それが最後となってしまった。

Ako Suzuki

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