【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#117
歌手・美輪明宏の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

たとえば男に捨てられて相手を恨んでい
るOLがいたとしても、それはそれでロマ
ンになりますから。自分は悲劇の主人公
で、いい女になったつもりでいればいい
んです

より

恒例コンサート<美輪明宏の世界>(2019年9月12日以降公演中止)についてのインタビューで、美輪は、シャンソンの真髄に触れている。「さまざまな恋愛の歌、いろんな悪い男や悪い女に騙されたり騙したり、駆け引きがあったり、同棲生活に別れを告げたり。ほとんどのシャンソンはそういうストーリーなんですよ」と語る。つまり、人生に起こるいろいろなことを楽しんでしまうのが大切で、シャンソンがそれに気づかせてくれるということのようだ。シャンソンは、女の怨念に似た哀しみを美しく昇華する。今回の名言は、シャンソンの本質と感じつつ、人生訓とも受け止めることができる。「尽くして尽くして尽くして、裏切られて。そういう展開がシャンソンには多いんです。自分のほかにもお仲間がいるんだと、思えるかもしれません」と、美輪の言葉とシャンソンが傷ついた心を癒してくれそう。

美輪明宏 (みわあきひろ
1935年5月15日生まれ、長崎県長崎市出身。シャンソン歌手、シンガーソングライター、タレント、俳優、演出家。1951年、エンリコ・カルーソーやベニャミーノ・ジーリに憧れ、オペラ歌手になることを夢見て、国立音楽高等学校(現在の国立音楽大学付属高等学校)進学するため上京。しかし、家業が倒産したため高校を中退、極貧生活を余儀なくされ、ジャズ歌手として進駐軍のキャンプを廻る。1952年、銀座7丁目にあった伝説のシャンソン喫茶『銀巴里』(1951年~1990年)との歌手として専属契約を交わす。当時、国籍・年齢・性別不詳というミステリアスな触れ込みで、次第に、表現者としての実力が認めれ、三島由紀夫をはじめ、寺山修司、吉行淳之介、野坂昭如、大江健三郎、遠藤周作、中原淳一など、多くの文化人と交遊を深める。1957年、シャンソン「メケ・メケ」を自らが訳詞した日本語のカバー曲で話題となる。「シスターボーイ」という言葉とともにマスコミからも注目されるが、同性愛者であることをカミングアウトしたことで迫害を受けるとともに人気が凋落してしまう。1966年、一新したイメージで世間を驚かせた「ヨイトマケの唄」がヒット。以後、俳優として、タレントとして、声優として、舞台歌手として、様々なジャンルで活躍を続ける。

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