爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.105 「8分刻み
でエイエイエイ♪」

いい音爆音アワー vol.105 8分刻みでエイエイエイ♪
2019年 8月21日(水)@風知空知
8月だから8ビートかな、とどうもダジャレから考えてしまうのが、オヤヂ族の哀しいサガですが、8ビートと言ってもいささか広うござんすってことで、「8分刻み」に限定してみました。”ガガガガガガガガ”と、コードを8分音符でひたすら連打するあれですな。
アレンジとしては単純なので、昔からあるし、ベーシックだから寿命も長く、今もよく使われます。ヒット曲も多い。ロックビートの王様と言えるでしょう。昔はエレキギターかピアノでやるのが普通でしたが、同じことを何度も、しかも正確にやらなきゃならないんで、まさにコンピュータ向き、ということで80年代以降は”打ち込み”も多くなりました。それ系もここにはピックアップしてありますが、個人的にはやはりエレキギターの8分刻みがいちばんですね。同じことをひたすらカッティングしているだけなのに、ミュートを巧く使ってグルーヴを出していく。もちろんギタリストによって個性があるし、その微妙なニュアンスを完全にプログラミングでシミュレートするなんて不可能でしょう。フレーズごとサンプリングしてプログラムするという(ずるい)方法はありますがね。
ともかく、8分刻みばかりじゃさすがに飽きるかもなと思いきや、そんなこと全然ない。怖れ知らずのエイエイエイ♪です。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Deep Purple「Highway Star」
これは8分刻みの教科書です♪
∨第2弾シングル(1972年3月発売)
6th アルバム『Machine Head』(1972年3月25日発売)収録
作詞・作曲:Ritchie Blackmore, Ian Gillan, Roger Glover, Jon Lord, Ian Paice/プロデュース:Deep Purple
レーベル:EMI (UK) / Warner Bros. (US)
アルバムは全英1位、全米7位、オリコン6位

・8分刻み=エレキギター:Ritchie Blackmore
ディープ・パープル:
1967年、英国にて、“The Searchers”のクリス・カーティスが”Roundabout”というバンドを結成する。紆余曲折を経て、カーティス自身は去り、ジョン・ロードJon Lord (org)、ニック・シンパー(b)、リッチー・ブラックモアRitchie Blackmore (g)、ボビー・ウッドマン(dr)の4人となる。
1968年3月、ロッド・スチュワートも含め何人もオーディションをした上、”The Maze”にいたロッド・エヴァンスをヴォーカルとして採用する。また”The Maze”のドラマー、イアン・ペイスIan Paiceがウッドマンに換わってドラマーとなる。
 同年4月、”Deep Purple”と改める。
1968年6月、米国の小レーベル「Tetragrammaton」より、デビュー・アルバム『Shades of Deep Purple(ハッシュ/発売当時は「紫の世界」)』リリース。
 同年9月、EMIより同アルバム発売。
 同年10月、2nd アルバム『The Book of Taliesyn(詩人タリエシンの世界/発売当時「ディープ・パープルの華麗なる世界」)』リリース。
1969年3月、シンパーとエヴァンスが脱退。
 同年6月、3rd アルバム『Deep Purple(ディープ・パープルIII/発売当時「素晴らしきアート・ロックの世界」)』リリース。
 直後にTetragrammatonが倒産。
 同年夏、”Episode Six”のイアン・ギランIan Gillan (vo)とロジャー・グローヴァーRoger Glover (b)が加入。
 同年暮、Warner Bros. Recordsと契約。
 ハードロック路線にシフトしたいブラックモアとこれまでのプログレ路線を維持したいロードが対立するが、同年12月、”ロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラ”と共演したライブ・アルバム『Concerto for Group and Orchestra』をリリース。
 ブラックモアがロードに、「おまえはおまえのやりたいことをやった。今度は俺がロックをやる。どっちに転んでもいっしょに続けよう。もしこれが売れなければ俺は残りの一生、オーケストラとプレイするから」と話し、ハードロック志向のアルバム作りに入る。
1970年6月、4th アルバム『Deep Purple in Rock』リリース。全英4位。シングルのみでリリースした「Black Night」も全英2位となる。
1971年7月、5th アルバム『Fireball』リリース。全英1位。全米32位。
 次のアルバムは、1971年12月、スイスのモントルーにあるレマン湖のほとりにあるホテルでゆっくりと鋭気を養いながら、対岸にある六角形をしたカジノで録音する予定だった。ところが12月4日、このカジノで”フランク・ザッパ&マザーズ”がコンサートを行った際、興奮した観客のひとりが木製の天井に向かって銃(一説では発光弾と言われている)を撃ち、火災が発生してカジノは全焼してしまった。
 この時、ホテルの窓から湖の上に煙が立ち込める様子を見ていたギランが、隣にいたグローヴァーに向かって不意に「Smoke on the water」と言ったとか言わなかったとか。
 結局、ホテルの廊下で録音して、アルバムを完成させたいう。
1972年3月、6th アルバム『Machine Head』をリリース。全英1位、全米7位、ヨーロッパの各地で1位を獲得するヒットとなる。
1972年8月、日本公演。ライブアルバム『Live in Japan』が12月に日本限定で発売されたが、そのできのよさが評判を呼び、世界各地でも『Made in Japan』というタイトルでリリースされた。
1973年1月、7th アルバム『Who Do We Think We Are(紫の肖像)』リリース。全英4位、全米15位。
 しかし、人間関係の悪化とツアーの連続による肉体的疲労が限界に達し、1973年夏、2度目の日本公演の直後にギランとグローヴァーが脱退した。
・・・
Blue Öyster Cult「Burnin' For You」
面白い名前だなと思っていたらマネージャーが詩人。
∨シングル(1981年7月発売)
8th アルバム『Fire of Unknown Origin(呪われた炎)』(1981年6月19日発売)収録
作詞・作曲:Donald Roeser, Richard Meltzer/プロデュース:Martin Birch
レーベル:Columbia
全米40位、Hot Mainstream Rock Tracks 1位 アルバムは全米24位、全英29位

・8分刻み=エレキギター:たぶんAllen Lanier
・vocal: Donald ""Buck Dharma"" Roeser
・もともとRoeserのソロ・アルバム『Flat Out』(1982)のために作った曲だった。
・プロデューサーのMartin Birchは『Machine Head』のエンジニアも務めた人。
ブルー・オイスター・カルト:
1967年、米国ニューヨーク市ロングアイランドで結成される。
最盛期のラインナップは、
Donald ""Buck Dharma"" Roeser (lead guitar, vocals)
Eric Bloom (lead vocals, guitar, keyboards, synthesizers)
Allen Lanier (keyboards, rhythm guitar, backing vocals)
Joe Bouchard (bass, vocals)
Albert Bouchard (drums, percussion, vocals)

1967年、詩人のSandy Pearlmanが”Black Sabath”の米国版を作ろうと、自らマネージャーとなり、ニューヨーク・ロングアイランドで、”Soft White Underbelly”というバンドの結成を呼びかける。
1968年、Elektra Recordsと契約するが冷遇される。
1971年、バンド名を”Blue Öyster Cult”と変え、Columbiaに移籍する。
1972年1月16日、1st アルバム『Blue Öyster Cult』リリース。
1975年2月、ライブ・アルバム『On Your Feet or on Your Knees』リリース。高く評価され、2枚組ながら全米22位と健闘した。
1976年5月、4th アルバム『Agents of Fortune』リリース。シングル「(Don't Fear) The Reaper」が全米12位とヒット。
1980年6月、7th アルバム『Cultösaurus Erectus』リリース。
1981年6月、8th アルバム『Fire of Unknown Origin』リリース。シングル「Burnin' For You」が全米40位のヒット。
1983年11月、9th アルバム『The Revölution by Night』リリース。ラジオ向けのAOR方向に舵を切り、バックダーマ・ロウザーとパティ・スミスが共作したシングル「Shooting Shark」がスマッシュヒットしたが、セールス的には伸びなかった。
 その後メンバーが次々と離れ、1985年12月、10th アルバム『Club Ninja』をリリースするも、評価は低く、バンドはエリック・ブルームとローザーの2人だけとなり、休止状態となる。
・・・
加山雄三「白い砂の少女」
私の中ではこれは歌謡曲ではなくてロック♪
∨EP(1967年4月発売)収録
作詞:岩谷時子/作曲・編曲:弾厚作
レーベル:東芝レコード

・8分刻み=エレキギター:”ザ・ランチャーズ”の喜多嶋修 or 大矢茂
かやま ゆうぞう:
1937年4月11日、横浜市生まれ、茅ヶ崎市育ち
父は俳優の上原謙、母は女優の小桜葉子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視。
慶應義塾大学卒業後、1960年春、東宝へ入社。
 同年、「男対男」で映画デビュー。
1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。
1962年、”ザ・ランチャーズ”結成。
1964年、第2期ザ・ランチャーズ結成。従弟の喜多嶋瑛、喜多嶋修の兄弟と、大矢茂との4人。
1965年12月、映画『エレキの若大将』主題歌「君といつまでも」をシングルとして発売、大ヒット。
 同年、神奈川県茅ヶ崎市に「パシフィックホテル茅ヶ崎」を開業。しかし、1970年3月、運営会社のパシフィック・ジャパンが23億円の負債を抱え倒産、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。
1967年、第3期ザ・ランチャーズ。加山の代わりに渡辺有三(b)。
1971年、映画「若大将シリーズ」終了。
 映画出演も減少する中、ナイトクラブ、キャバレー回りをし、借金を10年で完済した。
1986年〜1988年、「NHK紅白歌合戦」の白組司会を3年連続で務める。86年の「第37回」では、白組トップである少年隊の「仮面舞踏会」を、誤って「仮面ライダー」と紹介してしまった。
1991年12月、新潟県南魚沼郡湯沢町に「加山キャプテンコーストスキー場」を開業。東日本大震災の影響や若者のスキー離れなどにより経営が悪化し、2011年7月に閉鎖。
2010年5月、芸能生活50周年を祝い、茅ヶ崎市民栄誉賞が贈られる。
2014年、”THE King ALL STARS”を結成。メンバーは加山、キヨサク(上江洌清作)(MONGOL800)、佐藤タイジシアターブルック)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジthe HIATUS)、武藤昭平勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&""PIMP""SESSIONS)、スチャダラパー。
イエロー・マジック・オーケストラ「中国女 (La Femme Chinoise)」
このチープな8分刻みのシンセは、ダサいけどカッコいいというイメージを表現したそうな。
∨1st アルバム『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』(1978年11月25日発売)収録
作詞:Chris Mosdell/作曲:高橋幸宏/編曲:YMO/プロデュース:ハリー細野
レーベル:アルファレコード
アルバムはオリコン69位

・8分刻み=シンセ:ブライアン・フェリーのように、三本指でしかキーボードを弾けない、ダサいけどかっこいいというイメージを表現
・英国ではシングルカットされた。
・guitar: 高中正義:「パンクみたいなディストーション・ギター」と坂本が注文した。
・曲タイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画「中国女(La Chinoise)」から。歌詞の内容は、リチャード・クワイン監督、ナンシー・クワン主演のハリウッド映画「スージー・ウォンの世界(The World of Suzie Wong)」(1960年)そのもの。
矢野顕子David
アッコちゃんにはちょっと珍しい王道ポップ。
∨シングル(1990年10月21日発売)
アルバム『峠のわが家』(1986年2月21日発売)収録
作詞・作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一/プロデュース:矢野顕子&坂本龍一
レーベル:MIDI

・8分刻み=シンセ:坂本龍一 or 矢野顕子 or programming
・drums:高橋幸宏/guitar:大村憲司/background vocals:鈴木さえ子鈴木慶一武川雅寛・矢野顕子
・フジテレビ系列「やっぱり猫が好き」(1988〜1991年)のテーマ曲。
・ミディ「移籍」第1弾アルバム
・シングル・ジャケット・イラスト:桜沢エリカ
EPO「エスケイプ」
8分刻みのピアノを弾くのは高校の先輩。
∨『JOEPO〜1981KHz』(1981年9月21日発売)収録
作詞・作曲:EPO/編曲:大村憲司/プロデュース:宮田茂樹
レーベル:BMGジャパン

・8分刻み=ピアノ:清水信之
・drums: Robert Brill/bass: 伊藤広規/guitar: 大村憲司/background vocals: EPO、山下達郎大貫妙子
エポ(出生名:佐藤 永子):
1960年5月12日、東京都生まれ。
1978年、東京都立松原高等学校卒業。先輩に清水信之、後輩に佐橋佳幸渡辺美里がいた。
1979年、東京女子体育大学在学中からセッションボーカルとして活躍。竹内まりやのシングル「SEPTEMBER」のコーラス&コーラスアレンジを担当。
1980年3月21日、シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」のカヴァー(作詞:伊藤銀次/作曲:山下達郎/編曲:林哲司・清水信之)でデビュー。フジテレビ系バラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに取り上げられる。
1983年2月、資生堂化粧品春のキャンペーンソングとして発表した「う、ふ、ふ、ふ、」が大ヒット。
・・・
竹内まりや「純愛ラプソディ」
山下達郎自身が「アレンジがうまくいった」と言ってる。
∨24th シングル(1994年5月10日発売)
ベストアルバム『Impressions』(1994年7月25日発売)収録
作詞・作曲:竹内まりや/編曲・プロデュース:山下達郎
レーベル:ワーナーミュージック・ジャパン
オリコン5位 アルバムはオリコン1位、94年度年間2位

・8分刻み=シンセ
・自身最大のヒットシングル。アルバムは300万枚超えの大ヒット。
たけうち まりや:
1955年3月20日、島根県簸川(ひかわ)郡大社町(現出雲市)生まれ。生家は出雲大社正門前の老舗旅館「竹野屋旅館」。
慶應義塾大学文学部の英文学科へ進学。1974年、杉真理のバンド”ピープル”でキーボードとコーラスを担当し、第8回ポプコンに出場。
1978年11月25日、RCA/RVCより、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。大学中退。
1979年8月21日、3rd シングル「SEPTEMBER」リリース。
1980年2月、資生堂化粧品CMイメージソングとなった、4th シングル「不思議なピーチパイ」リリース。オリコン3位(初のトップ10入)。
1981年、一時休業を宣言。
1982年4月、山下達郎と結婚。
 同年9月、詞曲を提供した河合奈保子「けんかをやめて」リリース。
1984年4月、全曲自身の作詞・作曲による6th アルバム『VARIETY』リリース。初のオリコン1位、30万枚以上のヒットとなった。
以降、7th『REQUEST』(1987)、8th『Quiet Life』(1992)、ベスト『Impressions』(1994)、9th『Bon Appetit!』(2001)、カヴァー・アルバム『Longtime Favorites』(2003)、10th『Denim』(2007)、ベスト『Expressions』(2008)と、アルバムすべてがオリコン1位。
2014年7月、デビュー35周年を記念したシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。桑田佳祐原由子をコーラスに迎え、山下達郎の『僕の中の少年』(1988)収録の「蒼氓」以来のコラボとなった。
 同年9月、11th アルバム『TRAD』リリース。オリコン2週連続1位。
 同年11月から12月にかけて、1981年以来33年ぶりに、6都市9公演の全国ツアー。
2015年5月、第6回岩谷時子賞を受賞。
Adele「Rolling in the Deep」
アルバムたった3作で、6000万枚以上売った人!
∨先行シングル(2010年11月29日発売)
2nd アルバム『21』(2011年1月19日発売)収録
作詞・作曲:Adele Adkins, Paul Epworth/プロデュース:Paul Epworth
レーベル:XL Recordings (UK) / Columbia (US)
全英2位、全米7週1位、オリコン6位 アルバムは全英通算23週1位、全米通算24週1位、オリコン4位

・8分刻み=アコースティックギター:Paul Epworth/ピアノ:Neil Cowley
・世界11カ国で1位。自身初の全米1位シングル。
・2012年、第54回グラミー賞で、 「Record of the Year」「Song of the Year」「Best Short Form Music Video」を獲得。アルバムは「Album of the Year」で、主要3部門を独占。
アデル:
1988年5月5日、ロンドン生まれ。
母親がアデルを産んだ時は10代であり、父親はアデルが2歳の時に家族のもとを去った。
16歳、作曲とギターを始める。
2008年1月、1st アルバム『19』をリリース。全英チャート初登場1位。全米チャートでは初登場149位だったが、2008年10月放送の「サタデー・ナイト・ライヴ」に出演し注目を集めた。
2009年、第51回グラミー賞に「Best New Artist」と「Best Female Pop Vocal Performance」を受賞。
2011年1月、2nd アルバム『21』リリース。英米含む19カ国で初登場1位。2011、12年と2年連続全世界売上1位を達成。
2012年、第54回グラミー賞で、アルバム『21』が「Album of the Year」「Best Pop Vocal Album」の2部門、シングル「Rolling in the Deep」が「Record of the Year」「Song of the Year」「Best Short Form Music Video」の3部門、シングル「Someone Like You」が「Best Pop Solo Performance」の1部門をそれぞれ獲得。
 同年10月、映画「007 スカイフォール」のために書き下ろした曲、「skyfall」をリリース、翌2013年の第85回アカデミー賞で、歌曲賞を受賞した。
2015年11月20日、3rd アルバム『25』リリース。2015、16年と2年連続全世界売上1位を達成。
Katy Perry「Teenage Dream
後ろにずれるシンコペーションが新しい8分刻み♪
∨第2弾シングル(2010年7月23日発売)
3rd アルバム『Teenage Dream』(2010年8月24日発売)収録
作詞・作曲:Katy Perry, Lukasz Gottwald, Max Martin, Benny Blanco, Bonnie McKee
プロデュース:Dr. Luke, Benny Blanco, Max Martin
レーベル:Capitol
全米1位、全英2位 アルバムは全米1位、全英1位、オリコン6位

・8分刻み=シンセ& programming: Dr. Luke, Benny Blanco, Max Martin
ケイティ・ペリー(本名:Katheryn Elizabeth Hudson):
1984年10月25日、米国カリフォルニア州サンタバーバラ生まれ。
牧師の両親のもとに生まれゴスペル音楽のみを聴いて育つが、15歳時、クイーンの「キラー・クイーン」を聴いて衝撃を受け、音楽の道へ進むことを決意した。
2001年3月、”Katy Hudson”名義でゴスペル・アルバム『Katy Hudson』をリリース。
2007年4月、Capitol Recordsと契約。
2007年11月、デジタルEP「Ur So Gay」リリース。
2008年4月、1st シングル「I Kissed a Girl」リリース。全米1位に!
2008年6月、2nd アルバム『One of the Boys』リリース。全米9位、世界売上700万枚
2010年8月、3rd アルバム『Teenage Dream』リリース。全米初登場1位。このアルバムからは「California Gurls」「Teenage Dream」「Firework」「E.T.」「Last Friday Night (T.G.I.F.)」の5曲がシングルとして全米1位となり、1アルバムからの全米1位曲数が、女性アーティストとしては史上最多、男性含めてもMichael Jacksonの『Bad』と並んだ。
2013年10月、4th アルバム『Prism』リリース。全米初登場1位。
2017年6月9日、5th アルバム『Witness』リリース。全米初登場1位、全英6位。
Kelly Clarkson「My Life Will Suck without You」
「Teenage Dream」と同じプロデューサーなんだけど、ケリーさん、Dr. Lukeが大嫌いなんだって。
∨先行シングル(2009年1月13日発売)
4th アルバム『All I Ever Wanted』(2009年3月6日発売)収録
作詞・作曲:Max Martin, Lukasz Gottwald, Claude Kelly/プロデュース:Max Martin, Dr. Luke
レーベル:RCA
全米1位、全英1位、オリコン7位 アルバムは全米1位、全英3位

・8分刻み=エレキギター:Dr. Luke, Max Martin/ベース:Dr. Luke
・1週目が97位で2週目に1位。このジャンプアップ度は歴代1位。
・クラークソンも曲作りに参加しているが、Dr. Lukeが嫌いだからクレジットに名前を入れなかった!?
ケリー・クラークソン:
1982年4月24日、米国テキサス州フォートワース生まれ
2002年9月4日、人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」で、約10週間にわたる激戦を勝ち抜き、優勝。
2002年9月17日、デビュー・シングル「A Moment Like This」リリース。
2003年4月、1st アルバム『Thankful』リリース。全米初登場1位。
2004年11月、2nd アルバム『Breakaway』をリリース。全米3位、全英3位。全世界で1200万枚の売上げ。
2006年2月、第48回グラミー賞で「Best Pop Vocal Album」と「Best Female Pop Vocal Performance」を獲得。
2007年6月、3rd アルバム『My December』リリース。全米2位、全英2位。
2009年3月、4th アルバム『All I Ever Wanted』リリース。全米1位、全英3位。
2011年10月、5th アルバム『Stronger』をリリース。全米2位、全英5位。
2013年10月、6th アルバム『Wrapped in Red』リリース。全米3位、全英65位。
2015年2月、7th アルバム『Piece by Piece』リリース。全米1位、全英6位。
2017年10月、8th アルバム『Meaning of Life』リリース。全米2位、全英11位。
The Black Eyed Peas「I Gotta Feelings」
ファーギーは意外と声はかわいい♪
∨第2弾シングル(2009年6月23日発売)
5th アルバム『The E.N.D.』(2009年6月3日発売)収録
作詞・作曲:William Adams, Stacy Ferguson, Jamie Gomez, Pierre Guetta, Allan Lindo, Frédéric Riesterer/プロデュース:David Guetta, Frédéric Riesterer
レーベル:Interscope
全米1位、全英1位、オリコン2位 アルバムは全米1位、全英3位、オリコン2位

・8分刻み=エレキギター:programming?/ベース:programming
・サブタイトル『The Energy Never Dies』
・第52回グラミー賞で「Record of the Year」にノミネート、「Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocals」を受賞
・アルバムはグラミー賞で「Album of the Year」にノミネート、「Best Pop Vocal Album」を受賞。
・アルバムからの第1弾シングル「Boom Boom Pow」が12週連続全米1位、直後に本曲が14週連続の1位で、合計同アーティストで26週連続全米1位という新記録を作った。
ブラック・アイド・ピーズ:
will.i.am(ウィル・アイ・アム 本名:William James Adams Jr.)
エスニシティ:アフリカン・アメリカン 1975年3月15日生まれ
apl.de.ap(アップル・デ・アップ 本名:Allan Pineda Lindo)
エスニシティ:フィリピーノ/アフリカン・アメリカン 1974年11月28日生まれ
Taboo(本名:Jaimeハイメ Luis Gómez)
エスニシティ:ヒスパニック/ネイティブ・アメリカン 1975年7月14日生まれ
Fergie(本名:Fergie Duhamel)
エスニシティ:アングロ・サクソン 1975年3月27日生まれ

1988年、ロサンゼルスの同じ学校の8年生(日本では中2)として、will.i.amとapl.de.apが出会い、いっしょにラップやパフォーマンスを始める。
1992年、”Eazy-E”のレーベル「Ruthless Records」と契約する。
 2人を中心に”Atban Klann (ATBAN: A Tribe Beyond a Nation)”を結成し、アルバム『Grass Roots』を制作するが、Eazy-Eの死去(1995)により、リリースは見送られた。
1995年、ラッパーのJaime Gomez (Taboo)、シンガーのKim Hillを加え、”Black Eyed Peas”と改称、「Interscope Records」に移籍する。
1998年6月30日、1st アルバム『Behind the Front』リリース。
2000年9月26日、2nd アルバム『Bridging the Gap』リリース。制作中にHillは脱退する。
2002年、Fergieが加入する。
2003年6月24日、3rd アルバム『Elephunk』リリース。サウンドはより洗練されたものとなり、大衆にアピールする。シングル「Where Is the Love?」は全米8位、さらに英国では7週連続1位かつ年間の最多売上シングルとなる大ヒット。
2005年6月7日、4th アルバム『Monkey Business』リリース。
2007年8月、サマーソニックに出演。
2009年6月3日、5th アルバム『The E.N.D.』リリース。
2010年11月30日、6th アルバム『The Beginning」リリース。
2011年7月6日、無期限の活動停止を宣言。
PUFFY「アジアの純真」
ストリングスの8分刻み。ELOじゃなくてこちらを選んでみました。
∨1st シングル(1996年5月13日発売)
1st アルバム『amiyumi』(1996年7月22日発売)収録
レーベル:エピックレコードジャパン
作詞:井上陽水/作曲:奥田民生/プロデュース:奥田民生
オリコン3位、オリコン・カラオケチャート12週連続1位 アルバムも3位

・8分刻み=ストリングス
・奥田民生の初プロデュース・ワーク
・はっきりELOサウンド。Aメロが「Don’t Bring Me Down」、サビは「Shine A Little Love」。
パフィー:
1994年、東京出身の大貫亜美、大阪出身の吉村由美が、それぞれソニー・ミュージックのオーディションに合格し、「ソニー・ミュージックアーティスト(SMA)」に所属。
1995年、ソロ・デビューの準備を進めていた亜美が、「不安なので」と由美とデュオを組むことを事務所に提案し、受け入れられた。同事務所所属の奥田民生が二人をプロデュースすることになる。奥田にとって初めてのプロデュース仕事だった。
その頃、奥田の知り合いだった”Jellyfish”のドラマー、アンディ・スターマーAndy Sturmerが来日公演中だったので、グループ名を相談したところ、”The PUFFY”を提案してくれた。
1996年5月13日、シングル「アジアの純真」でデビュー。
※デビューから4作連続でミリオンヒット。
2002年、北米でもCDデビューしツアーを行う。
2004年、二人をモデルにしたアニメ番組「Hi Hi Puffy AmiYumi」が全米でスタートし、アニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。アニメは現在まで世界110カ国以上で放映されている。""kawaii""という単語が世界に浸透したのには、PUFFYやこのアニメの登場が少なからず影響している。
The Cars「Just What I Needed(燃える欲望)」
8分刻みギター数ある中で、これがいちばんカッコいい(私的見解)♪
∨1st シングル(1978年5月29日発売)
1st アルバム『The Cars(錯乱のドライブ)』(1978年5月発売)収録
作詞・作曲:Ric Ocasek/プロデュース:
レーベル:Elektra
全米27位、全英17位 アルバムは全米18位

・8分刻み=エレキギター:Ric Ocasek
・lead vocal: Benjamin Orr
ザ・カーズ
米国マサチューセッツ州ボストン出身
Ric Ocasek(1943 or 44年、メリーランド州バルティモア生まれ、オハイオ州クリーヴランド出身): vocal / rhythm guitar
Benjamin Orr(1947年9月8日、オハイオ州レイクウッド生まれ/2000年10月3日、膵臓癌により死亡): vocal / bass
Elliot Easton(1953年12月18日生): guitar
Greg Hawkes(1952年10月22日生): keyboard
David Robinson(1953年4月2日生): drums

1960年代に、リック・オケイセックとベンジャミン・オールはオハイオ州クリーヴランドで出会う。2人はいろんなバンドで活動しながら、70年代初めにマサチューセッツ州ボストンに落ち着く。
“Milkwood”というバンドを結成し、1973年、Paramount Recordsよりアルバム『How's the Weather』をリリースするが、不発。
次に2人は、そのアルバムでサックスを演奏したグレッグ・ホークスと共に、”Richard and the Rabbits”というバンドを作る。しかしホークスは間もなく、Martin Mullのツアーに帯同するために離れ、2人はアコースティック・デュオ”Ocasek and Orr”として活動。
やがてギターのエリオット・イーストン、”Jonathan Ritchman & the Modern Lovers”のドラマー、デイヴィッド・ロビンソンが加入、ホークスも戻り、”The Cars”として再スタート。
1978年5月、1st アルバム『The Cars(錯乱のドライブ)』リリース。デビュー・シングル「Just What I Needed」はじめ、シングルカットされた3曲はいずれもチャートインを果たした。
1979年6月、2nd アルバム『Candy-O』リリース。全米3位に。
1984年3月、5th アルバム『Heartbeat City』リリース。シングルの「You Might Think」は第1回「MTV Video Music Awards」で、マイケル・ジャクソン「スリラー」やシンディ・ローパー「Girls Just Wanna Have Fun」やマドンナ「Like A Virgin」を押しのけ、「Video of the Year」を獲得。「Drive」はCBC(カナダ放送協会)が制作したエチオピア飢饉の映像に使われ、85年の「Live Aid」でデイヴィッド・ボウイから紹介され、大きな話題を呼んだ。
1987年8月25日、6th アルバム『Door to Door』リリース。
1988年2月、解散を宣言。
2000年10月3日、オールが膵臓癌により死去。満53歳没。
2005年、イーストン、ホークスが、トッド・ラングレンらとともに”The New Cars”を結成。
2010年、オケイセック、イーストン、ホークス、デヴィッド・ロビンソンにより活動再開。
2011年5月10日、24年ぶりとなる7th アルバム『Move Like This』をリリース。
 その後のツアーのあとは、再び活動停止。
Franz Ferdinand「Take Me Out」
ニックのギターの位置は田端義夫よりも高い!
∨2nd シングル(2004年1月12日発売)
1st アルバム『Franz Ferdinand』(2004年2月9日発売)収録
作詞・作曲:Alex Kapranos, Nick McCarthy/プロデュース:Tore Johansson
レーベル:Domino
全英3位 アルバムも全英3位

・8分刻み=エレキギター:Alex Kapranos, Nick McCarthy
フランツ・フェルディナンド:
2001年、スコットランド・グラスゴーのアート系大学の同期生、アレクサンダー・カプラノスAlexander Kapranos (vo,g)とロバート・ハーディRobert Hardy (b)が中心となり、「女の子が踊れるような音楽を作る」という低い志のもと、ドラマーに、以前アレックスと”The Yummy Fur”というバンドを組んでいたポール・トムソンPaul Thomson、ギタリストに”Kamerakino”というジャズ・フュージョンバンドでプレイしていたニコラス・マッカーシーNicholas McCarthyを迎え、バンドを結成。
2003年9月、1st シングル「Darts of Pleasure」リリース。地元で注目を集める。
2004年1月、2nd シングル「Take Me Out」リリース。爆発的な反響を呼んで全英3位。ビルボードのオルタナ・チャートでも3位。
 同年2月、1st アルバム『Franz Ferdinand』リリース。全英3位。売上は400万枚を超え、「Brit Awards」「Mercury Prize」「NME Awards」という英国3大音楽賞を、新人としては史上初めて同時に受賞した。
2005年9月、2nd アルバム『You Could Have It So Much Better』リリース。全英初登場1位。
2009年1月、3rd アルバム『Tonight: Franz Ferdinand』リリース。
2013年8月、4th アルバム『Right Thoughts, Right Words, Right Action』リリース。
2016年7月8日、バンドのツイッター上でニックの脱退が発表される。
2017年5月19日、ニックの後任としてディーノ・バルドーとジュリアン・コリーが加入し、5人体制となった。
2018年2月9日、5th アルバム『Always Ascending』リリース。
Daft Punk「Instant Crush」
哀愁あるロボ声は、ジュリアン・カサブランカス from “The Strokes”。
∨20th シングル(2013年11月22日発売)
4th アルバム『Random Access Memories』(2013年5月17日発売)収録
作詞・作曲:Thomas Bangalter, Guy-Manuel de Homem-Christo, Julian Casablancas/プロデュース:Thomas Bangalter, Guy-Manuel de Homem-Christo, Julian Casablancas
レーベル:Daft Life (Columbia)
全仏4位 アルバムは全仏・全米・全英・オリコン1位

・8分刻み=エレキギター:Daft Punk/ベース:Nathan East
・vocal, lead guitar: Julian Casablancas(The Strokes)
ダフト・パンク:
トーマ・バンガルテル(Thomas Bangalter、1975年1月3日 - )とギ=マニュエル・ド・オメン=クリスト(Guy-Manuel de Homem-Christo、1974年2月8日 - )の2人組。
顔の部分全面に窓が付いている金色のマスクがギ=マニュエル、目の部分にだけ窓がある銀色のマスクがトーマ。1999年9月9日にコンピュータのバグで機材が爆発。その事故によって2人はサイボーグになってしまった。

1987年、パリの学生だったトーマとギ=マニュエルが知り合い、意気投合する。
1990年、級友のローラン・ブランコウィッツ(現・フェニックス)と3人で”ダーリン”というバンドを結成し、 “ステレオラブ”のレーベルから数曲をリリースした。
 ある時、ダーリンに対して、英音楽誌「メロディ・メーカー」が”a daft punky thrash”と酷評。しかし彼らはこの言葉を気に入り、自らを”Daft Punk”と改める。
1993年、ローランが脱退。
1994年、シングル「The New Wave」でデビュー。
1995年、シングル「Da Funk」をリリース。ヨーロッパを中心に世界的ヒットとなる。スパイク・ジョーンズがこの曲のMVを監督し、米国でも大量にオンエアされた。
1997年1月20日、1st アルバム『Homework』をリリース。全仏3位、全英8位。クラブ系アーティストとしては異例の全世界で220万枚のビッグセールスを記録。
2001年2月、2nd アルバム『Discovery』をリリース。先行シングル「One More Time」は、2人が大ファンであったという日本の漫画家、松本零士が手がけたアニメーション・クリップも注目を集め、フランス初登場1位、全英2位、日本でも大ヒットに。
2003年5月、松本零士とのコラボレーションによる、『Discovery』の全曲がフィーチャーされたアニメーション・オペラ映画「Interstella 5555: The Story of the Secret Star System」公開。
2007年4月、2人が監督・脚本、さらにトーマが撮影監督も手がけた映画「エレクトロマ(en:Daft Punk's Electroma)」が公開された。彼らと同じロボットが主人公(”ヒーロー・ロボット#1、#2”)だが、演じているのは彼らではない。
2010年、映画「トロン: レガシー」のサウンドトラックを担当し、本編でもクラブのシーンでDJとして出演した。
2013年5月、コロムビア・レコード移籍第1弾として、4th アルバム『Random Access Memories』をリリース。ファレル・ウィリアムスをフィーチュアした先行シングルの「Get Lucky」は全英1位、各国のチャートでも1位を獲得。米国では初のトップ10入りを果たしたものの、”ロビン・シック”の「ブラード・ラインズ」に阻まれて5週連続2位だった。アルバムは全英・全米ともに自身初の初登場1位を記録した。
2014年、第56回グラミー賞にて「Record Of The Year」、「Album Of The Year」を含む5部門で受賞。授賞式ではパフォーマンスを披露、2人はマスクも含め白一色の衣装に身を包み、ファレル・ウィリアムス、ナイル・ロジャース、スティーヴィー・ワンダーが共演した。
The Alan Parsons Project「Eye in the Sky」
ミドルテンポの8分刻みは心をジワジワ刺激する♪
∨シングル(1982年8月発売)
6th アルバム『Eye in the Sky』(1982年6月発売)収録 
作詞・作曲:Alan Parsons, Eric Woolfson/プロデュース:Alan Parsons, Eric Woolfson
レーベル:Arista
全米3位、スペインでは年間1位 アルバムは全米7位、全英27位

・8分刻み=エレキギター:Ian Bairnson/ベース:David Paton
・lead vocal: Eric Woolfson
アラン・パーソンズ・プロジェクト:
ビートルズやピンク・フロイドなどの作品を手掛け、「アビイ・ロード・スタジオ」のエンジニアであったアラン・パーソンズAlan Parsonsと、主にセッション・ピアニストやソングライターとして活動していたエリック・ウールフソンEric Woolfsonが意気投合、
1976年、アルバム『Tales of Mystery and Imagination(怪奇と幻想の物語 - エドガー・アラン・ポーの世界)』をリリースした。
コンセプト・アルバムを主体とした作風でありながら、ポップなシングルも送り出し、「Eye in the Sky」(全米3位)、「Don’t Answer Me」(全米15位)、「Time」(全米15位)などのヒット曲がある。
固定メンバーはアランとエリックの2人だけだが、元”Pilot”のデヴィッド・ペイトンとイアン・ベアンソンの2人は準レギュラーのような形で、ほぼすべての作品に参加した。
1987年、10th アルバム『Gaudi』を最後にコンビを解消、それぞれソロ活動に入る。
基本的にコンサート活動を行わない方針だったが、1990年の「Night of the Proms」(年に一度のヨーロッパ最大の音楽イベント)に、エリックを除くスタジオ制作の主要メンバーが揃い、”アラン・パーソンズ・プロジェクト”名義で出演した。
2009年12月2日、エリックが腎臓癌のため64歳で死去。

次回の爆音アワーは・・・

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